水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

共通テスト2021年 古文(1)

2021年01月19日 | 国語のお勉強(古文)
第3問 次の文章は、『栄花物語』の一節である。藤原長家(本文では「中納言殿」)の妻が亡くなり、親族らが亡(なき)骸(がら)をゆかりの寺(法(ほう)住(じゆう)寺(じ))に移す場面から始まっている。これを読んで、後の問いに答えよ。


 出典は、平安時代の歴史物語『栄花物語』より。古文の出典としては、ど真ん中のストレートで、その意味では「試行テスト」で示されていた方向性どおりだ。東大二次でも繰り返し出題されているが、それより本文は難しい気がする。ていうか、古文はやはり難しい。理系の子はなかなか手が回らないだろう。
 もし今自分が高3の古文をもつなら、授業の半分は『栄花物語』か『大鏡』を読みたい。あと『源氏』少しと「歌論」をいくつか読んでおけば、奇を衒わない大学の入試には100%対応できると思う。
 問5で『千載和歌集』との比較問われているのは、複数テクストを出題するとの方針に従うものだろうが、別になくてもよかったなんじゃないかな。


〈本文〉
 大北の方も、この殿ばらも、またおしかへし臥(ふ)しまろばせたまふ。これをだに悲しくゆゆしきことにいはでは、また何ごとをかはと見えたり。さて御車の後(しり)に、大納言殿、中納言殿、さるべき人々は歩ませたまふ。いへばおろかにて(ア)〈 えまねびやらず 〉。北の方の御車や、女房たちの車などひき続けたり。御供の人々など数知らず多かり。法住寺には、常の御渡りにも似ぬ御車などのさまに、僧都の君、御目もくれて、え見たてまつりたまはず。さて御車かきおろして、つぎて人々おりぬ。
 さてこの御忌(いみ)のほどは、誰(たれ)もそこにおはしますべきなりけり。山の方をながめやらせたまふにつけても、わざとならず色々にすこしうつろひたり。鹿の鳴く音(ね)に御目もさめて、今すこし心細さまさりたまふ。宮々よりも思し慰むべき御消(せう)息(そこ)たびたびあれど、ただ今はただ夢を見たらんやうにのみ思されて過ぐしたまふ。月のいみじう明(あか)きにも、思し残させたまふことなし。内裏(うち)わたりの女房も、さまざま御消息聞こゆれども、よろしきほどは、A〈「今みづから」とばかり書かせたまふ 〉。

〈現代語訳〉
 大北の方(亡き妻の母)も、故人と縁故のあった人々も、また繰り返し転げ回って悲しみなさる。このことさえも、悲しく不吉なことだと言わないとしたら、他に何を言うだろうかと思われた。さうして(亡骸を運ぶ)お車の後ろに、大納言殿(斉信)・中納言殿(長家)が乗り、しかるべき方々は歩いて付いていかれる。(その悲しみの大きさは)言葉で表しがたく、〈ア そのまま書き写すことなどできない 〉。
 大北の方のお車や、女房たちの車などをその後ろに引き連れている。お供の人々は数しれず多い。法住寺では、普通のお越しではないお車などの様子を見て、僧都の君も、涙に暮れて、拝見なさることもできない。そうして御車から牛をはずして車をとめ、続いて人々が降りた。
 さて、この服喪の期間は、人々は皆、そこ(法住寺)に籠っていらっしゃらないといけないのだった。(長家は)山のほうをぼんやりと眺めなさると、木々の葉はそれとなく様々に色変わりしている。鹿の鳴く声に目を覚まされて、さらに少し心細さがつのっていく。(彰子や妍子の)姉宮さま達からも、気持ちを慰めくださるお頼りがたびたびあるけれど、今はただ夢を見ているようにばかり感じられて、そのままにして過ごしなさる。月がたいそう明るいのを見ても、思いをとどめなさることはない。宮中の女房も、あれこれとご連絡申し上げるけれど、まずまずの相手に対しては、〈A 長家は「すぐに自分で(行きますから)」とだけお書きになる 〉。
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共通テスト2021年 論理的文章(3)

2021年01月19日 | 国語のお勉強(評論)
10~18〈日本の妖怪観の変容〉前半

10 では、ここで本書の議論を先取りして、B〈 アルケオロジー的方法 〉によって再構成した日本の妖怪観の変容について簡単に述べておこう。
11 中世において、妖怪の出現は多くの場合「凶兆」として解釈された。それらは神仏をはじめとする神秘的存在からの「警告」であった。すなわち、妖怪は神霊からの「言葉」を伝えるものという意味で、一種の「記号」だったのである。これは妖怪にかぎったことではなく、あらゆる自然物がなんらかの意味を帯びた「記号」として存在していた。つまり、「物」は物そのものと言うよりも「記号」であったのである。これらの「記号」は所与のものとして存在しており、人間にできるのはその「記号」を「読み取る」こと、そしてその結果にしたがって神霊への働きかけをおこなうことだけだった。
12 「物」が同時に「言葉」を伝える「記号」である世界。こうした認識は、しかし近世において大きく変容する。「物」にまとわりついた「言葉」や「記号」としての性質が剥ぎ取られ、はじめて「物」そのものとして人間の目の前にあらわれるようになるのである。ここに近世の自然認識や、西洋の博物学に相当する(注)本(ほん)草(ぞう)学(がく)という学問が成立する。そして妖怪もまた博物学的な思考、あるいは嗜(し)好(こう)の対象となっていくのである。
13 この結果、「記号」の位置づけも変わってくる。かつて「記号」は所与のものとして存在し、人間はそれを「読み取る」ことしかできなかった。しかし、近世においては、「記号」は人間が約束事のなかで作り出すことができるものとなった。これは、「記号」が神霊の支配を逃れて、人間の完全なコントロール下に入ったことを意味する。こうした「記号」を、本書では「表象」と呼んでいる。人工的な記号、人間の支配下にあることがはっきりと刻印された記号、それが「表象」である。
14 「表象」は、意味を伝えるものであるよりも、むしろその形象性、視覚的側面が重要な役割を果たす「記号」である。妖怪は、伝承や説話といった「言葉」の世界、意味の世界から切り離され、名前や視覚的形象によって弁別される「表象」となっていった。それはまさに、現代で言うところの「キャラクター」であった。そしてキャラクターとなった妖怪は完全にリアリティを喪失し、フィクショナルな存在として人間の娯楽の題材へと化していった。妖怪は「表象」という人工物へと作り変えられたことによって、人間の手で自由自在にコントロールされるものとなったのである。こうしたC〈 妖怪の「表象」化 〉は、人間の支配力が世界のあらゆる局面、あらゆる「物」に及ぶようになったことの帰結である。かつて神霊が占めていたその位置を、いまや人間が占めるようになったのである。
15 ここまでが、近世後期――より具体的には十八世紀後半以降の都市における妖怪観である。だが、近代になると、こうした近世の妖怪観はふたたび編成しなおされることになる。「表象」として、リアリティの領域から切り離されてあった妖怪が、以前とは異なる形でリアリティのなかに回帰するのである。これは、近世は妖怪をリアルなものとして恐怖していた迷信の時代、近代はそれを合理的思考によって否定し去った啓(けい)蒙(もう)の時代、という一般的な認識とはまったく逆の形である。
16 「表象」という人工的な記号を成立させていたのは、「万物の霊長」とされた人間の力の絶対性であった。ところが近代になると、この「人間」そのものに根本的な懐疑が突きつけられるようになる。人間は「神経」の作用、「催眠術」の効果、「心霊」の感応によって容易に妖怪を「見てしまう」不安定な存在、「内面」というコントロール不可能な部分を抱えた存在として認識されるようになったのだ。かつて「表象」としてフィクショナルな領域に囲い込まれていた妖怪たちは、今度は「人間」そのものの内部に棲(す)みつくようになったのである。
17 そして、こうした認識とともに生み出されたのが、「私」という近代に特有の思想であった。謎めいた「内面」を抱え込んでしまったことで、「私」は私にとって「不気味なもの」となり、いっぽうで未知なる可能性を秘めた神秘的な存在となった。妖怪は、まさにこのような「私」を(オ)〈 トウ 〉エイした存在としてあらわれるようになるのである。
18 以上がアルケオロジー的方法によって描き出した、妖怪観の変容のストーリーである。

注 本草学――もとは薬用になる動植物などを研究する中国由来の学問で、江戸時代に盛んとなり、薬物にとどまらず広く自然物を対象とするようになった。


⑪中世の妖怪

 妖怪の出現……「凶兆」
   ∥
 神秘的存在からの「警告」
   ∥
 妖怪……神霊からの「言葉」を伝えるもの
   ↓
 一種の「記号」
   ↓
 人間……所与の「記号」を「読み取る」 → 神霊への働きかけをおこなう


⑫⑬⑭近世の妖怪

 「物」……「物」そのものとして人間の目の前にあらわれる
    ↓
 近世の自然認識・本草学の成立
    ↓
 妖怪……博物学的な思考・嗜好の対象

 「記号」……約束事のなかで作り出すことができる
    ∥
人間のコントロール下
    ↓
 「表象」……形象性、視覚的側面が重要な役割を果たす「記号」

 妖怪の表象化 = キャラクター化
    ↓ リアリティの喪失
 フィクショナルな存在・娯楽の題材

問4 傍線部C「妖怪の表象化」とは、どういうことか。→対比・変化の把握。「やや易」

 ① 妖怪が、人工的に作り出されるようになり、神霊による警告を伝える役割を失って、人間が人間を戒めるための道具になったということ。
 ② 妖怪が、神霊の働きを告げる記号から、人間が約束事のなかで作り出す記号になり、架空の存在として楽しむ対象になったということ。
 ③ 妖怪が、伝承や説話といった言葉の世界の存在ではなく視覚的な形象になったことによって、人間世界に実在するかのように感じられるようになったということ。
 ④ 妖怪が、人間の手で自由自在に作り出されるものになり、人間の力が世界のあらゆる局面や物に及ぶきっかけになったということ。
 ⑤ 妖怪が、神霊からの警告を伝える記号から人間がコントロールする人工的な記号になり、人間の性質を戯画的に形象した娯楽の題材になったということ。

 ①「人間が人間を戒めるための道具になった」、③「人間世界に実在するかのように感じられるようになった」、④「人間の力が世界のあらゆる局面や物に及ぶきっかけになった」、⑤「人間の性質を戯画的に形象した娯楽の題材になった」が×。②が正解。

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共通テスト2021年 論理的文章(2)

2021年01月19日 | 国語のお勉強(評論)
6~9〈方法論〉

6 妖怪に対する認識の変容を記述し分析するうえで、本書ではフランスの哲学者、ミシェル・フーコーの言う「アルケオロジー」の手法を(ウ)〈 エン 〉ヨウすることにしたい。
7 アルケオロジーとは、通常「考古学」と訳される言葉であるが、フーコーの言うアルケオロジーは、思考や認識を可能にしている知の枠組み――「エピステーメー」(ギリシャ語で「知」の意味)の変容として歴史を描き出す試みのことである。人間が事物のあいだにある秩序を認識し、それにしたがって思考する際に、われわれは決して認識に先立って「客観的に」存在する事物の秩序そのものに触れているわけではない。事物のあいだになんらかの関係性をうち立てるある一つの枠組みを通して、はじめて事物の秩序を認識することができるのである。この枠組みがエピステーメーであり、しかもこれは時代とともに変容する。事物に対する認識や思考が、時間を(エ)〈 ヘダ 〉てることで大きく変貌してしまうのだ。
8 フーコーは、一六世紀から近代にいたる西欧の「知」の変容について論じた『言葉と物』という著作において、このエピステーメーの変貌を、「物」「言葉」「記号」そして「人間」の関係性の再編成として描き出している。これらは人間が世界を認識するうえで重要な役割を果たす諸要素であるが、そのあいだにどのような関係性がうち立てられるかによって、「知」のあり方は大きく様変わりする。
9 本書では、このアルケオロジーという方法を踏まえて、日本の妖怪観の変容について記述することにしたい。それは妖怪観の変容を「物」「言葉」「記号」「人間」の布置の再編成として記述する試みである。この方法は、同時代に存在する一見関係のないさまざまな文化事象を、同じ世界認識の平面上にあるものとしてとらえることを可能にする。これによって日本の妖怪観の変容を、大きな文化史的変動のなかで考えることができるだろう。


⑥⑦⑧
 ミシェル・フーコーの「アルケオロジー」
   ∥
 知の枠組み(エピステーメー)の変容として歴史を描き出す試み
    ↓
  西欧の「知」の変容
    ∥
 「物」「言葉」「記号」「人間」の関係性の再編成

⑨⑩
  妖怪観の変容
    ↓
 「物」「言葉」「記号」「人間」の布置の再編成として記述 = アルケオロジー的方法


問3 傍線部B「アルケオロジー的方法」とは、どのような方法か。→ 言い換え部分を見つける。「標準」

 ① ある時代の文化事象のあいだにある関係性を理解し、その理解にもとづいて考古学の方法に倣い、その時代の事物の客観的な秩序を復元して描き出す方法。
 ② 事物のあいだにある秩序を認識し思考することを可能にしている知の枠組みをとらえ、その枠組みが時代とともに変容するさまを記述する方法。
 ③ さまざまな文化事象を「物」「言葉」「記号」「人間」という要素ごとに分類して整理し直すことで、知の枠組みの変容を描き出す方法。
 ④ 通常区別されているさまざまな文化事象を同じ認識の平面上でとらえることで、ある時代の文化的特徴を社会的な背景を踏まえて分析し記述する方法。
 ⑤ 一見関係のないさまざまな歴史的事象を「物」「言葉」「記号」そして「人間」の関係性に即して接合し、大きな世界史的変動として描き出す方法。


 ①「その時代の事物の客観的な秩序を復元して描き出す」×
 ③「「物」「言葉」「記号」「人間」という要素ごとに分類して整理し直す」×
 ④「同じ認識の平面上でとらえることで、ある時代の文化的特徴を社会的な背景を踏まえて分析し記述する」×
 ⑤「関係性に即して接合し、大きな世界史的変動として描き出す」×
 ②が正解。
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共通テスト2021年 論理的文章(1)

2021年01月19日 | 国語のお勉強(評論)
第1問 次の文章は、香川雅信『江戸の妖怪革命』の序章の一部である。本文中でいう「本書」とはこの著作を指し、「近世」とは江戸時代にあたる。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に1~18の番号を付してある。

 出典は、香川雅信『江戸の妖怪革命』。「妖怪」をテーマにした文章は、入試評論文として珍しくない。同書から出題された2017年の北海道大学の問題を放課後講習で扱った。コロナ禍でアマビエが脚光をあびたことを踏まえて作られた問題だろう。
 出題型式は、従来のセンター試験とほぼ同じだった。写真や絵、グラフや表と言った、文字ではないテクストは扱われなかった。
 「生徒がつくったノート」という形で、本文とは別のテクストが示されたとはいえ、目新しさはない。
 共通テストの目標として、複数テクストの読解力や高度な思考力を問うことが挙げられていたが、拍子抜け感は否めない。
 センターの過去問を普通に練習してきた子が、ふつうに実力を発揮できる問題という意味では、よかったと言える。


問1は、例年どおり五つの漢字問題。選択肢が4つになったのは大きな変化だ。「標準」

(ア)ミンゾク 民俗 → ③
 ① 楽団にショゾクする 所属
 ② カイゾク版を根絶する 海賊
 ③ 公序リョウゾクに反する 良俗
 ④ 事業をケイゾクする 継続

(イ)カンキ 喚起 → ①
 ① 証人としてショウカンされる 召喚
 ② 優勝旗をヘンカンする 返還
 ③ 勝利のエイカンに輝く 栄冠
 ④ 意見をコウカンする 交換

(ウ)エンヨウ 援用 → ②
 ① 鉄道のエンセンに住む 沿線
 ② キュウエン活動を行う 救援
 ③ 雨で試合がジュンエンする 順延
 ④ エンジュクした技を披露する 円熟

(エ)ヘダてる 隔てる → ③
 ① 敵をイカクする 威嚇
 ② 施設のカクジュウをはかる 拡充
 ③ 外界とカクゼツする 隔絶
 ④ 海底のチカクが変動する 地殻

(オ)トウエイ 投影 → ①
 ① 意気トウゴウする 投合
 ② トウチ法を用いる 倒置法
 ③ 電気ケイトウが故障する 系統
 ④ 強敵を相手にフントウする 奮闘


 本文を読み始める前に、設問にざっと目を通すのは受験国語の大原則。
 定石にしたがうと、問5に示された「ノート1」に、本文の段落分けが載っていることに気づく。
 小見出しまでつけてくれてあるし。
 分け方が問われているわけではなさそうだから、これを参考にして本文の意味段落を把握できる。


1~5〈問題設定〉

1 フィクションとしての妖怪、とりわけ娯楽の対象としての妖怪は、いかなる歴史的背景のもとで生まれてきたのか。
2 確かに、鬼や天狗など古典的な妖怪を題材にした絵画や芸能は古くから存在した。しかし、妖怪が明らかにフィクションの世界に属する存在としてとらえられ、そのことによってかえっておびただしい数の妖怪画や妖怪を題材とした文芸作品、大衆芸能が創作されていくのは、近世も中期に入ってからのことなのである。つまり、フィクションとしての妖怪という領域自体が歴史性を帯びたものなのである。
3 妖怪はそもそも、日常的理解を超えた不可思議な現象に意味を与えようとするミン(ア)〈 ゾク 〉的な心意から生まれたものであった。人間はつねに、経験に裏打ちされた日常的な原因―結果の了解に基づいて目の前に生起する現象を認識し、未来を予見し、さまざまな行動を決定している。ところが時たま、そうした日常的な因果関係では説明のつかない現象に遭遇する。それは通常の認識や予見を無効化するため、人間の心に不安と恐怖を(イ)〈 カン 〉キする。このような言わば意味論的な危機に対して、それをなんとか意味の体系のなかに回収するために生み出された文化的装置が「妖怪」だった。それは人間が秩序ある意味世界のなかで生きていくうえでの必要性から生み出されたものであり、それゆえに切実なリアリティをともなっていた。A〈 民間伝承としての妖怪 〉とは、そうした存在だったのである。
4 妖怪が意味論的な危機から生み出されるものであるかぎり、そしてそれゆえにリアリティを帯びた存在であるかぎり、それをフィクションとして楽しもうという感性は生まれえない。フィクションとしての妖怪という領域が成立するには、妖怪に対する認識が根本的に変容することが必要なのである。
5 妖怪に対する認識がどのように変容したのか。そしてそれは、いかなる歴史的背景から生じたのか本書ではそのような問いに対する答えを、「妖怪娯楽」の具体的な事例を通して探っていこうと思う。


①②
 フィクションとしての妖怪 = 娯楽の対象としての妖怪……近世の中期以降に成立

③日常的な因果関係で説明のつかない現象に遭遇
    ↓
 不安・恐怖 = 意味論的危機
    ↓
 説明できない現象を意味の体系に回収する文化的装置
    ∥
 妖怪……切実なリアリテュイをもつ
    ∥
民間伝承としての妖怪
    ↑
④⑤  ↓
 娯楽・フィクションとしての妖怪……どのように生まれたのか


問2 傍線部A「民間伝承としての妖怪」とは、どのような存在か。→ 言い換えを探す。①を読んだ瞬間に選べるはず。「易」

 ① 人間の理解を超えた不可思議な現象に意味を与え日常世界のなかに導き入れる存在。
 ② 通常の認識や予見が無効となる現象をフィクションの領域においてとらえなおす存在。
 ③ 目の前の出来事から予測される未来への不安を意味の体系のなかで認識させる存在。
 ④ 日常的な因果関係にもとづく意味の体系のリアリティを改めて人間に気づかせる存在。
 ⑤ 通常の因果関係の理解では説明のできない意味論的な危機を人間の心に生み出す存在。

 ①が正解。②「フィクションの領域においてとらえなおす存在」、③「未来への不安を意味の体系のなかで認識させる存在」、④「意味の体系のリアリティを改めて人間に気づかせる存在」、⑤「意味論的な危機を人間の心に生み出す存在」が×。
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