すがわらの工房日記

東北は岩手県一関市の呉服屋。こつこつと友禅染めをしています。

鬼屍骸村の史跡紹介

2015-06-11 14:59:14 | 歴史とか
今回でシリーズ四回目。
日高見の時代の残骸を眺めています。

色々写真を撮って来たので
せっかくですから鬼屍骸村の史跡をご紹介します。

これは地名の由来になっている石、鬼石です。すでにご紹介済みですね


石の中央の窪みは田村将軍の乗っていた馬の蹄の跡とか打ち据えた棍棒の跡とも言われています。



この石から国道を挟んで100メートル程東には鬼石を落としたときに飛び散ったとされる
『あばら石』が並んでいます。
これです。

それぞれに兜石、肋石、背骨等名前がついていて、
錆びた名札が添えてありました。

詳しい経緯は分りませんが、昔からそういう事になっている様子、
大武丸の家来の墓標という事なのでしょうか?
それとも土地の人々の記憶の目印なのか・・・

そしてこのあばら石から鬼石を望むと
ちょうど延長線上に鬼石井が有ります。


鬼石からちょっと西側に目を向けると線路が走っていて、的場(まとば)踏切があって、


的場という名前がついているという事は弓矢が雨の様に降り注いだ激戦地だったことを物語っています。
それか江戸時代に賭場(とば)だったか



的場踏切をわたって50mくらい北側に
鬼石を掘り出したとされる場所があって、ここです。
ここが鬼石井。


赤いマルでかこった辺りがそうです。線路を挟み矢印の辺りに鬼石があります。

掘り出した時に水が湧き出し、旱魃の時にも涸れなかった名水だそうです。


そしてこの土地の所縁と名水を求めて
明治9年と同14年の奥羽御巡幸の際にこの場所で御小休みされたことを示す『明治天皇小次遺跡』碑が建立されています


当時民家すら疎らであったはずの(現在もまばら)こんな所で
わざわざ小休止して井戸の水を飲んだんですね

やっぱ朝廷にとって歴史的に意味ある要所だったってことなのかしら?

明治天皇のご巡幸は
大政奉還で実権を取り戻した朝廷の建国の歴史をトレースしたんじゃないかな(適当)
当時発布された廃藩置県の県境を見るにそんな香りが見え隠れするのは私だけでしょうか?

鹿島神社とか鬼屍骸八幡神社とか他にも色々あったけど

まあこんな感じで
基本的に鬼石中心に色々ありました。


今回は調べだしたら楽しくなっちゃってキリが無くなってきて
図書館とかでずいぶん本を借りたりしました。

たまには地元の歴史に思いを馳せるのも悪くないですね

そういえば

今朝子供がセミを捕まえてきました。



もうすぐ夏が来ます

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (Meg)
2015-06-11 19:59:56
大変楽しゅうございました。どうもありがとうございました。
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Unknown (菅原)
2015-06-11 21:50:12
Meg様
楽しんで頂けましたか
良かった!
ご感想ありがとうございます

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