水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

面白がり力(2)

2022年08月30日 | 学年だよりなど
2学年だより「面白がり力(2)」




 みなさんはまだ経験できないが、たとえば苦いだけだったビールがおいしいと感じる日が訪れる(全員ではないが)。つんとして苦痛なだけだったワサビが、ある日なくてはならないものになる。
 面白くてしょうが無かったヒーロー戦隊ものの番組にそれほど興味を抱かなくなったり、「コロコロコミック」より「アフタヌーン」を読んでることに気づいたりする。
 今面白いことが、この先ずっと同じくらい面白いということはない。
 つまらなくなることもあれば、ますます面白くなり、深まっていくこともある。
 今面白くないことに、いつの日か、のめり込んでいる場合もある。
 その変化は、一般に成長とよばれる。
 「面白くない」の原因の一つは、「わからない」ことだ。
 「わかる」だけの下準備ができていないということでもある。
 だから、今わからないからといって、すべて捨ててしまうのは、成長の元を捨てることになる。




~ 物事には、すぐ結果になることと、すぐ結果にならないことがあります。
 すぐ実がなる木と、すぐ実ができない木があるのと同じです。
 簡単なことはすぐ結果が出ますが、大切なものはなかなか結果が出ません。
 大きなものほど、タイムラグがたくさん生まれます。
 それが形になるまでに時間がかかるのは、当たり前のことです。
 すぐわからなくても、すぐ気づかなくても、いつか気づけばいいのです。
 今納得できないことを、ノートに書いておきます。
 今わかることは、本当はノートに書く必要はありません。
 ノートのいいところは、「これ、今わからない。意味不明」ということが、何年かたって、パッとそのノートを見た時に「あら、これはそういう意味だったのか」とわかることです。
 今は経験量が足りなくて、その話がつながらない。
 けれども、何年かたって経験を積んだら、そのひと言の意味がわかるように、未来の予告として、今、意味がわからない言葉をひとつ仕入れて、ノートに書き記しておくことが大切です。
 むしろ、今100%わかる人は、あまり深いことを教わっていません。
 深いことであればあるほど、それがわかるまでに時間がかかります。
     (中谷彰宏『一流の人は教わり方が違う』KAWADE夢新書)~




 わからないにもかかわらず、今接点がある「こと」は、可能性をもっている。
 いつか、そのノートをふと開いた時、昔の自分に感謝することになる。
 何も感じなかった言葉に、突然深い意味を見いだせるようになる。
 なるほど、今のために今までがあったのかと、気づくことになるだろう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

面白がり力

2022年08月27日 | 学年だよりなど
2学年だより「面白がり力」




 勉強を楽しく感じるのは、どういう時だろう。
 そんな経験はないという人もいるかもしれないが、勉強が面白くなる瞬間は、突然やってくる。
 面白くなる瞬間まで勉強できるかどうかで、その後の人生に大きな違いが生まれる。
 もちろん、どちらかが良い、どちらかが悪いというものではない。
 一回でも勉強に面白みを感じると、そこを足がかりにして、いろんな方向に進んでいける。
 それがないと、世界が広がらないので、現状に文句を言ってるだけの人になる。
 勉強すると、純粋に多くの情報が手に入る。
 自分と違ったものの見方にふれることにもなる。
 勉強でインプットされる量が一定のラインを超えたとき、バラバラだった情報がつながり始める時がくる。
 決して、自分何かを生み出したわけではないが、頭のなかに新しいものがめばえた感じがして、ちょっとうれしいかも、という気分になる。
 人は快楽を求める生き物なので、この手の面白みがもっとほしいな、という体に変化する。




~ 自分とつながっている部分を探していくのが、教わるということです。
 自分とつながっていることを大前提にすると、これを自分の勉強や成長にどう生かせばいいか考えることができます。
 自分とはつながっていないと思うと、リスクもないかわりに、面白くもありません。
 ところが、自分とつながっていると思った瞬間に、世の中で面白くないものがなくなるのです。
 人間は、自分の人生と関係があると思うことを面白いと感じるのです。
 本屋さんに行って、釣りの本を読まないのは、「私、釣りをしないし、私の人生とつながつていないから釣りは面白くない」と思うからです。
 情報化社会では、世の中につながっていないものはないのに、「これ、つながっていないから」と、いつも自分の好きなことだけするということはよくあります。
 地球の裏側で起きていることが自分の人生にかかわっていると考える人は、面白く感じて、その出来事を真剣に見るようになります。
 教わることによって、地球の裏側で起きていることも身近に感じるのです。
 教わっている人は、退屈することがありません。
 何を見ても、面自いと感じるからです。「面自い」とは、自分と関係があるということです。
 探しまわらなくても、今、目の前にあることを「面白い出来事が起こっている」ど、自分とつなげて考えることができるのです。
 (中谷彰宏『一流の人は教わり方が違う』KAWADE夢新書) ~




 人生というスパンで考えた時、勉強を面白がれる人間であるかどうかは、人として大きな違いだ。
 勉強を面白がることができる人は、なんでも面白がることができる。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スキップとローファー(3)

2022年08月21日 | 学年だよりなど
2学年だより「スキップとローファー(3)」




 みつみは、自分とは真逆のタイプの村重結月(ゆづき)とも仲良くなる。
 町を歩いていると振り返る人がいるレベルの美人で、あきらかにヒエラルキー最上位タイプ。
 みつみ自身「こんな人とは友達になることはないだろうな」と思っていた。
 クラスメイトでカラオケに行くことになった。みつみのカラオケデビューだ。
 音の大きさに驚きながら、盛り下げないようにと頑張っていたのを見ていたのか、「居心地悪くない?」と声をかけてきたのが、結月だった。「あたしも苦手なんだ」と。
 最新刊の7巻は、結月のエピソードが描かれる。
 昔から美人だ、かわいいとちやほやされきて、だからこそ女子同士の人間関係がうまくいかないことも多かった。
 大学までエスカレーター式で進めるお嬢さん学校の環境になじめなくなって、この高校に入り直したのだった。
 そして、みつみと知り合い、前の学校にはいないタイプの、まじめで地味で勉強好きの久留米誠(まこと)とも仲良くなった。




~ 見た目の美しさから起こるいざこざに苦しめられる結月の叫びに共鳴して涙が止まらなかった。出会った当初は見た目から結月に苦手意識を持っていたのに、いつしか親友となった誠が示す友情の尊さに胸打たれ、何度も何度も読み返した。こんな友達がいたら、たとえ今後の人生の選択で離れてしまったとしても、その事実は、ずっと自分の支えとなり続けるだろう。
 気遣い上手ながら自分の気持ちをうまく出せない志摩くんや、みつみを見守る父の弟で“叔母”のナオちゃんなど、魅力的なキャラクターがたくさん登場する本作。どのキャラクターに感情移入して読んでいるのか、友人と比べるのもおもしろい。
「誰かと本当の友達になれるチャンスなんてそうそうないのよ」
 大人になればなるほど実感するナオちゃんの言葉が胸に響く。なんとなく気後れしていたあの人にメールを送ってみようかな。服装や仕事が違っていても勇気を出して一歩を踏み出さないと友達になれるかどうかすら分からないって、みつみが教えてくれたから。 (宇垣美里「宇垣総裁のマンガ党宣言77」週刊文春7月28日号) ~




 ものごとは、自分には早すぎるかな? と思うくらいのタイミングで始めると成長できる。
 習い事しかり、スポーツしかり、勉強しかり、人間関係しかり。
 「早いかな?」と思ったということは、視界に入ったということだ。
 ちょうどいいを待っていると、結果的に出遅れる。もったいない。
 全然接点がなかったような人でも、ふとしたタイミングで声をかけてみるだけで、新しい日々が生まれる。
 なにごとにもあてはまる。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スキップとローファー(2)

2022年08月17日 | 学年だよりなど
2学年だより「スキップとローファー(2)」




 岩倉美津未(みつみ)は勉強ができた。能登半島先端の小さな町で圧倒的だった。
 それを鼻にかけることなく、天真爛漫で天然の彼女は、幼いころから全員が顔見知りのなかでかわいがられ、楽しく暮らしていた。
 自分の将来を思い描くようになった時、町が過疎化していくのをこのままにしていてはいけないと考え始める。そうだ、あたしが変えよう。さいわい自分は勉強ができる。東大を出て、総務省に入り、全国の過疎対策に尽力し、のちに市長としてもどってこよう――。
 そんな人生設計が、だんだん本気になってくる。こうして、東京に住む母の弟を頼り、都会の進学校に通うこととなる。「月刊アフタヌーン」連載中『スキップとローファー』は、そんなみつみの高校生活を描いている。




~ 石川県能登半島の駅すらない田舎町で生まれ育った岩倉美津未は、T大法学部から官僚という出世コースを目指し、高校進学を機に上京する。満員電車に圧倒されて入学式に遅刻してしまったり、気合が入りすぎて自己紹介で滑ったり……。進学校に首席で入学した秀才ながら、ポンコツかつ天然なみつみは空回りしてばかり。都会的な同級生とのズレに戸惑いながらも、持ち前の自己肯定感の高さと素直さで高校生活を乗り越えていく。
 クールな美少女の結月、当初はみつみにけん制をかけるような言動を繰り返したミカ、内気で陽キャに苦手意識を持つ誠。タイプも趣味も違う彼女たちはそのままならきっと友達にはならなかっただろう。しかし、みつみのフラットな眼差しに影響され、理解しえない部分があると分かった上で、次第に互いが大切な存在へと変わっていく。自分のクラスにいたんじゃないだろうか、とさえ感じさせる親近感あるクラスメートたちひとりひとりの心の機微の解像度が高く、この物語には誰一人として脇役などいないのだと感じさせる。
 初めてのカラオケ、初めての学園祭、初めてのパンダ。何気ない高校生の淡々とした日常から漂う若さ故のまっすぐさに浄化され、ページをめくるたび溢れ出る青春感が渇いた大人の心に沁みる。ほんわかした可愛らしい絵や、みつみのとぼけたやり取りにクスクス笑って癒される一方で、心抉(えぐ)る展開に息を呑んでしまう瞬間もある。人間関係のしんどさ、ままならなさからくる心情の揺らぎや拭えないコンプレックズがあまりにリアルで胸が痛い。 (宇垣美里「宇垣総裁のマンガ党宣言77」週刊文春7月28日号)~




 誰と仲良くなればいいのか、どんな高校生活を過ごせばいいのかと悩むのは、自分の人生では自分が主人公だと誰もがわかっているからだ。全国大会で華々しく活躍したり、成績優秀でちやほやされたり、ちょーモテモテだったりという生き様には、ほとんどの人があてはまらない。
 しかし、自分の人生は自分のもので、それは周りにいる一人一人も同じだ。
 だから、一人一人が同じように悩んだり、もがいたりする。一見そうは見えなくても。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スキップとローファー

2022年08月12日 | 学年だよりなど
2学年だより「スキップとローファー」




 人間関係を学ぶうえでも、高校時代は大事だと言われる。
 気の置けない友人や、尊敬できる人との出会い。
 同じ目標をもってがんばる仲間との出会い、やっていることは違っていても方向性が似ている友人の存在、もしくは今までの人生のなかで全くいなかったタイプの人と知り合ったり。
 もちろん、人それぞれではあるだろう。
 友達はつくらなければならないものではないし、いなければならないものではない。
 社会人になってはじめて友達ができる人もいれば、老年になってからの知り合いが本当の友になったと言う人もいる。
 高校時代の友人が、大人になってからのと違う要素があるとすれば、利害関係の少なさだろうか。
 もちろん、高校生の人間関係に打算や計算など全くないなどと牧歌的なことを言うつもりはない。
 しかし、たとえば自分の遙か昔を思い出して見ると、ただ話していただけ、ただ一緒に居ただけ、ばかなことを言い合っていただけで、そして生産的要素は何もなかったはずなのに、楽しかった。
 今のみなさんをみていても、同じことを感じる。
 そもそも川東という場で出会ったことには、何の必然性もない。
 同じ地域に生まれ、学力や嗜好が似ていた……みたいな共通点はあるにせよ、それでも必然性はないはずだ。
 人の出会いとは、本質的にそういうものではないか。
 「この出会い」などと特別感をもつのは、完全に後付けだ。
 たまたま手に入れたものを、自分で勝手に解釈し、勝手な理由付けをし、あたかも神に導かれたかのように運命的なものあつかいする。
 自分の勝手にすぎない(これが恣意ですね)。
 出会いが運命的なものかどうかは、自分がどう感じるか、もしくは設定するかで決まる。
 昨日まで顔もそんなに認識してなかった、同じクラスのある人と、たまたま席替えで接近して話しかけたら、のちのち一生のつきあいになった、なんてことも普通にありうる。
 人の縁は不思議だ。
 それを出会いにするか、スルーするかは、自分しだいだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この夏にかけるみなさんへ(2)

2022年08月11日 | 学年だよりなど
2学年だより「この夏にかけるみなさんへ(2)」




 最後まで闘い抜いた記憶は、未来を生きる大きな力になります――。
 斎藤佑樹氏の言葉がひびくのは、もがき苦しんでいた時代があったことも、私たちが知っているからかもしれない。
 「ハンカチ王子」とよばれるほどの人気を博した高校時代、早稲田大学のエースとして活躍し、着実に力をつけた学生時代。そしてドラフトでは4球団から1位指名をうけてのプロ入り。
 しかし、プロ野球の世界では、怪我にも苦しめられ、思うような成績を残すことができなかった。
 世間からの厳しい声も、数多く耳に入ったきただろう。
 夢は、強く願ったから必ず叶うものではない。
 強く願い、相応の努力を積み、たまたま運が良かった人が叶えることができる。
 夢を叶えることがそんなに難しいのなら、がんばっても意味ないだろうか。
 そのために費やした時間は無駄だろうか。




~ その夢は、きっと叶うよ。とは、僕は言いません。勝負はわからないから。おなじ夢を持った人たちのぶつかりあいだから。ただ、今のまっすぐな君のまま、どうかこの夏のマウンドに立ち続けてください。これから先、グランドでもグランド以外でも、君をいろんな出来事が待ち受けています。僕のように、不安だらけの時期を過ごし、挫折を味わうこともあるかもしれません。 それでもなんとか前を向くために必要なもの。それは、記憶だと思います。過去の栄光、だなんて言われることもあるけれど。最後まで闘い抜いた記憶は、未来を生きる大きな力になります。 ~




 すべてを手にしているかに見えた斎藤佑樹氏でさえ、思うようにならない日々を過ごし、しかしその結果、若者達の心にひびく言葉を伝えられるようになった。
 夢に向かって頑張ったからこそ、手に入れられるものがある。
 不安や挫折を経験したからこそ、湧き出てくる言葉がある。
 「自分の力はこんなものだろう、そこまで勝ちにこだわるのは意味が無い」と言い、ほどほどに過ごしてしまうのは、今のみなさんには、もったいない。
 成績があがらない苦しみも、なんとかしようともがいた時には、それがからだの記憶になる。
 人間関係で悩んだことも同じだ。
 勉強も、部活も、人間関係も、目をそらさずに立ち止まってみる。
 それらの積み重ねがからだの記憶となって自分のなかに残る。
 記憶を作る時間がみなさんにはある。高校時代を大事と言わずして、何と言おう。
 速い球でなくていい、熱い球を投げようではないか。
 一週間くらい勉強したくらいでは偏差値あがらないだろうではなく、まず一日15時間くらいやってやろうではないか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この夏にかけるみなさんへ

2022年08月07日 | 学年だよりなど
2学年だより「この夏にかけるみなさんへ」




 高校時代は大事だと多くの人が言う。
 その理由もさまざまに語られる。それを聞いて、納得できただろうか。
 自分の高校時代を思い出してみると、そんな言葉を聞いたときには「うるせぇな」と正直思っていたような気がする。
 何か、物事が自分の思うような事態に進んでいたときには、素直に「よし、がんばるぞ」と感じていたかもしれない。ということは、たぶん素直に聞けない時間の方が長かった。ほとんどか。
 当事者とって、その時点の大切は、なかなか実感できないものだ。
 大事かどうかよりも、ただただ辛かったり、楽しかったり、無為に感じたり、せつなかったりするものだから。どんなことがらも、価値評価は後になってはじめて出来る。




~ この夏にすべてをかける君へ
 暑い日が続きますが、体調など崩していないでしょうか。
 体格も投げかたも似ている、そして夢が叶うことを1ミリも疑っていない君と出会ったときから、僕はずっと、16年前の自分を重ねていました。その夢は、きっと叶うよ。とは、僕は言いません。勝負はわからないから。おなじ夢を持った人たちのぶつかりあいだから。ただ、今のまっすぐな君のまま、どうかこの夏のマウンドに立ち続けてください。これから先、グランドでもグランド以外でも、君をいろんな出来事が待ち受けています。僕のように、不安だらけの時期を過ごし、挫折を味わうこともあるかもしれません。それでもなんとか前を向くために必要なもの。それは、記憶だと思います。過去の栄光、だなんて言われることもあるけれど。最後まで闘い抜いた記憶は、未来を生きる大きな力になります。
 なんて、大舞台がすぐそこだってときに、先の話なんてされたくないか。この夏、いちばん速い球を投げるのは、君じゃない。いちばん熱い球を投げるのが、いちばん強い球を投げるのが、なんだかいちばん凄い球を投げるのが、君であってほしいと思っています。今から君の過ごす夏が、君を一生奮い立たせる夏になりますように。よし、 頑張れ。2022夏 斎藤佑樹 ~




 「いちばん速い球ではなく、いちばん凄い球を投げよ」という言葉にこめられた、斉藤氏の思いが伝わってくる。
 速いボールではなく、気持ちのこもった球こそが相手を抑えられるという経験を、斉藤氏はしてきただろうから。
 そしてそのことを、今の方がたしかな実感として語れるのではないだろうか。
 高校時代は大事だ。
 速い球を投げられたかどうかではない。速い球を投げようともがき苦しみ、その結果として、渾身の一球を投じることができた経験をするかどうか。
 たとえ空振りに終わっても、魂のこもったスイングができたかどうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンクール県大会

2022年08月06日 | 日々のあれこれ
8月6日(土)吹奏楽コンクール 
高校B部門県大会 8番 12:40演奏 
さいたま市文化センター

金賞いただきました!
次は西関東大会です!

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知らぬが仏(2)

2022年08月03日 | 学年だよりなど
2学年だより「知らぬが仏(2)」




 挑戦を思いとどまらせる原因は、「知識があるから」以上に、「恥をかきたくないから」の方が、もしかすると大きいかもしれない。
 失敗したくない、うまくいくかどうかわからない、他人からどう見られるかわからない……。
 自尊心が強すぎるがゆえに臆病になってしまう。




~山中 iPS細胞に関して言えば、よく知っている人はやっぱり失敗したくないから手を出さなかった。成果を出さないと研究費ももらえませんからね。
  だから藤井さん、今ってすごくいい時ですよね。まだ十代だから、負けてもまた次があるというので、すごく果敢な戦略ができる。これからの五年間は何にも代えられない宝物のような時間だと思いますよ。
藤井 はい。自分でも、ここ数年がいちばん大事な時期かなと思っています。
山中 僕くらいの歳になってくると、いろいろ背負っているものがいっぱいあって、なかなか果敢なことができない。妻子もいるし、研究所の所員もいるから、あんまり大胆なことがやりにくくなっています。でも十代とか二十代は失敗してもいいかなと思っています。娘が結婚する時も「本当にいいのかな。大丈夫かな」と思いながら、「まあ失敗してもいいか」(笑)。だって完璧になってから何かしようと思ったら、絶対できないよね。完璧になる前にやらなきゃ何もできない。
  若い時は何をやってもいいと思います。何をやったらいいという正解はない。でも何もしないということだけはやめてほしい。どんなことでも夢中になれることがあったら、それがどんな結果になっても、必ず自分の成長につながっていきますから。 (山中伸弥・藤井聡太『挑戦』講談社)~




 誰しも、挑戦しようとするときには臆するものだ。
 しかし、自分が思っているほど、他人は見ていない。
 親身になって心配してくれてるようなことを言う人も、別に失敗しようが成功しようがどっちでもかまわないのだ。
 それは「本質的に人は他人に冷たい」ということではなく、「自分の人生は自分のもの」というシンプルな原則があるだけだからだ。
 何かやろうとして、「どうしようかな、失敗したら馬鹿にされるかな、ほれみたことかと言われるかな」などという気持ちがわいてきたら、自分で自分につっこんでみよう。
 「お前は、李徴か!」と。
 「失敗をおそれるほど、たいした人間ではないだろう、何様のつもりだ!」と。
 やらずにする後悔は後を引くが、やって失敗した後悔は次へのステップに変わる。
 つまり挑戦することには、メリットしかない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知らぬが仏

2022年08月01日 | 学年だよりなど
2学年だより「知らぬが仏」




 人はなぜ挑戦できないか。
 よけいなことを考えるからだ。知識はかえって人の行動を鈍らせる。
 もう一つは、李徴だ。よけいなプライド。自分を守りたい、恥をかきたくないという思いが、進んでいいところを立ち止まらせる。
 「ブレイクスルーは、常識にとらわれないところから生まれるのでしょうか」という藤井聡太棋士の質問に、山中伸弥教授はこう答える。




~ 山中 「知らぬが仏」という言葉があるでしょう。それと一緒で、知っていたら怖くてできないようなことも、知らないからできてしまうことがあるんですね。
  iPS細胞樹立の立役者は高橋和利君(現在CiRA准教授)で、僕が初めて研究室を主宰した時の最初の学生の一人です。彼は、生物学とはまったく関係のない工学部出身なんですよ。大学院生として僕の研究室に来た時は、本当にびっくりするぐらい何も知らなかった。でもすごく好奇心が強かった。同級生に生物をずっとやってきた本当に優秀な子もいっぱいいたんだけど、たとえば皮膚の細胞から臓器や神経の細胞を作るのは難しいと知っているので、怖くて手が動かなくなってしまう。普通はそうだと思うんですね。 ~




 iPS細胞(induced pluripotent stem cell人工多能性幹細胞)を作るためには、細胞を初期化するための遺伝子を特定する必要がある。
 何万個もの遺伝子のなかから、24個に絞り込む段階までは進んでいた。
 そのうち、どれとどれが必要なものなのか。
 24個の、すべての組み合わせについて実験を繰り返していたら、どれだけ時間がかかるかわからない。
 すると「高橋君」が、「先生、24個の中から遺伝子を1個ずつ減らしてみたらどうですか」と言った。




~ 山中 コロンブスの卵でしょ。1個だけ抜いた遺伝子が初期化に絶対必要なものなら、残りの23個をまとめて細胞に入れても初期化されないはずですからね。もう感動して「高橋君、君はほんまに賢いなあ」と手放しで褒めました。それで最終的に細胞の初期化に必要な四つの遺伝子を特定することができたんです。 (山中伸弥・藤井聡太『挑戦』講談社)~




 もともと生物学を研究してきた人は、優秀な研究者であっても、いや優秀であるがゆえに、この発想を生み出せなかったのだろう。
 学歴の高い人、優秀だと言われている人ほど、自分のものの考え方に疑いをもたなくなってしまい、かえって、正しい判断ができなくなることが、いろんな分野で見られる。
 大谷選手に二刀流なんてできるはずがないと言っていた、たくさんの有名OB達も同じだろう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする