水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

2021年

2021年12月31日 | 日々のあれこれ
 1・2月 練習できず、新人戦、川越市合同などが中止に。
 3月 第28回定期演奏会開催
  延期案も考えたけどやれてよかった。昨年経験できなかった34期生も多く参加してくれた。
 4月 新入部員勧誘。
 5・6月 練習制限、西部地区発表会中止。
 7月 野球部壮行会 球場へ行けないので学校で
 8月 コンクールA部門出場 無観客開催
 9・10月 リモート授業、練習制限、文化祭など中止。
 11月 アンコン地区大会 アンサンブル発表会
 12月 音楽座ミュージカル参加 アンコン県大会 ジョイントコンサート


 練習できたりできなかったりした1年ですが、やれる範囲でせいいっぱいのことをしようとし、いくつか演奏の機会をもつことができました。予定していた企画でできるかできないか、ぎりぎりまで確定できなかったりもしました。
 急なお願いをして、こころよくサポートしていただいた保護者のみなさま、今年1年本当にお世話になりました。
 年明けは4日から練習し、1月16日(日)の埼玉県冬期演奏会(旧新人戦)最初も本番です。
 来年もよろしくお願い致します。みなさま、よいお年をお迎えください
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ジョイントコンサート

2021年12月28日 | 日々のあれこれ
12月28日(火)第7回ジョイントコンサート@新座市民会館
  朝霞西高校 川口北高校 所沢北高校 和光国際高校 川越東高校

 本校演奏 マーチ「虹色の未来へ」
     「ゴースト・トレイン」より第一楽章
     You Can't Stop The Beat
 合同演奏 
  1年生 CAMARADA(カマラーダ)
      ジャパニーズ・グラフィティⅩⅩ「小林亜星作品集」
  2年生 バビロンはついに滅びぬ
      吹奏楽による「ドラゴンクエストⅢ」スペシャルハイライト ~そして伝説へ~
      風になりたい

          ご来場ありがとうございました!!

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無意識の「しもべ」

2021年12月28日 | 学年だよりなど
1学年だより 無意識の「しもべ」


 10時まで勉強しよう、もう眠いから寝よう、明日は友人とカラオケに行こう、やはり文系にしよう、部活さぼろうかな、昼は○○を食べよう……。
 さまざまな意志決定を行いながら毎日をすごしている私達だが、それらをすべて自分で決めていると思いがちだ。しかし脳内の実情は異なる。むしろ決めさせられている。
 昼にラーメンを食べるかカレーを食べるかなんて自分の決断でしかない、と思うかも知れないが、むしろ意識は後付けだ。実際には、無意識がそうするように仕向けているのだ。
 だから意識レベルで気づかないうちに、誰かを好きになったり、距離を置きたくなったりする。 意識レベルでは好きではないはずのことに、気づいたらのめり込んでいるようなことも起こりうる。そもそも好き嫌いとか、何に興味があるかとかは、意識レベルで説明できないものだ。
 たとえば、お金持ちになる人は、無意識レベルでお金持ちになる生き方をしていると、勝間和代氏は言う。


~ 現在、お金持ちになっている人の多くは、「お金持ちになる方法」をもうほとんど無意識に知っている人になります。最もわかりやすいのは、家庭環境の影響でしょう。
 私は中学から慶應義塾大学の付属校に入学しましたが、付属の小学校(幼稚舎)から上がってきている同級生たちは、本当に桁違いのお金持ちの子弟がたくさんいました。そんな同級生たちは、びっくりするくらい頭のなかがお金持ちマインドなのです。
 彼、彼女らはまず無駄遣いはしませんし、お金をかけるときは必要なところにだけかける。そして、なんといってもお金を稼ぐときは誰かに雇われて従業員として働くのではなく、どんな小さなものであっても自分で起業して稼ぐ、ということを実践している。それは、現在でも仕事を展開している人がほとんどなのです。
 私の同級生たちは、お金持ちマインドを本で学んだわけではありません。小さい頃からお金持ちマインドで生活している親の姿を見て育ってきているのです。だからそれが当たり前だと思っています。
 子どもの頃から周りの友人たちもそのように行動する人たちばかりなので、それにしたがっていたら、特に親から遺産をもらわなくても、独力でお金持ちになってしまっている。もはや無意識にお金持ちなのです。
              (勝間和代『勝間式 金持ちになる読書法』宝島社)~


 勝間氏の話は、「お金の話」だけなくいろんなことにあてはまることに気づくだろうか。
 無意識を形成するのは、知識や経験の蓄積だ。
 どれくらい勉強できるかの体質、時間の使い方、読書量、日常会話での話題、テレビの情報の信じ具合い、人付き合いの仕方……。どんな環境で生まれ育つかによって、その人の無意識部分が徐々にできあがっていく。
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1%伸びていく

2021年12月23日 | 学年だよりなど
1学年だより「1%伸びていく」


 毎日、前日の自分より1%分だけ成長すると、どれくらい変われるか。
 入学時に「100」の力だった人が、1%分だけがんばって、翌日「101」の人になったとする。
 さらに次の日も1%だけがんばる。すると102%になっている。同じように毎日1%だけ成長したとする。翌日も、さらに翌日も……。前日の自分に1.01をかけていく計算だ。
 ためしに電卓を打ってみればわかるが、最初のうちはちまちま増えていく数字が、途中から驚くほど跳ね上がっていく。
 一週間後にはだいたい107%、30日後には135%。「1%の努力」を2ヶ月続けると182%になり、三ヶ月後は245%増だ。この時点で、中身は別人と言っていいだろう。
 1%ずつ伸び続けた場合、一年後の自分は3780%だ。化け物レベルだが、ほんとにそれくらい伸びたなと思えるような先輩たちにも多く出会ってきた。
 入学時の学力から考えて想像もできなかった大学に合格した先輩たちや、高校から始めた競技で全国大会に出場したような先輩達だ。
 特別なことはしていない。前日解けなかった問題を一問だけ解けるようにする、前日10本ダッシュしたのを11本に増やす、といった努力を少しずつ積み上げてきた結果だ。
 適度に(中には過度に)体を動かしていたことも、そういう先輩たちが伸びた原因ではないだろうか。脳科学の進展で、肉体的な活動が脳を活性化させる事実は、どんどん解明されている。


~ あるメタ分析では、たった一度の20分間の運動によっても、情報処理、注意力そして実行力の急速な改善につながることが確認されている。この研究で、もし頭を使う認知の作業が運動の直後におこなわれるのなら、軽い運動だけで十分にワークアウトの効果が得られることが明らかになった。もし直後でない場合に、より負荷の高い運動でも効果がある。
 アメリカで推奨されている運動のガイドラインでは、毎週五日間、毎日少なくとも30分間の適度な負荷をかけた運動、つまり少なくとも合計で150分の運動をこなすことになっている(どんな運動でも、普段の心臓の脈拍より適度に速くなればよい)。
 これに加えて、すべてのおもな筋肉を対象とした筋肉強化の運動を少なくとも二日は実行すべきだ。両方の運動のタイプはともに、BDNF(脳由来神経栄養因子)のレベルを上げてくれる。そして学習の助けとなるほかの心理面の変化を無数につくり出してくれる。
    (バーバラ・オークレー/オラフ・シーヴェ『学び方の学び方』アチーブメント出版) ~


 脈拍数が平常時よりほどよく速くなる程度の運動でも、脳の神経細胞が活性化していく。
 軽い筋トレにも同じ効果がある。運動部でなくても、勉強の合間に腕立て伏せをする、ジョギングしてみる、というぐらいはしてみよう。
 大事なのは、突然マラソンを始めることではなく、「1%」分だけ前に進むことだ。
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M1

2021年12月21日 | 日々のあれこれ
 今年のM1。個人的に決勝でもう一回観たかったコンビは、もも、真空ジェシカ、ロングコートダディ。ていうか、初めて見て衝撃的だったから。あと、ハライチの普通のネタを久しぶりに見たかった。落ちてたけどニューヨークの、街で有名人に会ったらシリーズも見たかった。
 錦鯉さんの優勝は、総合的には妥当な結果だった(何様目線?)。M1に心ひかれるのは、そこにいたるまでにどんだけ練習したのだろうとか、どれだけの苦労を乗り越えてきたのだろう、という過去が透けてみえることかなと思う。
 もちろんそれは、お笑いの本質としては邪道かもしれない。お笑い芸人の理想郷としては、苦労や努力などおくびにも出さず、いるだけで笑わせてしまう存在になることだろう。古今亭志ん生のような(古!)。
 音楽の本質として真ん中にあるものではないのだろうが、コンクールやコンテストで学生の奏でる音が、ときにプロのそれよりも人の心をうつことがあるのも同じ気がする。
 他校さんの演奏を聴くと、いったい、どれだけ練習したらこんな演奏ができるのだろうと、溜息が出ることがある。
 それは聴きに行かないと感じられない。今回アンコンの県大会に行けて、自分たちの課題はうきぼりになったのは確かだが、行ったからこそ見えたものだ。
 他校さんとの合同での練習や演奏会も同じだ。いろいろな準備は大変といえばそうだけど、だからこそ得られるものがある。それが部活なのだろうと思う。
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アンサンブルコンテスト

2021年12月20日 | 日々のあれこれ
12月20日(月)埼玉県アンサンブルコンテスト県大会@久喜総合文化会館
        21番 金管打楽器8重奏 12:45演奏

        銅賞をいただきました。
        応援ありがとうございました!



コメント (2)
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見取り稽古(2)

2021年12月19日 | 学年だよりなど
1学年だより「見取り稽古(2)」


 学び方を「見取り稽古」できる人は自分で伸びていける。
 野球選手が、ヒットを打つ瞬間のイチロー選手の動きを見れば、もちろん勉強にはなるだろう。
 しかし、それだけで自分の技量を高められる人は少ないのではないだろうか。
 むしろ、イチロー選手が普段どんな練習をしているか、そのとき何を考えているか、打席に立つ前に何をしているかを見習った方が、自分にいかせることを見つけられるはずだ。
 自分で学べる人とは、学びたい対象の「瞬間」だけでなく「前後」を見ることができる人だ。
 勉強ができる友達がいれば、問題を解いている瞬間より、どんな勉強の仕方をしているのかを見たいものだ。
 「見取り稽古」ができない人は、最初から最後まで「手取り足取り」教えてもらたがる。
 そもそも学校とは、学校が必要なくなるために存在する。
 自動車学校は、運転できるようになったら卒業する。
 病院は、病気が治ったら退院したり通わなくてもよくなったりする。
 学校では、何かを身に付けること以上に、何かを身につけられるようになることが大事だ。
 勉強内容そのものよりも、学ぶこと自体が大事というのは、そういう意味だ。


~ 学生時代に勉強していた人は、たとえノートを取ることから離れていても、文章を書く土台はできています。これがまさに経験値です。今までノートを取ってきた量、文字を書いてきた量、活字を読んできた量の分だけ、それは確実に身についているのです。
 学校の勉強は社会に出てから役に立つのか、という疑問を学生時代に抱いたことがある人もいるのではないでしょうか。ちょっと強気な子なら、親や先生にその疑問をそのままストレートにぶつけたこともあるでしょう。
 学校で習う教科の中身は、確かに実社会に出てから役に立つことは少ないかもしれません。しかし、物事を調べて理解し、覚えるという勉強の基本は、社会に出てからも役立ちます。むしろ、社会に出たからこそ役立つと言っても過言ではありません。仕事だけでなく、人生の転機にどう進むのか考える、マンションを購入するかどうかを決断するなど、いろいろなシーンで役に立つのです。
 そういうことをきちんとやってきた人は、たとえノートを取らなくなっても、頭の中にはノートがあるのです。だから、それなりに仕事ができます。けれども、段々ノートを取らなくなっていくと、「頭の中のノート」を作る能力が衰えくるものなのです。
            (ロザン『人生の悩みを解決する思考術 京大芸人ノート』宝島社) ~


 目標にする人、尊敬する人の「結果」をまねようとするのではなく、その結果にいたる過程を学びたい。その人が、どんな練習をしているのか、どんな生活をしているのか、何を考えているのかを。すると、ただの生徒、受講者、ファンではなく、師匠と弟子の関係になれる。
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見取り稽古

2021年12月14日 | 学年だよりなど
1学年だより「見取り稽古」


 武道の世界に「見取り稽古」という言葉がある。
 実際に技を掛け合ったり、撃ち合ったりする「実地稽古」に対して、他人の技や鍛錬法を「見て」、自分を高めていく稽古法だ。
 自分がどうなりたいかを確かな形にするために、他者の姿を「見る」ことほど有効なものはない。
 見て、真似る。同じにできるようになるまで、繰り返す。
 繰り返し練習して、なかなか身に付かないもどかしさを感じたとき、また見る。
 すると、それまで見えていなかったことに気づく。
 実際に体を動かしていない時間も、稽古していることになる。
 やみくもな実地稽古だけでは到達できないレベルに導いてくれるのが「見取り稽古」だ。
 達人レベルになってくると、自然の何かを見たときに、ひらめくこともある。
 枯れ葉が落ちる様子を技に応用することを思いついたり、猫の身のこなしから動きのインスピレーションを得たりする。
 人も自然も、自分以外のすべてのものを、自分を高める材料にできるから、「見取り稽古」の概念は、私達を一日中「稽古」状態にすることを可能にする。
 スポーツや習い事の世界でも同じだろう。
 基礎的な技術は、基本の動きを徹底的に身体にたたき込んでいくことが必要だが、試合や本番のパフォーマンスを決めるのは、イメージをどれくらいもっているかだ。
 実際にそのプレーをしていない時間に、どれだけイメージを作っておくかが大事になる。
 勉強にも「実地稽古」と「見取り稽古」の考えをあてはめてみよう。
 自分でひたすら問題を解く、模試を受けてみるといった実地稽古をしているとき、やっている充実感は得られるだろうが、それだけだとやりっぱなしになってしまう。
 自分で自分を客観視する時間が必要だ。
 「反省」「ふりかえり」の実質は自己の客観化にある。
 そうすることで、問題意識がめばえる。
 ここがダメだったかも、こうすればよかったかな、といった仮説も生まれる。
 仮説をもって「他を見る」のが、最も有効な見取り稽古だ。
 授業中にノートを取るのは、見取り稽古の一種と考えられる。
 教えている人は、教える内容を内面にもち、それを話や文字や図で伝えようとする。
 みなさんも経験があるかもしれないが、人に何かを伝えようとするときに、一番頭を使う。
 漠然とした内容を、言葉や図に具現化するときに、人は最も知性を活性化させるからだ。
 教える人が、脳をフル回転させ板書していく状態を見ながら、ノートに書き取っていく。
 自分もその脳の使い方を真似ている状態になる。
 脳が刺激され、その瞬間に思いついたこと、ひらめいたことを書き留めていったノートは、自分の脳が外化した「分身」になる。
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7dolls

2021年12月13日 | 学年だよりなど
12月12日(日)音楽座ミュージカル吹奏楽コンサート@草月ホール

 演奏曲 「7dolls」「You can't stop the beat」

 ご協力、ご来場ありがとうございました!!
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バージョンアップ

2021年12月10日 | 学年だよりなど
1学年だより「バージョンアップ」


 幼い頃、初めて自転車の乗れた日、補助輪がとれた日のことを覚えているだろうか。
 そんなこともあったけど、はっきりと記憶にはない……という人の方が多い気がする。
 しかし、みなさんは、今自転車に乗れる。
 冬休み中、たとえば年末から三が日にかけて学校が休みで、その期間自転車に乗らなかったら、乗れなくなるだろうか? おそらく大丈夫だ。では一ヶ月乗らなかったなら、1年なら、3年なら?
 かりに10年乗っていなくても、何かの機会にふとサドルにまたがれば、普通にこぎ出せるだろう。
 10年の月日を経た人間は、身体を形成する物質は分子レベルですべて入れ替わっている。
 物質的には、10年前の自分とは別人だ。しかし身体感覚は残っている。
 脳も同じだ。
 たとえば今暗記中の古文単語など、卒業して10年経ったら、忘れてしまうのではないか。
 しかし、覚えようとして、たとえば紙に書いて繰り返し見たとか、電車の中で覚えていたとか、その感覚は残る。
 勉強した内容そのものは忘れても(実際には失われるのではなく、脳の奥底に格納されるのだが)、勉強した身体感覚、脳を働かせた記憶が残る。
 その感覚があれば、新しく別種のものを覚えたり、学んだりすることができる。
 脳内データを増やすことは大事だが、その過程で脳のOSをバージョンアップしていくことこそが大切なのだ。それが今の勉強の、より上位の目的だ。
 高校時代に、受験勉強を通して、脳のOS自体を地道にバージョンアップしていけば、かりに第一志望合格が叶わなかったとしても、そのあとの人生でいくらでも挽回がきく。
 バージョンアップのための具体的作業として最も効果的なのは「ノートをとる」ことだ。
 話を聞いたり、本を読んだりして、新しい知識情報を得た時、手を動かして紙に書いていくことで脳が刺激される。


~ 学生の頃、ちゃんとノートを取り勉強していた人は当時、頭の中にノートを作ることができていたはずです。たとえ社会人になってもそれは自分の中に残っていて、ただ忘れてしまっているだけのように思います。.
 例えるなら、学生時代に野球をやっていた人が、大人になって野球をする機会がなくなったとしても投球フォームを覚えていることと同じです。野球部に所属していないから忘れてしまったかといえば、そんなことはない。体に染み付いたフォームはそのまま残っています。草野球でもなんでもいい、やってみればすぐに体が反応して、それなりにやれるものです。
 このように学生時代に勉強していた人は、たとえノートを取ることから離れていても、文章を書く土台はできています。 (ロザン『人生の悩みを解決する思考術 京大芸人ノート』宝島社) ~


 逆に言うと、今ノートをとる習慣のない人は、大人になる前に終わる。
 授業が始まった時にノートが出ていない状態は、ごはんを食べようとして、箸(はし)もフォークもないのと同じだ。
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