水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

評論文読解の超基本(5)

2020年04月29日 | 国語のお勉強(評論)
石井洋二郎「芸術作品に客観的価値はあるのか」(埼玉県高校入試2017年)⑤~⑧段落


⑤ 〈 となると 〉、〈 彼らの作品に高い価値が付与される社会的なメカニズム 〉がどこかで作用したと考えざるをえない。ここでピエール・ブルデューの議論を参照してみよう。彼は、次のように述べている。
⑥   芸術作品の価値の生産者は芸術家なのではなく、〈 信仰の圏域としての生産の場 〉である。それが〈 芸術家の創造的な力への信仰 〉を生産することで、フェティッシュとしての芸術作品の価値を生産するのだ。
⑦ 文脈ぬきでいきなり読むと若干わかりにくいかもしれないが、「信仰の圏域としての生産の場」とは要するに、作品の作り手が組み込まれている人間関係や社会的制度の総体のことである。ブルデューによれば、芸術家自身がみずからの意志と能力だけで独自に価値を創造するわけではない。そうではなく、彼(女)が身を置いている「生産の場」の〈 さまざまな力学作用 〉の結果として、その芸術家が「創造的な力」に恵まれた特殊な存在であるという共通の認識(客観的な根拠をもたないがゆえに、ブルデューはこれを「信仰」と呼んでいる)が形成され、その作品が一種の「フェティッシュ」(無条件の崇拝対象)として〈 価値を付与される 〉というのである。
⑧ 絵画についていえば、この「生産の場」は画家以外に美術評論家、ジャーナリズム、絵画愛好家、画商、美術館、一般観衆、等々によって構成されている。たとえばゴッホは生前はまったく無名であったが、死後、一部の美術評論家たちがその作品を再評価しはじめると、絵画愛好家たちはこれを入手したいという欲求を抱く。すると画商たちが需要の増大に応じて彼の作品の値段をつりあげ、裕福な個人や権威ある美術館がこれを高額で買い取るようになる。その結果、ゴッホはそれだけの評価に値する偉大な芸術家であるという共通了解(信仰)が、一般観衆のあいだに形作られていく。そしていったん名声が確立すると、以上のような価値創造のサイクルが加速度的に拡大し、彼の絵は世界的な有名画家の貴重な作品(フェティッシュ)として認知されるに至る。もしかすると数万円でしか取引きされなかったかもしれない作品が数十億円で売買されるという手品のような現象は、このようにして可能になるのである。


Q14「となると」との「と」はどういうことを指しているか。60字以内で記せ。
A14 数十億円で売買される絵画だからといって、数十億円に換算できる客観的な価値が内在しているのではないと考えられること。

「彼らの作品に高い価値が付与される社会的なメカニズム」について
Q15「彼ら」とは誰か。5字で抜き出せ。
A15 著名な画家

Q16「メカニズム」の意味を記せ。
A16 仕組み

Q17 この「メカニズム」を、具体例を用いて述べている段落(形式段落)はどの段落か。その最初の五字を書き抜きなさい。
A17 絵画につい

Q18 このことを、筆者は比喩的にどう表現しているか。8字で抜き出せ。
A18 手品のような現象

Q19「信仰の圏域としての生産の場」とは、端的にいって何のことか。二文字で抜き出せ。
A19 社会

Q20「芸術家の創造的な力への信仰」と同じ内容を次の7段落から30字以上35字以内で抜き出せ。
A20 その芸術家が「創造的な力」に恵まれた特殊な存在であるという共通の認識

Q21「さまざまな力学作用」をもたらす主体とは、具体的にどのような人たちか。該当する部分を抜き出せ。
A21 美術評論家、ジャーナリズム、絵画愛好家、画商、美術館、一般観衆

「価値を付与される」について
Q22 その元になるものは端的にいって何か。7字で記せ。
A22 芸術家への信仰

Q23 価値が付与される一連の流れを筆者は何となづけているか。9字で抜き出せ。
A23 価値創造のサイクル



⑤彼らの作品に高い価値が付与される社会的なメカニズム

⑥芸術作品の価値の生産者

  芸術家ではなく
    ↑
    ↓
  信仰の圏域としての生産の場
    ↓
芸術家の創造的な力への信仰を生産
    ↓
  フェティッシュとしての芸術作品の価値を生産
      ∥
⑦ 芸術家自身がみずからの意志と能力
    ↑
    ↓
  作品の作り手が組み込まれている人間関係や社会的制度の総体
     ↓
  その芸術家が「創造的な力」に恵まれた特殊な存在であるという
  共通の認識
     ↓
 「フェティッシュ」(無条件の崇拝対象)として価値を付与される

⑧絵画について
  ゴッホは偉大という共通了解(信仰)
     ↓
  貴重な作品(フェティッシュ)として認知
     ↓
  数十億円
    ∥
  価値創造のサイクル
    ∥
  手品のような現象
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9月新年度

2020年04月28日 | 学年だよりなど
 9月新年度開始案が一躍脚光をあびている。
 たしかに本当に変えるべきなら、いまはチャンスだと思うけど、ほんとうに変えるべきなのだろうか。
 その第一の理由はグローバル基準だが、この先、ほんとうにみんな留学とか行けるのか?
 留学生受け入れできるのか? なかなか難しいのではないか。
 コロナ的に安全ぽい国との交流を考えるなら、たとえばニュージーランドの学校は1月開始だ。
 西欧しかみてない人は9月開始がスタンダードというが、その狭い見方をグローバルといっていいのか。
 こういう非常時だから、今までやれなかったことをやるべきという考えもあるが、逆に非常時ではないときに、ちゃんと考えてやるべきとも思える。
 記述式とか英語民間試験導入とか、平常時にさえたいした仕事できなかった方々に、短期間に大きな制度設計をまかせられるのかという不安もある。
 3月卒業4月入学をよしとする心、もしくはその季節感で築いてきた日本人の感性は、理屈では説明できないものの、そう簡単に手放したくないもののような気がする。
 9月開始にすればすべて解決できるかのように発言する方々のナイーブさも、どうかなあと思うし。

 本当だったら楽器を積み込み、衣装や小道具を積み込んで、みんなウエスタ川越に向かう日だった3月26日、南古谷ウニクスで「弥生、三月」を鑑賞した。お客さんは自分とアベック1組の計3人。
 波瑠さんが演ずる弥生と、成田陵くんが演じる山田太郎、通称さんたの、17歳から、たぶん30代後半くらいまでの人生を描く。

 最初のシーンは弥生17歳、高校2年の3月。
 免疫不全症候群を患う親友のさくらがクラスでいじめに遭っていたのを、必死で助ける弥生と、さんたとの出会い。
 そののち三人は仲良くなる。
 しかし一年後の3月、3人は一緒に卒業を迎えることができなった。
 さくらの遺影をもった両親が卒業証書をもらう卒業式が描かれた。
 父親の事業が失敗し、その借金返済のために不本意な相手と結婚させられそうになる、弥生24才の3月。
 夢が叶ってJリーグのチームに所属するものの、レギュラーにはなれずに戦力外通告を受けた、さんた28才(ぐらい?)の3月。

 「3月のある日」を定点観測地点にして、時系列が入れ替わりながら二人の人生を描いていく
 人生の一場面を切り取って表現するとき、どの地点を設定するか。
 この作品の成功はそれを3月に設定したことにあるが、誰が選んでも第一候補は3月ではないか。
 人生の節目節目であり、しかも新しい状況におかれる前の、不安を抱えながらも根拠のない希望を抱く季節。
 もちろん、2011年のように、多くの人が災難にあい、悲しみにうちひしがれた年もあった。
 弥生とさんたにも、それは襲う。
 その後も、いろんなすれ違いを繰り返し、人生が進んでいく。
 それぞれが結婚をし、伴侶を失ったり、仕事がうまくいかなくなったり。
 30数歳の弥生。亡くなったさくらが遺していったカセットテープを聞き、さんたの思いに気づく。
 「弥生、三月」というタイトルは、三月をさんたと読み替え、弥生とさんたの間に桜の花びら「、」が入っていたことに気づく。
 やっと二人で手をつなげる日が訪れた2019年。
 すれ違いを繰り返してきた二人だからこそ、時間の大切さも、お互いの大切さも身にしみてわかるようになっている。
 高3のさんたが、「40になっても独身だったら結婚してやるよ」と叫んだ言葉が、やっと本当になることを予感させて、物語は終わる。
 高校生のときに見ていたら、「よかったね」で終わったかもしれないが、今は「人生、まだまだ長いよ」とに二人エールを送りたかった。
 まだまだ、これから。だから3月も4月も大事にすごさねば。
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パラリンピック

2020年04月27日 | 学年だよりなど
  3学年だより「パラリンピック」


 『パラ・スター』はフィクションだが、現実のパラリンピックに出場したみなさんの先輩がいる。


 ~ 最初で最後の夢舞台、高橋惜しくもメダル逃す【第3日目 柔道男子】
 柔道男子73キロ級の高橋は3位決定戦で一本負けし、メダルに届かなかった。10歳の時に始めたこの競技で、高校生の時に埼玉県の大会で3位に入った。25歳で緑内障にかかり落ち込んだ。「柔道がなければ生きがいを見つけられなかった」。障害者柔道に打ち込む傍ら、富士見市で子どもたちへの指導もしてきた。
 42歳。最初で最後のパラリンピックだ。「この場に立たせてくれてありがとう」。車で道場への送り迎えを続けた妻嘉代さんへの感謝の言葉で締めくくった。
              (朝日新聞デジタルニュース 記事2012年9月1日平井隆介)~


 本校3期生、高橋秀克先輩の記事だ。小学生の時にはじめた柔道。本校在学中には、個人戦で県の3位にもなった。25歳で緑内障を患い、徐々に視力が失われていく過程のなかでは、つらい思いや、人に言えない苦労もあったことだろう。


 ~ 「視覚障害者柔道を始めてからのほうが、パラリンピック目標に真剣に柔道に取り組んできたような気がします。目が見えた頃は、二日酔いで昇段試験に行ったこともあった」と笑う。得意技は内股。障害者柔道では寝技の強い選手が多いことから、寝技を鍛え直した。視覚障害者柔道の試合は、両者がお互いに組んでから始まるが、基本的なルールは健常者の柔道とあまり変わらない。ロンドンの会場でも満席の観客は繰り出される技に大いに盛り上がった。
 2回戦、きれいに決まった得意の絞め技に「もう、年なもので、25秒抑えるのは体力を消耗する。省エネでいきました(笑)」。42歳、柔道選手団最年長、初めてのパラリンピック出場だ。北京パラリンピックでは惜しくも代表を逃し、今大会、7年越しの思いで畳の上に立った。足りないところは重点的に鍛えた。仕事後には、150キロのプレスを上げて腕力を鍛え、週3~5回は道場に通い、懸垂台を買って筋トレトレーニングを毎日欠かさず行った。「ロンドンの舞台で戦うというモチベーションだけで7年続けてこられました」 (2012年9月6日山下敦子) ~


 自分を支えたのは、柔道への強い思いだ。そしてサポートし続けた奥さんの高橋嘉代さん(事務室の向かって右側手前のおねえさん)の存在が大きかったことは言うまでもない。 
 思うようにならないこと、つらいこと、やりきれないこと、自分ではどうしようもないこと、人生はなんでも起こりうる。
 それを自分でどう受け止めるかでその後の人生が決まるというのは、真実ではないか。
 何かを失っても、ほかの何かを神様は与えてくれる。
 50歳を迎えた今も、高橋先輩は、川越市内にある「牛窪道場」で指導や稽古に励んでいる。
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評論文読解の超基本(4)

2020年04月26日 | 国語のお勉強(評論)
石井洋二郎「芸術作品に客観的価値はあるのか」(埼玉県高校入試2017年)①~④段落


① たとえばここに一枚の絵があるとする。〈 その価値 〉はどうやって決まるのだろうか。いや、そもそも絵画作品について価値を決定することは可能なのだろうか。
② 〈 「価値」 〉ではなく〈 「価格」 〉であれば、いわゆる市場原理、すなわち需要と供給の関係によって決まると考えられる。〈 絵画作品 〉のオリジナルは一枚しか存在しないので、それに対する〈 社会的需要 〉が大きければ大きいほど値はつり上がる。たとえばかつて日本では、ゴッホの『ひまわり』が約五十八億円で購入されたという話があった。このほかにもピカソやムンクなど、その作品が百億円を超える価格で売買された例は少なくない。

Q1 =(イコール)の記号として働いている言葉を指摘しなさい。
A1 たとえば いわゆる すなわち ここ その それ この

Q2 ←→(対比)の記号として働いている言葉を指摘しなさい。
A2 ではなく

Q3「その価値」の「その」は何のことか。
A3 ここにある一枚の絵

Q4 筆者が問題にしていることは何か。
A4 絵画作品の価値

 ☆「~だろうか」という表現は、問題を提起する言い方。「~」について考えてみた、ということ。

Q5「価値」と対比の関係になる言葉は何か。
A5 価格

Q6「価格」は何で決まるのか。二つ抜き出せ。
A6 市場原理 需要と供給の関係

Q7「絵画作品」の価格は、何が大きくなると高くなるのか。5字で抜き出せ。
A7 社会的需要

Q8「社会的需要」が大きかった絵画の具体例を記せ。
A8 ゴッホの『ひまわり』
   ピカソやムンクの作品


① 問題提起
   絵画作品の価値……決められる?

②「価値」←→「価格」
    ……市場原理=需要と供給の関係で決まる
 ↓
  社会的需要……大きい → 高値
   (具)ゴッホ ピカソ ムンク


③ これら著名な画家の代表作であれば、常識を超えた価格で取引きされるのも当然という気がする。だが、ではその絵に本当に〈 それだけの「価値」 〉があるのかとあらためて問われると、言葉に詰まってしまう人が多いのではなかろうか。ある絵画が〈 百億円で取引きされたということ 〉と、その絵画に百億円の〈 価値 〉があるということは、〈 空欄Ⅰ 〉 。
④ 確かに同じひまわりを描いた絵でも、無名画家の作品だったら数万円程度で買えるのに、ゴッホの作品だと数十億円もする。しかしそれはけっして、ゴッホの絵が無名画家の絵より十万倍すぐれており、十万倍の感動を人に与えるということを意味しているわけではない。絵画がもたらす感動は定量化できるものではないのだから、数億に置き換えることなど不可能である。だからゴッホの作品自体に、描かれた時点ですでに数十億円に相当する客観的な価値が内在していたわけではないと考えるのが自然であろう。じっさい、生前のゴッホの絵が一枚しか売れなかったというのは有名な話であるし、その価格も現在の日本円でせいぜい数十万円といったところであった。


Q9「それだけの「価値」」とはどれほどの価値か。25字以内で説明せよ。
A9 常識では考えられないほどの価格で取引される価値。

Q10「百億円で取引きされたということ」と意味的に対比になる部分を15字以内で抜き出せ。
A10 百億円の価値があるということ

「価値」について
Q11「価値」ある作品とはどのような作品だと筆者は考えているか。「作品」につながるように8文字で抜き出して記せ。
A11 感動を人に与える(作品)

Q12「価値」と「価格」のちがいはどこにあると述べているか。本文の言葉を用いて簡潔に答えよ。
A12 定量化できるかどうか

Q13 空欄Ⅰにあてはまる内容として最も適切なものを選べ。
 ア 同義にはなりえないからだ   イ 同義にならざるをえないからだ
 ウ ほとんど同義であるからだ   エ 必ずしも同義ではないからだ
A13 エ

③著名な画家の代表作……常識を超えた価格で取引き
   ∥
 ある絵画……百億円で取引き
   ↑
   ↓
その絵画……百億円の価値

④無名画家の「ひまわり」……数万円程度
   ↑
   ↓
 ゴッホの「ひまわり」……数十億円
     ↓
 十万倍の感動を人に与えるわけ ではない
     ∥
 感動は定量化できるもの ではない
    ↓
 ゴッホの作品……客観的な価値が内在していたわけ ではない
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評論文読解の超基本(3)

2020年04月24日 | 国語のお勉強(評論)
⑦ キーワードを見つけよう

 『ドラゴン桜2』の中で、太宰府治先生が「キーワードの見つけ方三つのテクニック」をこう示している。

 1 タイトルから探せ!
 2 最初と最後の段落に出てくる言葉から探せ!
 3 接続詞にくっついている文章から探せ!

 1は、文章のタイトルには作者の最も言いたいことが含まれるので、チェックしようということだ。たしかにそのとおり。
 問題を解くときに、国語の苦手な生徒さんほど、いきなり本文から読み始める傾向がある。
 前書きや注にも大事な要素が含まれているし、段落番号がつけられているなら、並べ替えの問題があるのかなと設問を最初に確認しないといけない。
 人と接するとき、その人がどんな服装をしているのか、どんな顔つきなのか、自然に目に入る。
 視覚から得られる情報は、むしろ発せられる言葉からよりも多いくらいだ。
 与えられた文章のタイトルはその人の名前、リード文や注は、服装や表情。 それがないと問題が解けないと出題者が考えているからこそ書いてある。
 ただし、タイトルと本文がまったく関係ないこともある。
 むだに詩的なタイトルをつけていきっている作家先生はいらっしゃるので。

 2は、評論文が序論、本論、結論という構成になっているので、最初と最後にとくに注意せよという。これもヒントになるだろう。型式段落の最初と最後にも出てきやすい。英文のキーワードの見つけ方と同じだ。

 3は、とくに「つまり」「しかし」「だから」ではじまる文にキーワードが出てくるという。

 優秀なみなさんは、もうこれで十分だろうが、あまり得意でない方のために補足しよう。

 そもそもキーワードとは何か。
 その文章を理解するために大事な言葉だ。 
 作者がその文章で主張することをつかむために。
 評論文での話なので、端的にいってこう定義できる。
 キーワードとは「繰り返し出てくる難しっぽい言葉」。
 「難しっぽい」とは「抽象度が高い」ということ。
 おっと、わかりにくいかな?
 具体と抽象。
「りんご」「みかん」「バナナ」「ぶどう」は具体で、「くだもの」は抽象。
「りんご」はキーワードにはまずならないが、「くだもの」はなり得る。
「イチゴショート」「シュークリーム」「あんみつ」は具体で、「スイーツ」は抽象。
「イチゴショート」はキーワードにならないが、「スイーツ」はなり得る。
「クーラー」「冷蔵庫」「洗濯機」は具体で、「家電」は抽象。
「家電製品」「自動車」「電話」は具体で、「文化的な生活」は抽象。


 わたしはスイーツが好きだ。たとえば、ケーキのなかでもイチゴショートを週に2回食べる。シュークリームは少し皮がばりっとしているパイ生地風のがいい。和風の甘いものにも目がなくて、昨日はお気に入りのあんみつを食べに浅草まででかけた。このように、いまの私のからだほとんどスイーツでできていると言っても過言ではない。


 繰り返される抽象語は、「たとえば」の前にあり、「このように」の後ろに出てくる。
 そのキーワードが、筆者にとってプラスのワードなのか、マイナスのワードなのかに気づければ、読解は八割方おわっている。
 

 だから私たちの社会はこの機械の影響を受けて、知らず知らずのうちにパーソナルな内面的世界を表現する文化を育ててはいないだろうか。例えば、スマートフォンやデジタルカメラを使って、自分の周囲のパーソナルな生活を自ら撮影し、記録し、インターネットを通して他者と共有するという私的な表現文化がいま隆盛しているだろう。それは同じ映像文化であっても、プロフェッショナルな人びとが大衆に消費されるために作り上げてきた映画作品や広告写真やテレビ映像といった、公的な映像文化とはまったく異なった種類のものである。私たちが自分自身の生活のなかで感じた小さな心の動きを、自分なりのやり方で映像として表現すること。そうした映像文化のDIY化とでも呼ぶべき現象は、七〇年代に始まったパーソナル文化革命が私たちの生活のなかに浸透してきたことの証左だと思う。(長谷正人「大量消費社会とパーソナル化」一橋2016年)


 タイトル確認、「例えば」の直前確認、「そうした」の後ろ確認。
 キーワードは、「パーソナル化」で、その具体例はスマホの映像、その反対がテレビの映像、という対比関係がみえる。
 「パーソナルな生活」を○で囲み、「公的な映像文化」を四角で囲んだりすると、急に視界がひらけてくる。
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東京ホロウアウト

2020年04月23日 | おすすめの本・CD
 宅配便のトラックに青酸ガスがしかけられたのが最初の事件だった。
 配達員が荷台を開けたとき、刺激臭をかかぎ、頭痛を訴えて救急車で搬送される。コンビニで受け取った荷物にしかけられたという事件だった。東京オリンピックの開会を数日後に控え、警備にあたる部署もピリピリしている。 
 梶田警部補は、こんなときに面倒な事件をおこすなよと呟きながら、防犯カメラで犯人はすぐに割り出され、捕まるだろうとも思っていた。
 新聞社には犯行声明が届いていた。オリンピック開会式当日に、そこら中にトラックに毒ガスをまきちらすというものだった。


 ~『……いま入ったニュースです』
 キャスターの表情がこわばっている。原稿を受け取り、さっと読み下してカメラに向かう。
『青酸ガス事件の犯人を名乗る人物が、インターネットの動画サイトに、犯行声明を投稿しました。専門家は、この動画が事件の犯人によって作成された可能性があるとしています』
 予想外のことが起きそうな気がした。梶田は手を叩き、室内の注目を集めた。
「みんな、テレビを見てくれ」
 リモコンで、テレビの音量を最大まで上げる。室内にいた総合対策本部の要員らが、何ごとかと集まってくる。
 画面に映ったのは、黒い影のような人物だった。たっぷりした黒い覆面をかぶっている。スマホのカメラで撮影したような動画だが、解像度は悪くない。
『青酸ガスを撒くことが目的ではない。それは、先に言っておく』
 〈影〉の声は、電気的に歪んだ聞き取りにくい音声に変換されていた。念入りなことに、動画にはテロップもついている。
――少し説りがあるな。
 梶田は〈影〉の声に耳を澄ます。九割以上の確率で、男性だ。
『TOKYOに告ぐ』
 テロップに流れる文字に、目を奪われた。
『これから、TOKYOは孤島になる。心ゆくまで楽しめ』 (福田和代『東京ホロウアウト』東京創元社) ~


 孤島になるとはどういうことか。
 宅配トラックの青酸ガスが仕掛けられたのは2件。幹線道路でトラックが横転する事故、高速道路のトンネルが車両火災で封鎖される、東北本線が不通になる、首都高で事故が起こる……。
 おりしも台風が首都圏を直撃するなか、停泊していた貨物船が流されて東京ゲイトブリッジにぶつかり通行止めになる。
 コンビニにいってもおにぎりの棚に何もない、最初はその程度だった。しかし各地からの物資が同時に遮断されると、様々なものが、とくに食料品が品薄になる。
 それを写真にとってtwitterにあげる者がいる。あっという間に拡散され、人々はスーパーやコンビニにおしかけ、食料品を根こそぎ買い占めていく。
 「大丈夫です、在庫は十分にありますから、買いだめしないでいください!」都知事が放送でよびかけたときは、遅かった。
 スーパーにおしかけて店員を怒鳴りつける客、途方にくれ、頭をさげるばかりのコンビニ店員。
 あちこちに電話をかけ頭をさげてなんとか物資が入荷できないかと奔走するマネージャー。
 我々が遭遇している現実と同じ状況が描かれる。
 都市の生活は、こんなにもろいものだったのかと、梶田は思う。


 ~ スーパーやコンビニの棚に、欲しい商品がいつでも必要なだけ並んでいるのは、けっして「当たり前」ではない。多くの人々が努力しているおかげなのだ。
 考えてみればそれこそ当たり前なのに、なぜかふだんは忘れられがちなその事実に、もういちど目を向けて、感謝の念を抱くことができて良かったと、思うこともできる。
 こうして見れば、東京の巨大な胃袋が呑み込むものは、広く全国各地から届けられる。
 この季節なら北海道から届くはずだった根菜類、牛乳の一部が、貨物列車の線路が被害を受けたために、届いていない。
 東北や九州からの魚介類。関西、九州、山梨や長野からの野菜類。ふだん、食卓に載ったサラダを見て、これは長野のレタス、岡山のトマト、茨城のキュウリ、などと考えることはない。だが、自分たちは今まで、はるばる九州からやってきたダイコンを、おでんにしていたかもしれないのだ。
 そしてもちろん、パックに小分けされ、ビニールに包まれて販売される肉や魚、野菜などの生鮮食品だけが「食品」ではない。工場で加工される缶詰、干物、弁当、レトルト食品、冷凍食品。あらゆる調理の手間を加え、賞味期限を延ばす工夫をし、人間はもりもりと貪欲に食べる。
 ――よくこんな、凄まじいことを毎日やっているな。
 スーパーの店頭に立っても気づかなかったが、こうして全体を俯瞰してみると、その複雑さに驚嘆する。経済活動という、人間の欲望がこの緻密なシステムを成立させているのだとしても、それを日々、地道に支えている人々は尊敬に値する。
 あらためて梶田はため息をつき、その一翼を担っている兄を思った。正直、あの頭のいい兄が、どうしてトラックの運転手になったのかと、不思議に感じていた。だが、これがどれほど現代人の生活に必要な仕事か分かると、兄の選択に頭が下がる。
(働くということは、社会での自分の役割を選び取るということなんだ)
 以前、何かの折にふと、兄から聞いた言葉だった。ほとんど交流がないのに、それだけ妙に心の隅に残っていた。 ~


 梶田の実の兄にあたる世良が、この物語の主人公だ。
 長距離トラックの運転手である世良は、事件の影響を直接受ける。
 そして、自分の仕事仲間が犯人グループの一員ともつながっていた。
 それにしても犯人の狙いは何なのか。
 こうして東京を兵糧攻めにする目的は何か。
 それも読み進めるうちに背景が明らかになっていくのだが、これって本当に悪いのは当事者なのかとの思いが生まれてくるのだ。
 各地のいくつもの事件がつながってきて、それは「テロ」とよばれるようになる。
 「テロ」というと絶対悪のイメージになるが、そうさせずにはいられないほど、犯人を追い込んだ何かがあることもわかってくる。

 現代の都市生活がいかに多くの人に支えられているか、しかし、それが当然であるかのように感じる都会の人々の姿。
 本当に起こってもおかしくない事件だ。
 選手村の食糧さえもつきかける状況においこまれ、事件は収束できるのか。
 それを救うのは、トラック運転手たちの矜持と、地に足のついたネットワークだ。
 ノンストップエンターテインメントとして一気読みの作品だったが、テレワークなどとは無縁の人々でこの世は成り立っていることを忘れてはいけないとしみじみ感じさせられた。
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「近代の原罪」(東大2020年)の授業(4)

2020年04月22日 | 国語のお勉強(評論)
⑤ 親から子を取り上げて集団教育しない限り、家庭条件による能力差は避けられない。〈 そのような政策 〉は現実に不可能であるし、仮に強行しても〈 遺伝の影響 〉はどうしようもない。身体能力に恵まれる者も、そうでない者もいるように、勉強のできる子とそうでない子は必ず現れる。算数や英語の好きな生徒がいれば、絵や音楽あるいはスポーツに夢中になる子もいる。それに誰もが同じように努力できるわけではない。
⑥ 近代は神を棄て、〈 〈個人〉 〉という未(み)曾(ぞ)有(う)の表象を生み出した。自由意志に導かれる主体の誕生(タンジョウ)だ。〈 所与と行為 〉を峻別し、家庭条件や遺伝形質という〈外部〉から切り離された、才能や人格という〈内部〉を根拠に自己責任を問う。
⑦ だが、〈 これ 〉は虚構だ。人間の一生は受精卵から始まる。才能も人格も本を正せば、親から受けた遺伝形質に、家庭・学校・地域条件などの社会影響が作用して形成される。〈 我々は結局、外来要素の沈殿物だ 〉。確かに偶然にも左右される。しかし偶然も外因だ。能力を遡及的に分析してゆけば、いつか原因は各自の内部に定立できなくなる。社会の影響は外来要素であり、〈 心理は内発的だという常識は誤りだ 〉。認知心理学や脳科学が示すように意志や意識は、蓄積された記憶と外来情報の相互作用を通して脳の物理・化学的メカニズムが生成する。外因をいくつ掛け合わせても、内因には変身しない。したがって〈 自己責任の根拠は出てこない 〉。

 未曾有……これまでに一度もなかったこと。
 表象……思い描いたもの、イメージ。
 所与……与えられたもの、前提。
 峻別……きびしく区別すること。
 虚構……つくりごと、フィクション。
 遡及的……過去にさかのぼって
 定立……ある判断・主張を確立すること


「そのような政策」について、
Q19 具体的には何を指すか。4字で抜き出せ。
A19 集団教育

Q20 その目的は何か。本文の言葉を用いて説明せよ。
A20 家庭条件による能力差を避けて、均等な教育機会を保障すること。

Q21「遺伝の影響」とあるが、「影響」下にあるものの具体例が述べられている部分を抜き出し、最初と最後の五字ずつを記せ。
A21 身体能力に……ではない。

Q22「〈個人〉」と同じ意味を表す言葉を11字で抜き出せ。
A22 自由意志に導かれる主体

「所与と行為」について、
Q23「所与」とはこの場合、何を指すか。10字以内で抜き出せ。
A23 家庭条件や遺伝形質

Q24「行為」の主体は何か。簡潔に記せ。
A24 才能や人格を有する個人

Q25「これ」とは何か。簡潔に記せ。
A25 行為の責任はすべてその人自身の内部にあるとする考え。

Q26「我々は結局、外来要素の沈殿物だ」とはどういうことか。本文の言葉を用いて60字以内で説明せよ。
A26 私たち人間は、親から受け継いだ遺伝形質に社会的影響が作用するという
   外部から得られた要素の積み重なりで存在するということ。

Q27「心理は内発的だという常識は誤りだ」と言えるのはなぜか。「~から」につながるように、45字~50字を抜き出して答えよ。
A27 意志や意識は、蓄積された記憶と外来情報の相互作用を通して
   脳の物理・化学的メカニズムが生成する(から)。

Q28「自己責任の根拠は出てこない」とあるが、なぜそういえるのか。60字以内で説明せよ。
A28 個人の意志や人格を形作るのは全て外的要因であり、
   自由意志の主体としての個人はもともと虚構にすぎないから。


⑤ 家庭条件の能力差解消
     ↓
  親と離れて集団教育
     ↓
  遺伝の差はどうしようもない


⑥ 近代が生み出したもの
    ∥
  〈個人〉…… 未曾有の表象
    ∥
 自由意志に導かれる主体

  所与 …… 家庭条件・遺伝形質〈外部〉
   ↑
   ↓
  行為 ← 才能・人格〈内部〉
    ↓
   自己責任


⑦ 主体=個人→自己責任
     ∥
    虚構

   才能・人格 … 遺伝形質 + 社会影響(外因)
      = 我々 … 外来要素の沈殿物

   意志や意識 … 記憶と外来情報の相互作用を通して生成(外因)
     ↓
  自己責任の根拠は出てこない
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パラ・スター(3)

2020年04月21日 | 学年だよりなど
  3学年だより「パラ・スター(3)」


 これだ! と思いついた百花は、走って病院にやってきた。
 病室に入るなり「車いすテニス知ってる?」と話し始める。グランドスラムもあるんだよ! と。
「車いすテニスは知っている、リハビリでやらされたから。でも、あんなのはテニスじゃない、私がやりたいのはふつうのテニスなの、だいたいツーバウンドまでオーケーって何? ばかにしないで。本物のテニスができない私に生きる意味も価値もないんだよ。モモにはわからないよ!」
 そう、たしかに自分に宝良の気持ちはわからない。事故でどんなに痛い思いをしたか、そのあとのリハビリの大変さも。そして何より打ち込んできたテニスを奪われてしまった悔しさも。
 しかし、車いすテニスをやってもらいたいとの思いは消えなかった。そしてある日、世界のトップレベルの選手が集まる大会が日本で開かれていることを知る。
 百花は自分の部屋に駆け込み、預金通帳を取り出して残高を数える。それをポケットにつっこんで、宝良の家に自転車をとばす。母親にあいさつをし、宝良の部屋をノックする。「たーちゃん、はやく開けて!」「開けてくれないと騒ぐよ」「歌い続けちゃうよ」
「いい加減にしてよ」とドアを開けた宝良に、預金通帳をつきつける。「何、これ?」
「わたしの全財産。40万ある。このお金で一緒に福岡に行こう、行ってジャパンオープン見よう。車いすの大会、ちゃんと見たことないでしょ」
「行きなさい、宝良」母親の声が響いた。
 母親の紗栄子は、娘が車いすテニスの動画を見るようになったことに気づいていた。
「宝良。これからは車いすで生活することになるって説明した時、あなた言ったわね。死にたいって。……車いすじゃ九州は無理なんてあんたは言ったけど、ばかばかしい。車いすの選手が世界各地から日本に来るんだから、すでに日本にいるあんたが会場までいけないはずがないでしょう。アジア最高の大会を見て、ここに帰ってきたその時にもまだ死にたいなら、私が母親として責任もってあんたに引導渡すわ」
 大会を訪れ、実際の試合を目にすると、宝良の顔つきが変わっていった。
 一方、百花は、競技用車いすの格好良さに目を奪われていた。


 ~ 「でもたーちゃん、世界めざすんでしょ? 日本一だって取ってやるって思ってるんでしょ? 日本一になったらパラリンピックにだって出れるよ。それでね、たーちゃん。車いすテニスの世界的選手になったら、わたしの作った車いすに乗って。それで二人で世界のいろんな大会をまわろう」
 その未来を想像して、なんて素敵だろうと思った。
 長かった冬の間、自分たちの未来にはもう希望や喜びなどないのではないかと思った。でも今自分たちは、それぞれの夢を見つけた。わたしたち二人の未来は、なんて可能性にあふれてまぶしくて待ち遠しいのだろう。 (阿部暁子『パラ・スター side百花』集英社文庫) ~


 人は未来への希望を見出して、生きる力を生み出す。
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評論文読解の超基本(2)

2020年04月20日 | 国語のお勉強(評論)
⑥ 数値と記号を区別しましょう。

 数値は変わります。記号の役割は一定です。
 文章で記号にあたるのは、助詞、助動詞、接続詞、副詞といった言葉で、常に決まった意味で用いられます。
 ②で説明した言葉、「しかし(←→)」「たとえば(=)」「よって(→)」といった言葉がこれにあたります。
 「は(=)」、「むしろ(<)」、「のみ(only)」なども仲間です。

 数値にあたるのは、名詞や動詞、形容詞といった言葉です。そのつど意味は変わるので、文脈で規定するしかありません。
 表記が異なるだけでも意味がちがいます。
 「身体」「からだ」「カラダ」「〈からだ〉」が全く別物であるように。

 「愛は死であり、同時に生である」というようなわけのわからない文章の場合も、A=B、A=Cという構造は読み取れるはずです。
 Bの言い換えB’、Cの言い換えC’を他の部分から見つけることが読解です。

 筆者の言いたいことは、形を変えながら繰り返し登場しますが、それは次のように「対比を示す記号」の後ろに出現しやすいので、それをチェックしましょう。

〈対比を示す記号〉
     。だが、   
     。しかし、   
     。一方、   
     ではなく、   
     に対して、   
     とは逆に   
     と言うよりむしろ   
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パラ・スター(2)

2020年04月19日 | 学年だよりなど
  3学年だより「パラ・スター(2)」


 君島宝良(たから)が下半身の自由を失ったのは、高校2年の秋だった。


 ~ 肩甲骨を閉める感覚で左右の肘をベッドマットにつき、肘を交互に背中の下へ入れ込むように動かしながら上体を三分の一ほど浮き上がらせる。そのまま腰の左右に両手を置いたら、腕を伸ばしてひと息に上体を起こし、完全に座位へ。その後は腕の力で尻を浮かせる動作をくり返しながらベッドのふちまで移動し、両足を片方ずつ手で下ろす。それから常にベッドの脇に置いている自宅用車いすのブレーキがしっかりとかかっていることを確かめてから、左手で車いすのアームレストをつかみ、右手でベッドマットを押しながら、弾みをつけて車いすの座面に身体をすべりこませる。起床したら、まず自室の隣のバスルームへ行くのが毎朝のルーティンだ。ホテルのユニットバスに似た造りで、奥にシャワースペース、手前にトイレと洗面台。
 起床後にまず行わなければならないのが排尿で、健常者だった頃には数分ですませられた行為が、今は倍以上の時間がかかる重労働になった。高二の秋の事故で胸(きよう)椎(つい)を骨折し、その際に脊(せき)髄(ずい)を損傷したことで排(はい)泄(せつ)障害を負ったのだ。自分の場合は尿意というものがない(正確に言えば顔のほてりや軽い寒気のような感覚はあるが)ので、時間を決めて自分で用を足さなければならない。そして排尿機能がだめになっているため、自分でカテーテルを使って排出する必要がある。間(かん)欠(けつ)導(どう)尿(によう)という方法だ。尿を溜めすぎれば尿(によう)路(ろ)感染やもっと重篤な腎(じん)盂(う)腎(じん)炎(えん)を引き起こすこともあり、実際これまでにも何度か痛い目にあっているので、朝は必ず時間までに起床してバスルームに来る。 (阿部暁子『パラ・スター side宝良』集英社文庫) ~


 宝良は、小学校4年生のとき、母親に無理矢理テニスクラブに連れていかれテニスを始める。
 みるみる力をつけ、高2の夏にはインターハイに出場する選手になっていた。
 事故後の宝良に立ち直るきっかけを与えたのは、親友の山路百花(ももか)だ。
 中学2年のとき、いじめられていた百花を宝良が助けたことをきっかけに二人は仲良くなった。
 圧倒的にテニスがうまく他人の顔色をうかがうことを一切しない宝良と、おっとりとしてマイペースな百花は、ぶつかりあうこともなく行動をともにするようにる。
 高校では、ともにテニス部に所属した。百花にとってテニスは、自分がやりたいスポーツというより、宝良の活躍を間近で見るためのものだった。
 高校2年の夏。宝良は個人シングルでインターハイに出場し、百花は「生体拡声器モモカ」と名付けられるほど全力で応援した。二回戦で敗れたことを悔しがり続ける宝良を、「じゃあ、来年は優勝しちゃおうよ」とけしかける百花。
 練習の帰り道、河原の土手に二人並んで座り、たい焼きをほおばりながら未来に思いをはせる。 そんな日がずっと続くと思っていた。
 宝良を悲劇が襲った日、百花はインフルエンザで寝込んでいて、事実を知ったのは数日後だった。
 帰宅途中の出来事だと聞き、いつも通り自分が一緒だったら宝良は事故にあわなかったかもしれないと悔やむ。お見舞いに行っていいかと尋ねると「会いたくない」とかえってくる。もうメールもやめてと言われ、手紙を書いた。何通も。
 ある日、百花は、車いすテニスの全豪オープンで日本人選手が優勝したというニュースを見る。
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