駿府城 ③ -ようこそ妖怪さん、宇宙人さん(2)-

2013-01-15 23:27:48 | うんちく・小ネタ
駿府城 すんぷじょう (静岡県静岡市葵区)


前回は、不審者侵入という駿府城の珍事について、その顛末を「当代記」の記述で確認してみました。
いよいよ今回からは、歳月とともに話に尾ひれが付けられて、トンデモない方向に変化してゆく経過を追ってみることにしましょう。
「たわけもの」として無罪放免になった不審者は、時代を超えて得体の知れない妖怪になり、ついには宇宙人になってしまうのです。

その前に、話がどのように変わったかを比較するために、もう一度原典である「当代記」の記述を掲載します。


「当代記」(とうだいき) 慶長14年(1609)4月4日の条

「駿府大御所御座之近所へ何とも知れず人、水はしりの板をくぐり来る。
則ち、戒め見けるに一円のたはけものなり。
誅戮ある可きに非ず、追放さる。」


(意訳)
駿府城本丸の家康公の御殿の近くへ、不審者が「水はしりの板」を通って潜入してきた。
捕えてみたら乱心者だった。
処刑するまでもないので、釈放した。



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change 1. ~家康公の礼賛に力を入れたら、こんな話になっちゃった!~


駿府城の珍事から65年経った延宝2年(1674)、「玉露叢」(ぎょくろそう)という歴史書が世に出ます。
著者は、幕府の儒学者・林鵞峯(はやし がほう)であるとも考えられています。
この本では、記述が以下のように変わっています。

「駿府の御庭に異人有り、四肢に指なく、弊衣乱髪、只食には青蛙を食ふ。
来る所を問うに、手を以て天を指す。
皆人殺さむとす。
大御所の仰に曰く、殺す事なかれと。因って城外に出す。
其在く所を知らず。」



(意訳)
駿府城の庭に異人(異形の人、つまり異様な格好・行動をする人物)が現れた。
手足に指が無く、粗末な着物を着て髪は乱れ、青蛙を食べていた。
どこから来たかと問うてみたら、手で天を指した。
家康公が殺してはならないと仰せになったので、城外に出した。
その行方は分からない。






思わず「あんた、見たんか?」と、ツッコミを入れたくなるような情景描写のオンパレードです。
もちろん、珍事の発生から65年も経って、ここで初めて登場する描写は脚色以外の何でもありません。

この文章を読むと、とかく前半の摩訶不思議な「異人」の描写に目を引かれがちですが、話の主題は後半の「家康公が殺してはならないと仰せになったので、城外に出した」の部分です。

そもそも、駿府城本丸に侵入して捕えられた者を生かすか殺すかについては、家康の判断を仰ぐのは当然です。
従って、「当代記」の「処刑するまでもないので、釈放した」という簡潔な記述でも、それは家康の判断だったという文意は十分汲み取れます。

しかし、「玉露叢」では「家康公が殺してはならないと仰せになった」とまで明記し、強調することによって、この話を「家康公は、殺生を好まない、とても情け深い君主でした」という逸話に変えています。
「家康公の礼賛」、これこそが「玉露叢」の著者のねらいなのです。


それでは、前半で侵入者を摩訶不思議な「異人」として描写するねらいは何でしょうか。
私は、ここにも「玉露叢」の著者の強い配慮が込められているように思います。
すなわち、本丸へ不審者の侵入を許してしまったということは、駿府城を警備する家臣たちの失態であり、ひいては家康の監督責任ということにもなります。
「家康公の礼賛」という文脈の構成上、著者にとって、これは非常にマズイことです・・・・

そこで、侵入者を不思議な能力を持った「異人」ということにして、空を飛んでやって来たと匂わせるような記述にしたのでしょう。
こうすることで、こんな凄い奴が相手なんだから、本丸まで入られても仕方ないという逃げが成立します。
つまり、前半の摩訶不思議な「異人」の描写は、「警備上の不手際ではないんだよ」という言い訳の伏線なのです。

なお、侵入者は「異人」であり、あくまでも人間(ニュアンスとしては仙人に近いのかも知れません・・・)だとしているところにも、著者のこだわりが感じられます。
侵入者を、人の力の及ばないキャラクターに設定するにしても、神君家康公が居住されていた「聖地」駿府城に、妖怪の登場はふさわしくないと考えたのでしょう。

先述したように「玉露叢」の著者は、儒学者の林鵞峯(はやし がほう)であるとも考えられています。
こうして見ると、幕府の御用学者が書いたとするにふさわしい、配慮に満ちあふれた文章だと言えるでしょう。


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さて、もちろんこれで終わりではありません。

「玉露叢」からおよそ140年後、駿府城の珍事は、さらにぶっ飛んだ話に飛躍してしまうのです。

それは次回にご紹介致しましょう。





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