水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

共通テスト2021年 古文(4)

2021年01月22日 | 国語のお勉強(古文)
〈問1・問2〉

問1 傍線部(ア)~(ウ)の解釈として最も適当なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つずつ選べ。→ 基本的な単語、文法事項の組み合わせで解く問題。「標準」

(ア)えまねびやらず
 ① 信じてあげることができない 
 ② かつて経験したことがない
 ③ とても真似のしようがない
 ④ 表現しつくすことはできない
 ⑤ 決して忘れることはできない

 「え~やらず」……最後まで~しきることができない、「まねぶ」……真似る・学ぶ・そのまま伝える。歴史物語には「そのまま伝える」の意味の「まねぶ」が多く用いられる。正解は④。

(イ)めやすくおはせしものを
 ① すばらしい人柄だったのになあ
 ② すごやかに過ごしていらしたのになあ
 ③ 感じのよい入でいらっしゃったのになあ
 ④ 見た自のすぐれた人であったのになあ
 ⑤ 上手におできになったのになあ

 「めやすし」……感じがいい、「おはす」……いらっしゃる、「ものを……~なのになあ」。正解は③

(ウ)里に出でなば
 ① 自邸に戻ったときには
 ② 旧都に引っ越した日には 
 ③ 山里に隠(いん)棲(せい)するつもりなので
 ④ 妻の実家から立ち去るので
 ⑤ 故郷に帰るとすぐに

 「里」……実家、「出でなば」……ダ行下二段「出づ(出かける)」連用形+完了「ぬ」未然形+「ば」。「未然形+ば」なので、「もし~したら」。正解は①。
 

問2 傍線部A「『今みづから』とばかり書かせたまふ」とあるが、長家がそのような対応をしたのはなぜか。→文脈からいろいろ類推して解く「難」

 ① 並一通りの関わりしかない人からのおくやみの手紙に対してまで、丁寧な返事をする心の余裕がなかったから。
 ② 妻と仲のよかった女房たちには、この悲しみが自然と薄れるまでは返事を待ってほしいと伝えたかったから。
 ③ 心のこもったおくやみの手紙に対しては、表現を十分練って返事をする必要があり、少し待ってほしかったから
 ④ 見舞客の対応で忙しかったが、いくらか時間ができた時には、ほんの一言ならば返事を書くことができたから。
 ⑤ 大切な相手からのおくやみの手紙に対しては、すぐに自らお礼の挨拶にうかがなければならないと考えたから。


……宮々よりも思し慰むべき御消(せう)息(そこ)たびたびあれど、ただ今はただ夢を見たらんやうにのみ思されて過ぐしたまふ。月のいみじう明(あか)きにも、思し残させたまふことなし。内裏(うち)わたりの女房も、さまざま御消息聞こゆれども、よろしきほどは、A〈 「今みづから」とばかり書かせたまふ 〉。

 おくやみの「消息(手紙)」がいろんな方から寄せられる。今だったら、メールとかラインにあたるのだろうか。「宮々」は長家の姉たちを指すと注にあるが、おろそかに扱えない存在であろう。
 女房たちからも届く。「よろしきほど」どういう人かを指すか難しいが、「宮々」ほどの方ではないはずだ。物事の評価を表す言葉に「よし」「よろし」「わろし」「あし」の四段階がある。「よし・あし」は絶対的な「良い・悪い」だが、「よろし・わろし」は相対的なもので、文脈によって意味が幅広い。きわめて日本的な単語だ。
 だから「よろし」は、「いい感じ」「わるくない」「まあいいかな」「ふつう」「ましかな」のようになる。
「『今みづから』とばかり」の「ばかり」から、「~とだけ書いておく」というニュアンスが伝わる、宮々ほどでなく、ふつうの相手には、あとで連絡するね、またあたらめてねとひと言だけ返しておいたということだろう。無視もできないから、スタンプいっこ送っておくとか。
 ②「妻と仲のよかった女房たち」とは判断できないし、「この悲しみが自然と薄れるまでは返事を待ってほしい」は「今みづから」とも対応しない。
 ③「心のこもったおくやみの手紙に対しては、表現を十分練って返事をする必要があり」、④「見舞客の対応で忙しかった」は、ともに本文から導き出されない。
 ⑤「大切な相手からのおくやみの手紙に対しては」は「よろしきほど」とずれることになる。正解は①。
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共通テスト2021年 論理的文章(4)

2021年01月22日 | 国語のお勉強(評論)
10~18〈日本の妖怪観の変容〉後半

⑮⑯⑰⑱近代の妖怪

 一般論 近世 妖怪……リアルなものとして恐怖した迷信の時代
     近代 妖怪……合理的思考によって否定した啓蒙の時代 
      ↑
      ↓ 現実は逆
 筆者  近世 妖怪……「表象」としてリアリティから切り離される
     近代 妖怪……新たなリアリティに回帰する

近代「人間」
    ∥
  容易に妖怪を「見てしまう」不安定な存在
  コントロール不可能な「内面」を抱えた存在
    ∥
  謎めいた「内面」を抱え込む「私」
    ∥
 「不気味なもの」・未知なる可能性を秘めた神秘的な存在
    ↓ 投影
   妖怪


問5 この文章を授業で読んだNさんは、内容をよく理解するために【ノート1】~【ノート3】を作成した。本文の内容とNさんの学習の過程を踏まえて、(ⅰ)~(ⅲ)の問いに答えよ。 →(ⅰ)(ⅱ)は全体構造を把握する問題。(ⅲ)は複数テクスト問題をむりやり作ったもの。

(1)Nさんは、本文の1~18を【ノート1】のように見出しをつけて整理した。空欄Ⅰ・Ⅱに入る語句の組み合わせとして最も適当なものを後の①~④のうちから一つ選べ。

 【ノート1】
 ● 問題提起(1~5)
    2~3 〈   Ⅰ   〉
    4~5 〈   Ⅱ   〉
 ● 方法論(6~9)
    7~9 アルケオロジーの説明
 ● 日本の妖怪観の変容(10~18)
    11 中世の妖怪
    12~14 近世の妖怪
    15~17 近代の妖怪

 ① Ⅰ 妖怪はいかなる歴史的背景のもとで娯楽の対象になったのかという問い
   Ⅱ 意味論的な危機から生み出される妖怪
 ② Ⅰ 妖怪はいかなる歴史的背景のもとで娯楽の対象になったのかという問い
   Ⅱ 妖怪娯楽の具体的事例の紹介
 ③ Ⅰ 娯楽の対象となった妖怪の説明
   Ⅱ いかなる歴史的背景のもとで、どのように妖怪認識が変容したのかという問い
 ④ Ⅰ 妖怪に対する認識の歴史性
   Ⅱ いかなる歴史的背景のもとで、どのように妖怪認識が変容したのかという問い

 「娯楽の対象としての妖怪は、いかなる歴史的背景のもとで生まれてきたのか。」という問題提起が、①段落で行われている。
 ②~⑤は、それを具体的に説明している。
 ②・③は、もともと妖怪は娯楽の対象ではなかったことと、その理由とともに説明される。→空欄Ⅰ
 ④・⑤では、それをふまえて、認識の変化を生んだ歴史的背景を探りたいと問題提起する。→空欄Ⅱ
 この構造に対応する見出しとしては、④の選択肢が該当する。Ⅰの吟味だけで、正解は得られる。「やや易」


(ⅱ)Nさんは、本文で述べられている近世から近代への変化を【ノート2】のようにまとめた。空欄Ⅲ・Ⅳに入る語句として最も適当なものを、後の各群の①~④のうちから、それぞれ一つずつ選べ。 → 対比の把握 「標準」

 【ノート2】
 近世と近代の妖怪観の違いの背景には、「表象」と「人間」との関係の変容があった。
 近世には、人間によって作りだされた、〈  Ⅲ  〉が現れた。しかし、近代へ入ると 〈  Ⅳ  〉 が認識されるようになったことで、近代の妖怪は近世の妖怪にはなかったリアリティを持った存在として現れるようになった。

Ⅲに入る語句
 ① 恐怖を感じさせる形象としての妖怪
 ② 神霊からの言葉を伝える記号としての妖怪
 ③ 視覚的なキャラクターとしての妖怪
 ④ 人を化かすフィクショナルな存在としての妖怪

Ⅳに入る語句
 ① 合理的な思考をする人間
 ② 「私」という自立した人間
 ③ 万物の霊長としての人間
 ④ 不可解な内面をもつ人間

 1~5で提起された問題について、6~9の方法論を用いて、10~18のように記述する。
  民間伝承としての妖怪 → 娯楽の対象としての妖怪 → 人間の不可解さを投影する妖怪
 という変化の大きな流れがつかめればいい。
 空欄Ⅲには③「視覚的なキャラクターとしての妖怪」、空欄Ⅳは④「不可解な内面をもつ人間」が入る。「やや易」


(ⅲ)【ノート2】を作成したNさんは、近代の妖怪観の背景に興味をもった。そこで出典の『江戸の妖怪革命』を読み、【ノート3】を作成した。空欄Ⅴに入る最も適当なものを、後の①~⑤のうちから一つ選べ。

 【ノート3】
 本文の17には、近代において「私」が私にとって「不気味なもの」となったということが書かれていた。このことに関係して、本書第四章には、欧米でも日本でも近代になってドッペルゲンガーや自己分裂を主題とした小説が数多く発表されたとあり、芥川龍之介の小説「歯車」(一九二七年発衰)の次の一節が例として引用されていた。

 第二の僕、――独(ど)逸(いつ)人の所謂(いわゆる)Doppelgaengerは仕合(しあわ)せにも僕自身に見えたことはなかった。しかし亜(あ)米(め)利(り)加(か)の映画俳優になったK君の夫人は第二の僕を帝劇の廊下に見かけていた。(僕は突然K君の夫人に「先達(せんだつて)はつい御挨拶もしませんで」と言われ、当惑したことを覚えている。)それからもう故人になったある隻(かた)脚(あし)の翻訳家もやはり銀座のある煙草(たばこ)屋に第二の僕を見かけていた。死はあるいは僕よりも第二の僕に来るのかも知れなかった。

考察 ドッペルゲンガー(Doppelgaenger)とは、ドイツ語で「二重に行く者」、すなわち「分身」の意味であり、もう一人の自分を「見てしまう」怪異のことである。また、「ドッペルゲンガーを見た者は死ぬと言い伝えられている」と説明されていた。〈   Ⅴ   〉
 17に書かれていた「『私』という近代に特有の思想」とは、こうした自己意識を踏まえた指摘だったことがわかった。

 ① 「歯車」の僕は、自分の知らないところで別の僕が行動していることを知った。僕はまだ自分でドッペルゲンガーを見たわけではないと安心し、別の僕の行動によって自分が周囲から承認されているのだと悟った。これは、「私」が他人の認識のなかで生かされているという神秘的な存在であることの例にあたる。
 ② 「歯車」の僕は、自分には心当たりがない場所で別の僕が目撃されていたと知った。僕は自分でドッペルゲンガーを見たわけではないのでひとまずは安心しながらも、もう一人の自分に死が訪れるのではないかと考えていた。これは、「私」が自分自身を統御できない不安定な存在であることの例にあたる。
 ③ 「歯車」の僕は、身に覚えのないうちに、会いたいと思っていた人の前に別の僕が姿を現していたと知った。僕は自分でドッペルゲンガーを見たわけではないが、別の僕が自分に代わって思いをかなえてくれたことに驚いた。これは、「私」が未知なる可能性を秘めた存在であることの例にあたる。
 ④ 「歯車」の僕は、自分がいたはずのない場所に別の僕がいたことを知った。僕は自分でドッペルゲンガーを見たわけではないと自分を落ち着かせながらも、自分が分身に乗っ取られるかもしれないという不安を感じた。これは、「私」が「私」という分身にコントロールされてしまう不気味な存在であることの例にあたる。
 ⑤ 「歯車」の僕は、自分がいるはずのない時と場所で僕を見かけたと言われた。僕は今のところ自分でドッペルゲンガーを見たわけではないので死ぬことはないと安心しているが、他人にうわさされることに困惑していた。これは、「私」が自分で自分を制御できない部分を抱えた存在であることの例にあたる。

 複数テクスト問題といいながら、元の本文との異同を吟味しなくても正解は得られてしまう。
「歯車」の読み取りから、①「別の僕の行動によって自分が周囲から承認されているのだと悟った」、③「会いたいと思っていた人の前に別の僕が姿を現していた」「自分に代わって思いをかなえてくれた」、④「自分が分身に乗っ取られるかもしれないという不安」、⑤「死ぬことはないと安心」「他人にうわさされることに困惑」が誤り。②が正解。選択肢の後半は、近代的人間の不気味性との対応で作られているが、もう一工夫してもよかったんじゃないかな。「標準」
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