駿府城 すんぷじょう (静岡県静岡市葵区)
さて、駿府城をインターネットで検索してゆくと、徳川家康が宇宙人と遭遇したという書き込みが散見されます。
いかにもネット社会で語られる都市伝説(時空を越えていますが・・・)のような話ですが、実はこの話はけっこう年季が入っていて、少なくとも30年以上は前から脈々と語り継がれて現在に至っています。
私がこの話を初めて聞いたのは、昭和57~58年頃、中学生の時でした。
「クイズダービー」(司会・大橋巨泉)というテレビ番組を観ていると、「次の中で、実際に歴史上の史料に記されている不思議な出来事はどれでしょうか?」という三択問題がありました。
その正解が、「徳川家康の駿府城に宇宙人がやって来た」というものでした。
その時、私はふと小学校の学級文庫で大人気だった「妖怪大百科」(水木しげる著)の記述を思い出しました。
巻末に妖怪年表という一覧表があって、その江戸時代の欄に「徳川家康の駿府城に、妖怪肉人(にくびと)が現われ、指の無い手で天を指した」と書いてあったのです。
中学生だった私は、この宇宙人話について
・・・これは、「妖怪が現れて、天を指した」という言い伝えに対し、限りなく想像力を膨らませて「その得体の知れない奴は宇宙人だ。宇宙人が宇宙を指して、何かのメッセージを伝えようとしたのだ」という解釈に持って行ったんだろうな・・・
と、結論付けて別段興味は感じませんでした。
ただ、どうしたわけか、この「駿府城と妖怪(現代的解釈?で宇宙人)」の伝説は、その後も記憶の片隅に残り続けました。
その後、大学の史学科に進んだ私は、ある日偶然、史料の中から「駿府城と妖怪」のネタ元になった記述を発見しました。
それは、駿府城本丸の家康の御殿近くへ、不審者の侵入があったことを伝える以下の記述でした。
「当代記」(とうだいき) 慶長14年(1609)4月4日の条
「駿府大御所御座之近所へ何とも知れず人、水はしりの板をくぐり来る。則ち、戒め見けるに一円のたはけものなり。
誅戮ある可きに非ず、追放さる。」
(意訳)
駿府城本丸の家康公の御殿の近くへ、不審者が「水はしりの板」を通って潜入してきた。
捕えてみたら乱心者だった。処刑するまでもないので、釈放した。
この不審者は、妖怪でも宇宙人でもありませんでした。はっきりと「人」と書いてあります。
ところで、そもそも徳川家康の駿府城本丸に不審者が入ってくるという珍事が本当にあったのでしょうか?
「当代記」の著者は不明ですが、徳川氏一門の大名・松平忠明(家康の外孫)が編者であるとも考えられています。
内容は戦国時代後期から江戸時代初頭の世相を記したもので、歴史学上の史料価値は極めて高いとされています。
また、駿府城の構造からも、本丸への不審者の侵入は起こり得たと私は思います。
「当代記」には、不審者が「水はしりの板」を通って入ってきたと書いてあります。
この「水はしりの板」というのは、堀に渡された木造の水道管(樋)のことと考えられます。
(駿府城復元模型)
駿府城には3重の堀が廻らされていますが、それぞれの堀には城外から本丸庭園の池に水を導くための水道管が橋のように渡されていました。
写真の赤い矢印の箇所に、堀を渡る水道管が設けられています。
この水道管を伝って行けば、警備の厳しい城門をひとつも経由せずに最短距離で直接本丸に入ることが出来なくはありません。
あるいは、「水はしりの板をくぐり来る」という表現は、水道管の中を通ってきたという意味にも取れます。
人が中を這って通れるくらいの大きさがあったのかも知れません。
本丸への不審者の侵入というこの珍事の後、駿府城に詰める武士たちは「水はしりの板」の付近の警備を厳重にして、再発防止に努めたことでしょう。
さあ、これにて一件落着、と言いたいところですが・・・
その後、この「駿府城への不審者侵入」の一件は、時代が下るとともに、次第に尾ひれが付けられて、まったく違う話に変化してゆくのです。
その変化の過程は、次回にご紹介致しましょう。
さて、駿府城をインターネットで検索してゆくと、徳川家康が宇宙人と遭遇したという書き込みが散見されます。
いかにもネット社会で語られる都市伝説(時空を越えていますが・・・)のような話ですが、実はこの話はけっこう年季が入っていて、少なくとも30年以上は前から脈々と語り継がれて現在に至っています。
私がこの話を初めて聞いたのは、昭和57~58年頃、中学生の時でした。
「クイズダービー」(司会・大橋巨泉)というテレビ番組を観ていると、「次の中で、実際に歴史上の史料に記されている不思議な出来事はどれでしょうか?」という三択問題がありました。
その正解が、「徳川家康の駿府城に宇宙人がやって来た」というものでした。
その時、私はふと小学校の学級文庫で大人気だった「妖怪大百科」(水木しげる著)の記述を思い出しました。
巻末に妖怪年表という一覧表があって、その江戸時代の欄に「徳川家康の駿府城に、妖怪肉人(にくびと)が現われ、指の無い手で天を指した」と書いてあったのです。
中学生だった私は、この宇宙人話について
・・・これは、「妖怪が現れて、天を指した」という言い伝えに対し、限りなく想像力を膨らませて「その得体の知れない奴は宇宙人だ。宇宙人が宇宙を指して、何かのメッセージを伝えようとしたのだ」という解釈に持って行ったんだろうな・・・
と、結論付けて別段興味は感じませんでした。
ただ、どうしたわけか、この「駿府城と妖怪(現代的解釈?で宇宙人)」の伝説は、その後も記憶の片隅に残り続けました。
その後、大学の史学科に進んだ私は、ある日偶然、史料の中から「駿府城と妖怪」のネタ元になった記述を発見しました。
それは、駿府城本丸の家康の御殿近くへ、不審者の侵入があったことを伝える以下の記述でした。
「当代記」(とうだいき) 慶長14年(1609)4月4日の条
「駿府大御所御座之近所へ何とも知れず人、水はしりの板をくぐり来る。則ち、戒め見けるに一円のたはけものなり。
誅戮ある可きに非ず、追放さる。」
(意訳)
駿府城本丸の家康公の御殿の近くへ、不審者が「水はしりの板」を通って潜入してきた。
捕えてみたら乱心者だった。処刑するまでもないので、釈放した。
この不審者は、妖怪でも宇宙人でもありませんでした。はっきりと「人」と書いてあります。
ところで、そもそも徳川家康の駿府城本丸に不審者が入ってくるという珍事が本当にあったのでしょうか?
「当代記」の著者は不明ですが、徳川氏一門の大名・松平忠明(家康の外孫)が編者であるとも考えられています。
内容は戦国時代後期から江戸時代初頭の世相を記したもので、歴史学上の史料価値は極めて高いとされています。
また、駿府城の構造からも、本丸への不審者の侵入は起こり得たと私は思います。
「当代記」には、不審者が「水はしりの板」を通って入ってきたと書いてあります。
この「水はしりの板」というのは、堀に渡された木造の水道管(樋)のことと考えられます。
(駿府城復元模型)
駿府城には3重の堀が廻らされていますが、それぞれの堀には城外から本丸庭園の池に水を導くための水道管が橋のように渡されていました。
写真の赤い矢印の箇所に、堀を渡る水道管が設けられています。
この水道管を伝って行けば、警備の厳しい城門をひとつも経由せずに最短距離で直接本丸に入ることが出来なくはありません。
あるいは、「水はしりの板をくぐり来る」という表現は、水道管の中を通ってきたという意味にも取れます。
人が中を這って通れるくらいの大きさがあったのかも知れません。
本丸への不審者の侵入というこの珍事の後、駿府城に詰める武士たちは「水はしりの板」の付近の警備を厳重にして、再発防止に努めたことでしょう。
さあ、これにて一件落着、と言いたいところですが・・・
その後、この「駿府城への不審者侵入」の一件は、時代が下るとともに、次第に尾ひれが付けられて、まったく違う話に変化してゆくのです。
その変化の過程は、次回にご紹介致しましょう。
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