水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

4月もおわり

2018年04月30日 | 演奏会・映画など

4月行ったライブ

1日 朝霞西高校音楽部定期演奏会
 行ったというか、出た。心込めてうたわせていただいたのは「さらば恋人」「私鉄沿線」。
 前日リハーサルに出て、冬のジョイントコンサートのときより、はるかに上手になっていることに驚く。

8日 和光国際高校吹奏楽部定期演奏会
 一部では、慶應志木の小池先生、星野の中島啓先生、不動岡の金子先生が一曲ずつ指揮される。
 榊原先生が体調をくずされたための緊急企画でありながら、結果的に埼玉オールスター大会になっているではないか。
 和国の生徒さんたちもいい勉強になったことだろう。

20日 アジグル@彩の国芸術劇場
 尺八とピアノのユニット。邦楽の世界にも新しいスターは生まれている。
 ていうか、自然だ。「和と洋を融合させて新しい世界を紡ぎ出したい!」的な力みがまるでない。
 
21日 梅棒第9回公演
 くだらない。いいおっさんたちが、ダンスやお芝居の世界の第一線で活躍している男たちが、なぜここまでくだらないことに本気でやりきれるのか。ステージが始まって数分で号泣していた。

28日 所沢北高校吹奏楽部定期演奏会
 共学の実力校さんの演奏会に行くと、みなさんの技量の高さにほんとに驚く。
 そしてギラギラしてないからおしゃれだ。うちは、もっとしぼりだす方向性でがんばらないといけないのだろう。

30日 ウインドアンサブルセニョール2018
 本校OBが中心になった吹奏楽団体の新しい形。瀬尾宗利先生のもとで演奏したい仲間達が集まったという。
 文教大学のOB・OGが主体で、技術的にはアマ最高峰の演奏だっただろう。そして炸裂する瀬尾ワールドを堪能できる演奏会だった。選曲もすばらしい。
 スカート履いて歌って何かやった気になっている自分なんて、瀬尾先生の足下にも及ばないと思い知らされる。
 終演後に話したOBたちも放心状態だったが、あれだけ吹きまくればそうなる。

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スタンプラリー

2018年04月28日 | 日々のあれこれ

 

 3月30日 本校 → 4月1日 朝霞西高校

  → 4月8日 和光国際高校  → 4月28日 所沢北高校

 クリスマスジョイントコンサート参加四校の定期演奏会をすべてごらんいただき、はんこをおしてくださった12名のみなさま!

 ほんとうにありがとうございました! よろしければ来年もぜひ!!

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運を強くする

2018年04月27日 | 学年だよりなど

    学年だより「運を強くする」

 「8球団ドラ1」目標を達成するために大谷選手が書き出したのは、①「体づくり」、②「コントロール」、③「キレ」、④「メンタル」、⑤「スピード160㎞」、⑥「人間性」、⑦「運」、⑧「変化球」の8要素だった。①~⑤は、小学生でも考えつくだろう。
 ⑥「人間性」も、高校生ならば、実践できるかどうは別にして、書くことはできる。
 大谷選手のすごいところは、⑦「運」と書いたことだ。
 そして⑦「運」を高めるための具体的行動として、以下の8項目を立てている。

~ 1「あいさつ」 2「ゴミ拾い」 3「部屋そうじ」 4「道具を大切に使う」
  5「審判さんへの態度」 6「プラス思考」 7「応援される人間になる」 8「本を読む」~

 そもそも「運のいい人」とは、どういう人を言うのか。
 成功者と呼ばれる方々は、ほとんど「自分は運がよかった」という。
 ビジネスで成功した方の運のよさとは、はたから見るとこんな感じだろうか。
 「たまたま」知人の紹介でビッグチャンスを得た、「たまたま」時代の流れに乗ることができた、「たまたま」いい商品を開発できた、「たまたま」売れた … 。
 「たまたまチャンスを与えられて、そのチャンスをものにすることできた人」というのが、わかりやすいイメージかもしれない。
 ただし「たまたま」とは言っても、その仕事に「もともと」関わっていたことは間違いない。
 大前提として、その仕事をしていなければならない。
 そしてチャンスに巡り会ったとき、それをものにする力をもっていないといけない。
 「たまたま」のチャンスはどうつかむか。
 たえずアンテナをはっておくこと、同時に他人から声をかけてもらえるような人間でいるということになるだろう。
 そういう状態を冷静に考えてみたならば、「運のよさ」のすべては、自分でなんとかできるということになる。自分自身の努力で運はいくらでも引き寄せられるのだ。
 「こんなことを成し遂げたい」と思ったならば、1そのことをはじめ、2やりつづけ、3レベルを高め、4やっていることを世に知らしめ、5好かれる人間でいる。
 その結果、成功した場合に限って、「運がいい」と世間は評価してくれる。
 つまり「運」とは、すべて自分の努力で高めていくものなのだ。

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視覚化

2018年04月26日 | 学年だよりなど

    学年だより「視覚化」

 ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手は、幼い頃から、将来はプロ野球選手になって活躍したいという夢をもっていた。花巻東高校の1年生の時、佐々木監督の指導のもとで、その夢を視覚化するという作業を行う。
 漠然とした「夢」を、まず「8球団からドラフト1位で指名される」と具体化した。次に、その夢を実現するために必要と思われる要素を考えてみる。高一の大谷少年は、①「体づくり」、②「コントロール」、③「キレ」、④「メンタル」、⑤「スピード160㎞」、⑥「人間性」、⑦「運」、⑧「変化球」の8つをあげた。3×3の九つのマスを書いてみてほしい。
 中心のマスに「ドラ1 8球団」と書く。その周りを取り囲む8つのマスに、上記の8要素を書き入れていく。
 夢を中心とする計9マスの外側に、さらに3×3のマスを放射状に書く。
 それぞれの中心に、①「体づくり」、②「コントロール」… とおいていく。
 さらに、各要素を高めていくための具体的な項目を、取り囲む8マスに書き入れていく。
 「夢」を現実に変えていくための道筋が、8要素、64項目という具体的な形で視覚的に明らかになった。
 このように視覚化することで、漠然とした夢が成功への道筋に変わる。
 私たちは、将来の幸せを夢見て目標を立てる。
 ただしそれが、行動につながるような項目として具体化されているだろうか。
 「志望大学に受かる」「インハイに出る」「ミュージシャンになる」「起業する」 … 。
 夢見ているだけでは、夢物語におわってしまうのだ。
 「紙に書いて貼っておくと、いつか夢は叶う」とよく言われる。
 しかし、書いて貼っておく「だけ」で叶えた人はいない。
 必ず目標を達成するための行動が積み重ねられている。
「9×9」の目標達成用紙は、「マンダラチャート」と呼ばれる。
 この方法が唯一というわけではないが、目標を視覚化して、具体的な行動にうつしていくことが第一歩になる。

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みこみ予ほう機

2018年04月23日 | 学年だよりなど

  学年だより「みこみ予ほう機」


 「こづかいを上げてもらえるみこみはあるかしら?」 「アッカンベー」
 「すごくむずかしい宿題、できるみこみはあるかな」 「アッカンベー」
 「このプラモをうまくつくれるかな」 「ベー」……。
 「ベー」ばかりの答えがイヤになったのび太は、こう聞いてみる。
 「しずちゃんと結婚して人なみにささやかに暮らしたい」 「ベー」。
 「え? 人なみもだめなの? 死んでしまいたい … 」というのび太を、ドラえもんが慰める。
 「今のままの君だったらってことだよ。あくまでも見込み予ほうだから」
 「みこみ予ほう機」があったら、みなさんも訊ねてみたいだろうか。
 自分の高校生活がうまくいくかどうか、志望校に入れるかどうか、インターハイに出られるかどうか、彼女ができるかどうか、夢が叶うか叶わないか……。
 それを聞いた人に対する「予ほう機」の答えは、みなさんの予想どおり全て「アッカンベー」だ。
 10年前、カラフィナのメンバーの前に「みこみ予ほう機」が置かれたなら、彼女たちは聞いてみただろうか、「あたしたち、うまくいきますか?」と。
 大谷選手は尋ねるだろうか、「二刀流、成功しますか?」と。
 もし聞いていたなら、答えは「アッカンベー」だったはずだ。


~「じゃ、ぼくがかわったら、未来もかわるの?」
 「もちろん。思いきってぶつかってみることさ、くじけずに」
 「みこみはぜったいにそうなるということじゃないんだよ。
  いまのままのきみだったらってこと。
  なんでもちょっとうまくいかないとすぐになげだすようじゃ、
  ろくなことにならない。」
 「じゃ、もしぼくがかわったら、未来もかわるの?」
 「もちろん。思いきってぶつかってみることだ。
  はねかえされても、くじけずに」
   (藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん8』小学館)  ~


 2018年4月現在のみなさんの心の中には、さまざまな不安があることだろう。
 「みこみ予ほう機」を目にしたら、つい聞いてしまうかもしれない。
 「自分は大丈夫ですか?」「見込みはありますか?」と。
 しかし、今必要なのは、自分の見込みをさぐることではない。
 他の人から「無理じゃないか」「無謀なチャレンジだ」と言われる人は、いや言われる人「ほど」、自分の夢に向かってどんどん突き進んでいく。
 決して、自分の見込みを判断してからやろうなどとは思わない。
 むしろ「無謀な」夢、自分に向いてなさそうなこと、考えてもいなかったことこそ、チャレンジのしがいがある。まずは、何かにとりつかれたようにやってみようではないか。
 あいつ、バカか? って言われる状態に入れたら、おそらく見込みはある。

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根拠なき自信(2)

2018年04月19日 | 学年だよりなど

    学年だより「根拠なき自信(2)」


 転機となった出来事は? と問われ、Hikaruは2011年のライブツアーをあげる。
 東日本大震災後、活動を自粛するミュージシャンも多い中、歌を届けに行こうと彼女たちは決意する。そのツアーの中にHikaruの故郷富山公演があった。
 郷里で初めて行われたライブ。「おかえり、ひかるちゃん」の声があふれる温かい会場。
 「ただいま! 上の方も見えとるよ、ありがとう」と声をつまらせるHikaru。
 「みなさん、Hikaruを育ててありがとう!」と叫ぶWakanaの横で号泣しているKeiko。
 映画のなかで最も心打たれたシーンの一つだ。


 ~ ――今、10年前の自分に声をかけるとしたら、何と言いたいですか?
Keiko 私は「大丈夫だよ」ですね。「これからいろんなものに触れて、自分の人生が、人との出会いで生まれるから。大丈夫だよ」って。先ほども言ったように、人に興味を示して、人のことを知りたいって思えるようになったのは、WakanaとHikaruがいてくれたから。人へ接し方が、すごく変わりました。 ~


 2018日1月23日。記録的な大雪の翌日。武道館十周年コンサート。
 実はカラフィナは、プロデューサー梶浦由記さんが所属事務所を離れた関係で、その後の活動をどうしていくか模索中の時期でもあった。
 しかし、3人が築いてきた十年と、メンバー同士の信頼は揺るぎないものだった。
 武道館を埋め尽くした客に手をふる3人の姿には、10年を支えてくれたファンへの感謝、積み重ねてきた過去への自信、どんな形であれ歌い続けるんだという強い意志が見てとれた。
 自分達がどんな道を進もうとしているのかイメージできなかった10年前のとまどいは、微塵も感じられない。
 目指す方向性は合っているのだろうか、「売れる」のだろうかと悩んでいるヒマもなく走ってきた年月があるからこそ、たどりつくことができた境地だ。

 「ドラえもん」に、「みこみ予ほう機(見込み予報機)」というアイテムが出てくる。
 自分が何かしたいと思ったことの実現可能性を判定してくれる機械だ。
 たとえば、のび太が「こづかいを上げてもらえるみこみはあるかしら?」と訊ねると、予ほう機は「アッカンベー」をする。
 見込みがあるときは「プップクプー」とラッパが鳴り、ないときは「アッカンベー」だ。
 のび太が聞く。
「すごくむずかしい宿題、できるみこみはあるかな」。「アッカンベー」
「このプラモをうまくつくれるかな」。「ベー」。
 スネオのパパが聞く「この宝くじは当たるかな」。「ベー」。
 ジャイアンが聞く「教えてほしい、おれが歌手になれるかどうか」。「ベー、ベー、ベー」。
 予ほう機の答えのほとんどは「アッカンベー」だ。
 なぜか。そんな質問をしているようでは「アッカンベー」なのだ。

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根拠なき自信

2018年04月16日 | 学年だよりなど

  学年だより「根拠なき自信」


 映画『Kalafina 10th Anniversary Film ~夢が紡ぐ輝きのハーモニー~』(4/12日公開終了)は、ボーカルユニット「Kalafina(カラフィナ)」の、デビュー10周年記念武道館ライブに密着したドキュメント映画だ。
 作曲家で音楽プロデューサー(つんくさんとか中田ヤスタカさんみたいな方)の梶浦由記さんが生み出した「カラフィナ」は、Wakana、Keiko、Hikaruという声質の異なる3人の女性ボーカルで構成されている。10年前、劇場版アニメ『空の境界』の主題歌を歌うプロジェクトとして結成され、『oblivious』でデビューした。当初は、表には出ないユニットの予定だったという。だからメンバーも不安を抱きながらの活動だった。しかし、その圧倒的な歌唱力、緻密なハーモニーはたちまち人気を博し、ライブを行うようにもなる。
 人気アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』や、NHK総合テレビ『歴史秘話ヒストリア』のテーマ曲を担当し、日本だけでなく海外公演も次々と成功させて着実にスケールアップしていった。
 映画のなかで、3人それぞれのインタビューシーンがある。Hikaruさんが言う。
「あなたも現実を見た方がいいと言われたことは、若い頃、よくありました。」
 小学生のころから、郷里の富山市内で音楽教室に通い、ミュージカルコースのメンバーとして発表会に参加する。そういう習い事は、せいぜい中学生くらいまで通って終わるのが普通のパターンだろう。しかしHikaruさんは、歌手になろうと考え、活動を続ける。
 周りの人たちから、「歌なんかで食べていけるはずがない、上手といっても都会に出たら通用しないだろう」「ミュージカルのオファーがあったというが、どうせ単発の仕事だろう」「カラフィナ? アニメの主題歌? 大丈夫?」という感覚でみられていたことは想像に難くない。
 就職したり、結婚したりする友人たちを目にしながら、Hikaruさんは、しかし迷わなかった。

~ 根拠のない自信のようなものがあったのでしょうか。なんの疑問もなく、この道でいけると思っていました。 ~

 全くタイプの異なる歌声が見事に融合しているところが魅力のユニットだ。1人がメインボーカルで他の2人が支えるといった「ふつう」のハーモニーではない。3人ともに時に主張し、時によりそいながら、どこが主旋律かわからないほどの一体感をつくりあげていく。Wakanaさんが言う。

~ 3人は奇跡の出会いですね、とかよく言われます。でも、あたしはそんなふうには感じてないんです。奇跡とか偶然ではなく、こうなるべくして出会った運命だったんだなって。 ~

 両親ともに音楽関係者だったWakanaさんは、十代後半ですでにシンガーとして博多のライブハウスなどで歌っていた。
 歌手になろうと思ったのが3人のなかで最も遅いのが、リーダー的存在であるKeikoさんだ。
 Keikoさんは言う。

~ ふたりと違って歌手になることを目指したのも遅いですし。だけど私は本当にラッキーなことに、このふたりと出会えた。だから、「夢って何だろう」と思う方に、人との出会いで変わることを知ってほしいなって思います。自分自身がそうだったから。 ~

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コミュニケーション力(2)

2018年04月12日 | 学年だよりなど

    学年だより「コミュニケーション力(2)」

 自分がどの程度の「バカ」なのか、はたまた「賢者」であるのかは、コミュニケーションのありようによって測ることができる。
 仲のいい友人とは楽しく会話できても、その輪の外側にいる人とは関わろうとしない人。
 自分が知っていること、考えているものと反対の事象に接した時、「あり得ない」と心を閉ざす人。
 納得できない時、理解しにくいことがあった時、その原因は全て自分以外にあると考える人。
 世の中を見渡してみると、こういう人たちを見いだすのは難しくない。
 むしろ、多かれ少なかれ、自分にもそういう面があったと振り返ることもできるだろう。
 これらは、内田樹氏の言う「バカ」に該当する。
 育ってきた環境もプレースタイルも、何より言葉が異なる外国の選手とコミュニケーションをとれるアスリートは、まさに「賢者」というべき存在だろう。
 自然界の事象の不思議さを粘り強く解明しようとする科学者、既成の概念にとらわれず新しいものを生み出していこうと働く人たちは「賢者」だ。


 ~ すべての知的能力は、「バカ」と「賢者」の間のどこかに位置づけられる。
 「英語ができる」ことが評価されるのは、英語ができるとコミュニケーションできる範囲が広がるからである。「コンピュータができる」ことが評価されるのは、コンピュータが本質的にコミュニケーション・ツールだからだ。「敬語が使える」ことや「礼儀正しい」ことや「フレンドリー」であることや「聞き上手」であることや「服装に気配りしていること」や「アイコンタクトが適切」であることなどの「面接の着眼点」はすべて「コミュニケーション能力」だけに焦点化している。 (Web「内田樹の研究室」より) ~


 知らない人とはじめて会話するときに、どういう顔で、どういう話し方ができるのか。
 知らないものごとに接したときに、どうすればわかりあえるのかと考えることができるか。
 そういう発想になったとき、人は賢者側に近づく。理解できないから、気に入らないからといって、不満を他人にぶつけ、わめき叫ぶのは、幼子と同じだ。
 物事に対するそういう姿勢は、コミュニケーション能力という形で顕在化する。


 ~ どうしてコミュニケーション能力がそれほど厳密に査定されるかと言えば、会社に入ったあと、仕事を教わるときにコミュニケーション能力のない人間は、「自分の知らないことを学ぶ」ことができないからである。「仕事ができる人」というのは「たっぷりと手持ちの知識や技能がある人」のことではなく、「自分が知らないことを学び、自分に出来ないことが出来るようになる能力がある人」のことなのである。 ~


 入試や就職の面接という短い時間の中に、その能力ははっきりと現れる。

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コミュニケーション力

2018年04月09日 | 学年だよりなど

  学年だより「コミュニケーション力」


 二年半後、AO入試、推薦入試といった形での受験をする場合、多くは面接が課される。
 新共通テストの導入に伴って、二次試験は面接だけという大学も増えるのは間違いない。
 さらに、みなさんの大多数が、数年後には就職活動、いわゆるシューカツに取り組む。
 資料を取り寄せ、会社訪問をし、面接を受けて、内定をもらい、研修に受けてといったプロセスを経て社会人への道を歩んでいくことになるが、この就活で大きな比重を占めるのが面接だ。
 そもそも「面接」では、何がはかられているのか。
 就活の際に、採用する側が学生に求める資質とは次のようなものだと、内田樹氏(神戸女学院大名誉教授)は述べられている。


 ~ 学生に求められている知的資質はごく単純なことである。
 「他人とコミュニケーションがとれること」、ただそれだけである。
 もちろん、人間であれば誰でも他人とコミュニケーションはとれる。
 問題はその「範囲」の奥行きと拡がりだけである。
 「バカ」と言われるのは、自分の同類(年齢が同じ、社会階層が同じ、価値観が同じ、語彙が同じ)としかコミュニケーションができない人間のことである。
 「賢者」と言われるのは、対立者や異邦人や死者や必要があれば異星人ともコミュニケーションができる人のことである。 (Web「内田樹の研究室」より) ~


 本田圭佑選手が、メキシコリーグへ移籍したときのことだ。
 ピンク色のシャツを着て登場した会見場に現れた本田選手は、「みなさん、はじめまして。本田圭佑です。パチューカとの契約を終えてとても満足しています。みなさんよろしく。どうもありがとう」とスペイン語であいさつしたのだった。
 思えば、ACミランでの入団会見のときには、落ち着いた英語で、記者達の笑いをとりながら受け答えしていたことも思い出す。
 いっぽう、英語もドイツ語も不得手な香川真司選手は、チームの選手たちとも、夜の町へ遊びに出かけた時でも、いつのまにか周囲の輪のなかに笑顔でとけこむ才能をもっているという。
 HRを打った大谷翔平選手を迎え入れるベンチの様子からは、チーム内で彼がいかにかわいがられているかが伝わってくる。
 海外で活躍できるアスリートたちは、抜きんでた運動能力や技術をもつことは当然ながら、類い希なコミュニケーション能力を持っているのだ。
 逆に、選手としての能力は極めて高いにもかかわらず、人間関係の構築に苦労し、才能を発揮しきれなかった例も、実は枚挙にいとまがない。
 自分のやりたい「こと」を、望んだ場所で思い切りやろうと思ったなら、その「こと」についての力をつけるだけでは叶わない。
 スポーツにかぎらない。音楽や舞台の世界でも、学問の世界でも同じだ。もちろん仕事でも。

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“青春”の発生(2)

2018年04月06日 | 学年だよりなど

    学年だより「“青春”の発生(2)」


 誰かと友達になろうとする時、みなさんはそのメリットを考えたりするだろうか。
 こいつと友達になっておけば何かいいことがおこるにちがいない、自分に何らかの利益がもたらされるにちがいない、というように。
 いちいち理由を考えることなどなく、なんとなく気が合うから自然に友達になっているのが普通だと思う。
 では、人を好きになる時はどうか。もちろん見た目がいいとか、性格がいいとか、センスが合うとかの理由を後付けで説明はできても、好きになる瞬間に理屈は働いていないはずだ。
 人と人との結びつきは、本来そういうものなのだろう。
 だから、なぜこんなヤツが友達なんだろうと思いながらつきあい続ける関係が生まれ、まったくタイプでもなんでもないはずの人を気づいたら好きになっている。
 ただし、大人になるとそうでもない状況が生じる。
 仕事上メリットがありそうなこの人と友達になりたいと考えたり、お金持ちそうなこの人と恋愛感情におちいりたいと願ったりする。
 “青春”時代は、人間関係においても、基本的に行き当たりばったりだ。
 こういうタイプの人とつきあうとよくないことが起こるという予想は生まれない。
 ある人を好きになってすぐに結婚生活に向いているかどうかを測らない。
 そのような経験値をもっていないからだ。
 コスパを計算している余裕もない。
 だから、時に振り回されることもあれば後悔することもある。
 しかし、そんなふうにあたふたすること自体が、かけがえのない経験になる。


 ~ 大人になるとどんなことも一度は経験したことがあります。悪い方向に行かないように、回避できるようになる。すると、余裕が生まれます。全力でしなくても、それなりにできるようになってしまうのです。大人になることが悪いことではないのです。でも、青春が起きなくなるのが大人になるということなのでしょう。大人はいつも「青春だったらなぁ~」と言っている気がします。でも大人になった今だって青春は起きるんです。一度も経験したことのない、すごく興味のある何かに挑戦してみましょう。もちろん全力で。無我夢中になれるものを見つけてみてください。気づいたら青春が起きているはずです。 (宮脇咲良「起き抜けすっぴんシアター」週刊SPAより) ~


 いっしょに失敗した仲間、いっしょにバカなことをした仲間は、かけがえのない存在だ。
 進む道が分かれ、その仲間と会うことがなくなっても、その経験が自分の血や肉となる。
 勉強も部活も、コスパだけを考えるなら、高校時代のそれらには、ずいぶんムダは多い。
 そんなものに全力で打ち込んでしまうことが、“青春”の発生条件だ。

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