クリーンアクションの後
大阪府元河川室長の吉田さん(平成の大改修の現場を担当された方)に
うどぃの仲間達と狭山池の歴史について、公演をしていただいた。
狭山池の平成の大改修は昭和55年から計画された。
昭和57年に西除川下流で豪雨による被害が起きたことから
昭和61年に治水ダム事業を採択し昭和63年から工事が、始まった。
上流からの豪雨の雨水を多くためるため
深く、掘り下げていく工事で発見されたものは、古い史跡の数々。
今から約1,400年前の616年に作られたこと、
歴史の中で何度も改修が行われたこと、
現在の土木技術と変わらない技術が太古からあったこと など
とても私の稚拙な文では書ききれないすごい内容でした。
当初6年計画だったものが13年もかかった工事は、
それらの重要な太古の遺産を、発掘保存のためにかかった時間とのことでした。
講演の中で驚いた話のひとつは、1,000年以上前、奈良時代に
水はけのため埋められた緑の葉っぱが、当時の緑色そのままで発掘されたことです。
でも、その葉っぱは、空気に触れるとどんどん黒くなっていったそうです。
まるで、浦島太郎の伝説を見たと言ってました。
狭山池博物館に行かれた方は、ご存知でしょうが、土手をそのまま切り取った
オブジェクトを見られたかと思いますが、あのオブジェクトは、博物館より先に
あの場所に設置され、博物館に覆われたそうです。
狭山池の歴史は、南大阪の歴史。
南河内の祖先の稲作をその灌漑で安定した収穫を守っていた。
その歴史を伝える狭山池博物館
一時、閉館も言われましたが、府と市と市民との3つの団体で
運営されていくことになりました。
ぜひ、見に行かれることをおすすめします。
詳しくは、狭山池博物館HPをご参考に
大阪府元河川室長の吉田さん(平成の大改修の現場を担当された方)に
うどぃの仲間達と狭山池の歴史について、公演をしていただいた。
狭山池の平成の大改修は昭和55年から計画された。
昭和57年に西除川下流で豪雨による被害が起きたことから
昭和61年に治水ダム事業を採択し昭和63年から工事が、始まった。
上流からの豪雨の雨水を多くためるため
深く、掘り下げていく工事で発見されたものは、古い史跡の数々。
今から約1,400年前の616年に作られたこと、
歴史の中で何度も改修が行われたこと、
現在の土木技術と変わらない技術が太古からあったこと など
とても私の稚拙な文では書ききれないすごい内容でした。
当初6年計画だったものが13年もかかった工事は、
それらの重要な太古の遺産を、発掘保存のためにかかった時間とのことでした。
講演の中で驚いた話のひとつは、1,000年以上前、奈良時代に
水はけのため埋められた緑の葉っぱが、当時の緑色そのままで発掘されたことです。
でも、その葉っぱは、空気に触れるとどんどん黒くなっていったそうです。
まるで、浦島太郎の伝説を見たと言ってました。
狭山池博物館に行かれた方は、ご存知でしょうが、土手をそのまま切り取った
オブジェクトを見られたかと思いますが、あのオブジェクトは、博物館より先に
あの場所に設置され、博物館に覆われたそうです。
狭山池の歴史は、南大阪の歴史。
南河内の祖先の稲作をその灌漑で安定した収穫を守っていた。
その歴史を伝える狭山池博物館
一時、閉館も言われましたが、府と市と市民との3つの団体で
運営されていくことになりました。
ぜひ、見に行かれることをおすすめします。
詳しくは、狭山池博物館HPをご参考に