水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「ものとことば」の授業4 第四段落

2018年05月31日 | 国語のお勉強(評論)

「ものとことば」第四段落(29)

29 このようにことばというものは、渾沌とした、連続的で切れ目のない素材の世界に、〈 人間の見地 〉から、人間にとって有意義と思われるしかたで、〈 虚構の分節 〉を与え、そして分類する働きを担っている。言語とはたえず生成し、常に流動している世界を、あたかも整然と区別された、ものやことの集合であるかのような姿の下に、人間に提示してみせる虚構性を本質的に持っているのである。


Q21「人間の見地」と同じ意味の言葉を3段落から6字で抜き出せ。
A21 人間側の要素

Q22「虚構の文節」とは何を指すのか。15字以内で抜き出せ。
A22 整然と区別された、ものやこと

 虚構 … つくりごと・フィクション ←→ 現実


21ことば … 素材としての世界を
      どの部分、どの性質に認識の焦点を置くべきかを決定するしかけ
       ∥
 ことば … 人間が世界を認識する窓口
       ∥
22~28 具体例「机」
  27 机の定義 … 人間側の要素が決定
    28 机をあらしめるもの … 人間に特有な観点 … ことばの力
           ∥
29 ことばというものは
     … 渾沌とした、連続的で切れ目のない素材の世界に
      人間の見地から、人間にとって有意義と思われるしかたで
      虚構の分節を与え、そして分類する働きを担っている。
       ∥
  言語とは
     … たえず生成し、常に流動している世界を
      あたかも整然と区別された、
      ものやことの集合であるかのような姿の下に、
      人間に提示してみせる虚構性を本質的に持っている


Q23「人間にとって有意義と思われるしかたで、虚構の分節を与え、そして分類する」とは、どうすることか。
A23 実際は何ら切れ目のない素材の世界を、人間にとって意味があるようにことばで区別し、世界を整然としたものに見せること。

Q24「言語とはたえず……虚構性を本質的に持っているのである。」とあるがなぜ「虚構」といえるのか。
A24 ことばは、切れ目のない素材の世界を人間の観点に基づき恣意的に切り取って表現したものにすぎず、その区分の仕方に絶対的な正しさがあるわけではないから。

Q25「虚構性を本質的に持っている」とあるが、「ことば」の「虚構性」とはどのようなことか。
A25 ものやことが、そのことば自体によって表現される必然性は最初から存在しないということ。

 恣意的 … 気ままで自分勝手な なんの必然性もなく 

 ☆ 記号の恣意性 … ソシュール → 言語論の基本

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ダストレスチョーク(2)

2018年05月31日 | 学年だよりなど

  学年だより「ダストレスチョーク(2)」


 仕事がうまくいかずミスが続いたとき、「施設に返すよ」と言うと泣きながらいやがるのだが、その気持ちが理解できなかった。彼女たちはどうしてこんなに苦労してまで働きたいのだろう、と。
 しかしある時、ある法事でいっしょになった禅寺のお坊さんと話をして、疑問が氷塊する。
 お坊さんはこう言った。


 ~ 「そんなことは当たり前でしょう。幸福とは、①人に愛されること、②人にほめられること、③人の役に立つこと、④人に必要とされることです。人に愛されること以外は、施設では得られないでしょう。残りの三つの幸福は働くことによって得られるのです。
  … その四つの幸せのなかの三つは、働くことを通じて実現できる幸せなんです。だから、障害者の方でも働きたいという気持ちがあるんですよ。 … 真の幸せは働くことなんです。」 ~


 大山さんにとっては目からウロコが落ちるような考えだった。普通に働いている多くの人たちが忘れている感覚ではないか、「人間にとって『生きる』とは、必要とされて働き、それによって自分で稼いで自立することなんだ」ということに気づいたという。


 ~ 「それなら、そういう場を提供することこそ、会社にできることなのではないか。企業の存在価値であり、社会的使命なのではないか」
 それをきっかけに、以来50年間、日本理化学工業は積極的に障害者を雇用し続けることになったのです。 … 私はつい、「なぜ、こちらの社員の方々の顔は自信に満ち満ちているんですか? 生き生きしているんですか?」と、社長に質問してしまいました。すると、社長はこう言いました。
「自分も社会に貢献しているんだという、思いがあるからだと思います。一介の中小企業ではありますが、そこに勤めて、自分も弱者の役に立っている、社会の役に立っている、という自負が、社員のモチベーションを高めているのではないでしょうか。」 (坂本光司『日本でいちばん大切にしたい会社』あさ出版) ~


 人の値打ちは社会という文脈が規定する。
 一人一人の人間が、絶対的固有の価値を有しているわけではない。
 その人のおかげで、幸せになる誰かがいるときに、価値が生まれる。
 人も会社も同じではないか。どれだけ多くの人を幸せにできるかが、存在価値の原点である。
 とすれば、みなさんが何のために勉強しなければならないのかも、答えが見えてくる。
 目標の大学に入るのは、人生の通過点にすぎない。高校、大学と自分を鍛えて、まず自分が食えるようになること、そして自分以外の多くの人を、いやたった一人でもいい、幸せにしようという気持ちで生きていけるようになれば、そこに本質的な幸せが生まれる。
 仕事は、社会において自分が誰かの役に立っているという感覚を抱かせてくれる営みだ。

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「ものとことば」の授業3 第三段落

2018年05月30日 | 国語のお勉強(評論)

「ものとことば」第三段落(22~28)


22 抽象的な議論はこのくらいにして、具体的なことばの事実から考えていくことにしよう。まず身近にあるものの例として机のことを考えてみる。机とはいったい何だろうか。机はどう定義したらよいのだろうか。
23 机には木でできたのも、鉄のもある。夏の庭ではガラス製の机も見かけるし、公園には、コンクリートのものさえある。脚の数もまちまちだ。だいいち私が今使っている机には脚がない。壁に板がはめ込んであって、造りつけになっている。また一本脚の机があるかと思えば、会議用の机のように何本もあるのも見かける。形も、四角、円形は普通だし、部屋の隅で花瓶などを置く三角のものもある。高さは日本間で座って使う低いものから、椅子用の高いものまでいろいろと違う。
24 こう考えてみると、〈 机を形態、素材、色彩、大きさ、脚の有無及び数といった外見的具体的な特徴から定義することは、ほとんど不可能である 〉ことがわかってくる。
25 そこで机とは何かといえば、「人がその上で何かをするために利用できる平面を確保してくれるもの」とでも言うほかはあるまい。ただ生活の必要上、常時そのような平面を、特定の場所で確保する必要と、商品として製作するためのいろいろな制限が、ある特定の時代の、特定の国における机を、ほぼある一定の範囲での形や大きさ、材質などに決定しているにすぎない。
26 だが、人がその上で何かをする平面はすべて机かといえば、必ずしもそうでない。たとえば棚は、今述べた机とほぼ同じ定義が当てはまる。家の床も、その上で人が何かをするという意味では同じである。そこで机を、棚や床から区別するために、「その前で人がある程度の時間、座るか立ち止まるかして、その上で何かをする、床と離れている平面」とでも言わなければならない。
27 注意してほしいことは、この長たらしい定義のうちで、人間側の要素、つまり、〈 そこにあるものに対する利用目的とか、人との相対的位置といった条件が大切 〉なのであって、そこに素材として、人間の外側に存在するものの持つ多くの性質は、〈 机ということばで表されるものを決定する要因 〉にはなっていないということである。
28 人間の視点を離れて、たとえば室内に飼われている猿や犬の目から見れば、ある種の棚と、机と、椅子の区別は理解できないだろう。机というものをあらしめているのは、全く人間に特有な観点であり、そこに机というものがあるように私たちが思うのは、〈 ことばの力 〉によるのである。


Q17「机を形態、素材、色彩 … 定義することは、ほとんど不可能である」とあるが、それはなぜか。「~から」に続くように60字以内で抜き出し、初めと終わりの5字で示せ。
A17 素材として~っていない(から)

Q18「そこにあるものに対する利用目的とか、人との相対的位置といった条件が大切」とあるが、「机」のa「利用目的」による定義、b「人との相対的位置」による定義を、それぞれ抜き出せ。
A18
 a  人がその上で何かをするために利用できる平面を確保してくれるもの
 b  その前で人がある程度の時間、座るか立ち止まるかして、その上で何かをする、床と離れている平面

Q19「机ということばで表されるものを決定する要因」は、端的に言うと何か。6文字で抜き出せ。
A19 人間側の要素

Q20「ことばの力」とあるが、どのような力か。「~力」につながるように70字以内の部分を抜き出し、その最初と最後5字ずつを記せ。
A20 渾沌とした~て分類する(力)。


22 机の定義とは?
     ∥
23 具体例
     ∥
24 素材・形態・色彩・大きさ … 外見的具体的特徴
    ↓
   定義不可能

25a1「人がその上で … くれるもの」
26a2「その前で人が … と離れている平面」

27a1  利用目的  a2  人との相対的位置   … 人間側の要素
    ↓
   定義可能

28 A 人間に特有の視点      ことばの力
          ↓                 =        ↓
      机をあらしめる              机があるように思う

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ダストレスチョーク

2018年05月28日 | 学年だよりなど

  学年だより「ダストレスチョーク」


 土曜日に観た映画にもあったように、障害者が仕事に就くことができ、差別を受けることなく働く権利をもつことは、法律によっても定められている。
 この4月に改正された「障害者の雇用の促進等に関する法律」では、民間企業に求められていた雇用比率2%が2.2%に引き上げられた。
 ここ数年、雇用状況は改善しているとはいえ、2%をクリアできない会社も多い。
 ところが、従業員のおよそ70%を障害者が占める会社がある。
 非営利の組織というわけではなく、普通の民間企業として収益をあげつづけている会社だ。
 チョークの製造で全国の3割を越えるシェアを誇る「日本理化学工業」である。
 教室にチョークの箱があったら、製造元を見てみよう。東高でも長く使用している。
 この会社には、どういう歴史があるのだろうか。
 話は60年前、現会長の大山隆久氏が、若き専務として働き始めたばかりの頃に遡る。
 近くの養護学校の先生から、教え子の就職を依頼された。
 それは難しいと断ったものの、「働く体験だけでもさせてほしい」という先生の熱意にうたれ、2週間の約束でふたりの女性を受け入れることになった。
 受け入れが認められて、本人達はもとより、親も先生も本当に喜んだという。
 その就業体験が終わる前日のことだった。


 ~ 「お話があります」と、十数人の社員が大山さんを取り囲みました。
「あの子たち、明日で就業体験が終わってしまいます。どうか、大山さん、来年の4月1日から、あの子たちを正規の社員として採用してあげてください。あの二人の少女を、これっきりにするのではなくて、正社員として採用してください。もし、あの子たちにできないことがあるなら、私たちがみんなでカバーします。だからどうか採用してあげてください。」 (坂本光司『日本でいちばん大切にしたい会社』あさ出版) ~


 これは「私たちのみんなのお願い」つまり十数名の社員の総意だというのだった。
 当時の社員全員の心を動かすほど、その二人は朝から夕方まで一生懸命働き続けていたのだ。
 そこまで言うならと、大山さんは社員の心にこたえ、知的障害をもつ二人の女性を正社員として採用した。
 とはいえ、仕事をどうやって教えたらいいいのかわからない、それぞれどの程度の能力をもっているのかもわからない中で、いろいろと工夫していく。
 ふつうは、製造ラインに人間をあわせるものだが、障害をもつ一人一人の状態にあわせて機械を変え、道具を変え、部品を変えていった。それでも仕事は容易ではない。
 苦労しながらも、一生懸命働き続ける二人をみて、大山さんは同時に不思議でもあった。
 無理に会社で働くより、施設でのんびり暮らしていた方が楽ではないかと思っていたからだ。

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図書館的人生Vol4 襲ってくるもの

2018年05月27日 | 演奏会・映画など

 

  演劇は問題を解決することはない。それは演劇の役割ではない。
  しかし、現実を、問題をあぶり出す働きを持っている。 

 いつぞや聞いたことのある、平田オリザ氏の言葉だ。

 イキウメ「図書館的人生Vol4 襲ってくるもの」は、2036年、2006年、2001年に設定された時間で描かれる中編で構成されたオムニバス作品だ。
 2036年「箱詰め男」は、不治の病に冒された脳科学者が、自分の脳の機能をすべてコンピューターにうつし、身体とは分離して生きていく。箱につなげられたセンサーで視覚や聴覚も与えられ、嗅覚も与えられるようになると、自分に与えられる情報量に耐えられなくなり … そして、という作品。教科書や入試問題に何度となく読んだ鷲田清一の文章が頭にうかんでくる。
 「ひと」とはなにか。どこからどこまでが「ひと」なのか。どこまでが「からだ」でどこまでが「こころ」か。「こころ」さえあれば生きていると言えるのか … 。みたいな。
 2006年「ミッション」は、ある予感に襲われる一人の若者の衝動を描く。ヒトの衝動は、どの範囲までは意識下にあるものなのか。それは自分が生み出しているものなのか、それとも何者かに命じられて生じたものなのか。
 2001年「あやつり人形」は、就活を始めたばかりの女子大生をとりまく人間関係が描かれる。
 「おまえのため」「君のため」にと、アドバイスする親、兄弟、先生、知り合いたち。その「やさしさ」の正体に、女子大生が疑問を抱き始める。
 三つとも、提示されているのは日常の何気ない場面だ。
 そこここに潜むほんの少しの違和感を、誰かがセンサーで感じとり、増幅してしまう様子を描き、現代人がときに感じる息苦しさの正体って、こんなとこにありませんかと告げてくるようだ。
 本編中に「やさしさ」とか「こころ」といった抽象的な単語は用いられない。
 具体の積み重ねが丹念に行われ続ける。だから受け取り方はほんとうに人それぞれだろう。
 しかし、お芝居が何かを「あぶり出し」ていることはまちがいない。
 しかも、あぶり出すでなく、「救い」まで示していることに、イキウメのすごみを感じる。
 一番の要因は、ことばを具体化する役者さんの身体能力だろうなと思う。
 SF的要素の少なめな今回の作品は、つまりイキウメ的度合いが少なめとも言えるが、だからこそ演劇のもつ力が徹底的に発揮された、なんか近代演劇の頂点がこういう形なのではないかと感動したほどの舞台に接することができた。

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綱引き

2018年05月24日 | 学年だよりなど

  学年だより「綱引き」

 両チームの技術がまったく同じ場合、合計体重の重い方が勝つ。しかし、総体重で劣っていても、綱を引く技術によってかんたんにそのハンデをくつがえせるのが「綱引き」という競技だ。公式ルールの8人制・無差別部門の場合、体重差100㎏分ぐらいは技術でひっくりかえせるという。以前、新日本プロレスのレスラーチームが、総体重の軽い女性チームに簡単に負かされるシーン(もちろん人数は同じ)を観たことがある。

A【並び方】
 ① 前から背の高い順に配置する(中盤から後方にふたたび大きめの人でもいい)。
  ☆ でこぼこしないで、前後の身長差を極力小さく
 ② ほどよく等間隔で並ぶ(およそ1メートル強)。
    ☆ いかにロープを曲げずに、いい姿勢で引けるかがポイント
B【ロープの握り方】
 ① 右手と左手は間隔を空けないで、くっつける。
 ② ロープを脇ではさみこむ(なるべくジャージの方がいい)。
 ③ ロープは腰の位置でもつ(ヘソを貫通している気持ち)。
C【基本フォーム】
 ① 体を正面に向ける!
  ☆ 左右の足はロープと垂直の同ライン、つま先は「ハ」の字。
 ② 天井を見て引く!(練習無しでブッツケ本番の場合は、この一言に限る!)
 ③ 背中を丸めず、後ろに倒れ込む(背筋力測定器を仰向けでひくイメージで)。
  ☆ 必ず全員で姿勢のイメージを一度つくっておくこと
D【サポート】(引かないメンバー)
 ①  ぬれぞうきんを用意する(滑り止め)。
 ② A・B・Cができているか、客観的に指示する(気合いだけではだめ)。
 ③ 状況を把握しながら、大声で励まし続ける。実はこれがいちばん大事!

 30人リレー
 毎年3年生が強い理由は、身体能力の高さもさることながら、バトンパスでのロスタイムが少ないことも大きい。何より大事なのは、誰から受け取り、誰に渡すかの把握だ。ちゃんと顔を覚えておくこと。あいつでいいんだっけ? という気持ちが動きをにぶくする。前後確認、できればバトンの受け渡しのイメージトレーニングを教室で一回やってみよう。バトンを下から入れるのか、上からおしこむのかも確認しておく。

 勝負は、競技が始まる前にほぼ決まる。正しく準備し、正しく戦って負けるならなんの問題もない。むしろ人生のプラスだ。負けは通常、準備不足による自滅である。

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「ものとことば」の授業2 第二段落

2018年05月23日 | 国語のお勉強(評論)

「ものとことば」二段落(14~21)

14 ところが、ことばとものの関係を、詳しく専門的に扱う必要のある哲学者や言語学者の中には、このような前提について疑いを持っている人たちがいる。私も言語学の立場から、いろいろなことばと事物の関係を調べ、また同一の対象がさまざまな言語で、異なった名称を持つという問題にも取り組んできた結果、今では〈 次のように考えている 〉。
15 それは、ものという存在がまずあって、それにあたかもレッテルを貼るような具合に、ことばがつけられるのではなく、〈 ことばが逆にものをあらしめている 〉という見方である。
16 また言語が違えば、同一のものが、異なった名で呼ばれると言われるが、名称の違いは、単なるレッテルの相違にすぎないのではなく、異なった名称は、程度の差こそあれ、かなり違ったものを、私たちに提示していると考えるべきだというのである。
17 この第一の問題は、哲学では唯名論と実念論の対立として、古くから議論されてきているものである。私は純粋に言語学の立場から、唯名論的な考え方が、言語というもののしくみを正しくとらえているようだということを述べてみようというわけである。
18 私の立場を、一口で言えば、「初めにことばありき」ということに尽きる。
19 もちろん初めにことばがあるといっても、あたりが空々漠々としていた世界の初めに、ことばだけが、ごろごろしていたという意味ではない。またことばがものをあらしめるといっても、ことばがいろいろな事物を、まるで鶏が卵を生むように作り出すということでもない。ことばがものをあらしめるということは、世界の断片を、私たちが、ものとか性質として認識できるのは、ことばによってであり、ことばがなければ、犬も猫も区別できないはずだというのである。
20 ことばが、このように、私たちの世界認識の手がかりであり、唯一の窓口であるならば、ことばの構造やしくみが違えば、認識される対象も当然ある程度変化せざるを得ない。
21 なぜならば、ことばは、私たちが素材としての世界を整理して把握するときに、どの部分、どの性質に認識の焦点を置くべきかを決定するしかけにほかならないからである。今、ことばは人間が世界を認識する窓口だという比喩を使ったが、〈 その窓の大きさ、形、そして窓ガラスの色、屈折率など 〉が違えば、見える世界の範囲、性質が違ってくるのは当然である。そこにものがあっても、〈 それをさす適当なことばがない場合、そのものが目に入らないことすらある 〉のだ。


Q13「次のように考えている」とあるが、どう考えているのか。2点抜き出せ。
A13 ①ことばが逆にものをあらしめている。
   ②異なった名称は、程度の差こそあれ、かなり違ったものを、私たちに提示している

Q14「ことばが逆にものをあらしめているという見方」について、
 a この見方を一言で何というのか。3文字で抜き出せ。
 b「ことばが逆にものをあらしめている」の説明として述べられている部分を60字以内で抜き出し、最初と最後5字ずつを記せ。
 c 筆者は、「ことば」をどのようなものと考えているのか。10字以内で抜き出せ。
 d  c  をさらに詳しく言い換えた部分を55字以内で抜き出せ。
A13
 a 唯名論
 b 世界の断片 ~ 別できない
 c 世界認識の手がかり
 d 私たちが素材としての世界を整理して把握するときに、どの部分、どの性質に認識の焦点を置くべきかを決定する仕掛け

Q15「その窓の大きさ、形、そして窓ガラスの色、屈折率など」という比喩は、何のことをこう言っているのか。10字で抜き出せ。
A15 ことばの構造やしくみ

Q16「それをさす適当なことばがない場合、そのものが目に入らないことすらある」のはなぜか。簡潔に説明せよ。
A16 ことばがない状態とは、そのものが認識の対象として意識されていないということだから。


⑭ このような前提(一般論B)
   B1 森羅万象→ことば
   B2 同じもの→ちがうことば

⑮ B1 もの→ことば
    ↑        ではなく、               
    ↓
  A1 ことば→もの

⑯ B2 同じもの→ちがうことば
    ↑        ではなく、
    ↓
  A1 違うことば→同じではない

 ※ 「犬」と「ドッグ」とは異なる、
   「青」と「ブルー」とは異なる、ということ

⑰ A 唯名論(ことば→もの)
    ↑
    ↓
  B 実念論(もの→ことば)

⑱ A1「初めにことばありき」
        ∥
⑲ 世界の断片を、私たちが、ものとか性質として認識できるのは、ことばによって
    ∥
  ことば … 世界認識の手がかり
    ∥
    ことば … (世界認識の)唯一の窓口
        ↓ ならば
 A2 ことばの構造やしくみが違えば、
    認識される対象も変化せざるを得ない

    ことば =(比喩)= 窓口
 
 ことばの 構造やしくみ   =(比喩)= 窓の大きさ・形
                                          ガラスの色・屈折率


比喩 何かは何かに似ている → のようだ

             抽象語 具対語
   明喩(直喩)  ~ は ~ のようだ
   暗喩(隠喩)  ~ は ~ だ     ☆「メタファー」

比喩(A’) … 言いたいこと(A)を感覚的に表現する

比喩説明 → 対応関係を明確にせよ
    「この具体語は、どの抽象語をこう言い表したのか」

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ヒーロー(2)

2018年05月22日 | 学年だよりなど

  学年だより「ヒーロー(2)」


 試験おつかれさまでした! 大変でしたか? つらかった人は、成長します。


 ~ 真のリーダーは時に批判を浴び、嫌な顔をされながら、こうして誰かのために声を上げ、民衆を動かす。年齢や立場や国籍など、なにも関係ない。(20:21 - 2018年5月5日) ~

 ~ 次の駅で降りて行くおっちゃんの後ろ姿に「ありがとう!」と声をかけたら、イヤイヤって手をふって降りて行かれました。かっこよすぎるやろ(20:24 - 2018年5月5日) ~


 車いすの親子を助けた「浪花のヒーロー」は、立ち去り方までかっこよかった。

 このツイートを読んだ人たちからは、

 ~ おっちゃんすごい! 自分だったらって考えたら万が一思うことはできたとしても行動はできないだろうな。でもそんな人になりたい。 ~
 ~ カッコいいとは、こういう事やな~! ~

 という声が寄せられた。
 ただし、案の定だが、「車いすで満員電車乗るな」、「親切を強要するな」……というようなアンチな声もあった。〈TAKERU/TK2/YUU〉氏は、こう答える。

 ~ 念のため補足的に。全ての人がこのツイートに出てくるおっちゃんみたいな行動をする必要はもちろんないし、満員電車で体調が悪い人は車椅子の人間だけじゃないことも理解しています。お疲れのところ譲ってくださった皆さんに心から感謝します。(2:00 - 2018年5月7日) ~

 ~ 日頃は車椅子で電車に乗ることは極力さけて大体どこでも車でいきます。息子が小さかった頃に、電車に車椅子を乗せることの大変さに心が折れまくりいつしか電車は使わなくなり。だから昨日みたいな事が起きたのは純粋に嬉しかったのです。おっちゃんの行動が正しいかそうでないかじゃなく(2:04 - 2018年5月7日) ~

 ~ ほんとに助かったんです。願わくば、誰もが安心して使えるようにハードが整うといいなと思いますが、ちょっとした気持ちで、随分助かる場合もあるのです。こうあるべきだとか、どうしてほしいではなく、助かりました! ありがとう! と言いたかっただけなのです。(2:07 - 2018年5月7日) ~


 どんなすばらしい行動にも、思いやりのある言葉にも、アンチは生まれる。
 自分が努力して成長し、ひとかどの存在になっていくほど、実は批判も増えるものだ。
 嫉妬、やっかみとよばれるものの類いだ。
 逆に、他人から「なんだ、あいつ」と言われるぐらいになったら、相当成長していると考えていい。
 勉強や部活にがんばることは、打たれ強い自分を作る。
 それは他人に優しくなれるということでもある。

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「ものとことば」の授業(1) 第一段落

2018年05月21日 | 国語のお勉強(評論)

「ものとことば」一段落(1~13) 

1 考えてみると、私たちはなんとまあ数え切れないほどたくさんのものに囲まれて生活していることか。 
2 私が今向かっている机の上には、電気スタンド、タイプライター、灰皿、本、手紙、原稿用紙、ボールペン、消しゴム、ライター、鉛筆などが雑然と散らかっている。
3 引き出しを開ければ、ここには細かい文房具、画鋲、鋏、鍵、ホチキス、ナイフ、名刺の束など何十種類もの品物が、ぎっしりだ。
4 私が身につけているものだけでも、洋服、セーター、ネクタイ、ワイシャツ、靴下に始まって、眼鏡、腕時計、バンドなど、十指ではとうてい数え切れない。
5 この調子で、人間が作り出し、利用している製品の種類を考えてみると、見当もつかないほどの多岐にわたっていることがわかる。
6 また自然界には、何万という鳥類や動物の種類がいる。昆虫は何十万種とも言われるし、そのうえ膨大な数の植物がある。そして〈 これら 〉はすべて固有の名称を持っているのだ。
7 名前がついているのは、ものだけではない。物体の動き、人間の動作に始まって、心の動きなどという、微妙なことにも、いちいち〈 それ 〉を表すことばがある。事物の性質にも、いや事物と事物の関係にさえ、それを表す適切なことばが対応しているのだ。
8 こんな調子で、世界には、はたして何種類のもの(事物や対象)や、こと(動き、性質、関係など)が存在するのだろうかと考えてみると、気が遠くなるほどである。
9 しかもものやことの数、そしてそれに対応することばの数は、今述べたような事物や性質の数の、単なる総和にとどまらない。
10 たとえば自動車という一種類のものがある。ところがこれは、約二万個の部品からできている。それにいちいち名がついているのはもちろんである。ジェット機になれば、部品の数は一ケタ上がるという。さらに面倒なことに、これらの部品の一つ一つは、当然のことながら、いろいろな物質から成る材料からできていて、それも全部名前があるという具合に、どんどん細かくなっていく。
11 こんなふうに、〈 ものとことばは、互いに対応しながら人間を、その細かい網目の中に押し込んでいる 〉。名のないものはない。「〈 森羅万象には、すべてそれを表すことばがある 〉。」これが私たちの素朴な、そして確たる実感であろう。
12 この、ものがあれば必ずそれを呼ぶ名としてのことばがあるという考えと、同じくらいに疑いのないこととして、多くの人は、〈 「同じものが、国が違い言語が異なれば、全く違ったことばで呼ばれる。」〉という認識を持っている。犬という動物は、日本語では「イヌ」で、中国語では「狗」、英語でdog、フランス語でchien、ドイツ語ではHund 、ロシア語でсобака、トルコ語でköpekといった具合に、さまざまな形のことばで呼ばれる。
13 私たちが学校で外国語を勉強するときや、辞書を引いて、日本語のあることばは、外国語では何と言うのかを調べるときは、この〈 同じもの 〉が、言語が違えば別のことばで呼ばれるという、〈 一種の信念 〉とでもいうべき、大前提をふまえているのである。


1 身の回りにある「もの」 
   ∥
 234 具体例
   ∥
5 多岐にわたる製品
   また【並立】
6 自然界にある「もの」
   ではない【累加】
7 動き・性質・関係  「こと」
   こんな調子で【一般化】
8 もの・こと … 無数に存在
        ↓
9  「もの・こと」の総和以上に「ことば」がある
10       ↓
11 b1「森羅万象には、すべてそれを表すことばがある。」
                     … 私たちの素朴な、確たる実感

12 b2「同じものが、国が違い言語が異なれば、全く違ったことばで呼ばれる。」
13                    … 一種の信念とでもいうべき、大前提


Q1 一段落を二つに分ける場合は、どこで分ければいいか。
A1 1~11 と 12・13

Q2 「これら」の指示内容は何か。20字以内で記せ。
A2  自然界に存在する膨大な数の動植物。

Q3「それ」の指示内容は何か。3つ抜き出せ。
A3  物体の動き、人間の動作、心の動き。


「ものとことばは、互いに対応しながら人間を、その細かい網目の中に押し込んでいる」について

Q4「その」とはどの?
A4 ものとことばの

Q5「その細かい網目」とはどういうことの比喩か。
A5 ものとことばが無数に存在し、それが全てつながっている

Q6「押し込んでいる」とは、どういうことを表現しようとしているのか
A6 人間は、無数のものと、それを表すことばの世界の中にしかいられないということ。


「森羅万象には、すべてそれを表すことばがある」について

Q7「森羅万象」の意味を記せ。
A7 宇宙に存在するあらゆる物事。

Q8「森羅万象には、すべてそれを表すことばがある」とほぼ同じ内容の部分を25字以内で抜き出せ。
A8 ものがあれば必ずそれを呼ぶ名としてのことばがある


Q9「同じものが、国が違い言語が異なれば、全く違ったことばで呼ばれる」とほぼ同じ内容の部分を25字以内で抜き出せ。
A9 同じものが、言語が違えば別のことばで呼ばれる

Q10「同じもの」とあるが、なぜ傍点がついているのか、説明せよ。
A10 本当は「同じ」とは言えないことを表している。

Q11 「一種の信念」とあるが、「考え」ではなく「信念」と表現しているのはなぜか。60字以内で説明せよ。
A11 一般の人々が、同じものが、言語が違えば別のことばで呼ばれていると考え、何の疑いも持っていないことを表現するため。

Q12「言語が違えば別のことばで呼ばれるという信念」という場合と「言語が違えば別のことばで呼ばれるという考え」といった場合ではどうちがうか。
A12 「考え」はたんにそう考えているということ。
   「信念」は、論理的に見直しはせずにそういうものだと思いこんでいる、というニュアンス。

 概念 … おおまかな考え
 観念 … 頭の中の考え
 通念 … 一般的な考え
 理念 … 理想とする考え  cf 疑念・失念・断念・残念・執念

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同学年

2018年05月20日 | 演奏会・映画など

  大谷翔平選手や羽生弓弦選手が同学年。聞くと、スケートの高木美保さん、水泳の瀬戸大地さんやらそうそうたるワールドクラスのアスリートが同学年にいるらしい。
 自分の学年にもすごいアスリートはいた。400mの高野進とか、正道会館の角田信朗とか。
 でも、ワールドクラスとはいえないか。
 今と何がちがうのか。
 自分達が子供のころ、世界を相手にして戦うという発想を、ふつうの子供は持たなかったのだ。
 もちろん、いろんな競技で世界大会に出場していった選手はいる。オリンピックで金メダルをとった種目もある。
 なんとなく、日本人でもがんばればなんとかなりそうな種目で結果を出していたイメージがある。
 メジャーリーグとか、フィギュアスケートとかで、欧米のアスリートと対等に戦えるなどと、日本人誰もが考えてなかったはずだ。
 だって、ほんの何十年か前に欧米列強にコテンパンにやっつけられたのだ。原爆までおとされ、国民的全否定をされて戦後を生きてきた親のもとに生まれたのが自分たちだ。
 小さいころから、世界で活躍したいという夢を、かりにそのほとんどは夢に終わるとしても、描かくことができる今の子たちとは、ちがったのだろうなと思う。

 だからこそ、同学年の佐渡裕氏が、西洋の、しかもウィーンのオケをひきつれて日本公演を行うことが、どれほどすごいことか。
 午前中、指揮のレッスンを受けたあと、NHKホールに向かう。なんとクラシカルな日だろう。
 開演の時間になる。オケのメンバーが入る前に、なんと佐渡さんが一人で入ってくる。
 マイクをもって、みなさん今日はようこそお越し下さいました……と語り始める。
 音楽を始め、独学で指揮を学び、バーンスタインの演奏会がある京都会館に忍び込もうとした事件、ニューヨークへおしかけていった話、ウィーンに連れて行かれて、いつか自分もこの音楽の都で演奏したいと思ったことなど。
 そして、夢がかなってウィーンでの仕事をし、こうして日本にこれてうれしい、と。
 こみあげてくるものがあった。
 前説がおわり、楽団員が入場してくる。やはり西洋人のオケは「様子がいい」。
 西洋の楽器は、西洋人がかかえてこそかっこいいのは仕方ない。
 そんな楽団員を束ね君臨するのが佐渡君なのだ。
 バースタインの「波止場」に続いて、「シンフォニックダンス」。マンボではちゃんとみんな叫んでくれる。
 後半はショスタコビッチの5番。アンコールに「ハンガリー舞曲5番」。
 言い方はわるいが、黄色人種が、白人をここまで手なずけられたことが、あっただろうか。しかも西洋音楽で。
 そういう意味でも泣けた。ショスタコの後半おちてしまった自分にも泣けたが。
 同じ学年で一番指揮の上手な佐渡君が、ここまでなった。勇気をもらえるではないか。
 いっこ下の是枝くんも、カンヌとったし。
 同じ学年と言えば、ダイアナさんがいたな。先日の王子の結婚式をみながら、お母さん生きてたらなあと思うとせつなかった。

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