雲が広がった朝の空でしたが、陽ざしが届いてきました~
昨日のつづきを・・・
丹波市青垣町桧倉・清水川でバイカモ鑑賞の後、「道の駅あおがき」で昼食後(写真は撮り忘れました)
丹波紅葉三山のひとつ!「永谷山 円通寺(ようこくざん えんつうじ)」へ・・・
そして・・・花めぐりに「円通寺のあじさい」が載っていました~
2年前の11月!丹波もみじめぐりで訪れた円通寺!紅葉には早すぎて引き返したことがありました~
(前回撮った画像です)
永徳二年(1382)正月、将軍足利義満が後円融天皇の勅命により創建した曹洞宗の名刹であり、年号の首字をとって「永谷山」と号し、天子の宝号の1字をとって「円通寺」と名付け勅願所と定められた。御本尊は如意輪観世音菩薩像で、後小松天皇より下賜されたものと伝えられています。 現在の本堂、庫院などの建築物は江戸時代に再建されたものです。
駐車場からすぐに右手の坂を・・・
三分咲き~四分咲きです
道祖神が並んでいます
ここまで来ましたが、引き返して再度、山門から入ります。
「山門」
青もみじの山門。
明智光秀が二度目の丹波攻めで、氷上郡(丹波市)内の寺社の焼き討ちにかかりました。
横谷に本陣をすすめた時、郷士喜右衛門が単身明智光秀に面会を申し込み、御油圧の圓通寺を残すように説得し、
光秀はこれを聞き届け、乱暴狼藉を禁じた三箇条の「禁制」と寺域への馬の乗り入れを禁じた「下馬札」を自ら描き上げて
部下に走らせ、先陣の兵たちに示達しました。嘉右衛門の働きにより圓通寺は難を逃れることができたのです。
「禁制」と「下馬札」は今も圓通寺に大切に保管されています。と・・・
境内へ・・・今日は急ぎの用があって出かけます
境内の様子はのちほどに・・・つづきます