水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

自分で叶える(2)

2022年11月28日 | 学年だよりなど
2学年だより「自分で叶える(2)」




 自分のやりたいことを見つけなさいという語る大人が、どの程度自分がそれを実践してきたか、胸をはって語れる人は、そんなにはいないと思う(もちろん私も)。
 映画監督の石井裕也先輩が、高校時代は暗黒だったとインタビューで答えているのを読んだ。
 とりあえず偏差値で選び、女子のいないところを選び……ぐらいのモチベーションで川東に入学する。何かを表現したいという思いはふつふつとあったのか、映画や小説のアイディアや絵を大学ノートやスケッチブックにかきためていた。
 周りを見渡すと、少しでも偏差値の高い大学に入りたいというモチベーションのやつしかいないように見える。
 美術の時間に「好きな映画をあげてください」と先生に質問され、みんな「タイタニック」と答えているのにムカつく。そんな思いに気づいてくれた美術の先生が、映画の話をしてくれるようになる――。
「高校の図書館がすごく充実していて映画のビデオを借りたり、本を読んだりするのに役に立ちました。」
 友達もいなかった。船乗りになるか、映画監督になるしかない、とにかく家から出たいという思いで大坂芸術大学に進んだ。




~ でも僕、いい思い出が22歳くらいまで一個もないんですよ。大学では仲間と映画を撮っていましたが、学内では全然評価されなかったんです。若者が撮るようなキラキラした映画じゃないし、主流から外れていたんでしょうね。4年間、後ろ指をさされ、煙たがられながら、それでも作り続けていました。ようやくそこから「自分の人生」を見つけられた気がします。それまでは不満だらけだったんです。自分のいる状況が気に入らない、周りのやつらが気に入らない。何もかもが気に入らなかった。映画作りを通して、ようやく人生の醍醐味みたいなものを実感できたのかもしれません。いま映画を作っているのも、エッセーを書くのも、根っこは同じ気がしています。どこかいまの状況が不満で、このままではまずい、と思うから何かを探そうとしている。だからいつも「オレも悩んでるんですけど、みなさん、どうですか?」という気持ちでものを作っている。かつての自分と同じように悶々とした日々を送っている少年や、「何も信じられるものがない」と悩んでいる大人に、自分の作った何かが届けばいいなあと、思っているんです。
       (「石井裕也さん「ゆがみの局地」で見つけた映画の可能性」朝日新聞Edua)~




 川東で悶々とした日々を過ごしていた石井先輩が、日本映画大賞、日本アカデミー賞(『舟を編む』2013年)をとるという未来を想像していただろうか。
 自分の中にある「何か」を、あせらずあわてず、なくさないようにしておくことなのだろう。
 それがどんなふうに芽を出すか、枝葉になるか、花や実になるのかはわからないが、育てる土壌としての自分を、今は地道につく時期だ。


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自分で叶える

2022年11月24日 | 学年だよりなど
2学年だより「自分で叶える」




 『TOKYO IDOL FESTIVAL』は、2010年より開催されているフェスだ。略称はTIF(ティフ)。
 みなさんの中にも相当数棲息すると思われるドルオタにとって、最大のイベントであろうこの「TIF」に、今年、初めて出場を勝ちとった埼玉県出身のアイドルがいる。
 松山あおいさん、29歳だ。
 知っている人はいるだろうか(私は先日の朝、ナックファイブで知った)。
 大手の事務所には所属せず、ソロで活動を続けている。
 あおいさんの出発点は、子どもの頃のアニソンが好きという思いだ。
 アニソンが大好き、自分でも歌いたい、そうだアニソン歌手になろう! 25歳までに、という人生の目標を、高校時代に定めたという。
 そのためにはまず芸能界に入らなきゃと思い、オーディションを受けてみたが、受からなかった。
 服飾の専門学校に通い、ゲームセンターでのアルバイトを続けながらオーディションを受け続けていると、一つの事務所から声がかかり、所属することになる。
 地下アイドル、それも最底辺からのスタートだった。
 秋葉原の小さなライブスペースでカバー曲を歌う。出演者の方が観客より多いのは普通だ。
 そして路上ライブ。「ももクロもストリートで鍛えたんだ」と社長に諭され、素直に従った。
 最初は、誰も立ち止まってくれなかった。
 「ただ歌っているだけじゃだめだ、楽しんでもらわなきゃ」
 そう考えるようになると、だんだん聞いてくれる人が増えてきた。固定ファンもできた。
 自主製作CDの件で生まれた事務所への不信感から、独立してソロで活動し始める。
 仕事をもらい受けるだけでは、アニソン歌手の夢は叶わない……。
 そうだ、自分でアニメを作ればいい、そして主題歌を歌えばいいんだ!
 アニメ製作にくわしいスタッフに相談し、費用はクラウドファンディングで集めた。
 路上ライブ、店頭ライブで地道に築いてきたファンたちの支えのおかげで、400万円の資金を調達できた。自ら脚本を書いたアニメを製作し、テレビ局に営業にまわる。
 そうして生まれたのが、テレビ埼玉で放映された「松山あおい物語」だ(現在もseason4が毎週土曜深夜に放映されている)。




~ 無いものは作る、作るためには続ける。チャレンジし続ける。そんな松山あおいの「クリエイティブ継続力」こそが、「最底辺“地下アイドル”」から大下剋上を成功させた秘訣なのである。(「東洋経済オンライン」11月12日)~




 脚本を書き、声優を担当し、主題歌を歌う。
 自分の夢を自らの力で叶え、冒頭でも書いたように、念願のTIFにも出演した。
 自分には何が足りないとか、環境に恵まれてないとか、できない理由を探すのではなく、自分で全部やってしまえばいいのだ。

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アンサンブルコンテスト

2022年11月20日 | 日々のあれこれ
埼玉県アンサンブルコンテスト 高校学校部門三日目


会場 久喜市総合文化会館


日程 11月20日(日)
    20番 サクソフォーン5重奏 金賞
    37番 金管五重奏      銀賞

 応援ありがとうございます!
 サックスアンサンブルは県大会に推薦していただきました!

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習慣化(2)

2022年11月17日 | 学年だよりなど
2学年だより「習慣化(2)」




 「何か」を達成するためには、入れ物を育てなければならない。
 「身体」という入れ物を。それはたぶん土のようなもので、土を育てる働きをするのが「別の何か」なのではないだろうか。
 何事かを成し遂げる「人」がいて、成し遂げられた結果としての「事」がある。
 人と事との関係は、土と実の関係に似ている。
 立派な実、味のよい実、ずっしりとした重みのある実をつくるのに必要なのは、肥えた土地だ。
 土がよければ自ずから実る。つまり、事を実らせるには、人を肥えさせなければならない。
 ○○君という土壌を肥えさせるにはどうしたらいいか。
 たぶん特効薬はない。人という土を育てるのが習慣だ。




~「走ること自体が善である」と考えているわけではありません。走ることはただの走ることです。善も不善もありません。もしあなたが「走るなんていやだ」と思うのなら、無理して走る必要はありません。走るも走らないも、そんなのは個人の自由です。
 ただ僕個人に関して言えば、走るという行為は、それなりに大きな意味を持っていたということです。というか、それが僕にとって、あるいは僕がやろうとしていることにとって、何らかのかたちで必要とされる行為なんだというナチュラルな認識が、ずっと変わることなく僕の内にありました。そういう思いが、いつも僕の背中を後ろから押してくれていたわけです。酷寒の朝に、酷暑の昼に、身体がだるくて気持ちが乗らないようなときに、「さあ、がんばって今日も走ろうぜ」と温かく励ましてくれました。
       (村上春樹『職業としての小説家』新潮文庫)




 書くために必要な習慣だと自覚し、しかも30年以上ランニングを続けてきた村上氏でも、「身体がだるくて気持ちが乗らない」日はある。
 歯磨きレベルに習慣化された行為でも、それは本能にもとづく行動ではない。
 意図的に、かつ少しの努力を伴って実行しつづけ積み上げるものを習慣とよぶべきなのだろう。
 決まった時間に机に向かい、決めただけの勉強をすること。
 気持ちが乗らない日も、部活で疲れ切った日も、ほんの少し机に向かうこと。
 朝決まった時間に目覚めること、いただきますと言ってごはんを食べ、自転車を漕いで駅に向かい、決まった電車に乗って英単語を覚え、登校して、あいさつして、授業を受けて、掃除をして、部活に向かう……という日常を淡々とこなしてゆくこと。
 そんな地道な毎日のくりかえしが、土壌をじっくり育てていく。
 ちょっと時間があいたときに、英単語を覚えるのか、ゲームをするのか。
 自分の未来の方向性は、このどちらかの延長上にあるというだけのことだ。

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習慣化

2022年11月14日 | 学年だよりなど
2学年だより「習慣化」




 毎年、ノーベル賞の時期になると話題になる村上春樹氏は、走ることを習慣にしている。
 小説家としてデビューしたのが30歳。33歳でランニングを始め、以来30年以上にわたり、毎日1時間、平均で一日約10㎞走ることをかかさないという。
 現在も冬はフルマラソン、夏はトライアスロンに挑み、もちろん作品も書き続けている。




~ 日々走ることが僕にとってどのような意味を持つのか、僕自身には長い間そのことがもうひとつよくわかりませんでした。毎日走っていればもちろん身体は健康になります。脂肪を落とし、バランスのとれた筋肉をつけることもできますし、体重のコントロールもできます。しかしそれだけのことじゃないんだ、と僕は常日頃感じていました。その奥にはもっと大事な何かがあるはずだと。でもその「何か」がどういうものなのか、自分でもはっきりとはわからないし、自分でもよくわからないものを他人に説明することもできません。
 でもとりあえず意味が今ひとつ把握できないまま、この走るという習慣を、僕はしつこくがんばって維持してきました。三十年というのはずいぶん長い歳月です。そのあいだずっとひとつの習慣を変わらず維持していくには、やはりかなりの努力を必要とします。どうしてそんなことができたのか? 走るという行為が、いくつかの「僕がこの人生においてやらなくてはならないものごと」の内容を、具体的に簡潔に表象しているような気がしたからです。そういう大まかな、しかし強い実感(体感)がありました。だから「今日はけっこう身体がきついな。あまり走りたくないな」と思うときでも、「これは僕の人生にとってとにかくやらなくちゃならないことなんだ」と自分に言い聞かせて、ほとんど理屈抜きで走りました。その文句は今でも、僕にとってのひとつのマントラ(注:神や仏への祈りと誓いの言葉)みたいになっています。「これは僕の人生にとってとにかくやらなくちゃならないことなんだ」というのが。
                     (村上春樹『職業としての小説家』新潮文庫)~




 功成り名を遂げた方々の本を読んでいると、不思議な共通点に気づく。 
「何か」をなしとげる人は、毎日「別の何か」を継続して行っていることだ。
 特別なものではない。経営者に多いのは「毎日仏壇の水を替え、手を合わせる」習慣だ。
 日記をつける、寝る前に本の一節を読む、トイレ掃除をする……など。
 表面に現れてこない習慣は、きっと他にもいろいろあるにちがいない。
 中央大学学生課に長く勤められた高梨明宏氏は、「毎日お手伝いをしている生徒は、必ず合格する」と述べていた。「風呂掃除の係」「皿洗い担当」というような家での仕事を。
 学生、スポーツ選手、企業など様々な分野で目標達成のコンサルタントを行っている原田隆史氏も、「目標設定用紙」のなかに、毎日続ける習慣を記入する欄がある。
 大谷選手が、原田式の目標設定用紙を記入していた話も有名だ。大谷選手のシートにあった「あいさつ」「へやそうじ」「ゴミひろい」といった項目が、メンタルをつくっていったのだろう。

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がんばらない

2022年11月11日 | 学年だよりなど
2学年だより「がんばらない」




 風船を作るために(しつこいですか?)がんばる必要はない。
 好きなことをやる時、得意なことをやる時は、がんばらなくていいはずだ。
 苦手なことをやる時、不得手なものに取り組む時も、やってみようとしてやれるのならば、それはやれる。
 「よおし、がんばろう! 勉強するぞ!」と頭にはちまきを巻かないと机に向かえない、向かってみても続かないというレベルの人は、たぶん勉強にむいていない。
 そこまで辛いのだったら、勉強をしない人生を選んだ方が幸せだと思う。
 誰にも得手不得手はある。向いているものを見つけて、それに時間を費やした方がいい。
 何かをやって成果を上げるためには、極力がんばらない方がいいと、脳科学的にも言えるそうだ。




~「さあ、ジョギングするぞ」と特別なことをやろうと身構えしまうと、その時点で脳に抑制がかかり、なかなか続きません。それよりも、あくまで自然体で何も考えずに、「散歩でもしに行こうか」くらいの感覚で続けることが望ましいのです。
 脳の前頭葉には「努力するために使う回路」とも呼ぶべき部位があります。その回路が活性化されている状態が、一般的に「頑張っている」と呼ばれる状態です。
 この「努力する回路」は意外なことに、何かを習慣化したり継続したりすることには向いていません。なぜならその回路はことのほか脳のエネルギーを消耗させるため、頑張り続けると疲れてしまうからです。
 つまり、毎日「頑張るんだ」と意識し続けている人は、実は相当な脳への負荷がかかっているのです。
 人間誰もが、火事場の馬鹿力で特別に頑張らなければいけないときがあります。それでいざことが済むと、どっと疲れが押し寄せてきます。
 なぜなら、脳に大きな負担がかかってしまって疲れるわけです。毎日こんなことをしているようでは、当然、習慣として続けることはできません。
 そう考えると、目の前の努力を「頑張る行為」と意識せず、何も意識せずに行えるよう「習慣化」することが成功への近道ということになります。
 最初は努力、つまり強度のある負荷がかかっても、いつかそれを「当たり前の行為」へと変身させる。それが大事なポイントです。
 自転車に乗るとき、こぎ出しが一番きついけれど、スピードに乗ってくればあとは楽になる。これと同じ境地を目指せばいいのです。(茂木健一郎『結果を出せる人になる!「すぐやる脳」のつくり方』学研プラス)




 がんばるのではなく工夫しよう。
 工夫して、がんばらなくても自然にやれる状態になったとき、それを習慣という。

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得手不得手(2)

2022年11月09日 | 学年だよりなど
2学年だより「得手不得手(2)」




 自分の好きなこと、やりたいことがみつからない、という人がいる。
 待っていても、それは降りてこない。
 まずは目の前にあること、目についたこと、人にすすめられたこと、ふと思いついたことをやってみないことには、それが好きかどうかわからない。
 わりとすぐに好きだなと感じることは、風船が出来やすいのだろう。
 なかなかうまくできない、けどやり続けたいと思ったことは、時間はかかっても風船はできる。
 いくら好きでも、うまくできないことはある。
 逆にそんなに好きそうでないことを、やすやすとこなす人もいる。
 人それぞれだ。自分の好きがみつかり、風船ができて大きく膨らますことができ、それを自分の仕事にまでできたら、それは幸せな人生だ。
 前澤勇作氏は、「どうやったらお金儲けできますか?」と小学生に尋ねられ、こう答えたという。




~「まずは、好きなことを見つけること。好きなことを見つけるためには、いろんなことに挑戦すること。そして好きなことが見つかったら、好きなことを追求すること。
 その好きなことが仕事になると一番いいんだけれど、それだけではなくて、その好きなことで自分だけじゃなくて、周りの人も幸せになるということを目指す。それを頑張っていたら、お金は自然と集まってくると僕は思います。」
 私自身は、この前澤さんのおっしゃる「好きなこと」を、「得意なこと」に置き換えて聞き、大変納得度が高かった。
 大人になるとわかるが、好きなことのほとんどは「得意なこと」である。
 まずは好きなことを見つける。そのためには、いろんなことに挑戦する。
 挑戦するうちに「自分はこれかな?」と思うものが見つかる。
 それを追求する(より深く学ぶ、研究する、繰り返し練習する)うちに、そのことが自分の「得意」になる。それを、仕事にしなさい、ということだ。
 これは何も、何かの特別なスキルや「〇〇」という職業だけを指すのではないと私は思う。
「自分は人の話を最後まで聞くのが得意だな」と感じる人は、そのことを仕事で生かすようにすれば良いし、「私はとにかく人と楽しくお話しすることが好き」と思う人は、その社交性が生かされる仕事を目指すのが良い。 
              (原田隆史メルマガ【仕事と思うな、人生と思え】Vol.692)~




 まずは、いろんな体験をしてみること。学校はそういう場として機能しやすい。
 もちろん、学校に、全員分のちがった種類の風船が用意されているわけではない。
 しかし、たとえば勉強でも部活でも遊びでも人間関係でも、何かの風船を作っておく経験そのものが、大人になると生きてくる。ちがった分野にも応用できるからだ。
 自分の不得手な分野を知っていると、むだな時間を使わなくてすむことにもなる。
 ただたんに毎日通うだけでも、メンタルの風船は作られていく。

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得手不得手

2022年11月05日 | 学年だよりなど
2学年だより「得手不得手」




 なるほどっ! と思うエピソードを読んだ。




~ いつも漢字の小テストで満点を取るある男子生徒に、他の生徒が聞いた。
「なあなあ、どうやって漢字覚えてんの」
 男子生徒は答えた。
「ノートに10回ずつ書くねん。ほんで1回自分でテストして、間違ったやつはあと5回書く。それで覚えるねん」
 すると、他の生徒が言った。
「おれ、前にそれ聞いたから10回ずつ書いたけど、覚えられへんかったわ」
 するとある女子生徒が言った。
「それやったら、20回書いたらええやん」
 何気ない会話で、最後の女子生徒の発言でクラスにはどっと笑いが起きた。
 しかし私はドキッとした。これって、真理をついているぞ、と。 ~




 10回書いて覚える人、20回書かないと覚えられない人――。
 それは、能力うんぬんというより、人には得手不得手があるからだと、原田隆史氏は述べる。
 長所、短所とも違うし、勉強ができるできないでもない。
 暗記は苦手だが計算はやたら速いとか、漢字は覚えられるのに英単語の暗記は不得意という人もいる。人前で話すのは苦手だけど見やすい文書を作るのは得意とか。
 たしかにこれらは、人としての能力云々というより、誰にもある得手不得手だ。




~ そして、何よりも大切なことは、「自分は何回書けば覚えることができるのか」を自分で知っていること、なのではないか。
 1回で覚える人もいるだろう。見ただけで覚える人もきっといる。
 それを、自分はたまたま20回かかる、というだけ。
 多いも少ないもないのだ。自分は20回書けば覚える、ということを知っていることこそが、何よりも重要なのである。
              (原田隆史メルマガ【仕事と思うな、人生と思え】Vol.691) ~




 学校のいいところは、自分の得手不得手に気づける場であることだろう。
 苦手でしょうがないと思っていたことが、実は周りの子よりかなり上手な方だったりする。
 自分では得意だと思っていても、周りはもっと簡単にこなしているのを見かけたりもする。
 自分からはやろうなどと思わないようなことを、なかば強制的にやらされた結果、才能が開花することもある。
 自分の得手不得手は、他人との比較があると、はっきり見えてくる。
 とくに同世代とのそれは、自分の立ち位置を把握し、将来の目標を考えるための貴重なデータだ。


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悲観論

2022年11月01日 | 学年だよりなど
2学年だより「悲観論」




 今シーズン最後の試合を終えた直後の大谷選手のインタビュー。
 規定打席、規定投球回の両方達したことの感想を問われ、「それ自体については、こんなものかなという感じ、来季はもっといい選手になりたい」というニュアンスでたんたんと答えていたと思う。
 歴史的偉業を成し遂げたことへの充実感と自負はもちろんあるだろうが、そこで満足する感覚はいっさいない。むしろ来季、今年以上の活躍をするために、いつから何をやればいいのかという、前向きな心配さえ感じられる口ぶりだった。
 小平奈緒選手の引退レースのあとのインタビューも興味深かった。
 「今日のレースに点数をつけるとすれば?」と問われ、「一期一会のもので、点数はつけない。自分の人生に点数をつけたら成長は止まるから」と答える。
 現役最後のレースでほぼ自己ベストの記録で走る、つまり現時点で世界トップの力をみせつけながら、それ自体には満足せず、人生の次のステップをみすえている。
 こんな二人の言葉を聞くと、彼らは「強く願ったから夢を叶えた」のではないと、感じざるを得ない。そんな誰もが言えるようなことで叶う夢など、そもそも夢とは言えないのかもしれないと。
 もちろん強く願ったことは間違いない。
 しかし、それを叶えるために、ありとあらゆる努力を積み重ねる。
 夢を思い描くことよりも、実現するために何をすればいいか、どうすればいいか、傍から見れば「心配性(しよう)」と見えるくらいに、やれることをすべてやる。
 成功した自分を思い浮かべて気分を盛り上げるというより、成功しなかった場合のネガティブなイメージを努力のバネにしていたのではないかと思えるほどだ。
 前向きな悲観論とでも言うべき心性を感じる。
 ポジティブなイメージばかり強く持っていると、マイナスに働く場合もあるという。




~ ポジティブな期待の自己実現はどうだろうか。ダイエット後のほっそりした姿を思い描いた女性は、ネガティブなイメージを浮かべた女性に比べて体重の減り方が少なく、成績でAをもらうことをイメージした学生は、勉強時間が減って成績が落ちたという研究がある。
 こんな残念な結果になったのは、ヒトの脳が幻想と現実を見分けるのが不得意だかららしい。 夢の実現を強く願うと、脳はすでに望みのものを手に入れたと勘違いして、努力するかわりにリラックスしてしまうのだ。
                   (橘玲『バカと無知』新潮新書)~




 「強く願うと逆に夢は叶わない」とは言えないが、「願っているだけ」は危険なのだ。
 願ったことを紙に書き出し、分割し、手立てを考え、地道にこなし、足りないことはないか考え、やることを修正し……という作業を、「そこまでやる?」というレベルまで積み重ねる。
 類い希な才能を持つ人たちがそういう作業を積み重ねているのだから、われわれが、ほんのちょっと頑張って思うようにならないと嘆くなんて、お話しにならないだろう。

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