水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

志望理由書に書くこと

2020年10月29日 | 学年だよりなど
  3学年だより「志望理由書に書くこと」


 三年おきに何十人もの志望理由書を読み、面接指導をしていると、何が足りないのかは、はっきりわかる。興味・関心・好きさが不足しているのだ。
「A大学でXを勉強したい」と言う。
 しかし「A大学のどこがいいのか?」という問いにかえってくる答えは、だいたいA大学でなくてもいい、B大でもC大でも叶えられるものだったりする。
 大人の事情があることはわかっているが、推薦やAOで行きたいのなら、何か考えないと。
 ほんとに行きたくて、いろんな資料を読んだり、大学を訪ねたり、学びたい先生の本を読んだりしていれば、実は自然にみつかるのだ。
「Xについて学びたい」と言う。 
「では、その学問の第一人者は誰?」「その学問では今何が問題なの?」と問うと、まだよくわからないという。それは本当に興味があると言えるのか。
 平井堅「君の好きなとこ」(平井堅作詞・作曲)という歌がある。


~ 照れた笑顔 すねた横顔 ぐしゃぐしゃ泣き顔
  長いまつげ 耳のかたち 切りすぎた前髪
  君の好きなとこなら星の数ほどあるのに 一つも言葉に出来なくて

  片方だけできるエクボ 朝のかすれた声 唇の色 髪の匂い 抱きしめた温度
  君の好きなとこなら誰よりも知ってるのに なぜ伝えられないのだろう?

  お腹が空くと機嫌が悪くなって黙りこむ 酔うとすぐ寝るくせに帰りたくないとすねる
  君の嫌なところもそりゃ少しはあるけれど 会えばいつも許してしまう

  ホッとした顔 笑ったときにハの字になる眉 皮肉やなのに意外と人情ものに弱い
  君の好きなとこなら 世界中の誰よりも 知ってる僕が嬉しくて          ~


 どれくらい「好き」なのかが、自然に伝わってこないだろうか。
 どこが好きと聞かれて「全部」というより、「ハの字になる眉」と言った方が伝わる。
 そこで勉強したい、それを勉強したいという思いが強ければ、つい調べてしまう。
 すると、たとえば新聞で、その大学の先生の本の宣伝を見つけたり、学食のメニューをなぜか憶えていたり、スポーツの結果が気になったり、その大学出身の芸能人を好きになったりする。
 今まで見なかった新聞の株式欄に目がいったり、書店で専門分野のコーナーに足が向いたりする。電気製品のスペックが気になって仕様書を読み込んでしまったり、建設中の現場である機械に目が釘付けになったりする。
 興味・関心があるとは、対象のことを「具体的に知っている」ということだ。
 書き方、話し方以前に、「オタク度」の高さの方が求められる。
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ものの見方(3)

2020年10月24日 | 学年だよりなど
  3学年だより「ものの見方(3)」


 1985年、ウルグアイは民主化の道を歩み始める。出所したムヒカ氏は、ゲリラ仲間と政治団体を結成し、1995年の下院議員選挙で初当選を果たした。2005年にウルグアイ初の左派政権となるタバレ・バスケス大統領の下で農牧水産相として初入閣する。そして、2009年度の大統領選挙では、国民党のラカジェ候補を決選投票で破り大統領に就任した。
 はじめて議員になったとき以来、ムヒカ氏はネクタイをしていない。ネクタイは政治家のウソを隠す道具だと言う。国連での演説も、ノータイで演壇に立っていた。


~ 私たちは市場と競争社会から文明という落とし子を生み出し、物質面での驚異的な進歩をもたらしました。そして市場経済は市場社会をつくりだし、それを世界規模に拡大してしまいました。
いわゆるグローバリズムです。
 そのグローバリズムを、私たちはコントロールできていますか?
 逆にコントロールされてはいないでしょうか?
 こんな残酷な競争で成り立つ社会で、「みんなで世界を良くしていこう」なんて議論が、本当にできるのでしょうか? 私たちは本当に仲間なのですか?
 我々は、発展するためにこの地球上にやってきたのではありません。
 幸せになるためにやってきたのです。
 かつての賢人たち。エピクロスやセネカ、そしてアイマラ人たちは次のように言っています。
「貧しい人とは少ししかものを持っていない人ではなく、もっともっとと、いくらあっても満足しない人のことだ」と。大切なのは“考え方”です。
 見直すべきは我々が築いてきた文明の在り方であり、我々の生き方です。
 発展は幸せの邪魔をしてはならない。 
 環境のために闘うのなら、一番大切なのは、人類の幸せであることを忘れてはなりません。 ~


 映画「ムヒカ 世界一貧しい大統領」は、日本人ディレクターの視点でとらえた、ムヒカ氏の人生が描かれている。「南米の小国の貧しい家に生まれた若者が、一国の大統領になる」と聞けば、どんなサクセスストーリーかと思ってしまうが、まったく異なる。
 その実質は、祖国の差別と貧困をなくしたいという信念を貫き通した一人の男の姿だ。
 花屋の手伝いをしているときも、国連で演説しているときも、一切ブレがない。
 夢を叶えたのではなく、自分を貫いた結果、たまたま大統領にもなったのだ。
 だからこそ、世界中から集まってきた各国の代表や専門家集団を前にして、揺るがぬ思いを述べ、彼らが忘れていた観点を知らしめることができた。
 大統領を退任した後、日本を訪れて広島に出向いたり、東京外国語大学で講演を行ったりした様子も描かれている。85歳になったムヒカ氏は、つい先日政界引退を表明した。
 映画は、シネスイッチ銀座、新宿バルト9などで絶賛上映中。いまの貴重な時間のうち2時間を費やすだけの価値はある。入試そのものに直接役立つ内容さえふんだんに学べる。
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ものの見方(2)

2020年10月19日 | 学年だよりなど
  3学年だより「ものの見方(2)」


 1935年、ホセ・ムヒカは、ウルグアイの首都モンテビデオの貧しい家庭に生まれた。
 ブラジルとアルゼンチンにはさまれたウルグアイは、国土の面積は日本の約半分、人口は340万人橋。サッカーが強いイメージを持つ人も多いだろう。埼玉県の半分以下の人口の国が、ワールドカップで過去2回優勝しているのは驚く。
 1825年にスペインから独立して以来、南米の中では比較的落ち着いた国だった。政治的にも経済的にも。しかし、第2次世界対戦以後、国の経済状況が悪化していく。
 失業者が増え所得格差が広がり、社会全体が不安を抱えた時代に、ムヒカは青春時代を過ごした。
 家畜の世話や花売りの手伝いなどをしながら高校を卒業した後は、政治運動に身を置く。
「格差のない社会にしたい、自由を手に入れたい」という純粋な願いからだった。
 極左の過激な集団と知られる「トゥパロマス」に入った。
 トゥパロマスのやり方は暴力的だったが、経済危機にあえぐ大衆の支持を受けていたのも確かだった。銀行やトラックを襲撃し、奪ったお金や食べ物を貧しい人たちに配ったりもしたという。
 若き戦士ムヒカは、祖国のより良き未来を信じて闘った。そして4度逮捕された。
 最後の逮捕は1972年、以来およそ12年間、収監される。
 獄中生活は孤独だった。何度も気が狂いそうになったと、後に回顧している。
 しかし同時に、徹底的に自分自身と会話したという。
 収監されて7年後に読書が許されるようになると、貪るように本を読んだ。
 富の無益さを知り、暴力の無意味さを反省した。いつか必ず自由になれる日がくることを信じながら、ひたすら自己とむきあった。
 「貧しさとは物がないことではなく満足出来ないことだ」という哲学は、この時期に形成された。


~ 質問させてください。
 もしドイツ人がひと家族ごとに持っているほどの車を、インド人もまた持つとしたら、この地球はどうなってしまうのでしょう? 私たちが呼吸できる酸素は残されるのでしょうか。
 もっとはっきり言いましょう。
 例えば、最も裕福な西側諸国と同じようなレベルで、70億、80億の人に消費と浪費が許されるとしたら、それを支えるだけの資源が今の世界にあるのでしょうか?
 それは可能なのでしょうか? ~


 2012年、リオで行われた国連の会議では、「世界中の国が協力し合って発展していこう」と、各国の首脳達がよびかける。誰もが、その言葉の正しさを疑わず、異を唱えない。
 しかし、本当にそれが可能なのか。みんなが幸せになるというが、幸せの中身とは何か。
 先進国の人々が思い描いているような文明的な暮らしがその形なら、それを世界中に実現しようとするのは、現実問題として無理なのではないか。
 「みんな、本気で言ってるのか」とウルグアイ大統領ホセ・ムヒカは問いかける。
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ものの見方

2020年10月14日 | 学年だよりなど
  3学年だより「ものの見方」


 友人の○○君が、そばに座っている――。この事象は、科学的にどう見えるか。
 「60㎏の質量を持つ物体が速度ゼロでそこにある」状態とか、「OとCとHとN分子が動的平衡状態を保っている」状態と見えるのだろうか(適当ですいません)。
 文系の人が見れば、「18歳で選挙権を手にしたばかりの一市民」とか「いつも明るいが実は内面に深い悩みを抱えている存在」に見えたりするだろう。
 恋愛感情を抱く誰かが目にしたなら、「いつも眠そうな目がセクシーでたまらない」と見えてしまうかもしれない。
 「ここに友人Aが存在すると考えているのは自分だけであり、本当は存在しないのではないか、存在を証明するものはないのではないか」と哲学的に考える人もいるかもしれない。
 世の中のあるとあらゆる事象は、見る人によって見え方が異なる。
 同じ人が見ていても、その時の体調や気分で見え方が異なる。
 たとえば文学は、「死を意識したとき人は世の中がどう見えるのか」を小説という形で具象化する。
 たとえば音楽は「苦しみの果てに得られたかすかな喜び」をメロディに具現化する。
 いろいろなものの見方があり、それを他者に伝えるいいろいろな方法がある。
 勉強とは、その無限にある「いろいろなもの」のうちのいくつかを、自分のものにしていく行為だ。
 大学に進んで学ぶということは、「ものの見方」を一つでも身につけることであり、同時に「その見方が絶対ではない」とわかることだろう。

 2012年6月。ブラジルのリオデジャネイロで国連の「持続可能な開発会議」が行われた。
 世界各国の政府関係者、国会議員などおよそ3万人が参加し、「自然と調和した人間社会の発展や貧困問題」が話し合われた。
 会議初日、各国首脳によるスピーチの最後に、南米のある小国の大統領が演壇に立つ。


~ 会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
 ここにご招待いただいたブラジル国、そしてディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
 私の前にここに立って演説した、心良きプレゼンターのみなさまにも感謝いたします。
 国を代表する者同士、人類が必要とする国同士の決議を議決しなければならない。その素直な志をここで表現しているのだと思います。
 しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。
 午後からずっと話されていたことは、「持続可能な発展と世界の貧困をなくすこと」でした。
 けれども、私たちの本音は何なのでしょうか。
 現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することなのでしょうか。
        (佐藤美由紀『世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉』双葉社) ~


 ノーネクタイのラフな出で立ち。国連演説らしからぬ語り口。
 そして建前に隠された本音は何かとストレートに問いかけるスピーチに、会場の人達は引き込まれていく。
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秋から伸びる

2020年10月10日 | 学年だよりなど
  3学年だより「秋から伸びる」


 和田秀樹先生が「秋から実力を飛躍させる受験生」像として、次の七項目をあげている。


~ 1 合格最低点まで「あと何点?」が見えている
  2 学校に頼りきらず、やるべき勉強を自分で考える
  3 苦手に執着せず、伸びる部分を優先し、得意に磨きをかける
  4 模試の失点を細かく分析して受験対策に役立てる
  5 本番のリハーサルとシミュレーションを十分にやっている
  6 頑張りを支える生活習慣が確立している
  7 不安な気持ちを勉強の原動力に転化できる           ~


 1~4には、現時点の自分に足りないものを分析し、残された時間のなかで、必要なことをこなしていくだけという勉強の原則が表されている。
 今のみなさんの勉強は、大人が「趣味」としてやっているものとは違い、明確な期限のある課題だ。大人がしている「仕事」と性質が近い。
 就活の際に、その人の仕事能力を測る目安の一つとして受験能力が参照されるのは、そういう意味で筋が通っているだろう。
 5が示す「本番は練習のように、練習は本番のように」はあらゆることにあてはまる原則だ。
 部活動で今も現役の人たちがいるが、限られた時間の中で結果を求めるとき、練習の質の高さが大事なのは言うまでもない。
 一瞬の集中力を発揮させる土台になるのは、6・7で述べられている生活の基盤だ。


~ 秋ともなると、受験生なら誰でも不安を感じるもの。「落ちたらどうしよう」という不安と「受かりたい」という欲望は表裏一体であり、「受かりたい=勉強しよう」とポジティブな方向にもっていける人が、いわゆる「メンタルの強い人」なのだ。……不安なのは自分だけじゃない、ということを知るのも大切だ。 (和田秀樹「秋から伸びる受験生はここが違う!」蛍雪時代) ~


 精神を鍛えることが受験の目的の一つだ。
 人生というスパンで考えたら、これこそが一番と言ってもいい。
 受験勉強への取り組みが本気になればなるほど、自分に与えられた時間と現状とのギャップに不安をおぼえることが多くなる。
 それは受験生として、人間として健全な姿だ。
 先が見えない不安さえ、どうなるか楽しみな「わくわく感」に変えてしまえるメンタルに持ち込めるようになったとき、人としてのステージが一段あがっている。
 「自分の選択を正解に持って行く力」を因数分解すると、上記の7項目になる。
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「正解」化力

2020年10月07日 | 学年だよりなど
  3学年だより 「正解」化力


 共通テスト演習の授業で扱った評論12は、正直よくわからない文章だったが、「決断とは宗教的決断でしかありえない」というテーゼは頭に残る(残ってませんか?)。


~ 映画(マトリックス)の主人公がピルを飲むとき、赤いピルと青いピルが目の前に示される。青いピルを飲めば、これまでどおりの生活にそのまま戻れるが、赤いピルを飲めば真実を知ることになると言われるのだ。果たして赤いピルが本当に真実を知らせるものなのか、なんら理性的説得はない。ただ決断が求められるのである。これは宗教的決断のようなものである。信じる決断をした人にだけ見えてくる「真実」があるのだが、決断に先立ってそれは知られ得ない。コンピュータ回路の中での説得は、このように宗教的決断への誘惑に似ている。 ~


 私たちの毎日は「決断」の積み重ねで成り立っている。
 朝目覚ましが鳴る、すぐに起きようか、あと5分だけ寝ようか。
 浴室に入りシャワーの栓をひねる、頭から洗うか、からだから洗うか。
 朝ご飯をおかわりしょうか、やめようか。電車の何両目に乗るか、自販機で何を買うか、そんなに親しくない友人に声をかけるかほおっておくか、弁当を買おうかパンにしようか、学校に残って勉強しようかマック行こうか……。
 大学を何校受けようか、合コンに出ようかやめようか、就活いつからはじめようか、内定もらったうちどこにしようか、つきあってくれと言うか待つか、そろそろ結婚しようか……。
 決断をする際に人は、それなりに理由を探し、自分を納得させようとする。
 その決断が正しいかどうかは、誰が決めるのだろうか。客観的に説明しうるだろうか。
 Aという決断をした場合と、Bという決断をした場合の二種類の人生を、同時並行で進めていくことはできない。
 客観的にAが正しいかどうかは、誰もわからない。
 もちろん他人から見れば、「ほんとはあいつはBを選ぶべきだった」と言いたいような事例はいくらでも存在するだろう。
 でも、それを確かめるすべはない。
 自分では正しいと確信していても、それは「根拠なき自信」というしかないだろう。
 どっちが正しいのか、選ぶ時点で合理的に説明することができないのだとしたら、決断はまさに「宗教的決断」だ。
 自分の決断を「正解」と呼べる日がもし来るとするなら、自力で「正解」にした日だ。
 他人から何か言われても、なかなか結果が出なくても、正解と言える日が来るまでやり続ければいいだけだ。
 もちろんそのためには、自分の現実を分析したり、必要な努力が何なのかを見つけたりする作業も必要になる。
 何が必要なのかについては、科学的、合理的に説明しうる。データもある。
 腹をくくって、根拠なき自信を支えるだけの努力や工夫をし続けること――。
 つまり「自分の選択を正解に持って行く力」を今みなさんは養っているのだ。
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マヨネーズ理論(2)

2020年10月03日 | 学年だよりなど
  3学年だより「マヨネーズ理論(2)」


 現代社会は、いつライオンに食われるかわからないサバンナだと村山太一氏は言う。
 じっくり時間をかけて成長しようとしていたら、取り残されてしまう。
 マヨネーズの作り方なんか、ネットでも何でもみて5分で身につければいい。
 同じように、すごい人のやり方を丸パクリして、最速最短で成長してしまえばいい。


~ 僕は調理師学校にいるときから、一流の料理人になりたいと思っていました。
 でも、卒業したばかりの僕は高級中華料理のチェーン店に就職してしまいました。
 もちろん、そのお店でも学べることはありましたが、僕の求めていたレベルとはかけ離れている。そこで一流になるには気の遠くなるほど時間がかかるでしょう。一流になれないまま終わるかもしれない。半年で見切りをつけて、僕は吉泉という一流料亭で修業を始めました。そのとき、僕がものすごいスピードで成長していたんです。感動すら覚えました。
 一流になるなら、一から自分でやらずに、すでに一流になっている人に教わればいいんです。
 この体験から僕が導き出したのは、
・一流になりたいなら一流に学ばない限り、そのレベルには到達できない
・一流に学んだほうが超速で成長できる、という2つの結論です。
       (村山太一『なぜ星付きシェフの僕がサイゼリヤでバイトするのか』飛鳥新社) ~


 京都下鴨にある一流料亭「吉泉」で修行した村山太一氏は、単身イタリアに渡る。
 三つ星の名店「ダル・ペスカトーレ」で修行したいという夢を叶えるためだった。
 しかし、簡単に働かせてもらえるはずはない。ダル・ペスカトーレには、年間で2000件を超える就職希望が届くという。そのうち採用されるのは10人いるかいないかだ。
 まずは受け入れてもらえた二つ星のレストランで修行をし、料理コンテストで実績をつくった。
 ある日履歴書を持ってダル・ペスカトーレに向かうと、たまたまオーナーが店の前に立っていた。
 思わず駆け寄って、「あなたの所で働かせてください!」と履歴書を渡す。それまでに考えた料理の写真や実績、いろんな思いがまとめられた分厚い一冊をぱらぱらめくりながら、オーナーのアントニオはこう言った。「一ヶ月後には空きがでるかもしれないから、電話してみて!」
 村山氏は、ダル・ペスカトーレのことを徹底的に下調べもしていた。
 弟子入りしたいのなら、それは当然のことだという。


~ その人に会いたくて会いたくて、片思いの相手なら、相手の好きなことや誕生日を調べて、相手の一挙手一投足を観察して相手のことをもっと知りたいと思う。自分に振り向いてほしいと切望する。それぐらいの熱意がないと人を動かせません。 ~


 たとえば「志望理由書」を書くとき、相手のことを、熱意を持って調べているだろうか。書けば書くほど、興味のなさが伝わってしまうような文章にしてはいけない。
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