水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

根っこ

2018年06月28日 | 学年だよりなど

  学年だより「根っこ」


 本当に基本的なやり方を身につけていれば、あとは量をこなすだけだが、逆に言うと、量の支えがないと基本そのものも身につかない。
 最終的に、勉強の質は、勉強量が規定する。
 アメトーク「勉強大好き芸人」に、なぜか出演していた新日本プロレスの棚橋弘至選手は、「とにかく体力はあったのでやるだけやった」と語っていた。
 高校3年の夏までは部活動(野球)をとことんやりきる、引退後は体力勝負で勉強するという方針だ。ときには一日20時間勉強したこともあったという。
 船井幸雄氏は、成功する人間の法則の一つとして「大量の経験」をあげている。


 ~ 常人にできない経験を積んでいる。やらされたか、自発的にやったかは別にして、非常識の世界やあきれる世界が、必ずその人の環境や行動に出てくる。 ~


 たとえ「やらされた」ことであっても、徹底してやってみることで、必ずその人の力になるというのだ。
 たとえばスポーツの世界では、科学的なトレーニングの重要性が強調され、練習の効率のよさが考えられるようになっている。「根性でのりきれ!」式の練習が、いい結果を生まないばかりか、体やメンタルを損なう面があることは言うまでもない。
 しかし人間のやることだから、現時点で非科学的な要素だからといって、すべて否定することはできない。効率や科学にこだわるあまり、「がむしゃらに」やる、「ひたすら」やることを軽視したり、意味がないとみるのは危険だ。
 船井氏の会社では、新入社員には、まず徹底的に仕事をやらせ、学ばせてきたという。


 ~ 若い社員に対しては、「仕事と趣味を一致させなさい」と、わたしは常に厳しく言い聞かせることにしている。最近は、仕事人間にたいする風当たりが強い。が、この風潮には、同意できない。「仕事以外に趣味を持って人間性を豊かにせよ」というが、間違いである。仕事とは、人間が社会の中で果たすべき役割・使命である。その仕事に全力を傾けないで、どうして人間性を豊かにすることができようか。役に立てようか。 (船井幸雄『希望』実業之日本社) ~


 大人になってから、自分の力量以上と思われる仕事を強いられたとき、がんばった経験を持っていたかどうかで、取り組み方は変わる。
 問題がおこったときも、「やるだけやってみよう」と取りかかれる人と、理屈をこねて逃げようとする人との二種類に分かれるものだが、それも体験で作られた人間性に基づくものだ。
 一見理不尽に思えることでも、ひたむきに取り組んでみることで、その価値に気づくこともある。 なにより「がんばった」という体験が、「やれるかも」という自信となって体にしみつく。
 運動も勉強も仕事も、根っこは同じだ。

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西部支部研究発表会

2018年06月27日 | 演奏会・映画など

 

  6月27日(水) 西部地区研究発表会@所沢ミューズ 
           11:11演奏 「シャイン・アズ・ザ・ライト」

 

 応援ありがとうございました!

 精進します!!

コメント (3)
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「勉強神経」悪い芸人

2018年06月25日 | 学年だよりなど

    学年だより「 「勉強神経」悪い芸人 」

 

 アメトーク「運動神経悪い芸人」もおもしろい。しゃべりが達者で、人を笑わせることのプロの方々が、運動についてはこんなにも苦手なのかと、視聴者に優越感を抱かせる。
 ときには、少し「やらせ」が入っているのではと勘ぐらせて、虚実皮膜を感じさせたりもする。 自分の苦手なことをここまで「メシのタネ」にしてしまえるしたたかさにも感心させられる。
 下手なのに、とにかく一生懸命であるから、なおさら可笑しい。
 そんな振る舞いをみながら、みなさんも上から目線で見て笑っているのではないだろうか。
 からだの使い方がおかしい、タイミングが全然わるい、ボールをよく見ないとだめだ、もっと腕をふって走らなきゃ … 。しょうがないなあ、運動神経が悪い人たちは、というように。
 もし宇治原さんが、川東の授業風景をみたら、どんな感想をもつだろう。
 我々の授業については棚上げさせてもらうなら、みなさんの姿をみて、「運動神経悪い芸人」さんを想起するようなこともあるのではないか。
 なんか動きがおかしい、書くべきポイントがつかめてない、ていうか書くべきことを書いてない、逆に説明を聴くべきタイミングでのんびり板書を写している … 。
 頭の良い悪いではなく、偏差値の高い低いも関係なく、なんとなく「勉強神経」がよくないなあと見なされてしまうような気がする。
 すぐれたプレーヤーは、「そのこと」をしなくても上手であることがわかる。
 運動をやっている人なら、ワールドカップで選手達がピッチに入ってくるたたずまいで、どれくらいスゴいか想像できてしまい、身がふるえるのではないだろうか。
 逆もしかり。授業が始まってからノートを探しているしぐさをみれば、成績の想像はつく。
 「運動神経が悪い」と言われる動きは、専門家について習えば、すぐに改善する。
 足が遅い、跳び箱が飛べないと悩む小学生でも、専門家に教わればあっという間に上達する。
 ポイントは限られているのだ。
 ものすごくレベルの高そうな技術も、実は基本の組み合わせにすぎないということはある。
 いや、むしろそれが普通かもしれない。イチロー選手が毎日時間をかけて素振りをするのは、そういうことだ。
 「勉強神経」にも同じことがいえる。
 ひょっとして自分は勉強神経がよくなく見えているかもと考えてみよう。
 どこを直せばいいだろうかという意識さえあれば、勉強のやり方はいくらでも上達する。
 能力の有無ではなく、基本的な技術を知らないだけで成績があがらないのだとしたら、もったいないではないか。
 今みなさんが取り組んでいる勉強に、才能がないと理解できないような内容は含まれない。
 言われた手順で問題を解き、ていねいにノートに書いて、できない問題をチェックして … という基本動作の積み重ねで、ほぼすべて解決していく。
 もっとしぼるなら、「どう書くか」「どれだけ書けるか」につきるだろう。
 受身を習わず柔道をするのは危険だ。ルールを知らずにゲームには出られない。
 勉強神経悪い芸人から、勉強大好き芸人に方向転換しよう。

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ミュージカル「ホーム」

2018年06月23日 | 演奏会・映画など

6月23日 音楽座ミュージカルコンサート@町田市民ホール

  「ホーム」「You can't stop the beat」「ありがとうForever」


  ご声援ありがとうございました!!

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勉強大好き芸人

2018年06月22日 | 学年だよりなど

     学年だより「勉強大好き芸人」

  
 アメトークの「勉強大好き芸人」という企画は、非常にためになる(なんらかの方法で観てみるといい)。高学歴の芸人さんたちが、自分の経験をふまえて勉強法を語っていて、どの話も納得出来るものばかりだ。
 なかでも、オリエンタルラジオのあっちゃん(中田敦彦)は、その後、勉強法の本(『大合格』KADOKAWA)まで出版してしまった。(思えば、オリエンタルラジオが「翔鷺祭お笑いライブ」に登場したのは15年ほども前になる。本当にデビュー間もない頃で、10分の持ち時間さえいっぱいいっぱいだったが、まさかこんなになるなんて。当時東高に来た芸人さんたちは、みな直後にビッグになっていった。爆笑問題、タカアンドトシ、品川庄司、ロバート、インパルス、渡辺直美 … 。)
 「ノートをとることに集中しすぎるな」と言うのはフルーツポンチの村上さんだ。
 黒板をきれいにうつすことに力を注ぐのではなく、むしろ黒板に書いてないことをメモるべきだという。
 あっちゃんも、ノートの右側には「先生の大事な発言」を、左側に「黒板に書いてあること」を書くべきだと述べている。
 番組のなかで、ロザン宇治原さんと、パンサー尾形さんが、世界史の授業を30分受けて、ノートの取り方がどう違うのかを見るという企画があった。
 実際にどう違うのか、「アメトーク」のホームページ(http://www.tv-asahi.co.jp/ametalk/news/0033/)に現物があがっている。
 パンサー尾形さんのノートはカラフルで見やすい。ぱっと見では、このノートを書いている人は、そこそこお勉強ができるのではないかと感じるかもしれない。
 それに比べて、宇治原さんのノートは地味だ。


 ~ ロザンの宇治原さんは、授業を聞くことに専念し、色ペンを使わず黒一色のノートで、先生が口頭で言ったことはナナメにメモして区別する、というノートの取り方をしていらっしゃいました。黒板に書いていないけど、先生が途中で言ったことは、※印をつけて、わざとナナメに書いて区別する、という工夫は初めて知りましたが、これいいですね!
 このメモを書かないと意味が分からないところがあるし、黒板に書いたことだけ、そのまま丸写ししても、後から見返して意味が分からないことがある。
 黒板をうつすのを最優先にしがちだけれど、黒板は主役ではなく、授業の補助でしかない。
 黒板がすべてなら、黒板=教科書、ということになるけど、教科書は本として別にあるわけで、教科書を丸写ししても、時間の効率が悪い。
 黒板は、先生の伝えたいことの要点や補足でしかないと思います。 (木村美紀メルマガ「木村美紀が明かす家庭教育の秘策」) ~


 ノートは何のためにあるのか。そもそも授業とは何のためにあるのか。
 教壇からみなさんを見ていて、そんな疑問を抱いてしまうことがある。
 ノートを見返してみたとき、自分の努力が正しい方向に発揮されていると思えるだろうか。

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ジグソーパズル(3)

2018年06月18日 | 学年だよりなど

    学年だより「ジグソーパズル(3)」


  ずいぶん前に、野球評論家の江川卓氏が「3連敗しないチームをつくるのが大事」と言っていたのが記憶に残っている。
 プロ野球の長いシーズンの間には、チームの好不調の波が必ずある。
 打撃陣が好調で、同時に投手陣も開幕以前に想定していたより良い状態になる時期があるかと思えば、主力の何人もが怪我で戦列をはなれてしまうような事態も起こりうる。
 調子の良いときに連勝できるチームをつくることはできる。
 しかし、調子が悪くてもカード3連敗しないチームをつくるのはなかなか難しくて、最終的にシーズンを制するのはそういうチームである、という話だった。
 野球シーズンよりももっと長い、高校3年間、大学4年間、人生数十年、という単位を生きることに、この考え方はあてはまるのではないだろうか。
 今一つ調子が出ない時期に、何連敗もしない状態の自分であること。
 人間だから好不調の波は必ずある。
 やることなすことうまくいく時期もあれば、何をやっても裏目に出る時期もあるかもしれない。
 そんな時でも、やけをおこさずに地道な日常を積み重ねていけるかどうか。
 そういう自分をつくるためにこそ、高校生活はあるのだろう。
 勉強で言えば、調子がでない時期でも「勉強ゼロの日をつくらない」こと。
 小さなピースを集め続けていることだ。
 そんな毎日は、外から見れば、変わりばえのない日常だ。
 しかし自分の意識のなかで、大きな絵を完成させるイメージがあれば、マンネリではなくなる。


 ~ 毎日決められたメニューをこなす、言われたことをただやるというのでは、やる気が出ないときもあるでしょう。しかし、一つひとつの練習に意味を持たせて、一つでも欠けると本番で最高のパフォーマンスを発揮できない、と自分に言い聞かせて、どんなに小さなトレーニングでも集中して取り組むことが大事です。 (鏑木毅『プロトレイルランナーに学ぶ やり遂げる技術』実務教育出版)
 ~


 今のみなさんは、高校の勉強や部活にも、ずいぶん慣れてきて、かるく手を抜く方法も身につけつつあるようにも見える。「工夫」と「手抜き」とは違う。
 家に帰ったらへとへとで、「今日はあえて勉強しないで、体を休めて明日に備えよう!」というような理屈を思いつく日はきっとあるだろう。「土日にがっつりやろう」などと思いながら、日曜がくると「やっぱ日曜は身体を休めなきゃな」と自分に言い聞かせてしまう。
 やらない理由を考えさせることにおいて、人間は天才的な能力をもつ。
 30分でもいい。必死で机に向かい、結果的に5分でおちてしまったとしても、ゼロよりは無限大によい。小さなピースをはめつづけることが、目標に向かって進んでいるということだ。

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疎外感

2018年06月18日 | 教育に関すること

福島で長く行われていた向山洋一先生の「QA講座」に何度か参加したことがある。
 資料やノートをどこにしまったかさえわからなくなった今でも、記憶に残っている向山先生のお言葉がある。
「先生が準備してやればいいんじゃないですか」
 一刀両断だった。
「自分のクラスの子の母親が外国人だ。おたよりを出しても読んでくれない。忘れ物が多くて困る」
 という小学校の先生からの質問に対してだった。
「自分の妻と子供がたとえば中国で暮らすことになった。言葉もわからない。おたよりを見ても、何を持って行くかわからない。子供は学校に行くと、先生や友達から何か言われる。そんな状況を想像できますか?」
「そこまで考えるんですよ。見知らぬ国にやってきて、生活することさえ大変で、学校からのおたよりに対応できるわけないじゃないですか。先生が用意してあげればいいんです、あたりまえじゃないですか」
 質問した先生は、おそらく予想外の答えだった。いや、自分もそうだった。
 仕事に対する考え方をゆさぶられるお答えだったから、今も覚えているのだろう。
 昨日、バスケットボールの試合で審判を殴ってしまった高校生の映像をみて、急にこの話を思い出した。
 スマホの小さな画面でみただけだから、表情まではわからないが、殴ってコートから逃げるように去って行く彼が、ものすごい疎外感を感じているように思えたからだ。
 もちろん、暴力がいけないことは言うまでもないし、彼に相応の処分が必要なことも論をまたない。
 でも、と思う。
 留学生といっても、ストレスなく勉強できる環境におかれていたのだろうか。
 クラスメイトやチームの仲間とのコミュニケーションはとれていたのだろうか。
 顧問や先生、学校は充分に配慮していただろうか。
 言葉が通じる者同士であってさえ、気持ちを伝え合えないことがあるのは普通だし、そういうことへの耐性ができあがっていない年ごろだ。
 伝え合えない同士が、閉鎖的な空間や集団におかれたときの息苦しさは、大人が想像するよりきびしい。大人も昔はそうだったはずだ。まして、異国の地にやってきて、覚悟して来たとはいえ、思うようにならない日常へのストレスは大きかったにちがいない。
 人を殴っていいという感覚があるとは思えない。わからんけどね。
 だとしたら、部活動を活性化するために、ありていに言えば「勝つために」留学生を連れてくる風潮を、見直さないといけないし、彼個人の問題にして問題を語るのだけは間違っている。

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ジグソーパズル(2)

2018年06月14日 | 学年だよりなど

  学年だより「ジグソーパズル(2)」


 主人公が、絶望的に強い敵と戦っている。
 武器を奪われ、仲間は人質になり、得意技も封じられ、完全に崖っぷちに追い込まれている。
 さすがのヒーローも、今度こそ本当にだめかもしれない … 。
 映画やマンガや小説で、そんな場面が数限りなく描かれてきた。
 絶対絶命のピンチに追い込まれたその瞬間、主人公の脳裏に、ある光景が浮かぶ。
 なんでもない一場面だ。
 一週間前、小さな女の子が手放してしまった風船が空に舞い上がっていく様子。
 幼いころ、おじいちゃんに習った洗濯物の干し方。
 三日前に食べたラーメン屋さんで、おやじさんが言った一言。
 そうだ! その手があった! 主人公の脳内に何かがスパークする … 。
 三日前や一週間前に何でもなかった、とるにたりないことが、今の瞬間の自分の窮地を救ってくれるヒントとなって立ち上がってくる。 
 「まさか、こんな意味があったとは」とみている方は驚いたり、膝を叩いたりする。
 作品のなかでのそれらのピースは、作者が巧妙にばらまいたものだ。
 フィクションではない実人生においても、何でもない日常の一ピースが、あとで重要な意味をもって立ち現れることがある。
 神様がこっそりと事前にばらまいてくれたとしか思えない。


 ~ 僕は40歳まではサラリーマンをしながらトレイルランニングのレースに参加していました。まとまった練習時間は週末しかとれないので、平日は昼休みの30分、終業時間から残業を始めるまでの20分という時間もムダにせず、周辺をダッシュしたり、階段を昇り降りしたりしていたので、短時間で集中するのは慣れています。プロトレイルランナーとなったいまも、全国各地で開催されるイベントやセミナー、取材でふだん忙しくしているので、移動先のちょっとした時間もうまく利用して、小さいピースをどんどん積み上げる。それが一番合理的なやり方だと思っています。
 仕事でも、毎日決まりきったルーティンワークばかりしていると、同じ作業の繰り返しに埋没してしまって、自分が本当に成長できているか実感できないという人も多いはず。
 でも、一つひとつの作業に意味を見出して、集中して取り組んでいれば、たとえメールを一通返信するだけでも、そこから信頼関係を築くことができます。資料作成も、会議も、上司への報告も、一つひとつに意味があって、自分はつねにステップアップしていくんだというイメージを持っていれば、頭を使わずただ「こなす」ことにはなりません。どんなに小さなことでも、毎回誠実に取り組むこと。パズルのピースが一つでも欠けていたら、目指すゴールには到達できないのです。 (鏑木毅『プロトレイルランナーに学ぶ やり遂げる技術』実務教育出版) ~


 自分のちょっとした経験や、誰かの何気ない一言が、「しておいてよかった」「聞いておいてよかった」と後々心から感謝できるものに変わる。
 私たちの日常は、そのような無数のピースを組み合わせて成り立っていく。

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壮行会

2018年06月13日 | 日々のあれこれ

6月13日 全国高校総合文化祭壮行会@埼玉会館

 演奏曲 「ディスコ・キッド」 映画「ヘアスプレー」メドレー

 応援ありがとうございました!!

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ジグソーパズル

2018年06月11日 | 学年だよりなど

  学年だより「ジグソーパズル」


 「トレイルランニング」という競技がある。「山岳マラソン」と訳されることもあるが、オフロードのコースを長く走ることを広くこう呼ぶのがふつうだ。
 その最高峰のレースは「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(UTMB)」。100マイル(約160㎞)の山道を一昼夜かけて寝ないで走り続ける。
 その名のとおり、ヨーロッパの名峰モンブランの周囲にコースが設けられ、標高2500m級の山を10個分ほど上り下りすることになる。
 トレイルランナーにとってはあこがれのレースだが、資格をクリアした上級者しか参加できず、それでも完走率は3割を切る年もあるという。
 冷静に考えたなら、フルマラソン4回分を、山岳地帯で、休まずに走り続けるレースというのは、私たちからすれば、「あのぉ…、あたまおかしくないですか?」と聞きたくなるレベルではないだろうか。このレースに6回出場し、2009年には世界3位となった鏑木毅氏は、50歳を間近にひかえた今も、プロのトレイルランナーとして活躍している。


 ~ 100マイル(約160キロ)を完走するためには、膨大なトレーニングが必要です。毎日同じようなことを繰り返しているように見えて、実は、一個一個の練習に意味があります。
 ジグソーパズルのピースが一つでも欠けるとパズルが完成しないように、一見無意味な反復動作であっても、それぞれきちんと意味があって、ムダなトレーニングは一つもない。どんなに忙しい状況でも、細切れの時間を使って小さなピースを積み上げ、少しずついろいろな形ではめ込んでいく。アスリートはそういう作業を延々と続けているわけです。
 毎日同じことをしていると、どうしてもマンネリ化して、自分自身を見失うような状況が必ず訪れます。「いまやっているこれは、本当に意味があるのか?」という疑問が沸き起こり、「このままで目指す到達点に近づけるのか?」「ずっと停滞している、むしろ落ちているんじゃないか?」という不安と闘いながら、それでも気持ちを奮い起こして、自分を追い込んでいかなければ、トレーニングの絶対量を積み上げることはできません。
 たとえば、朝起きて40分間自宅のトレッドミルで走る。それだけ取り出してみたら、どんな意味があるかはわからないかもしれない。でも、毎日そういう一つひとつのルーティンを確実に積み上げることで、どんどん上がっていくイメージを持たないと、モチベーションは保てません。 ジグソーパズルをイメージしているのは、大小さまざまなピースを一個ずつはめ込んでいくことで、着実に完成に近づいていると実感できるからです。 (鏑木毅『プロトレイルランナーに学ぶ やり遂げる技術』実務教育出版) ~


 朝起きて、顔を洗い、電車に乗って、学校に向かう。スクールバスを降りて、おはようと声をかけ、1時間目から6時間目まで授業を受け、着替えてグランドに向かい、へとへとになって帰宅し、夕食、入浴、復習、予習 … 。小さなピースを集め続けて、高校生活ができあがっていく。

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