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核禁会議と広島「平和の灯」・長崎市「平和の泉」!

2006年08月09日 | Weblog
■被爆者援護の活動を展開した核禁会議!
 本9日は、ナガサキの被爆から61年。この日を迎えると10数年前、核禁会議(核兵器禁止平和建設国民会議)の一員として長崎市の「平和の泉」の前に佇んでいたことを思いだします。そのとき買い求めたキリスト像は、いまも手元にあります。
 核禁会議は、被爆者援護活動などを展開している団体で、現在でも被爆者援護の活動に取り組んでいますし、連合などと共同でヒロシマ・ナガサキの平和集会を開催しています。
 かつての核禁会議は平和のシンボル像建設にも取り組んでおり、広島市平和記念公園内の「平和の灯」(1964年)と長崎市の「平和の泉」(1969年)は、何れも核禁会議が会員からのカンパで建設し、広島市と長崎市に寄贈したものです。
 また、核禁会議は、韓国に被爆者診療センターを建設し、広島・長崎で被爆した韓国人の診療活動を行っていたことでも知られています。
■無能な政治家・指導者が招いた原爆の悲惨さ!
 ヒロシマ・ナガサキの惨状を思うとき、原爆を投下したアメリカに対し強い憤りを覚えますが、同時にそのような事態を招いた当時の日本の軍部・指導者に、激しい怒りを感じます。
 特に軍部・指導者に対しては、二つの点で怒りを抑えられません。一つは捕虜になることを禁じた先陣訓(略)であり、他の一つはなぜもっと早く降伏しなかったのか、ということです。昭和19年のマリアナ沖海戦に破れて以来、日本は100%、勝利の可能性が無くなっており、このとき日本が降伏していれば原爆の悲惨さも東京大空襲の惨劇もなかったでしょうし、300万人もの犠牲者を出すことはなかったのです。
 降伏を実現できなかった理由は色々あるでしょうが、最大の要因は「戦争は政治の一部であり、政治は政治家が行うもの」という単純な事実を、当時の軍人・指導者が理解できていなかったことにあると思います。
 いつの時代も無能な指導者・政治家を持つことは、国民にとって本当に不幸なことです。
                                 以上