水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ダンスウイズミー

2019年08月28日 | 演奏会・映画など
「ミュージカルって、ほんと変。突然歌ったり踊ったりするのって、おかしくない?」
 そんなことを言っている大会社のOLさんが、催眠術にかかり、音楽を耳にすると、からだが勝手に動き出し、歌いながら踊ってしまうようになるという設定だ。
 それをきっかけに周囲のみんなも歌い、踊りはじめれば普通のミュージカル映画なのだが、そういうシーンもあるけど、そこで終わらない。
 オフィスで、机を舞台に踊りまくれば、ものや書類が散乱しぐちゃぐちゃになるのはあたりまえだ。
 レストランでそれをすれば、食器は割れる、料理はぶちまける、シャンデリアは落ちる、ワインは落とすで、警察沙汰になってしまう、といった現実にひきもどされる。
 だから、なんとか催眠を解かねばならないと、あやしい催眠術師をおいかけてのロードムービーとなる。
 でも、現実にもどされる前に描かれるシーンは楽しい。三吉彩花さんはダンスがすごいというわけではないが、華がある。
 その昔、三吉彩花さんを「グッモーエビアン」で初めて見たとき、いったいどれほどの女優さんになるのだろうとドキドキしたものだ。思ったほどではなかったのは、「縁」が足りなかったのだろうか、それとも素材がよすぎるがゆえに、かえってほどよい作品に出会えなかったのだろうか。これを機に、美形のコメディエンヌとして、逆に悪女もいいな、とにかくもっと活躍してほしい。
 踊っている本人は実に楽しい。周囲は、それほどでもない、ていうか、オフィスやレストランを破壊されれば当然迷惑だ。
 踊っている本人は、周りの目に気づかずに酔っているようなものだ。
 酔い続けなければやってられない部活と同じような状況にも見えた。
 しかし、われわれは酔いからさめるわけにはいけない。
 できることなら、周りも酔わせるレベルにならないと。
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ぱんだウインドオーケストラ

2019年08月27日 | 演奏会・映画など
オペラシティでの演奏会は、いままでのぱんだのなかで一番よかった。
 前半は「フェスティバルヴァリエーション」「エアーズ」「ノクトゥル」「ウイズハートアンドボイス」の4曲。
 自分的に一体感を得られた経験がないオーチャードにくらべて、客席に座るとステージが身近に感じ、それでいてなぜかあった違和感の正体は椅子がおいてないことだった。
 拍手のなかメンバーが入場してくる、一呼吸おいて上野耕平さんが笑顔で登場しおじぎをする、チューニングかと思いきや、Hrが冒頭のファンファンーレを高らかに歌い上げる……。まさかポップスステージのオープニングのように「フェスヴァリ」を演奏してしまうなんて。
 指揮者なしの立奏という、せめた企画というか、みたことないステージだったが、それができる人たちであり、ほんとうにうまい人がそろうとこんな音がする曲だったのかと感じた前半だった。
 後半は山田和樹氏をむかえて、バーンズ「交響曲三番」。吹奏楽曲のなかでもっとも有名な作品の一つだが全曲通してきける機会はなかなかない。なにわウインド、シエナと過去二回ライブで聴いて、どちらもすばらしかった記憶があるが、まさるとも劣らない演奏だった。一番泣けた。プロ中のプロによる円熟した老獪な演奏ではない。身につけた技術を見せつける演奏でもない。これからもっともっと音楽的な高みに達していけるであろう若いプレーヤーたちが、つくりたい音楽のために、表現したいもののために、現時点での力も才能もすべてを惜しげなくだしきろうとしている姿があった。かけがえのない瞬間。その場にいられたことを感謝したかった。
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DNA

2019年08月25日 | 日々のあれこれ
 夏休み終わりの日曜日は、恒例の「男祭り」合同練習。
 本校会場で300名弱の男子が集まって、顔合わせ、パート練習、全員合奏、共学校男子合奏を行った。
 打楽器が30人くらいで練習しているのはまあ楽しそうだが、チューバが30人が集まってパート練習している部屋は、いったい何があったのかと笑ってしまう。
 フルートよりチューバが多いというバランスの共学校男子バンドは、不思議なことに聞こえてくる音に違和感がない。
 共学校バンドをしきるのは朝霞西高校の川北栄樹先生だが、この鬼才が男祭りに加わってくださって本当によかった。
 全員合奏をしきる榊原先生は、吹奏楽ポップスを教えさせたら第一人者であることはまちがいなく、周りでみている各校顧問たちはメモとりまくりだった。この合奏があるだけでも、「男祭り」を行う意味があると思える。
 午前の合奏のあと、いつもと雰囲気がちがうのは慶應志木さんがいないからかな、と話されていた。
 合奏中のレスポンスやノリという点で、今ひとつ物足りなさを感じていたのは、自分だけではなかった。
 ここは一つ、本校部員たちにもっと全体をひっぱっていってもらわないといけない。
 朝のバス停で様子をみていて、学校ごとに雰囲気が異なるのは、DNA的なものもあるかなと思ってしまう。
 その学校がつくりあげてきた文化や伝統が、日常の会話や行動に表れる。
 しかし「DNAだからしかたない」と言ってはいけないとは思う。「うちの部員はおとなしい」とか「人見知り」だとか、「ノリがよすぎる」とか「勝手」だとか。
 「氏より育ち」というように、生物学的にDNAが規定する部分は、全人格の何分の一かに過ぎない。まして学校や部活レベルなら、変わろうと思えばいくらでもかわれる。もちろん個人レベルでも。
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ローマの休日

2019年08月23日 | 演奏会・映画など
 「ローマの休日」は名作だなどと改めて言うことでないけど、見るたびに印象や受け取り方が変わり、おそらく人ごとにもそれは異なり、つまり何度観ても新鮮な感動を味わえることが名作の条件なのだろうと思う。
 映画館のスクリーンでみるのはひさしぶりだし、ららぽーと富士見での鑑賞は、いままでのなかで一番大きなスクリーンだったのもよかった。
 アン王女にとってのローマの休日は、今回は、高校生活3年間と重なって見えた。
 遠い昔の自分の休日、そして今接している高校生たちの休日。
 たった一日の非日常が、アン王女をあそこまで成長させたように、高校3年間には人が大きく人が変われるポイントがたくさん用意されている。
 「男子三日会わざれば刮目して見よ」という言葉がまさにそのとおりだなと思ったことも、長い教師生活の間には何度もあった。
 自分のやりたいことに夢中で取り組み、そして望みはすべて叶うものではないという経験をすることが、人を成長させる。
 そんな場を用意するのが、自分たちの仕事なのだろう。
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仮引退式

2019年08月06日 | 日々のあれこれ
 「3年仮引退式」セットリスト

 祝典のための音楽
 アナザー・デイ・オブ・サン
 春の猟犬
 ファンキー・ヘンズ
 インフィニティ
 マードックへの最後の手紙 
 《地球》~トルヴェールの惑星より
 オーメンズ・オブ・ラブ
 宝島

  おつかれさまでした!!
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コンクール

2019年08月04日 | 日々のあれこれ
埼玉県吹奏楽コンクール

8月4日(日)上尾市文化センター

高校B部門4日目21番 16:00演奏

曲目 長生淳作曲 《地球》~『トルヴェールの惑星』より

 銅賞をいただきました。
 ありがとうございました。

 
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才能(2)

2019年08月02日 | 学年だよりなど
学年だより「才能(2)」


 足の速さをいかしてスイッチバッターに転向し、一時期は1番バッターとしてスタメンに定着しかけた頃もあった。治療を続け、入院した年もあったが、復帰後ゴールデングラブ賞も受賞した。 その後再び症状が重くなり、29歳で引退を決意する。


 ~ この病気に苦しんだことによって野球ができることのありがたさや喜び、好きなことができることへの感謝の心が自分の中に芽生え、それがいまに繋がったことも確かなんですね。
 僕には監督として「野球ができるって、こんなに嬉しいことはない」という思いを伝えたい気持ちがいっぱいで、それが自分でも気づかないうちに学校の先生っぽい方向に走らせているわけですが(笑)、その意味では病気が指導者としての僕を育ててくれたのかもしれません。
… 人生の大変な時期にどういう生き方をするか、それがすべてだということでしょうね。僕は現役の選手時代、一人前になりたいという思いがとても強かったのですが、成功できないまま29歳で引退しました。選手として才能が発揮できなかった分、その後は野球解説などマスコミの仕事にがむしゃらに打ち込むようになったんです。 ~


 引退後、自分で北海道に野球場をつくった。とにかく野球に関わっていたい、野球が好きだという思いに突き動かされ、子ども達のために天然芝の球場を作りたかったのだ。
 なぜそこまでしなければならないのかと言う人もいた。見返りを求めない努力を神様がみていたからこそ、監督の話がきたにちがいないと栗山氏は言う。

 ~ 隈さんは、いま「大切なのは粘り」とおっしゃいましたが、僕も野球が大好きという思いが人一倍強かったからこそ、この道で粘り強く生きてこられたように思います。才能がないことが才能、才能がないからこそ頑張れる、努力するという感覚が僕の中には常にあって、いまでは才能がなかったことが連によかったとすら思っているんです。 ~


 「才能がないことが才能」。ありがたい言葉だ。
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才能

2019年08月02日 | 学年だよりなど
学年だより「才能」


 大谷翔平選手、清宮幸太郎選手、昨年は金足農業旋風の立役者となった吉田輝星投手……。
 ドラフトのくじ運はもちろんあるのだが、高校野球で話題になった選手が、あたかも神様のおぼしめしであるかのように、日本ハムファイターズに入団している。
 2012年から指揮を執る栗山英樹監督は、そういうスター選手たちが実力を発揮するのはもちろんのこと、人間として次の世代のお手本になるように成長していくことを第一に考えているという。


 ~ そういう願いから僕は致知出版社から出版された『小さな人生論』を昨年の入団発表の時に新人全員に配りました。人間学の根本が書かれたこの本をしっかり読んだ上で、両親と高校時代の監督に一生の約束事を本に書いてもらうよう指示しました。その後、今度は僕が自主トレの時に一人ひとりとの約束事を書きました。ささやかながら、このような形で僕が学ばせてもらった人間学の教えを選手たちにも現してあげたいと思ったんです。
 プロ生活に慣れた頃に、選手たちがこの本を読み返して自分の原点を見つめてくれたら嬉しいですね。僕は野球以外のところに選手が育つヒントがあると思っていて、特に我われが先人から授かったものを若者に橋渡ししていきたいという思いがとても強いんです。
… 僕は選手たちに野球選手として成功してほしいという願いを持っていますが、仮に野球選手として成功できなくても人として成功してほしいと強く願っているんです。やはり最後にはその人の人柄なんですね。人柄がいい選手は野球も勝手に伸びていく。人生も拓(ひら)けてくる。最近、とみにそう感じることが多くなりました。(隈研吾・栗山英樹「磨(ま)すれど磷(うすろ)がず」「致知」4月号) ~


 東京学芸大学出身の栗山監督は、日本プロ野球界初の国立大学出身監督だ。
もちろん教員免許も取得している。大学卒業後は教員になるつもりだったが、幼いころから慣れ親しんだ野球への思いが捨てられなかった。なにより野球が好きだった。
 思い切ってプロテストを受けてみたら合格し、ヤクルトスワローズにドラフト外選手として入団する。しかし入団した栗山選手が最初に感じたのは、ここは自分が居る場所ではないかもしれないということだった。周りで普通に練習している選手達のあまりのレベルの高さに驚いたからだ。
 まがりなりにも、大学野球でそれなりに活躍し、テストにも受かった自分だが、もてる才能に違いがありすぎた。
 入団して二年目からは、めまいに悩まされるようになる。ストレスや疲労などさまざまな要因で発症するとされるメニエール病だった。それでも栗山選手は努力した。
 才能の足りない自分がハンデを覆すには、猛練習しかないと考えた。
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天気の子

2019年08月01日 | 演奏会・映画など
 一日のうちで、早朝が最も頭が働く。
 涼しい季節、早寝できた翌朝、明るくなるかならないうちに目が覚めてすっきりしているときは、前の日解決できなかった問題があっという間に片付く。
 進まなかった添削、解けなかった記述問題が、さらさらと書ける。
 この勢いで働けば、今日中に一ヶ月分が余裕で終わるのではないかと思うくらいに仕事が進む。
 もったいないので、朝食を摂る時間も惜しんでさくさく進めていく。
 ところが、朝の打合せ会議ころになると、脳がぴたっと働きをとめる。
 午前の早い段階で眠くなってしまうことすらある。
 自分は何事をもなしうることができる――頭が働いていたときに感じていた全能感が、またたく間に消えていく。
 いつからこうなったのだろう。
 少なくとも20代のうちは朝起きられなかった。休日はいつまででも寝ていられた。
 今は、寝る体力すらなくなったのか、けっこう夜更かししても(めったにないけど)、明るくなりはじめると目が覚める。
 中学や高校のころは、言うまでもなく朝起きられなかったが、起きてしまえばいつまでもハイテンションで起きていられた。
 なんでもできると思っていた。「何でもできる」と言葉にしたわけではないが、そう思っていたにちがいない。
 そうでなければ、あんなに好き勝手なことをしていられない。
 世界さえ変えうると思っていた。「世界を変える」と宣言したわけではないが、そう感じていたにちがいない。
 そうでなければ、あんなに傍若無人にふるまえない。
 人生の朝だった。
 人としての脳が働きはじめる思春期は、今はごくまれにしか訪れない早朝の全能感を、全開で持ち続けている時期だったのだ。
 映画「天気の子」を観て、それを思い出した。
 若者は、あんなにも世界を知りたがり、世界を変えたがる。そうすべき自分であることをみんなが感じている。
 雨が降り続くのは自分たちせいであり、二人の出会いは奇跡だと感じる「自分たち」は実は無限に存在する。
 「君の名は」の二人もそれは同じ構造だ。
 誰もがもっていて、誰もが見えなくなっているもの、もしくは失ってしまったものを、すぐれた表現者は可視化してくれる。
 音楽も同じかもしれない。
 それを見、それを聴き、自分という存在が実はかけがえのないものではないかと教えてもらえるのだ。
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