水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

言い換え力(6)

2019年01月29日 | 国語のお勉強

  言い換え力(6)


 開成中学校の昨春の入試には、新共通テストに用意されているタイプの問題が出題された。
 開成中の受験生たちは「新傾向」と感じたことだろう(予想してた塾はあるのかな)。
 入学した生徒たちを、新共通テスト、東大の二次試験の流れに位置づけて見ている開成中・高の先生方にとっては、当たり前の作問だったのかもしれない。


 〈 開成中学平成30年度入試・国語第2問 〉

 ※ グラフ省略

 北海商事株式会社は、北海道の名産物を、各地に紹介し、販売する会社です。大手百貨店の安田デパートから、「月末の休日に、新宿支店と池袋支店で北海道物産展を行うので、カニ弁当を仕入れてほしい」と依頼されました。
 北海商事では、新宿支店の仕入れ販売を大西社員が担当し、新宿支店よりやや規模の小さい池袋支店の仕入れ販売は小池社員が担当することになりました。両支店での販売を終え、翌月の月例報告会では、販売部長があとの〈 ※ 〉グラフを示しながら、両支店での成果を社長に報告しました。
「大西社員は、販売用に500個のカニ弁当を発注し、小池社員は、450個のカニ弁当を発注しました。最終的に、新宿支店では、見事にカニ弁当は完売となりました。池袋支店では、20個の売れ残りが生じてしまいました。グラフは、九時の開店から十九時閉店までの、カニ弁当の売れ行き総数を示したものです。二人の社員の評価について、社長はいかがお考えになりますか」
 この報告を聞いて、社長は、
「部長の報告は客観性に欠ける。君はすでに大西社員を高く評価しようとしているではないか」
 と伝えたうえで、
「私は、小池社員の方を高く評価する」
 と答えました。部長が、
「新宿支店よりやや小さめの池袋支店でも、小池社員が、高い成果を上げたということがポイントでしょうか」と尋ねたところ、社長は、
「支店規模の問題ではない」と告げ、自分の考えを示しました。

問一 社長は、部長の報告のどの表現に、客観性に欠けたものを感じたのでしょうか。二つ探し出し、なるべく短い字数で書きぬきなさい。

問二 大西社員より小池社員の方を高く評価する社長の考えとは、どのようなものと考えられるでしょうか。「たしかに」「しかし」「一方」「したがって」の四つの言葉を、この順に、文の先頭に使って、四文で説明しなさい。

 

1 本文を読み取る。

部長の社員に対する評価
 大西社員 … 〈見事に〉完売 →(+)
 小池社員 … 売れ残りが生じて〈しまいました〉 →(-)

社長の考え ←→ 部長の考え

問一 「見事に」「しまいました」 … 部長の感情が反映した言い方。


2 グラフを読み取り、社長の考え方を類推する

X 新宿支店 … 閉店1時間前の18時に完売(500個)。
  池袋支店 … 閉店まで売れ続け(430個)、20個売れ残る。

 この現象を、社長は、
  新宿支店 … 18時以降のお客さんは買えなかった
  池袋支店 … ほしいお客は全員購入できた     と、とらえたことが予想できる。

 部長 X=B  ←→  社長 X=A


問二 「たしかに」「しかし」「一方」「したがって」という接続語の機能に従って文章化する。

 たしかに ・しかし …  一般論B ←→ 主張B
 一方 … 対比  A ←→ B
 したがって … 因果 →A

    ↓

 たしかに  大西社員(+) 完売→評価
 しかし   大西社員(-) X=B 買えないお客
 一方    小池社員(+) X=A 全員購入
 したがって 小西社員(+) 客の利益→評価

    ↓

たしかに  大西社員が商品を完売したことは評価できる。
 しかし  18時以降は売り切れ状態であり、商品を買えないお客様がいた。
 一方   小池社員は多めに仕入れたおかげで、お客様の全員が商品を購入できた。
したがって お客様がより満足できたという観点から、小池社員を評価する。


 それぞれのパーツが、Aなのか、Bなのかを、接続語にしたがって、数学的に整理する。
 グラフの表す現象を読み取り、どういうことか言い換える。
 文章を数学的に整理する作業においては、A=B、またはAnot=Bの関係しかない。
 接続語の機能を知っていることが第一条件だ。
 「しかし」の前後で、言葉の次元をそろえることも必要になる。
 問題の意図や解答の方向性を、高校生が理解するのは難しくはないが、様々な要素をもれなく書き切ることができるかどうかは微妙だ。

 さらに、「数学」を越えた見方が要る。
 新宿支店の売上げ数が、18時で500個、閉店時19時も500個。
 この現象を部長は〈早々完売 … +〉と見、社長は〈一時間売り切れ状態 … -〉と見た。
 X=Aであり、X=Bだ。
 同じ現象を見て、評価が異なるのはなぜか。
 ものの見方・考え方が異なるからだ。観点と言ってもいい。
 部長は「利益追求」、社長は「顧客満足」という観点から、現象を見ていた。
 観点が異なれば、言い換え方も変わる。
 とすると、言い換えの観点を増やすことが、国語の授業の目標となる。
 それは語彙を増やすことと同義と考えていい。

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「所」の練習(2)

2019年01月27日 | 国語のお勉強(漢文)

「所」の練習(2)  

 訓点(返り点・送り仮名・句読点)をつけよ。

1 此 非 人 所 為 (此 人の為す所に非ず。)

2 若 所 追 者 誰 (若の追ふ所の者は、誰ぞや。)

3 道 之 所 存 師 之 所 存 也 (道の存する所は、師の存する所なり。)

4 先 即 制 人 後 則 為 人 所 制 
                    (先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の制する所と為る。)

5 挙 所 佩 玉 玦、以 示 之 者 三
              (佩ぶる所の玉玦を挙げて、以て之に示す者三たびす。)

6 匍 匐 往 得 其 一 女 所 解 毛 衣 取 蔵 之 
              (匍匐して往きて一女の解く所の毛衣を得、取りて之を蔵す。)

7 此 聖 賢 之 楽 非 愚 者 所 及 也 
                (此 聖賢の楽しみにして、愚者の及ぶ所に非ざるなり。)

8 聖 人 所 不 知 未 必 不 為 愚 人 所 知 也
       (聖人の知らざる所、未だ必ずしも愚人の知る所と為さずんばあらざるなり。)

9 旧 居 相 伝 百 年 一 旦 訣 別 所 以 泣 也 
             (旧居 相伝ふること百年なるも、一旦訣別す。泣く所以なり。)

10 彼 兵 者 所 以 禁 暴 除 害 也 
                                  (彼の兵なる者は、暴を禁じ害を除く所以なり。)

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「所」の練習(1)

2019年01月27日 | 国語のお勉強(漢文)

「所」の練習(1)  

 訓点(返り点・送り仮名・句読点)をつけよ。


1 永 野 芽 郁 女 優 也 (永野芽郁は女優なり。)

2 所 得 一 億 円 也 (得る所 一億円なり。)

3 芽 郁 為 主 役 (芽郁主役と為る。)

4 為 国 民 所 愛 (国民の愛する所と為る。)

5 芽 郁 為 国 民 所 愛 女 優 (芽郁 国民の愛する所の女優と為る。)

6 景 子 好 炒 飯 (景子 炒飯を好む。)

7 此 大 湖 所 作 炒 飯 也 (此 大湖の作る所の炒飯なり。)

8 景 子 好 大 湖 所 作 炒 飯 (景子 大湖の作る所の炒飯を好む。)


9 我 不 出 宿 題 先 生 以 之 激 怒
                  (我 宿題を出さず。先生之を以て激怒す。)

10 我 不 出 宿 題 先 生 所 以 激 怒 也
                (我 宿題を出さず。先生の激怒する所以なり。)

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反復(2)

2019年01月26日 | 学年だよりなど

   学年だより「反復(2)」


 歯磨きが面倒でたまらない、できれば一週間に一度で済ませたいというヒトは、たぶんいないだろう。でも幼い頃、「早く歯磨きしなさい!」と言われながら逃げ回っていたことはなかったか?
 いま苦痛でないのは、それが習慣化されたからだ。
 毎日の繰り返しによって、するのか、しないのかを迷う対象ではなくなっている。
 どうしようかと迷わない状態を習慣という。
 今日はさぼっちゃおうかなと、考えてしまうなら習慣になっていない。
 「今日は素振りはやめておこうかな」とイチロー選手が悩んだり、「今日は体を動かさずに一日コタツでスマホ見てようかな」と大迫選手が迷っている姿は、想像できない。
 意志決定にはエネルギーが要る。
 些細なことに脳のエネルギーを消費したくない、服なんかに自分の意志決定を使うのはもったいないと、スティーブ・ジョブズ氏が毎日同じ服装(黒のタートルにジーンズ)をしていたのは、有名な話だ。
 今日は、何から勉強しようかな、どうやろうかな、そもそもやろうかなと考えているだけで、貴重な脳エネルギーを消費していく。
 帰宅したらまずは英単語、それから御飯、風呂、数学、腹筋と決めてしまえばいい。
 漢字を10個でもいいし、計算問題を5問解くでもいいし、Vintageを1セクションでもいい。
 朝起きたらシャドーイング1セット、はみがき、ごはんという流れをつくっておけばいい。
 同じことを繰り返していても、もちろん全く同じように反復することは不可能だ。


 ~ 脳は、「改善」が好きです。
 一見、改善と反復は相反することのように見えます。
 ところが、選手が反復することによって、脳は「もっと、いいやり方はないか」と改善するのです。    
 違うことをされると、せっかく脳が改善しようとしているのに、改善できないのです。
 練習で、できなかった場合は、脳は「どうしたら、できるだろうか」と考えてくれます。
 練習でできたことも、脳は「今のことを、もっとうまくするには、どうしたらいいだろうか」と考えてくれます。
 練習とは、体を反復させることによって、脳を改善させていくことなのです。
 練習の後、体以上に、脳がへとへとになっています。
 そしてまた、脳は、ヘトへトになるのが好きなのです。
 反復していると、集中力が研ぎすまされてきます。
 集中するから、反復できるのではなく、反復するから、集中力が研ぎすまされていくのです。 (中谷彰宏「メンタルで勝つ方法」ボウリングマガジン12月号) ~


 単純なことの繰り返しが、実は脳を成長させる。
 勉強の「インナーマッスル」が知らず知らず肥大化し、すべてのパフォーマンスを高める。

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言い換え力(5)

2019年01月25日 | 国語のお勉強

言い換え力(5)

5 全体構造の把握

 「序論・本論・結論」「起・承・転・結」といった文章構成法が広く知られている。
 社会人になってから、このような構成法にならって文章を書いた経験のある人がどれくらいいるだろう。
 学術論文を書くような方を除けば、そんな悠長に文章を書いていられる人は、まずいない。
 学校現場では、「総合学習」の時間に、「報告文を書く」といった作業は多く行われている。
 そこでは、「序論・本論・結論」、「起・承・転・結」で書きなさいという指導も行われるのではないだろうか。
 しかし、その学習は将来役に立つ知識にはならない。実社会では使えないからだ。
 誰もが情報発信を行い得る時代に、だからこそ発信型国語能力が求められているこの時代に、「起承転結」という古典的な構成法を教えていてもしょうがないのである。
 「実用的な文章」の学習に比重がうつっていく今後はなおさら、「序論・本論・結論」「起承転結」といった文章構成の知識は、「過去の遺物」扱いにしていいのではないか。

 仕事に必要な文章において必要なのは「まず結論を述べる」といった方法である。
 目にした人がつい読んでしまう文章にするために「転」から入るという方法もある。
 中島らもは言う。


 ~ 「起承転結というセオリーはもう古い。……というのは、起承転結でいえば、「転」だけを見せるものだ。残りの「起承結」は、受け手の想像力にゆだめるのである。そうすれば何十回見ても飽きのこないコマーシャルがつくれる。同じことが、会社などの報告書にもいえる。うだうだ言わずにまず、「結果」を書く。次に「それまでのプロセス」を書く。その後に、「今後の展望」を書く。同じことがエッセイにも言える。 (中島らも『砂をつかんで立ち上がれ』集英社) ~


 評論文では、意表をついた具体例や比喩から書き始められているものがある。
 論理的には相当飛躍のある一文から書き始められる評論もある。
 これらは「転」から入った評論だと言える。
 小・中学校教科書の説明文教材の多くは、「序論・本論・結論」「起承転結」の整った形で書かれているようだが、それは書き下ろし教材であるからだ。
 現実社会においては、こういった構成の文章に出会うことはほとんどない。
 高校の教科書に載っていたり、大学入試で出題されたりする文章は、全体の一部である。
 「序」や「起」はほとんどない。
 いきなり「本」または「転」、またはその変形だ。
 具体例や比喩は、筆者の主張が形を変えているものだ。
 言いたいことを具体的にねちっこく積み重ねている部分なのか、抽象化・一般化してぐっとまとめて書いてある部分なのか。つまりどのレベルで言い換えてあるのかを読み解く作業が、読解ということになる。

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帰属システム

2019年01月24日 | 日々のあれこれ

 ~ ヒト以外の生物はみな、種の保存が唯一無二の目的で、基本的に個体はそのためのツールでしかないのだけれど、ヒトだけは個体の生命の価値に気づいて、それを最大限尊重する道を選んだ。逆に、個と種(ホモ・サピエンス)のあいだに、国と民族といった別の帰属システムを作り出してしまったのでややこしくなった。(福岡伸一「パンタレイ パンタグロス520」週刊文春) ~

 週刊文春で必ず読む、福岡先生の連載にこんな文章があった。
 ヒトとヒト以外の生命体の違いを、こんなにわずかな字数で言い切ってしまえるなんて。
 著書『生物と無生物のあいだ』を読んだ韓国の高校生たちが尋ねてきたので、大学(青学)に招き、そんなミニ講義をしてあげたそうだ。さらに、
「君たち若い世代がそんな問題を少しずつ溶かしていってくれることを期待しています。」
と続く。
 なるほどね。だが、「種の保存」「個の尊重」と並ぶ、もしかしたら時にはそられ以上のよりどころになってしまう「帰属システム」については、問題の解決に向かうのは難しいと考えるのが妥当なのかもしれない。
 個の価値を守るためにこそ作られたはずの、組織、集団、共同体というシステムが、それ自体の維持を個より優先させてしまう場合が生じることがある。
 いじめやパワハラなど、教育現場における様々な問題も、この観点で捉え直してみると糸口が見つかるように思える。
 
 一昨日が単願、併願1入試、今日が特待生入試で、明日併願2入試。
 おかげさまで、今年もたくさんの中学生が受験してくれる。一昨日の面接では、入学したら吹奏楽をやりたいと言う子もいた。
 「川越東高校を選んだ理由は何ですか?」という、ほぼ全員に聞く質問に、さわやかに「はい、成績がちょうどよかったからです!」と答える生徒さんがいた。たぶん初めて聞くけど、むしろすがすがしかった。
 「趣味特技欄」に読書や映画鑑賞と書いてあると、具体的に質問する。その内容も時代とともに変化していることを感じる。
 この欄に「ゲーム」と記入する例は以前はなかったなあとも思う。
 想定する質問に用意してきたとおりの答えをするだけの場合でも、けっこうその生徒さんの個性はにじみ出る。
 どれくらいのお子さんが、本校に帰属してくれるだろう。

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平場の月

2019年01月23日 | おすすめの本・CD

 センター試験の2番は上林暁「花の精」。
 上林? だれ? いや、さすがに名前は知っているが、作品を読んだことはない。
 これを機に読んでみようという気もおこらない。他に読みたいのが山積みになっているというのもあるし。
 自分がセンターの作成者だったら、どういうのを選ぶかな。現代小説を選んではいけないという決まりはないのだから、なるべく今を描いたものを選ぼうとするだろう。
 せっかく全国50万人に若者に読んでもらえるのだから、試験であっても何か残したいと考えるだろうけど、作成の先生方にはそんな思いはない感じだ。

 「花の精」は、病気で長く入院している妻をもつ「私」の数日をきりとっている。
 サナトリウムで療養しているということは、容態が急変する可能性は少ないものの、回復する日がくるかどうかは微妙な状況だと言えるだろう。はっきり書いてないが、40代ぐらいのおじさんという設定か。
 そんな主人公に世の中はどう見えるか。
 山手線の電車にはねられたあと、ドイツで踊り子とラブラブになったあと、友人を欺いて女性を手に入れたあと、世の中がどう見えるのかということを、国語の時間に勉強させる。
 いまを生きる高校生が、自分の人生とはまったく違った状況における人間の心情を類推する作業は、他人の心を思いやる力をつけるために大事だ。
 昔の作品で、サナトリウムにいる妻を思うおっさんの心情を読み取らせるのもいいけど、今の小説にいいのはあるんだけどなあと、朝倉かすみ『平場の月』を読んで思う。

 50すぎの青砥は、検査に訪れた病院の売店で、須藤と出会う。
 その昔、気持ちを告白し、断られた相手だ。
 何十年かぶりの再会。いろんなものを抱えたり、手放したりしてきた2人の人生は、売店でのあいさつだけで終わるかもしれなければ、思いも寄らぬ展開をみせることもある。
 本人たちの表面的な意志とはうらはらに、距離感が縮まっていく様子と別れが、朝霞、志木、新座といった身近で、絶妙にふつうの土地を舞台に描かれていく。


 ~ 合鍵を持つ手に力が入った。あの日じゃなくてもよかったのだ。もっと言えば結婚なんてしなくてもよかった。須藤と生きていけたら、それでよかった。須藤と過ごした場面が青砥のなかに流れ込んだ。 ~


 「一緒になろう」と口にしたが故に、離れざるを得なかったことに気づく青砥。
 「あの日」の問題ではなく、言うか言わないかの問題なのだ。
 好きな人ができたときに、コクっていいのが若者。
 両思いが明白でも、言わない方がいいのが大人だ。
 人と人とのつきあい方の本質に、若いも若くないもないというのは、原理としてはそのとおりでも、現実はそうではない。
 どこでその線をひいていいのか明確でないのが難しい。
 「平成くん」は30代だったが、コクらない人生を選ばざるを得なかった(と自分で判断していた)。
 自らの身にふりかかった「幸福」をそのまま純粋に受け入れられる度合いの高い人ほど、若いと言っていいかもしれない。
 目の前の小さな幸せをより確固たるものにしたくて、青砥は須藤を失う。
 失って気づくことがあり、失って見える世界が変わる。


 ~ 公園。秋の夜、須藤のアパートから青砥の家まで歩く途中のセブンーイレブンの前。ヤオコーの駐車場。病室。無印良品の店内。外階段。須藤の部屋。須藤の寝床。場面はまどいをひらくように青砥を囲み、細部を拡大させた。須藤の目。泣きぼくろ。横の髪を耳にかける手つき。喉の白さ。からだを傾けてやったヤッソさんの真似。滑りの悪いベランダ窓を開けるガニ股の後ろすがた。へったくそなストーマの台紙の切り方。声も聞こえた。威張って呼ぶ「青砥」。笑いながら呼ぶ「青砥」。たしなめるように「青砥」。うんと湿り気のある「青砥」。「わたし、いつも、青砥を見てたよ」。聞こえるたびに痛みが刺す。 ~
 昼休み、花屋から自転車を拾いに行くまで歩いた道を思い出した。駅前の焼き鳥屋、吉野家、ロータリー、タクシー乗り場、そして南口の駐輪場。勤め先まで自転車で走らせていたときのことも思い出した。広がる空、右上の太陽、前髪を煽る風、こめかみを伝う汗、自転車を漕ぐ足、ハンドルを握る手。どれも色裡せ、腑抜けのようにぼやけていた。須藤がいなくなっただけで、世界はこんなに変わるのだった。(朝倉かすみ『平場の月』光文社) ~


 『田村はまだか』と、あとなんか一つ二つ読んだ気がする作家さんだが、こんなにすごい作品を書かれているとは。先日の直木賞にノミネートされてたら、確実だった。

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言い換え力(4)

2019年01月22日 | 国語のお勉強

    言い換え力(4)

4 「変化」の相似表現

 評論文は、前近代から近代への変化に関わる問題意識が前提として書かれる。
 なんらかの社会的変化、価値観の変化に基づいた内容が論じられることになる。
 「何」が、「どう」変わったのか、という内容は、多くの主題に関わる内容である。
 「 ~ 化」「 ~ という変化」「 ~ への推移」「 ~ と変わってきた」「 ~ ようになった」「 ~ しがちである」といった表現に、注意して読んでいくとよい。
 「変化」も、さまざまな形に言い換えられている。

(例1)
・「である」価値から「する」価値へという、価値基準の歴史的な〈 変革 〉
・近代日本のダイナミックな〈 「躍進」 〉
・「する」価値への〈 転換 〉
・「である」社会のモラルによってセメント〈 化 〉
   (丸山真男「『である』ことと『する』こと」)

(例2)
・聴き手の聴取態度を根本的に〈 変質 〉させた。
・散漫で表面的な環境体験へと形を〈 変える 〉。
・音楽を一つの環境として持ち歩くことができる〈 ようになった 〉。
・局所的な刺激断片の集合体〈 と化した 〉。
   (渡辺裕「聴衆の『ポストモダン』?」)

 繰り返すが、相似表現とは言い換え表現である。
 それは、具体から抽象への各レベルをいったりきたりする。
 文章のそれぞれの部分(それは単語であったり、文であったり、段落であったりする)が、「何」を具体化した部分か、「何」を抽象化した部分かを見分けることが大切である。
 そして、「何」が、どの〈具体―抽象〉レベルで、繰り返し、つまり言い換えられながら説明されているのかを見つけていくのである。
 繰り返し述べられるその「何」が、テーマである。
 その結果、たとえば「この文章は、抽象→具体→具体→抽象という論理の流れである」というように全体を把握することができる。

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反復

2019年01月21日 | 学年だよりなど

  学年だより「反復」


 近年、スポーツトレーニングの分野では、インナーマッスルをいかに鍛えるかが重要な課題になっている。インナーマッスルを鍛えると、どういういいことがあるのか。
 アウターのマッスル、たとえば上腕二頭筋(力こぶ)や大胸筋(胸板)を鍛えると、パワーがうまれ、見た目もムキムキになる。
 インナーマッスルが鍛えられたとしても、そのように見た目が大きく変化することはない。
 しかし、プレーの質はあがる。関節が安定することで、怪我もしにくくなるし、アウターマッスルの力をより強く、より効率的に発揮できるようになる。
 身体のバランスがよくなり、瞬間的なキレのある動きができるようになる。
 そういう選手は、歩いているだけでも美しく見える。
 勉強の「インナーマッスル」も存在する。
 インナーマッスルを鍛える、もっとも手っ取り早い方法は「反復」だ。
 同じことの「繰り返し」に意味があるのだろうかと、疑問をもつかもしれない。
 しかし、人間は「まったく」同じことは二度やれない。


 ~ 反復すればするほど、同じことなんて、一つもないことが分かります。
 同じことを、2回する方が、はるかに難しく、むしろ不可能です。
 見た目にあきらかに違うことをすると、かえって同じことをしてしまいます。
 一見、同じことを繰り返すから、一回一回が違うことに気付けて、楽しむことができるのです。
 反復の面白さを知っている人と、まだ気付いていない人の2通りに分かれます。
 「反復が退屈」と考えている人は、反復が好きではない人ではなくて、まだ反復の面白さに、気付いていないだけなのです。
 あらゆるスポーツにおいて、トップアスリートの共通点は「反復好き」ということです。
 「あんなにコツコツ反復して、偉いですね」と言います。
 実際には、反復することが、面白くなっているのです。
 反復が続くと、継続力になります。
 継続力をつけるには、反復の面白さに気付くだけでいいのです。
 反復の面白みを知ってしまうと、反復せざるを得なくなります。
 それが、「あんなに練習して、あの人は偉い」ということの仕組みなのです。
                   (中谷彰宏「メンタルで勝つ方法」ボウリングマガジン12月号) ~


 勉強のインナーマッスルを鍛えると、どういう良いことがあるのか。
 運動のインナーマッスルと同じで、物理的な見た目に大きな変化が生まれるわけではない。
 でも、よく見ると、なんとなく少し余裕があるように見える、顔がいきいきとして見える、というような変化となって現れる。
 1時間目から6時間目まで集中して授業が受けられ、放課後の部活でもいい練習ができる。

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言い換え力(3)

2019年01月20日 | 国語のお勉強

    言い換え力(3)


2 文レベルの「相似」表現
 以下の表現は、それぞれ(①は①の例どうし、②は②の例どうし)同種の構造である。
 同じ構造の文で述べられる内容は、「言い換え」である可能性が高い。

 ① 対比を示す表現
 (例) ……。だが、――
     ……。しかし、――
     ……。一方、――
     ……ではなく、――
     ……に対して、――
     ……とは逆に――
     ……と言うよりむしろ――
     ……は――となっていった。

 ② 定義・主張を表す表現
 (例) ――である。
     ――ではないだろうか。
     ――なのである。
     ――必要がある。
     ――はずだ。
     ――なくてはならない。

 ③ 限定する表現
 (例) ――の場合は
     ――にとって
     ――のみ
     ――だけ
     ――ばかり
    ただし――
    もっとも――

 ④ マイナスイメージの付加表現
 (例) ……などというものは
     ……ですら・ さえ
     ……でしかない。
     ……と言わざるを得ない

 このc・④はb・②とともに特に重要だ。
 マイナスイメージの語句、表現をチェックし、重ね合わせて読む。
 この作業によって、筆者が何を批判しているのかをつかんでいくことができる。


3 語句・文・段落内容の「相似」表現

 ① 具体例での言い換え
 ② 引用による言い換え
 ③ 比喩による言い換え

 1・2とも重なるが、段落レベルにまで及ぶ「言い換え」がある。
 たとえば、一つの段落そのものが、その前の一語、一文、一段落の具体例となっているような場合である。

 以上の要素に気をつけて読むことで、評論文全体の構造が明らかになっていく。

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