NPI(非営利投資)とNPO支援の品川投資倶楽部

非営利投資NPIを実践し、NPO(非営利組織)をささやかに支援するブログです!

「労働・余暇・資産の充実へ」(「改革者」より転載)

2006年08月17日 | Weblog
■連載「労働運動 新たな再生を願って」の第11回原稿!
 元労組書記で現在個人投資家の私は、「資本(株主)・経営・労働」に関心を持ちつつ、「人と企業を育む投資」を続けています。
 本稿は、月刊誌「改革者」に「労働運動 新たな再生を願って」という共通タイトルの下、一年間・12回に亘り連載したものの第11回原稿で、同誌2006年3月号に「労働・余暇・資産の充実へ」として掲載したものです。
 なお、月刊誌「改革者」は、政治・経済・労働・外交などの記事を掲載する総合政策提言誌です。購読希望者は、政策研究フォーラム(℡03-5445-4575)までお願いいたします。 

「労働・余暇・資産の充実へ」(「改革者」06年3月号より転載)

○働く者の豊かな人生のために
 働く者が人生を豊かにより良く生きるためには、①実りある労働生活、②充実した余暇活動、③必要にして十分な資産形成、が不可欠である。
 実りある労働生活のためには、やりがいのある仕事と整備された労働環境、正当な報酬が必要となる。充実した余暇活動のためには、余暇に関する問題意識と主体的な取り組みが大切であるが、その中心は生涯学習である。そして必要な資産形成には、経済・金融・投資に関する正しい知識と、投資活動への適切な取り組みが必要となる。
 労働組合は今日まで、組合員の「実りある労働生活」のために活動してきた。しかし、これからの労働組合は、余暇・生涯学習と資産形成のための取り組みを、その活動の中に取り入れていくことが求められる。
○人生80年70万時間の余暇・学習
 人生は、①誕生から就業前までの労働前期間(20年・17万5千時間)、②労働期間(40年・約35万時間)、③退職後の労働後期間(20年・17万5千時間)の三つに分けられ、組合の立場で重要なのは40年の労働期間。この期間は肉体的・精神的にも充実し、結婚や子育てなど人生の様々な出来事を生じる大切な40年である。
 この労働期間中、労働時間を八万時間(2千時間×40年)、生活時間を16万時間(睡眠や食事等)とすると、余暇時間は11万時間となる。大きな時間であり、この時間をいかに活用し、いかに生きるかが重要となる。労働組合が余暇問題に積極的に取り組む理由である。また定年後は、余暇が「主暇」となり、永い自由時間が待っている。その期間を充実したものとするためには、在職時からの準備と問題意識が必要。余暇は自ら開発するものであるが、その意識付けと助力を行うのは労働組合の役割である。
 ところで余暇と言うと娯楽や遊びなどが挙げられるが、それは余暇の中心ではない。余暇はレジャーであるとともにレクリエーション(再創造)であり、その基本は学習。しかも生涯に亘る学習である。詳細は記述しないが、余暇・生涯学習の目的は、「人生を豊かにより良く生きる」ことにあり、それは労働運動の目的(人間性とエンプロイアビリティ(雇用される能力)の向上)と通低する。このことを組合関係者は認識して欲しい。
○大切な金融知識と資産形成
 少子高齢化と経済不況による年金・医療等の社会保障不安、終身雇用や退職金制度の崩壊などが進む今日、真面目に働くだけでは、豊かな人生をおくるだけの資産形成が困難になりつつある。このため自己責任による資産形成が求められ、労働組合にも一定の役割が求められる。しかし今までの労働組合にとって、労働諸条件の維持向上が最大の眼目であり、一人ひとりの労働者・組合員の資産形成に関わることはなかった。それは個人の問題であり、組合がそこまで踏み込むことは求められていなかったのである。
 だが社会は変わり、労働者を取り巻く環境も変容した。組合は、組合員の資産形成に関わりを持たざるを得ない状況となっている。とはいえ労組が、組合員一人ひとりの資産形成に直接関与することには限界がある。組合ができるのは、①問題意識の涵養、②資産形成に関する知識・情報の提供、③資産形成のための正しい投資技法の紹介、などである。
 大切なことは資産形成の中心となる投資行動について、それをアンフェアなものとして捉えるのではなく、組合員の資産形成と企業・経済の活性化に欠くことのできないもの、と理解することである。投資とは「人と企業を育む投資」であり、社会に不可欠な企業への中長期投資こそが本来のものである。虚業企業への投資やディトレード取引は、不正であり異端であり、労働者の資産形成の投資には無縁である。
                                以上

パソコンの不調につきお休みします

2006年08月16日 | Weblog
■本日、パソコンの不調につきお休みいたします!
 本日、愛用のパソコンが起動しません。ウィルスのせいか不明で、これから調べてみます。このため臨時のパソコンを使い、ブログにアクセスしており、本日の書き込みは中止いたします。
                                 以上

小泉首相、ついに靖国神社参拝!

2006年08月15日 | Weblog
■終戦記念日の今朝7時40分、靖国神社を参拝!
 本15日は終戦(敗戦)記念日、正午から政府主催の全国戦没者追悼式が開かれるこの日、小泉首相はついに靖国神社を参拝しました。
 テレビは朝から首相公邸や靖国神社の中継を行うなど大騒ぎです。7時31分、小泉首相は首相公邸を出て、5台の黒塗りの車で靖国神社に向かい、雨の中、参拝を行いました。テレビはその姿を中継しています。
 靖国参拝は、小泉首相の公約ですし、首相の性格や最近の言説から多くの人が予想した通りの参拝となりましたが、今後の中国・韓国、そして国内からの反発と批判は大変でしょう。
■靖国参拝問題は、本当に「心の問題か」
 政治のシロウトであり、一人の個人投資家、一介のボランティアが靖国問題に発言しても意味の無いことは承知していますが、それでも一言は言いたくなります。
 小泉首相が言うように靖国神社参拝は、本当に「心の問題」なのでしょうか。「死んだ者に罪はない」との首相発言は、中国や韓国の人々に理解されるのでしょうか。私には疑問です。
 靖国神社参拝問題は、戦争への評価や歴史認識、信教の自由に絡むものであり、また罪を犯した者は死んだからと言って罪がなくなる訳ではないのです。さらに靖国神社の性格・経緯(明治維新時の官軍側戦死者を祀るための神社。したがって幕府側の人間や江戸・会津等の人たちには関係のないところ)からしても、小泉首相が靖国神社に参拝することには賛成できません。
 しかし、私一人が批判しても詮無いことですので、私は今日の正午、一人でボランティア先にて戦争で亡くなった310万の日本人と世界の戦没者、そして今もなお戦争やテロ等の犠牲になっている人たちの冥福を祈ることにします。合掌
                                   以上

人間は地球史上最強の肉食獣!

2006年08月14日 | Weblog
■生きるために食べる食料は、一生のうちで50トン
 先日、テレビを見ていましたらある番組の予告放送を行っていました。それは人が生きていく上で、どのくらいの食料を消費するのか、というものでした。結論は、「人は一生のうちで50トンの食糧を食う」ということのようです。
 平均的な日本人は米10トン、肉2.3トン、魚2.6トン、野菜7.9トン、果物3.6トン、麦2.9トン、大豆1.7トン、その他で計50トンを消費する、とのことです。
 人により異なる数字でしょうし、肉食を多い民族は牛や羊の消費量が膨大になるでしょう。それにしても凄い数字です。「食料」と一言で表していますが、いずれも生き物(米や小麦も植物という生物)ですから。
■一枚の写真で肉嫌いに!
 私はかつて似たようなシーンを見たことがありました。小学校入学前か低学年の頃に見た一枚の写真です。そこには一人の可愛い子供を真ん中に、たくさんの牛や豚・鶏、小麦やとうもろこしなどが山のように積まれているシーンが写っていました。そしてキャプションには、「この子が一生のうちに食べるもの」と記されていたように思います。
 その写真を見たときはショックでした。一人の人間が生きるためには、これほどの生き物を犠牲にするのかと思い、それ以来、肉を食べることができなくなりました。結局、肉を食べるようになったのは、結婚してからです。
 今は何でも食しますし、美味しいものは美味しいと食べています(女房には食べすぎ、と言われています)。しかし、食べ終わり、満ち足りたときに、あの一枚の写真を思い出すことがあります。お腹が空いているときは、決して思い出すことはありませんので、我ながら身勝手なエゴイストだと思います。
 それにしても「肉食は神が定めていること、鯨は聖書に書いていないので食べては駄目」と、極楽トンボのようなことを言っている人たちは、悩みが無く幸せですね。人間は地球が産んだ史上最強の肉食獣、と言われる所以でしょうか。
                                以上
  

企業・組織の無責任、昭和陸軍の無責任!

2006年08月11日 | Weblog
■無責任が蔓延する日本社会!
 夏休みだというのに全国でプールの使用中止が相次いでいます。埼玉県ふじみ野市のプール事故のせいです。プール管理の契約業者は、市との契約に反し、下請け業者に丸投げしていただけではなく、監視員などの要員配置も手抜きし、事故の当日は24名のところ15名しか配置していなかったようです。
 パロマ工業社員の不正改造も相次ぎ、どこかの役所では裏金づくりに奔走しすぎて、貯まったお金の処分に困った職員が現金を焼却処分した、という報道まであります。
 日本人は、なぜここまでの手抜き、不正を行うのでしょう。それぞれがプロとしての誇りと責任はないのでしょうか。
もっとも日本人の無責任は、今に始まった訳ではないようですし、特に組織(企業、役所など)の一員として行動する日本人は、無責任になりやすいようです。
■保阪正康氏の『昭和陸軍の研究』を読む!
 8月6日のヒロシマ忌、9日のナガサキ忌、15日の敗戦記念日が続きますので、どうしても「先の大戦」のことを考えざるをえません。
 昨日から保阪正康氏の『昭和陸軍の研究』を読み始めています。「まえがき」で保阪氏は、二つの点を意識していると述べ、「一つは、戦備の消耗品と化した兵士(国民)の存在、もう一つは、昭和陸軍の誤謬の責任は誰がとったのか」という問題意識を提示しています。
 これから読む本ですので結論を先取りすることはしませんが、『昭和陸軍の研究』を読むことで「組織と個人の責任」の問題点、本質が見えてくるように思います。
 それにしても組織の一員としての日本人は、何故、無責任に堕するのでしょうか。個人の自立と責任感を形成するなにか、例えば宗教、哲学、倫理などが欠如しているからでしょうか。しっかりと考えてみたいと思いますが、暑い夏がよけい暑くなりそうです。
                                以上

「個人に立脚し、個人を育む組合へ」(「改革者」より)

2006年08月10日 | Weblog
■連載「労働運動 新たな再生を願って」の第10回原稿!
 今朝のNHKニュースで、見覚えのあるニコンの品川・大井工場の映像が放送されていました。何事かと思ってみると、ニコンの元社員がロシア人に秘密情報を流していた容疑とか。やれやれです。ここは旧帝国海軍潜水艦の潜望鏡を制作していた工場なので・・・。 
 さて今回は、「労働運動 新たな再生を願って」の第10回で、月刊誌「改革者」2006年2月号から転載したものです。労働運動と非営利投資活動に通底するもの(「人と企業を育む」という想い)を汲み取っていただければ幸いです。
なお、月刊誌「改革者」は総合政策提言誌です。購読希望者は、政策研究フォーラム(℡03-5445-4575)までお願いいたします。
 政策研究フォーラム http://seiken-forum.jp/index.htm

 「個人に立脚し、個人を育む組合へ」(月刊誌「改革者」2006年2月号より転載)

○反抗の決意が結集した労働組合
 労働組合は、一人ひとりでは弱い存在の労働者が、自主的に団結し、自分たちの要求を実現させようという自主的組織・団体である。この点について社会思想家の故武藤光朗氏は、その著『社会主義と実存哲学』(一九五八年刊)の中で、労働組合とは「資本主義的人間即物化的労働過程に対する無産者たちの反抗の決意の結集体」と論じている。
 本の性格と時代背景から文章は生硬で、判りにくい。しかし、人間らしく生きようとする一人ひとりの労働者が、職場における非人間的労働に絶望し、その絶望を媒介とする労働者同士の交わりの中から、反抗の決意が生まれ、これが社会的に結集して労働組合結成に至る、との武藤光朗氏の指摘は、今日でも有意である。
○組織の論理が優先する労組
 武藤光朗氏の指摘をまつまでもなく、一人ひとりの労働者の個人的決意により労働組合は生まれる。それが反抗の決意か、より良い生活への期待か、人間性向上への願いかはともかくとして、労働組合は一人ひとりの労働者の決意と自発性の上に成立する。
 ならば組合活動も一人ひとりの労働者の自発的意思により営まれ、個々の労働者の個別利益を守るために機能することが求められる。しかし、現実の組合活動は必ずしもその通りにはいかない。
 労働組合が一度、組織として確立されると、今度は組織の維持が至上目的(組織の論理)となり、原点(労働組合の出発点は個人という)が見失われることになるからである(西谷敏大阪市立大学教授)。
 これはユニオン・ショップ制による企業別組合の場合、特に顕著となる。西谷教授は、「企業別労働組合の場合、その特殊な成立過程から原点の自覚が弱い」と指摘、さらに「ユニオン・ショップ制度が組合役員から緊張感を奪って現状維持の意識を蔓延させる原因」であり、「今後、労働組合が多様な形で発展していく際の重い足かせになっている」と、組合への加入を強制するユニオン・ショップ制を強く批判する。
 何れにしろ組織の論理が優先される労働組合では、組合員全員の利益擁護(全体利益の擁護)が第一とされ、個々の組合員の個別利益は見失われていく。また、多数決原理が貫かれるため、多様な労働者の意識や自発性は、必ずしも組合活動に反映されない。この結果、組合組織の活力は低下し、魅力ある組合活動は次第に困難となっていく。
○個人に立脚し、個人を育む労働組合
 それ故、労働組合の再生・活性化のためには、組織論理を修正し、個人に立脚(個々の労働者の自発性の尊重)しつつ、多様な個人の利益を擁護(個別利益の擁護)する活動に取り組むことが重要である。
 しかし、個々の労働者が本当に自発性をもって組合活動に参加するのか、自分の個人的利益を主張するのか、疑問が残る。日本の労働者の多くは、目立つことを好まず、自己利益の主張に消極的であり、組織の一員(組織に埋没?)として生きることに喜びを見出している、かのようである。
 労働者個人に立脚し、その個別利益を擁護する労働組合運動を確立する前に、一人ひとりの労働者の自立と権利意識を確立することが必要となる。そのため労働組合は、そのミッション(使命:働く者の人間性とエンプロイアビリティ【雇用される能力】の向上)と労働者の法的権利を、労働者へ継続的に教育・啓蒙していく必要がある。労働組合がミッション・スクールと呼ばれる所以であり、労働組合は個人に立脚し、個人を育む団体なのである。
                                 以上

核禁会議と広島「平和の灯」・長崎市「平和の泉」!

2006年08月09日 | Weblog
■被爆者援護の活動を展開した核禁会議!
 本9日は、ナガサキの被爆から61年。この日を迎えると10数年前、核禁会議(核兵器禁止平和建設国民会議)の一員として長崎市の「平和の泉」の前に佇んでいたことを思いだします。そのとき買い求めたキリスト像は、いまも手元にあります。
 核禁会議は、被爆者援護活動などを展開している団体で、現在でも被爆者援護の活動に取り組んでいますし、連合などと共同でヒロシマ・ナガサキの平和集会を開催しています。
 かつての核禁会議は平和のシンボル像建設にも取り組んでおり、広島市平和記念公園内の「平和の灯」(1964年)と長崎市の「平和の泉」(1969年)は、何れも核禁会議が会員からのカンパで建設し、広島市と長崎市に寄贈したものです。
 また、核禁会議は、韓国に被爆者診療センターを建設し、広島・長崎で被爆した韓国人の診療活動を行っていたことでも知られています。
■無能な政治家・指導者が招いた原爆の悲惨さ!
 ヒロシマ・ナガサキの惨状を思うとき、原爆を投下したアメリカに対し強い憤りを覚えますが、同時にそのような事態を招いた当時の日本の軍部・指導者に、激しい怒りを感じます。
 特に軍部・指導者に対しては、二つの点で怒りを抑えられません。一つは捕虜になることを禁じた先陣訓(略)であり、他の一つはなぜもっと早く降伏しなかったのか、ということです。昭和19年のマリアナ沖海戦に破れて以来、日本は100%、勝利の可能性が無くなっており、このとき日本が降伏していれば原爆の悲惨さも東京大空襲の惨劇もなかったでしょうし、300万人もの犠牲者を出すことはなかったのです。
 降伏を実現できなかった理由は色々あるでしょうが、最大の要因は「戦争は政治の一部であり、政治は政治家が行うもの」という単純な事実を、当時の軍人・指導者が理解できていなかったことにあると思います。
 いつの時代も無能な指導者・政治家を持つことは、国民にとって本当に不幸なことです。
                                 以上

佐藤晃氏の『帝国海軍が日本を破滅させた』を読む!

2006年08月08日 | Weblog
■『太平洋に消えた勝機』に続く話題作だが!
 8月5~6日の両日、佐藤晃氏の『帝国海軍が日本を破滅させた』(上)、同(下)を読みました。前作『太平洋に消えた勝機』で話題を提供した著者の続作です。
 旧陸軍士官学校出身の著者による批判の舌鋒はすさまじく、旧帝国海軍には、①作戦知識が欠如している、②国家総力戦の認識がない、③情報重視の観念がない、④後方兵站が疎か、⑤戦術も拙劣とのことで、まったくのシロウト集団扱いです。
 「海軍憎し」の感が先にあり、貴方に言われたくない、と思う人もいるでしょう。しかし、戦後の日本が、著者が言うように「陸軍悪玉論・海軍善玉論」の雰囲気に毒されていたことも事実のように思います。
 旧海軍が、①日露戦争後の予算確保のためアメリカを仮想敵国に設定した戦略の間違い、②太平洋戦争のほとんどの海戦で米軍に破れている事実、③数少ない勝利の戦いを十分に活かせない無能な指揮官の存在、との著者の指摘はその通りでしょう。
■戦略と精神力でも負けた日本
 太平洋戦争(大東亜戦争)は、「アメリカの物量と科学技術に敗れた」という一面もありますが、同時に「戦略と精神力」でも負けていたように思えます。そしてその背景には、「日本の貧しさと民主主義の欠如」があったと思います。
 詳細は略しますが、日本の貧弱な経済・産業の現実が、海軍指揮官をして一艘でも船を失いたくないとの過度の「艦隊保全主義」や「一発必中の砲は、百発一中の砲に勝る」という馬鹿げた精神論に堕する要因となったのでしょう。戦争に必要なものは、戦略と合理的な精神であり、それを生み出すのは経済的豊かさと心のゆとりであって、「大和魂」ではないのです。
 さて佐藤晃氏の『帝国海軍が日本を破滅させた』ですが、反発と不快感を感じるところもありますが、同時に「旧海軍には戦略と合理的な意識・精神が欠如していた」ことを教えてくれる本です。風説(海軍善玉論)に惑わされることなく、事実を見極めることの大切さを感じました。
                                 以上

6日は原爆忌、高校野球、田中康夫氏敗北!

2006年08月07日 | Weblog
■ヒロシマ原爆から61年!
 34度~37度の厳しい暑さに襲われた昨6日の日本列島、この小さな島国?でいろいろなことがありました。
 広島では第61回目の原爆忌、小泉首相や35か国の駐日大使らが出席するなかで平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和記念式)が開かれました。私もこの記念式典に出席したことがありますし、また某団体の広島集会に何度か出席したこともありますが、いつも厳しい暑さの中の集会でした。
 また、昨6日から夏の高校野球がスタートしました。野球に興味はありませんし、高校野球が発散する熱気にはうんざりしますが、ぎらつく太陽の下、若い人たちがひたむきに取り組む姿を見ると、つい「頑張れ」と応援したくなることも事実です。
 それにしても高校野球は、なぜ戦前日本の軍国主義を連想させるのでしょうか(失礼)。あの坊主頭でしょうか、甲子園のうんざりする夏の暑さのせいでしょうか。
■長野県知事選で田中康夫氏の3選ならず!
 6日は、山国長野県でも暑い日だったようです。3選をめざした無党派の田中康夫現知事が、自民・公明の推薦を受けた村井仁氏に敗れたのです。
 田中康夫氏のことは、よく分かりません。長野県民ではありませんから、彼が過去8年で行ってきた政治のことは分かりませし、その人柄も不明です。
 しかし、前々回の知事選で田中氏が衝撃的なデビューを飾ったことは、たしかに日本の地方政治に大きな影響を与えました。若い一人の作家が、土建屋が支配する地方政治に突進していった姿は、ドン・キホーテを連想させ、苦笑した人も多かったと思いますが、見事、当選したのですから。
 その田中氏が、今回、敗北しました。「前回、彼を支持した無党派層が離れたことが原因」とNHKテレビは解説していましたが、その通りなのでしょう。何れにしろ田中氏の二期8年の実験は終わり、長野県の暑い一日は終わりました。涼しさの戻る山国は良いですね。
以上

王子製紙TOBに日本製紙が参入し、混沌!

2006年08月04日 | Weblog
■北越製紙への援軍か、日本製紙!
 昨3日から製紙業界最大手の王子製紙による北越製紙への株式公開買付け(TOB)が実施されていますが、これに業界二位の日本製紙が参入し、「北越製紙の株式8.49%を取得した」と発表して、事態は複雑化してきました。
 日本製紙の参入は、「王子製紙による北越株TOBを阻止するのが狙いで、経営支配が目的ではない」とされ、日本製紙は今後も10%未満の範囲内で買い増しする、とされています。
 王子製紙によるTOB騒動は、新たな日本製紙の参入で混沌・複雑化してきましたが、北越製紙にとっては思いがけない援軍の到着です。今後の4社、王子製紙対北越製紙・三菱商事・日本製紙の四つ巴の攻防が見物です。
■今後も増えるTOB、M&Aは個人投資家にチャンスか?
 今回の王子製紙によるTOBは、日本初の本格的な敵対的TOBとして注目されていますが、一般に敵対的TOBはうまくいかない、とされています。経営者、従業員・労働組合、その他の利害関係者を敵に回す敵対的TOBは、たしかにうまくいかないでしょう。
 しかし、敵対的TOBが本当に敵対的なのか、単に今の経営陣にとって敵対的なものなのか、しっかりと見極め、判断する必要があるでしょう。
 いま世界的にTOBやM&Aが急増しています。日本でも今後、急増することが予想されます。当時者にとっては大変なこと、命がけの闘いでしょうが、私たち一般の個人投資家にとっては、株式市場が活性化し、チャンスと言えるでしょう。
 但し、漁夫の利を得るような気持ちではなく、中長期的な企業投資の視点に立って、企業や従業員その他の利害関係者のためになるTOBやM&Aかどうかを見極めていく必要があると思います。
                                 以上