水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

プレコンクール

2019年07月20日 | 日々のあれこれ
プレコンクール(自由参加)

日時 7月20日(土)15:15演奏予定

会場 パストラル加須(入場無料)
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現実(2)

2019年07月20日 | 学年だよりなど
学年だより「現実(2)」


 1978年、隈研吾氏は事務所を構える。32歳だった。
 ときはバブルの真っ盛りである。若き隈氏にとっては分不相応と思われる依頼が、次から次へと舞い込んできたという。
 しかし、みなさんも知っているように、90年代に入ってバブルがはじける。
 オイルショックの後、「これからは建築の時代じゃない」と言われたのと同じ空気が、日本中に広がった。90年代の十年間、東京での仕事はゼロになってしまった。


 ~  … 皆からよく「嘘でしょう」と言われるんですが、本当の話です。それで「こんなに時間があるのなら、とりあえず心配事はすべて置いて全国のいろいろなところを旅してみよう」と思って。地方の町や村を回り始め、その中でポツポツと小さな仕事をいただくようになったんです。
 94年に手掛けた高知県檮(ゆす)原(はら)町の地域交流施設は「公衆便所でもやってもらえますか」と町長に声を掛けていただいて始まったものです。予算は僅かでしたが、職人さんと酒を酌み交わしながら構想を練り、地場の素材や土壁を最大限に活用することで誰も試みたことのない方法があることが分かってくるんです。どんな小さな仕事でも楽しんでやれる自信がついたのはこの頃ですね。
 それに、地方の木造建築の保存運動などいろいろなことに取り組む中で、「あっ、俺がやりたかったのは、田舎の木を生かした建築だったんだ」ということに気づく機会ともなりました。
… この十年間の体験があったおかげで、僕は仕事が来ないことが怖くありません。身の丈に合ったサイズの仕事さえやっていけば満足できる。仕事がないのは、むしろ一つのチャンスだと前向きに受け止められるようになりました。
 だから、いま講演などを通して学生に言うんですよ。「仕事がないことが君たちにとって一番のチャンスかもしれないぞ」って。忙しい時は期限に追われてあまり考える時間が持てない。仕事がない時こそ、じっくり試したり考えたりできるチャンスだ。それが建築家にとって一番のことなんだと話すと、「そういう話はいままで誰からも教えてもらったことがありません」という答えが返ってきます。僕の話の中で学生が一番頷(うなず)いてくれるのは、実はその部分なんです(笑)。 (隈研吾・栗山英樹対談「磨(ま)すれど磷(うすろ)がず」「致知」4月号) ~


 自分も人生が最初から最後までうまくいったという人は、おそらく誰もいない。
 物事が思うようにならないとき、苦しいとき、つらいとき、不平不満を言うだけなのか、何かのチャンスかもしれないと少しでも思えるのとでは、同じ経験が全く違う意味をもつことになる。
 東京での仕事がなくなったことはかえってチャンスだと、隈氏は地方を旅してまわり、新たな自分を見出すことができた。そのおかげで今の隈研吾氏がある。
 「現実」とは、客観的にそこに存在するものではなく、自分がどう捉えるかによって、その姿が異なる、きわめて主観的なものだといえる。その現実を積み上げたものが、未来の形になる。
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現実

2019年07月19日 | 学年だよりなど
学年だより「現実」


 オリンピックに向けて着々と建設が進む新国立競技場。みなさんも記憶しているように、この競技場の建設プランの決定には紆余曲折があった。最終的には、隈(くま)研(けん)吾(ご)氏のチームによる、和の素材を取り入れたプランが選ばれることとなった。
 今や日本を代表する建築家として世界に知られる隈氏だが、決して順風満帆の人生を送ってきたわけではない。昭和29年、神奈川県生まれ。
 小学4年のときに開催された東京オリンピックでは、父親に連れられて水泳競技を見にいった。その時初めて目にした代々木の体育館に、隈少年は目を奪われた。
 「ここは、どういう人がデザインしたの?」「建築家という仕事があって、丹下健三という有名な人が設計した」と父親が答える。将来は建築科家になりたいという思いが芽生えた瞬間だった。
 東京大学に入学し、自分の目標に向かって迷いなく進もうかとしていた頃のことだった。


 ~ 東大に進んで工学部建築学科で学びました。ところが、入学した途端にオイルショックが起き、「これからは建築の時代じゃないぞ」という空気が学内に漂い始めたんです。僕はもともと壮大なコンクリートの造形美に憧れていました。しかし、70年代はオイルショックに加えて環境保護だとか公害だとか日本国内でいろいろな問題が起きてきました。都心の古い木造建築も次々に消えていきました。
 自分の中で「建築はいまのままでいいのかな」という疑問が湧いてきたのですが、いま思うとその心の変化が起きたことが僕にとってはとてもラッキーでしたね。コンクリートの造形美に熱狂した自分と、そういうものへの反省と自然の大切さを実感した自分と、二つを体験できたのは、その後の建築家人生に大いにプラスになったと思います。
… 僕にはいまでも「このまま建築をやっていていいのか」という悩みがあるんです。それはこの時の感覚がいまだに残っているからでしょうね。人間が生活する上で建築はもちろん大事だけど、一方では環境問題もあるし、建築は税金の無駄遣いという批判もある。目の前の仕事にばかり目を奪われず、そのような問題にもしっかりと意識を向けて、自分自身を醒(さ)めた目で、ちょっと突き放して見てみる。この視点はこれからの建築家には特に必要になってくると思います。 ~


 日本から離れれば新しい世界が見えてくるのではないかと考えた隈氏は、東大大学院を卒業後、アメリカのコロンビア大学に留学した。
 それまで興味がなかった木の建築を学ぶようになると、その魅力に取りつかれる。「和」をいかした建築スタイルの土台は、このころ生まれたという。
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野球応援

2019年07月17日 | 日々のあれこれ
夏の高校野球3回戦

川越東高校vs狭山ヶ丘高校

7月17日 14:30開始予定

朝霞市営球場

応援席:3塁側

 延長10回、3対4で惜敗いたしました

 応援ありがとうございました(_ _)



今年度セットリスト

「校歌」「戦闘開始」「コナン」「インフルエンサー」「You are スラッガー」
「サウスポー」「スパニッシュフィーバー」「アフリカンシンフォニー」
「サスケ」「スピードスター」「サンバデジャネイロ」「ダイナミック琉球」
「銀河鉄道999」「We will rock you」「紅」「夏祭り」
「チャンステーマ1」「チャンステーマ2」「チャンステーマ3」
「カープチャンステーマ」「男の勲章」「東風」「得点」「KEオーレ」
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野球応援

2019年07月15日 | 日々のあれこれ
夏の高校野球2回戦

川越東高校vs北本高校

7月16日 第一試合

上尾市民球場

応援席:1塁側

 12対0で勝つことができました!
 ありがとうございます!!
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自己採点(2)

2019年07月12日 | 学年だよりなど
  2学年だより「自己採点(2)」


 楽天イーグルスで活躍中の高梨雄平先輩が受験したとき、たまたま面接を担当した。
 「将来の夢は何ですか?」という質問に、迷うことなく「プロ野球の選手になることです」と答えた顔を今も覚えている。プロスポーツ選手になりたいという「本気の」言葉を聞いた、最初で最後の経験だ。高校時代、あと一歩で甲子園というところまで勝ち進んだ。早稲田大学時代、リーグ戦で完全試合を達成した。それほどの投手でも、すぐにプロになれるほどは甘くなかった。
 しかし思うようにならないことは、人を成長させる。甲子園に出られなかったからこそ、いまの自分があると、高梨選手自身も語っている。


 ~ ……甲子園に行っていたら、燃え尽きていたんじゃないかな、とも思うんです。大学入学当初は「甲子園に行った人には負けたくない」というモチベーションにもなりましたから。うまくいかない悔しい気持ちが、いいところで生きていると思う。今考えたら甲子園に出られなかったから今の僕があるのかなと思います。もちろん、当時は、甲子園に出たかったですけどね。 (高梨雄平「わが思い出の高校時代」週刊ベースボール別冊夏星号) ~


 物事がうまくいっているときは、おかしているミスに気づけなかったり、見逃したままになったりする。それが結果的に大きな過ちにつながる場合がある。
 「チャンスのあとにピンチあり」「災いを転じて福となす」のいう言葉は、たんなるジンクス、ことわざではなく、合理的に説明できる状態を表すのだ。
 だから、早めに失敗しておいた方が傷口が浅いうちにいろんな手が打てる。


 ~ 万事が好調にいっているというのは、実のところ、あまり良いことではない。
 なぜなら、人は、物事が好調なときには、自分を変えようという気持ちにならないからである。 人は、失敗をするからこそ、「どこをどう改めればいいんだろう?」と反省するのであるし、成長もしていく。万事がうまくいっていたら、そういう気持ちにならず、よくて現状維持しかできないのだ。失敗することに対して、ビクビクする必要はどこにもない。
 むしろ、失敗したときには、「よし、これで次は大丈夫だぞ!」と自分に言い聞かせるようにするとよい。 (内藤誼人『人前で緊張しない人はウラで「ズルいこと」やっていた』大和書房) ~


 人生のきわめて前半を生きているみなさんは、今のうちに極力失敗を重ねておくことが、のちのち有利になるし、メンタルも鍛えられる。失敗は「+2点」だ。


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野球応援

2019年07月11日 | 日々のあれこれ
夏の高校野球1回戦

川越東高校vs岩槻高校

場所:川越初雁球場 

日時:7月11日(木)11:30開始予定

応援席:3塁側

 3対0で勝つことができました!

 ご声援ありがとうございます!!
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自己採点

2019年07月05日 | 学年だよりなど
  2学年だより「自己採点」


 試験おつかれさまでした。答案がかえってくるのを待たず、自分で自分を採点しておこう。
 正しい自己採点の方法は、できた問題は「+1点」、まちがった問題は「+2点」、何も書かなかった問題は「-2点」だ。できた問題は、それが確認できたことをよしとしよう。
 間違った問題こそが自分を成長させるのだから、「+(プラス)」だ。
 書かなかった、答えなかった問題は、チャレンジさえしなかったのだから「-(マイナス)」だ。
 この考え方は、人生全般にあてはまる。


 ~ 「失敗するのがイヤだ」「勝ちっぱなしの人生を歩みたい」
 という人もいるだろうが、何か考え違いをしていると言わざるを得ない。人は失敗を通してしか成長できないのだから、失敗を恐れていたら、成長もできないということである。
 日本だと、会社を興して倒産させた経営者は、悪く評価されてしまう。
 輝かしい経歴にキズがついた、ということになる。
 ところが、アメリカでは、むしろ失敗した経営者のほうが高く評価される。なぜかというと、苦々しい失敗を味わった人は、次は失敗しないようにあらゆることを考え尽し、改善しようとするだろうと期待されるからである。だから、評価も高くなるのである。 ~


 練習して試合に負けることは、人生にとって大きな「+(プラス)」であり、気になる女子の連絡先さえ聞かないのは李徴なみの「-(マイナス)」だ。
 やりたいことにチャレンジしての失敗は、「+」の二乗といえる。


 ~ 失敗することは、決して悪い経験ではない。
 ノートル・ダム大学のスザンナ・ナスコは、293人の大学生に、一ヶ月の期間をあけて、2回の試験を受けさせたことがある。
 このとき、1回目の試験でさんざんな目に遭った学生は、2回目の試験のときにはしっかりと準備をして臨むことが明らかになった。「これはいかん!」と猛省した学生は、2回目の試験で高得点をあげたのだ。
 ところが、1回目の試験でそれなりにできのよかった学生は、安心してしまったのか、2回目の試験では成績が悪くなってしまったのである。
 この実験が示しているのは、人は苦い経験をするからこそ、将来に備えることができるということである。
 逆にいうと、苦い経験を積まなければ、人は伸びることができないのだ。 (内藤誼人『人前で緊張しない人はウラで「ズルいこと」やっていた』大和書房) ~


 同じ試験をもう一回受けたときに、ちゃんとできるようにしておくことを「成長」という。
 「次は頑張ろう」ではなくて、今日やるべきことをやっておこう。
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