三浦小太郎『渡辺京二』を読み始めた。
30分くらいしか読んでないけど、いい。
ビシビシ刺さる。
三浦小太郎さんは、この本が初の単著とは思えないほど、ものすごいインプットをしている。
この三浦小太郎さんの文章を1、2頁読むだけで、オッソロしいほどのインプットをしている方だと分かる。
文章の質は読書量に比例する。
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以下は、この本の、水俣に関連する記述から、刺さったことをいくつか。
■ 渡辺は「小さきもの」への視点を外さなかった。
■ 「完全な敗北とは、要するに、忘れ去ること、とりわけ自分をくたばらせたものを忘れ去ること、人間どもがどこまでいじわるか最後まで気づかずにあの世にいっちまうことだ」
フランスの文学者セリーヌ。
紀藤正樹氏や鈴木エイト氏が「どこまでいじわるか最後まで気づかずに」あの世にいっちまうことがないようにしないと。
■ 世界文学全集に入っている石牟礼道子の『苦海浄土』の原題は『海と空のあいだに』だった。
分かる。水俣の、透き通る海と、突き抜ける空を見てきた私には、分かる。
『海と空のあいだに』と題した石牟礼道子が、どんな情景を心に描いていたかが。
■ 石牟礼道子は「市民」という言葉を拒否する。
…紀藤正樹先生に聞かせたい言葉。紀藤先生も石牟礼道子を読んだらいいのに。邪悪なところが少しは浄化されるでしょう。
■ 石牟礼・渡辺は水俣病患者と「心中」した。だから石牟礼には患者の魂と怨念が「乗り移った」。
…そう。クライアントに憑依するのが弁護士の仕事。私もクライアントと「心中」してクライアントが私に「乗り移る」ようにしないと。