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12月20日沖縄ゴザ市で、市民5千人と米兵が衝突する(ゴザ事件)(1970)

2012-12-20 | 今日は何の日

コザ市は米軍嘉手納飛行場と陸軍キャンプを抱え、米軍人・軍属相手の飲食店、土産品店、質屋、洋服店が立ち並び、市民には基地への納入業者、基地建設に従事する土木建築労働者、基地で働く軍雇用員も多かった。事件当時はベトナム戦争の最中で、沖縄を拠点に活動していた米軍関係者の消費活動は著しく、市の経済の約80%は基地に依存、産業構造は第三次産業に著しく偏向し、特に米軍向け飲食店(Aサイン)は「全琉のほぼ3割を占める286軒」が集中していた。

このような経済的助力を受けながらも、沖縄人の間には施政者である米軍に対する不満が鬱積していた。その最たるものが米軍人・軍属による犯罪とそれに対する処分の不十分さである。

 

米軍人・軍属の犯罪 

 

米軍施政下の沖縄において、沖縄の人々には日本およびアメリカの憲法どちらも適用されず、身分的にきわめて不安定な立場に置かれていた。

米軍人・軍属の起こした犯罪の捜査権・逮捕権・裁判権は米軍当局に委ねられており、加害者は非公開の軍法会議において陪審制による評決で裁かれたが、殺人・強盗・強姦などの凶悪犯罪であっても証拠不十分として無罪や微罪になったり、重罪が科されても加害者の本国転勤でうやむやになることも多く、また沖縄の住人の被害者が賠償を受けられることはほとんどなかった。

琉球警察は米軍人・軍属の犯罪への捜査権を持たず、米民政府布令に定められた一定の犯罪で米軍憲兵(MP)が現場にいない場合のみ現行犯逮捕することができたが、加害者の身柄を速やかにMPに引き渡さなければならなかった。また交通事故は現行犯逮捕可能な犯罪に含まれず、加害者が公務外(非番)であってもMPが「外人事件報告引継書」にサインしない限り琉球警察は事件として捜査・逮捕すらできなかった。米軍人・軍属による重大事件や不当判決のたびに、琉球政府を筆頭に立法院、政党、各種団体などは強く抗議し、捜査権・逮捕権・裁判権の移管と被害賠償を強く求めてきたが、なんら改善されなかった。

事件当時の沖縄はベトナムからの帰還・一時休暇の兵士で溢れ、戦地で疲弊した米兵は基地外で酒、薬物、女に溺れた。沖縄での米軍人・軍属による犯罪は、それまで年間500件未満だったものが1958年から増加傾向を見せ、ベトナム派兵が本格化した1965年から1967年には1000件を超え、その後は減少傾向にあったものの、暴動の発生した1970年は960件と急増、そのうち348件がコザ市で発生している。内訳は凶悪犯143件、粗暴犯156件、器物毀棄罪212件で半数以上を占める。これに対し検挙者は436人、検挙率45.3%で、同年の民間犯罪検挙率80%を大幅に下回る。これとは別に交通事故は年間1000件を超え、死傷者は422人に上っている。なにより、加害者が現行犯逮捕されずに基地内に逃げ込めば、琉球警察は手を出せず、MPも追跡捜査をせず事件が迷宮入りする場合が多く、実際に起きた不法行為は上記をはるかに上回る。

このように多くの沖縄の人々が戦後25年にわたり人権を侵害されても泣き寝入りを強いられてきた。その苦しみは日本国憲法下での保護を求め「即時・無条件・全面返還」(基地撤去)を掲げる復帰協の運動にもつながるものだった。

 

復帰合意と沖縄人同士の対立

 

1969年11月21日、佐藤・ニクソン共同声明で日米両国は沖縄の「核抜き、本土並み、72年返還」に合意した。米軍基地を残したままでの頭越しの復帰合意に、前年に初めて公選で行政主席となった屋良朝苗や復帰協など革新系団体は強く反発した。またこれとは逆に、基地関連業者は基地撤去による廃業・失業を恐れ、以前から「即時復帰反対」を訴えていた。

共同声明の2週後の12月4日、米軍は折からのドル危機と沖縄返還を控えた経費削減のため、沖縄人軍雇用員26000人のうち2400人の大量解雇を通告。これに対し沖縄最大の労働組合であった全軍労は強力な解雇撤回闘争で対決するという方針を打ち出し、「首を切るなら基地を返せ」というスローガンのもと、翌1970年1月から48時間、120時間と長時間のストライキをその後も繰り返し展開した。

これに対し米軍はストのたびに、米軍人・軍属・家族に特別警戒警報「コンディション・グリーン(特定民間地域への立ち入り禁止)」さらに「コンディション・グリーン・ワン(実質的な外出全面禁止)」を発令[4]。これは米軍人が民間地において不要のトラブルを避けることが表向きの理由だが、実質的には米軍相手の沖縄人業者の収入源を絶ち、基地周辺の経済を疲弊させることによって、軍の意に沿わない運動に圧力をかける意図があった。

前述のようにコザをはじめとする基地周辺は極端な基地依存経済であったため、自治体の長は全軍労にスト回避を呼びかけ、軍司令官に命令解除を求め陳情を繰り返した。また基地関連業者はAサインバーのボーイを組織、または暴力団を雇い、1月20日には全軍労本部を包囲するなどスト中の労組員に暴力で対峙した。米軍支配に対する不満は共通しているはずの沖縄人同士が、米軍基地を巡り対立する結果となったのである。

 

毒ガス漏洩 

 

米軍はベトナム戦争用の兵器として、コザ市に隣接する美里村(現沖縄市)知花弾薬庫などに致死性の毒ガス(主要成分はイペリット・サリン・VXガス)を秘密裏に備蓄していたが、1969年7月8日ガス漏れ事故が発生、軍関係者24人が中毒症で病院に収容されたことが同月内に米ウォールストリート・ジャーナルの記事で明らかになった。米国外での毒ガス備蓄は沖縄のみで、周辺住民は事故の再発におびえ、島ぐるみの撤去要求運動が起こった。

 

糸満れき殺事件 

 

上記のように米兵の不法行為について法的に保護されない中、沖縄人は事件発生のたびに団結し示威行動で処遇改善を要求するしかなかった。1970年9月18日に糸満町(現・糸満市)の糸満ロータリー付近で、酒気帯び運転かつスピード違反の米兵が歩道に乗り上げて沖縄人女性をれき殺する事故を起こした。地元の青年たちは事故直後から十分な現場検証と捜査を求め、現場保存のため1週間にわたってMPのレッカー車を包囲し事故車移動を阻止した。また地元政治団体とともに事故対策協議会を発足させ、琉球警察を通じて米軍に対し司令官の謝罪・軍法会議の公開・遺族への完全賠償を要求した。

 

暴動発生の月

 

糸満れき殺事件で1970年12月7日に軍法会議は、被害者への賠償は認めたものの、加害者は証拠不十分として無罪判決を下した。沖縄人の多くがこの判決に憤り、12月16日に糸満町で抗議県民大会が開かれた。さらに暴動前日の12月19日には、美里村の美里中学校グラウンドで「毒ガス即時完全撤去を要求する県民大会」(上記の糸満事件無罪判決に対する抗議も決議文に含む)が開かれ、約1万人が参加した。その参加者が集会終了後に、またそれ以外の市民および周辺市町村住民も忘年会などを目的に、事件発生場所に隣接する中の町社交街に多数集まっていた。

 

事件の勃発 

 

1970年12月20日午前1時過ぎ、コザ市の中心街にある胡屋十字路から南に200メートルほどの地点(現サンエー中の町タウン店駐車場前)で、軍道24号線(現在の県道330号線)を横断しようとした沖縄人軍雇用員(酒気帯び)が、キャンプ桑江(CAMP LESTER)の米陸軍病院所属の米軍人(同じく酒気帯び)の運転する乗用車にはねられ、全治10日間ほどの軽症を負う事故が発生した(第1の事故)。現場には5台のMPカーと1台の琉球警察パトカーが出動、負傷者の病院搬送と現場検証、加害者の事情聴取を行った。その間、現場に隣接する中の町社交街から地元住民が集まり始めた。MPによる事故処理に対し「第二の糸満事件にするな」「犯人を逃がすな[5]」と不信・不満を口々に叫び騒然となったが、警察官の機転で加害者はコザ警察署(現沖縄警察署)に移送された。

事故車両の移動が済んだ午前1時35分ころ、現場に沖縄人ガールフレンドを伴った米兵が通りかかり、群集は彼らを挑発的に煽った。MPは2人をMPカーに乗せ移動しようとしたが、群衆はMPカーを取り囲み横転させようとした。他のMP隊員の応援でMPカーは現場から脱出したが、群集は続いて他のMPカーを横転させようとした。

この時点で数百人規模になっていた群集は半ば暴徒と化し、公然と車道に出て、当時黄色のナンバープレートによって区別されていた米軍人・軍属の車両が走行してくると進路を妨害するなどしたため、MPおよび警察官は秩序維持のため応援部隊を要請。そして午前2時10分ころ、反対車線で走路妨害にあった米兵運転の乗用車が、沖縄人運転の民間車両に追突(第2の事故)。暴徒はこれを取り囲み投石、運転手に暴行を加えた。またMPにも投石を始め、MPが退いた後に残ったMPカーを横転させ、火を放った。

隊伍を組み直したMPは午前2時15分ころ拳銃による威嚇発砲を行い、暴行を受けていた運転手を救出。しかし発砲で一旦ひるんだ暴徒はかえって怒りを爆発させ、MPを投石で押し返すとともに、2時30分前後から沿道に駐車中の米軍車両や放置されたMPカーを車道中央へ押し出し、次々と放火した。

 

事件の拡大と収束 

 

午前3時ころには、琉球警察は第三号召集(全警察官1200人の最大動員)を発令、米MPも完全武装の兵員配備を要請したが、暴動発生現場の制圧は不可能と判断しいったん周辺へ退いた。最終的に警察官は約500人[6]、MP・沖縄人ガード(警備員)約300人、米軍武装兵約400人が動員された。また米民政府は午前3時30分、コザ市全域に24時間の「コンディション・グリーン・ワン」を発令した。

なお午前3時30分ころ、第3の交通事故が発生しているが被害者は軽症であった。

暴徒は二手に分かれて進み、約200人が胡屋十字路から西へ約600メートルに位置する嘉手納基地第2ゲートから、火のついた車両を押し立てて基地内へ侵入した。基地内ではゲートに設けられているガードボックスや米人学校が放火された。米軍は威嚇発砲、放水で対抗しそれ以上の基地内への侵入を抑えた。また約2000人が事件発生現場から南西へ約1キロメートル離れた島袋三叉路まで押し出して武装兵と対峙。車両への放火、投石が繰り返され、即席の火炎瓶も使用された。午後5時に米軍はベトナムでも使用していた手投げ催涙ガス弾の使用を許可、暴徒の行動は分断され沈静に向かった。

琉球政府では、屋良朝苗行政主席が東京出張で不在のため、知念朝功副主席が午前5時55分に現地に到着して事態の収拾を指揮した。警察は宣伝カーを繰り出して群集に帰宅を呼びかけ、午前7時30分までに暴動は自然収束した。結果、車両75台以上[7]が炎上し、米軍人40人、沖縄人ガード5人、米軍属16人、地元住民14人、容疑者7人、警察官6人が負傷したが、暴動につきものの民家・商店からの略奪行為は発生しておらず[8]、米軍人・軍属のみを標的にした暴動であった。MPと琉球警察は当日、21人を現行犯逮捕した。

事件上特徴的なのは、政治党派の組織的な指導指揮がなく自然発生的であったこと、また、それまで米軍から利益を得ており、反米・反基地・日本復帰運動に敵対的だったAサインバー・クラブの従業員が、逮捕者も含め積極的に暴動に参加したことである。

 

事件後 

 

事件の報道を受けて、それまで米軍支配に対して鬱屈した感情を抱いてきた沖縄人の多くが快哉を叫んだ。また事件は反米事件として内外に報道され、中国・ソ連の通信社は事件を強く支持する論評を配信した。

逆に、ランパート高等弁務官は暴動当日、民間テレビ局を通じ、暴動を強く非難するとともに、予定されていた毒ガス移送の延期を示唆した。この発言は沖縄人の怒りを買っただけでなく、米本国からも越権行為と批判され、毒ガス移送は予定通り進めることとなった。

日本政府は米側に対し、事件の発生に遺憾の意を表明したうえで、沖繩住民の感情にも十分留意しつつ、再発防止のため原因究明に努め、円滑な沖繩復帰のために建設的な協力を申し入れた。その結果、1971年1月5日、米軍は米軍法会議に琉球政府代表がオブザーバーとして参加することを認めた。

米軍が発令した24時間の外出禁止令は、24日から午後6時からの12時間、翌年1971年2月13日からは午前0時から6時間と短縮されながらも長期に継続された。基地周辺経済への影響は甚大であり、コザ商工会議所の調べでは、事件当日から5日間の外出禁止令により市内で約100万ドルの損失が計上された。

そのような状況下でも全軍労は解雇撤回闘争を継続したが、これに対し日本政府は「基地に反対しながら解雇撤回を求めるのは筋が通らない」と指摘した。1972年5月の復帰までに約7000人が解雇された。

事件を受けて生徒・学生が抗議行動を展開した。12月22日には首里高校で討論集会が開催され、外出禁止令が短縮される12月24日には同高生徒1200人が米民政府に押しかけて抗議を行った。同日、コザ市の国際大学では琉球大学・沖縄大学・国際大学の三大学共闘会100人が「反基地、反軍政、暴動支援集会」を開催後デモに移ろうとして機動隊に解散させられ、さらにそれを聞きつけたAサインバー従業員150人が構内に乱入し学生と小競り合いになった。

毒ガス兵器は、米領土であるジョンストン島へ撤去移送された。第1次移送は1971年1月13日、第2次移送は7月15日から9月9日までの56日間にわたって行われ、周辺住民約5000人が避難生活を余儀なくされた。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/コザ暴動

他には---------------------------------------------

 

 

▲鑑真、6度目の渡航で日本に到着。唐招提寺を開基。建築・彫刻・医薬などを指導(753)

▲ルイ・ナポレオンがフランス大統領に(1848)

▲吉田松陰が松下村塾を開講する。(1857)

▲津軽海峡で最初の霧笛鳴る。本州東海岸の尻屋崎灯台に設置(1879)

▲年賀状郵便の特別扱いが始る(1899)

▲三越呉服店創立。三井との連名で「デパートメントストア」宣言を行う。(1904)

▲伊藤博文が統監となり韓国統監府を置く(1905)

▲東京駅開業により東海道本線起点が新橋から変更(1914)

▲ソ連初の秘密警察「チェーカー」設立。(1917)

▲ミュンヘン一揆を主導した罪でランツベルク刑務所に収監されていたアドルフ・ヒトラーが出所。(1924)

▲大森貝塚を発見したモース没。87歳(1925)

首相官邸デモ事件。首相官邸が在日朝鮮人に襲撃され、警察官に負傷者が出るとともに拳銃が奪われる。(1946)

▲ 臨時石炭鉱業管理法公布。炭鉱が国家管理下に置かれる。(1947)

▲「日本専売公社法」「日本国有鉄道法」公布。(1948)

▲日本著作権協議会が結成(1949)

▲東京・青山に初のボウリング場(1952)

▲プレスリー、兵役に(1957)

▲南ベトナム解放民族戦線結成(1960)

▲フィリピンのタブラス海峡で貨客船ドニャ・パス号が小型タンカービクトル号と接触し沈没。公称で1575人、実際には4000人以上が死亡。(1987)

▲国連総会で麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約(麻薬新条約)が採択。(1988)

▲アメリカ合衆国がパナマに侵攻。(1989)

▲ポルトガルから中華人民共和国へマカオが返還。(1999)

 

誕生:五味康祐(作家 1921) 黒沢久雄(タレント 1945) 

   野田秀樹(劇作家・演出家・俳優 1955) 中山竹通(1959) 

   市井由理(歌手 1972) 桜井幸子(女優 1973)

 

誕生花:パイナップル (Pineapple)   花言葉:完全無欠

 
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12月17日 ペルー日本大使公邸人質事件発生。(1996)

2012-12-17 | 今日は何の日

平成8年12月17日夜、ペルーの首都・リマの日本大使公邸では、青木盛久駐ペルー日本国特命全権大使をホストとして、恒例の天皇誕生日祝賀レセプションが行われていた。宴たけなわの午後8時過ぎ、当時空き家となっていた大使公邸の隣家の塀が爆破され、覆面をした一団がレセプション会場に乱入して、すぐさまこれを制圧・占拠した。一団は、ネストル・セルパをリーダーとするトゥパク・アマル革命運動(MRTA)の構成員14人で、その場にいた青木大使をはじめとする大使館員やペルー政府の要人、各国の駐ペルー特命全権大使、日本企業のペルー駐在員ら約600人を人質に取った。
その後セルパは、「逮捕、拘留されているMRTA構成員全員の釈放」、「国外に退避するまでの人質の同行とそれに対するセーフ・コンダクト」、「アルベルト・フジモリ政権による経済政策の全面的転換」、「身代金の支払い」という4項目の要求を提示した。さらに公邸敷地内に対人地雷を設置するなど、軍及び警察による武力解放作戦に備えた。
当初MRTAは、ペルー政府要人や日本大使館員程度の少数の人質確保を目的としていた。しかし、600人以上という予想以上の多数の人質を確保してしまったため、MRTAは人質になっていたミシェル・ミニグ赤十字国際委員会代表の求めに応じて、早期にフジモリ大統領の母・ムツエを含む女性や老人、子供など200人以上の人質を解放し、その後も継続的に人質を解放した。またアメリカ人の人質も早期解放されたが、これはアメリカ政府が自国民救出を理由に特殊部隊を投入する事を、MRTAが恐れたからではないかとの見方もあった。
それでも、多くのペルー政府要人や軍人、日本大使館員や日本企業のペルー駐在員らが、人質として大使公邸に残された。なお、青木大使は「自分一人だけを人質とし、他の全ての人質を解放してほしい」とセルパに対し訴えたものの、この申し出は拒否された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ペルー日本大使公邸人質事件

他には-----------------------------------

歳の市、羽子板市(~19 浅草寺)

▲蓮華王院(三十三間堂)が完成(1164)
▲江戸幕府に大目付設置(1632)
▲フランスがアメリカ合衆国の初承認国となる。(1777)
▲メキシコシティで太陽の石が発掘される。(1790)
▲ロンドンの帽子屋ボーラーが世界初の山高帽子を製作(1849)
▲臼井六郎が父母と妹の仇を討つ(日本最後の仇討ち)(1880)
▲くるみ割り人形、ペテルブルグ歌劇場で初演(1892)
▲教科書疑獄事件で200名以上が摘発される。(1902)
▲ライト兄弟が動力機の初飛行に成功(1903)
▲最初は軍事目的。日本でスキー開始(1910)
▲南洋諸島が日本の委任統治領となる。(1920)
▲ベートーベン、師走の定番「第九」日本初演(1924)
▲ダグラスDC-3型機が初飛行。(1935)
▲第二次世界大戦・バルジの戦い: マルメディ虐殺事件(1944)
▲衆議院議員選挙法改正公布(大選挙区制・婦人参政権等)(1945)
▲京阪電鉄が戦後初の車内暖房(1952)
▲上野動物園にモノレール登場(1957)
▲アメリカが大陸間弾道ミサイル(ICBM)「アトラス」の発射実験に成功。(1957)
▲呉市交通局の呉市電が廃止。(1967)
▲第17回有馬記念で売上100億円初突破(1972)
▲ロンドンの百貨店ハロッズでIRAによる爆弾テロ、5名が死亡。(1983)
▲千葉県東方沖地震(1987)
▲ナスカの地上絵、古都京都の文化財が世界遺産に登録される。(1994)
▲日本で介護保険法公布。(1997)
▲イラク武装解除問題: 米・英両国共同でイラクに対し砂漠の狐作戦を開始。(1998)
▲京福電気鉄道越前本線列車衝突事故(松岡町)。なお同社は、翌年6月24日にも事故を引き起こす。(2000)
▲取手駅通り魔事件が発生。(2010)
▲ジャスミン革命: モハメド・ブアジジが抗議の焼身自殺を試みる(翌年1月4日に死去)。(2010)

誕生:柳家小三治(落語家 1939) 夏目雅子(女優 1957) TARAKO(声優 1960)
   有森裕子(マラソン選手 1966) 西村知美(タレント 1970)
   牧瀬里穂(女優 1971)

誕生花:さくららん (Honey-Plant)   花言葉:同感

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11月15日坂本龍馬、暗殺される(1867)

2012-11-15 | 今日は何の日

龍馬はそれまで宿舎としていた薩摩藩の定宿であった寺田屋が幕府に目をつけられ急襲(寺田屋事件)されたため、三条河原町近くの材木商鮓屋を京都での拠点にしていたが、慶応3年10月頃には近江屋(醤油屋)へ移った。このことについて薩摩の吉井幸輔は「四条ポント町位ニ居てハ、用心あしく」として土佐藩邸に入れないのであれば薩摩藩邸へ入るよう勧めたが、薩摩藩邸に入る訳にはいかないとして龍馬は近江屋に留まった。
11月15日(12月10日)、夕刻に中岡が近江屋を訪れ、三条制札事件について話し合う。夜になり客が近江屋を訪れ、十津川郷士を名乗って龍馬に会いたいと願い出た。元力士の山田藤吉は客を龍馬に会わせようとするが後ろから斬られた(1日後に死亡)。大きな物音に対し、龍馬は「ほたえな!(土佐弁で「騒ぐな」の意)」と言い、刺客に自分たちの居場所を教えてしまう。刺客は音もなく階段を駆け上がり、ふすまを開けて部屋に侵入した。そして龍馬は額を斬られた(この他、浪士達が二人を斬る前に名刺を渡してから斬ったという説などいろいろな説がある)。龍馬は意識がもうろうとする中、中岡の正体がばれないように中岡のことを「石川、太刀はないか」と変名で呼んだという。その後龍馬は後頭部から背中、再度額を深く斬られたところで刺客のひとりが「もうよい」と叫んで全員立ち去った。龍馬は中岡に「わしは脳をやられちょる。もういかん」と言い絶命した。中岡はまだ生きており助けを求めるが、2日後に吐き気を催した後に死亡した。
凶行時、騒動に気付いた近江屋家人の井口新助が土佐藩邸へ知らせに駆け込んだ。下横目の嶋田庄作が近江屋の門口で刺客が出て来るのを抜刀して待ち構えていた所へ、龍馬の遣いで軍鶏を買いに出ていた鹿野峰吉が戻り、嶋田と共に部屋を確認したところ刺客は既に去った後で、陸援隊の詰所である白川屋敷へ峰吉が知らせに走った。 土佐藩邸から河村盈進と同時に、曽和慎八郎が、続いて谷干城、毛利恭介、薩摩藩の吉井友実、陸援隊士の田中光顕、海援隊隊士の白峰駿馬らが現場に駆けつけた。
なお、近江屋と土佐藩邸の位置関係は、河原町通りを隔てた真向かい(数メートル)であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/近江屋事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/坂本龍馬

他には--------------------------------------------

七五三、きものの日(全日本きもの振興会)、こんぶの日(日本昆布協会)、
かまぼこの日(全国蒲鉾水産加工工業協同組合連合会)、生コンクリートの日、
炉開き、お菓子の日(毎月)


▲コカ・コーラ誕生。最初、鎮痛剤として売られていたコーラ。この日、町のウェイターが間違えて炭酸で割り、今日の味が誕生(1886)
▲東京市が芝と浅草に職業紹介所を開設。日本初の公共職業紹介所。(1911)
▲ジュネーヴで国際連盟の第1回総会が開催。(1920)
▲ドイツでハイパーインフレからの経済立て直しのため、臨時通貨レンテンマルクを発行。(1923)
▲第一回全日本柔道選手権大会(1930)
▲自由民主党結成。保守合同成る(1955)
▲非核三原則制定(1967)
▲沖縄で戦後初の国政選挙(1970)
▲仏のランブイエで第一回先進国首脳会議開く(1975)
▲新潟市で横田めぐみさんが下校途中に北朝鮮の工作員に拉致される。(1977)
▲大阪万博跡地に国立民族学博物館が開館。(1977)
▲上越新幹線が開業。大宮~新潟間が1時間55分に(1982)
▲三井物産マニラ支店長の若王子さん誘拐事件(1986)
▲伊豆大島の三原山が12年ぶりに噴火。(1986)
▲横浜の坂本堤弁護士一家の失踪判明(1989)
▲千島列島沖地震が発生。M7.9。(2006)
▲サイクロン・シドルがバングラデシュ西部に上陸。約5000人が死亡。(2007)

誕生:坂本龍馬(志士1835) 小林久三(作家1935)
   内藤国雄(棋士1939) 中島啓江(歌手1957) 三浦リカ(女優1958)
   小早川毅彦(野球選手1961)

誕生花:おうごんはぎ (Crown Vetch)     花言葉:謙遜

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11月3日沖縄戦で焼失した首里城が復元され、首里城公園が開園。(1992)

2012-11-03 | 今日は何の日

太平洋戦争中の沖縄戦において日本軍が首里城の下に地下壕を掘り陸軍第32軍総司令部を置いたこともあり、1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、27日に焼失したとされる。(今も、龍潭池には、地下壕の入り口や弾痕などが確認できる)さらに日米両軍の激しい戦闘で、首里城やその城下の町並み、琉球王国の宝物・文書を含む多くの文化財が破壊された。宝物庫は奇跡的に戦災を免れたが、中の財宝は全て米軍に略奪された。戦後しばらくして一部が返還され、また所在が明らかになり返還に向け交渉中のものもある。また近年尚家が保有していた琉球王国関連の資財が寄贈され、沖縄県立博物館・美術館などで保管・展示されている。
戦後、首里城跡に琉球大学が置かれたことで、多くの遺構が撤去あるいは埋められたが、首里城の再建は戦後間もなくから多くの人々の悲願だった。
1958年(昭和33年)守礼門が再建されたのを皮切りに円覚寺門など周辺の建築から再建が始まる。
1972年(昭和47年)日本復帰後に国の史跡に指定(1972年5月15日指定)され、城の入り口に当たる歓会門と周囲の城郭が再建された。
1979年(昭和54年)に琉球大学が首里城跡から移転すると1980年代に県および国による首里城再建計画が策定され、本格的な復元がはじまった。
1989年(平成元年)11月より、遺構の発掘調査や昭和初期の正殿改修図面・写真資料、古老の記憶などを元に、工芸家や職人を動員した当時の装飾・建築技術の復元作業が行われて正殿他の再建が始まった。屋根瓦については色についてさえ記録がなく、当時を知る老人を集めて話を聞いても赤~黒まで意見がバラバラで難航した。すでに琉球瓦を生産しているのは奥原製陶ただ1軒だけであり、4代目主奥原崇典の尽力によって首里城の瓦が復元された。
1992年(平成4年)11月2日には正殿を中心とする建築物群、そこへ至る門の数々と城郭が再建され首里城公園が開園した。現在は、首里城を中心とした一帯が首里城公園として整備・公開がすすめられており、正殿の裏側にあたる城郭や建築物群の再建事業も引き続き行われている。
2000年(平成12年)には「首里城跡」(しゅりじょうあと)として他のグスクなどとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録された。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(100番)に選定された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/首里城

他には--------------------------------------

文化の日(国民の祝日,1948)、レコードの日(日本レコード協会)
ハンカチーフの日(日本ハンカチーフ連合会)、文具の日、うるしの日
明治神宮祭

▲手取川の戦いで上杉謙信軍が織田信長軍に大勝。(1577)
▲アメリカ合衆国の大陸軍が解散。(1783)
▲ドーバー海峡を横断する海底ケーブルによるはじめての通信が行われる。(1851)
▲「君が代」、宮中で初めて演奏(1880)
▲東京初のホテル、帝国ホテル開業(1890)
▲第一回体育デー(1924)
▲朝鮮で光州学生事件が起こる。(1929)
▲宮沢賢治が手帳に「雨ニモマケズ」を書き留める。(1931)
▲「類猿人ターザン」帝都座で公開(1932)
▲小西六が国産初のカラーフィルム発表(1940)
▲第二次世界大戦: 日本陸軍が風船爆弾によるアメリカ本土攻撃を開始。(1944)
▲日本国憲法公布(1947年5月3日施行)(1946)
▲物理学者・湯川秀樹、中間子理論の研究により日本人初のノーベル物理学賞受賞(1949)
▲映画「ゴジラ」封切(1954)
▲法隆寺金堂の昭和大修理、20年で完了(1954)
▲船橋に初のヘルスセンター誕生(1955)
▲スプートニク2号で初めて宇宙を飛んだ犬、ライカ犬死す(1957)
▲ドミニカ国がイギリスより独立を宣言。(1978)
▲ミクロネシア連邦がアメリカ合衆国信託統治領から独立。(1986)
▲ジャニーズ事務所のアイドルグループ:嵐がデビュー 。(1999)
▲武豊がJRA史上初となる通算3000勝を達成。(2007)

誕生:武田信玄(戦国時代大名1521) 足利義昭(室町幕府15代将軍1537)
   チャールズ・ブロンソン(俳優1921)
   山口瞳(1926) 手塚治虫(漫画家1928) 西村寿行(作家1930)
   さいとうたかを(漫画家1936) 小林旭(俳優1937) 河原崎健三(俳優1943)
   柄本明(俳優1948) 向井亜紀(タレント1964)

誕生花:ブリオニア (Bryonia)     花言葉:拒絶

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11月1日1952年アメリカがマーシャル諸島で人類初の水爆実験(アイビー作戦:マイク実験)

2012-11-01 | 今日は何の日

マイク実験は史上初の核融合兵器(水素爆弾)の実験であり、テラー・ウラム型に基づく多段階式核融合兵器であった。核融合燃料には液体重水素が用いられている。そのため、極低温に冷却する必要があり、機材は非常に大掛かりで、マイク実験装置は73.8トンもの重量があった。マイク実験の際、直径5kmの火球が出現し、キノコ雲は最大で高さ37km、幅161kmにも達した。実験後、爆弾が設置されたエルゲラブ島は跡形もなく消滅し、直径1.9km、深さ50mにも及ぶ巨大なクレーターが残された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アイビー作戦
水素爆弾は、水素及びその放射性同位体の核融合反応を利用した核爆弾で、兵器としては核兵器の1種である。
原子爆弾を起爆装置として用い、この核分裂反応で発生する放射線と超高温、超高圧を利用して、水素の同位体の重水素や三重水素(トリチウム)の核融合反応を誘発し莫大なエネルギーを放出させる。高温による核融合反応(熱核反応)を起こすことから「熱核爆弾」や「熱核兵器」とも呼ばれる。一般に核出力は原爆をはるかに上回る。なお、中性子爆弾や3F爆弾も水爆の一形態である。
第二次世界大戦後から現在に至る原爆開発競争に参加した国の中でも、水素爆弾を兵器として実用化したのは国際連合の常任理事国であるアメリカ合衆国と旧ソビエト連邦(ロシア)、イギリス、中華人民共和国、フランスのみである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/水素爆弾

他には--------------------------------------------------------------------------

灯台記念日(海上保安庁1949)、犬の日(ペットフード工業会など1987)、
自衛隊記念日(防衛庁)、紅茶の日(日本紅茶協会)、全国家具の日、
本格焼酎の日、紅茶の日(日本紅茶協会)、玄米茶の日、計量記念日(通産省)、
すしの日(全国寿司商環境衛生同業組合連合会1961)、新米穀年度、
省エネルギーの日(毎月)

▲蘇我蝦夷、山背大兄王を襲撃(643)
▲藤原道長の娘・彰子、一条天皇に入内(999)
▲マゼラン一行が、後にマゼラン海峡と呼ばれる海峡を通過。(1520)
▲北野天満宮で豊臣秀吉主催の茶会北野大茶湯が行われる。(1587)
▲ウィリアム・シェイクスピアの『オセロ』がロンドンにて初演。(1604)
▲ウィリアム・シェイクスピアの『テンペスト』がロンドンにて初演。(1611)
▲ロシア・ポーランド戦争: ドミトリー・ポジャルスキー(英語版)率いるロシア国民軍が、ポーランド軍が占領するモスクワを解放。(en:Time of Troubles)(1612)
▲ポルトガルでリスボン大地震が発生。津波と火災による死者10万人。(1755)
▲イギリス議会が北米の植民地13州に対する印紙条例を可決。北米駐在のイギリス軍の費用調達のため。(1765)

▲伊勢から江戸に向かう途中、暴風雨のためにロシアに漂着した大黒屋光太夫が帰国の際にエカテリーナ女帝から紅茶を贈られる(1791)

▲ナポレオン軍がオーストリアに侵攻。(1805)
▲日本初の洋式灯台・観音崎灯台(神奈川県)が建設着工(1868)
▲日本初の石橋、東京・万世橋竣工(1873)
▲官設鉄道の全列車で日本人運転士が乗務開始。(1880)
▲明治座開場式(1893)
▲山手線が神田~上野間の高架線開通で環状運転開始(1925)
▲ラジオ体操放送開始(1928)
▲国産初のオールトーキー映画「大尉の娘」封切り(1929)
▲ラジオ体操、放送開始(1929)
▲南満州鉄道が特急列車あじあ号の運転を開始。(1934)
▲汪兆銘狙撃事件(1935)
▲日本海軍の戦艦「武蔵」が進水。(1940)
▲逓信省・鉄道省・商工省・企画院を廃止し、運輸通信省・軍需省・農商務省を設置。(1943)
▲全国人口調査7199万8104人(1945)
▲日比谷公園にて餓死対策国民大会が開催。(1945)
▲京都・大阪で第1回国民体育大会開催(1946)
▲ 日本で、道路交通取締法改正により、歩行者は右側、車は左側の対面交通に。(1949)
▲特急こだま号運転開始(1958)
▲国民年金法施行。(1959)
▲千円札、聖徳太子から伊藤博文に(1963)
▲国立劇場開場式(1966)
▲八郎潟干拓地への入植開始。(1967)
▲ 第一次オイルショック: トイレットペーパー騒動が発生。(1973)
▲日本教育テレビ(NETテレビ。現在のテレビ朝日)が教育専門局から一般総合局に移行。(1973)
▲読売ジャイアンツが日本シリーズで南海ホークスを破り、史上初の9年連続日本一を達成。(1973)
▲気象庁のアメダスが運用開始。(1974)
▲新札3種発行。一万円福沢諭吉、五千円新渡戸稲造、千円夏目漱石(1984)
▲ソニーがMDプレーヤー1号機、MZ-1を発売。(1992)
▲新「計量法」施行(1993)
▲マーストリヒト条約が発効し、欧州共同体(EC)を元に欧州連合(EU)が正式発足。(1993)
▲食糧管理法廃止。米の生産・流通・販売が自由化。(1995)
▲改正少年法が施行。少年院送致の対象年齢が「14歳以上」から「おおむね12歳以上」へ引き下げられる。(2007)
▲任天堂の携帯型ゲーム機、ニンテンドーDSiが日本国内で発売。(2008)

誕生:萩原朔太郎(詩人1886) 佐治敬三(1919)
   いかりや長介(俳優1931) 大村崑(俳優1931) 
   服部克久(作曲家1936) アダモ(歌手1943) 今陽子(歌手1951) 
   阿川佐和子(キャスター1953) 浜田朱里(1962) 古内東子(歌手1972) 
   ハローキティ(1974)

誕生花:西洋かりん (Medlar)     花言葉:唯一の恋
==========================================================================
*11月*
NOVEMBER:ローマ暦のはじめ3月から9番目(novemはラテン語で9)の月。
【異称】霜月
    「霜降月」が転じて「しもつき」になったという説がある。
【誕生石】トパーズ 
【誕生花】ブバリア、キク
【開花】さざんか、水仙、牡丹、アイリス
【青果】みかん、里芋、じゃがいも
【旬魚】たら、あんこう、いわし
【時候の挨拶】晩秋、深秋、暮秋、向寒、落葉、小春日、初雪、夜寒、冷雨

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10月27日霧社事件(1930)

2012-10-27 | 今日は何の日

1930年10月27日に台中州能高郡霧社(現在の南投県仁愛郷)で起こった台湾原住民による日本時代後期における最大規模の抗日暴動事件。
暴動の直接の原因といわれているのが、1930年10月7日に日本人巡査が原住民の若者を殴打した事件である。その日、巡査は同僚を伴って移動中に、村で行われていた結婚式の酒宴の場を通りかかった。巡査を宴に招き入れようとモーナ・ルダオ(霧社セデック族村落の一つマヘボ社のリーダー)の長男、タダオ・モーナが巡査の手を取ったところ、巡査は宴会の不潔を嫌うあまりステッキでタダオを叩いた。侮辱を受けたと感じたタダオは巡査を殴打した。この殴打事件について警察からの報復をおそれた人々、特にモーナ・ルダオは警察の処罰によって地位を失うことを恐れ、暴動を画策したと言われている。
10月27日、霧社セデック族マヘボ社の頭目モーナ・ルダオを中心とした6つの社(村)の壮丁300人ほどが、まず霧社各地の駐在所を襲った後に霧社公学校の運動会を襲撃した。襲撃では日本人のみが狙われ、約140人が殺害された。
 蜂起の連絡を受けた日本軍や警察は鎮圧を開始した。日本側は10月29日には早くも霧社を奪回した。霧社セデック族側は山にこもり、霧社襲撃の際に警察から奪った武器弾薬を使って抵抗した。
 11月1日の戦闘では暴徒側は日本側の鎮圧に抵抗したが、指揮を取っていたモーナの次男バッサオが死んだ。11月初めにはモーナ・ルダオが失踪し、日本側は親日派セデック族を動員し、11月4日までに暴徒側部族の村落を制圧した。モーナの失踪後は長男のタダオ・モーナが蜂起勢の戦闘を指揮したが、12月8日にタダオも自殺した。12月中に鎮圧軍は現地の治安を完全に回復し、戦闘は終結した。
 日本側は大砲や機関銃、航空機、毒ガス弾(ルイサイト)などの近代兵器を用いて暴動部族を制圧した。味方蕃の戦闘員たちに対しては敵蕃の首級と引き換えに懸賞金が支給された。この措置は日本統治下で禁止されていた首狩りを許可するものであり、懸賞金の対象は蜂起勢の壮丁のみならず、婦女子まで含まれていた。この措置は同族間での凄惨な殺し合いを助長したとされる。
戦闘の中で、700人ほどの暴徒が死亡もしくは自殺、500人ほどが投降した。特にモーナのマヘボ社では壮丁の妻が戦闘のなかで全員自殺する事態となった。 一方、鎮圧側の戦死者は日本軍兵士22人、警察官6人、味方蕃21人であった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/霧社事件

他には---------------------------------------------------
読書週間
●古本祭(東京千代田区・神田古書書店街)

▲寛政の改革、書籍出版取締令に及ぶ(1790)
▲安政の大獄で吉田松陰ら刑死(1859)
▲秋月の乱(1876)
▲横浜で日本初の近代的上水道水開始(1887)
▲浅草・凌雲閣に日本初のエレベーター設置。12階(1890)
▲東京中央放送局、初めて海外に電波を送る(1930)
▲日中戦争: 日本の中支那派遣軍が武漢三鎮を占領。(1938)
▲渡辺選手、小児マヒを克服し国体出場を果たす(1969)
▲日刊ゲンダイ創刊で駅売り夕刊ブーム到来(1975)
▲神社本庁爆破事件。(1977)
▲2005年パリ郊外暴動事件勃発。(2005)

誕生:アイザック・シンガー(1811) セオドア・ルーズベルト(米26代大統領1858)
   大屋政子(1920) 半村良(作家1933) 堀内孝雄(歌手1949)
   渡辺いっけい(俳優1961) 高嶋政伸(俳優1966) 田中実(俳優1966)

誕生花:野ばら (Briar Rose)     花言葉:詩
-------------------------------------------------------------
●アイザック・シンガー
ミシンの発明者。アメリカ人。
ちなみにミシンは日本での呼び名で英語ではソーイングマシン。マシンがなまってミシンになった。

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10月26日伊藤博文が哈爾浜で安重根に暗殺される(1909)

2012-10-26 | 今日は何の日

明治38年(1905年)11月の第二次日韓協約(韓国側では乙巳保護条約と呼ぶ)によって大韓帝国が大日本帝国の保護国となり、韓国統監府が設置されると初代統監に就任した。日本は実質的な朝鮮の支配権を掌握した(広義の日本統治時代として植民地時代35年と保護国時代5年をひとつながりでとらえることもある)。
伊藤は国際協調重視派で、大陸への膨張を企図して韓国の直轄植民地化を急ぐ山縣有朋や桂太郎・寺内正毅ら陸軍軍閥と、しばしば対立した[2]。また、韓国併合について、保護国化による実質的な統治で充分であるとの考えから当初は併合反対の立場を取っていたが、併合方針の閣議決定に反対した形跡は無い(適当ノ時期ニ於テ韓国ノ併合ヲ断行スル事 1909年7月6日)。また統監として日本の政策への韓国国民の恨みを買うことになり、朝鮮人安重根の暗殺テロに繋がった。事件に動揺した親日派と韓国併合を加速させたが、前述の通り、併合方針は事件前の日本閣議で決まっていた。近年発見された伊藤の明治38年(1905年)11月の日付のメモには「韓国の富強の実を認むるに至る迄」という記述があり、これについて伊藤博文研究の第一人者とされる京都大学教授の伊藤之雄は、「伊藤博文は、韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまでであり、日韓併合には否定的な考えを持っていた事を裏付けるものだ」としている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤博文
http://ja.wikipedia.org/wiki/安重根

他には------------------------------

原子力の日(科学技術庁1964)、ふろの日(毎月)

▲江戸幕府、五人組制度を強化(1637)
▲中山みき、天理教をひらく(1838)
OK牧場の決闘(1881)
▲旧ソビエト成立(1905)
▲榎本武揚、死す(1908)
ソロモン諸島の戦い: 南太平洋海戦(1942)
▲日本で、日本国憲法制定に伴い改正刑法を公布。不敬罪姦通罪を廃止。(1947)
仁保事件が起きる。(1954)
▲オーストリア議会が永世中立を決議。(1955)
▲ベトナム共和国成立(1955)
▲文部省による中学生一斉学力テスト実施(1961)
▲茨城県東海村の日本原子力研究所で日本初の原子力発電成功(1963)
▲金沢の兼六園と京都の浄瑠璃寺庭園が特別名勝の指定うける(1964)
▲朴正煕が暗殺される(朴正煕暗殺事件)。(1979)
▲TBSテレビで「3年B組金八先生」第1部が放送開始(1979)
▲JR東日本が上場(1993)

誕生:ミッテラン(仏元大統領1916) 櫻井よしこ(ジャーナリスト1945)
   チャック・ウィルソン(タレント1946) 北方謙三(作家1947)
   小倉久寛(俳優1954) 野村義男(1964) 井森美幸(タレント1968) 
   原田龍二(1970) 佐々木収[moon child](1971) 千秋(1971)
   
誕生花:すいば (Rumex)      花言葉:情愛

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10月16日原油価格21%値上げで、オイルショック起こる(1973)

2012-10-16 | 今日は何の日

1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発。これを受け10月16日に、石油輸出国機構 (OPEC) 加盟産油国のうちペルシア湾岸の6ヶ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ70%引き上げることを発表した。翌日10月17日には、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)が、原油生産の段階的削減を決定した。またアラブ石油輸出国機構(OAPEC)諸国は10月20日以降、イスラエルが占領地から撤退するまでイスラエル支持国(アメリカ合衆国やオランダなど)への経済制裁(石油禁輸)を相次いで決定した。さらに12月23日には、石油輸出国機構(OPEC)に加盟のペルシア湾岸の産油6ヶ国が、1974年1月より原油価格を5.12ドルから11.65ドルへ引き上げる、と決定した。

日本の対策
当時の日本は中東の政治に深く関わってはおらず、イスラエルを直接支援したこともなく、中立の立場であった。しかし、最大のイスラエル支援国家であるアメリカ合衆国と強固な同盟を結んでいたため、イスラエル支援国家とみなされる可能性が高く、急遽三木武夫副総理を中東諸国に派遣して日本の立場を説明して支援国家リストから外すように交渉する一方で、国民生活安定緊急措置法・石油需給適正化法を制定して事態の深刻化に対応した。
さらに石油価格の上昇は、エネルギーを中東の石油に依存してきた先進工業国の経済を脅かした。日本でも、ニクソン・ショックから立ち直りかけていた景気を直撃。前年からの列島改造ブームによる地価急騰で急速なインフレーションが発生していたが、オイルショックにより相次いだ便乗値上げなどにより、さらにインフレーションが加速されることとなった。日本の消費者物価指数で1974年(昭和49年)は23%上昇し、「狂乱物価」という造語まで生まれた。インフレーション抑制のために公定歩合の引き上げが行われ、企業の設備投資などを抑制する政策がとられた。結果、1974年(昭和49年)は-1.2%という戦後初めてのマイナス成長を経験し、高度経済成長がここに終焉を迎えた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/オイルショック

他には-------------------------------------------------------
世界食糧デー(国連食糧農業機関(FAO)1945)、ボスの日

▲藤原鎌足、没(669)
▲フランス革命: ルイ16世妃マリー・アントワネットが断頭台で処刑される。(1793)
▲ウィリアム・T・G・モートンがマサチューセッツ総合病院で世界で初めてエーテル麻酔を使用した手術を行う。(1846)
▲国鉄上野駅開業(1885)
▲49回目の挑戦の末、岩手県釜石にて洋式高炉での出銑に成功。釜石鉱山田中製鉄所が設立され、日本の近代製鉄が始まる。(1886)
▲宝塚温泉発掘。その後、京阪神を代表する温泉地へと発展。(1886)
ウォルト・ディズニー・カンパニー創立。(1923)
李承晩がアメリカから帰国し、南朝鮮の独立建国運動の指導者となる。(1945)
▲天皇・皇后戦後初の靖国神社参拝(1952)
▲中国が原爆実験に初成功(1964)
▲青木功、世界マッチプレー選手権優勝。日本男子初の海外優勝(1978)
北炭夕張新炭鉱ガス突出事故。北炭夕張新炭鉱でガス突出・坑内火災事故。死者93人。(1981)
▲阪神タイガース、21年ぶりの優勝(1985)
▲埼玉医科大学が性同一性障害の女性患者(性自認は男性)に対する性別適合手術を実施(1998)
▲ハワイ島沖地震(英語版)(2006)
▲加古川小2女児殺害事件。(2007)

誕生:二階堂進(政治家1909) 大山のぶ代(声優1936) 阿川泰子(女優1951)
   黄壁洵(ゴルファー1956) 大岡玲(作家1958) 林寛子(タレント1959)

誕生花:こけバラ (Moss Rose)     花言葉:無邪気

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10月15日チャールズ・チャップリン監督・主演の映画『独裁者』が初公開(1940)

2012-10-15 | 今日は何の日

1940年10月15日にアメリカ合衆国で初公開された。1940年当時、アメリカはナチの戦争とはいまだ無縁であり平和を享受していたが、この映画はそんなアメリカの世相からかけ離れた内容だった。ヒトラーとナチズムに対して非常に大胆に非難と風刺をしつつ、ヨーロッパにおけるユダヤ人の苦況をコミカルながらも生々しく描いている。またこの作品は、チャップリンの「最初のトーキー作品」として有名であり、さらにチャップリンの作品の中で最も商業的に成功した作品として映画史に記録されている。
初公開当時ナチス・ドイツと友好関係にあった日本では公開されず、日本初公開はサンフランシスコ講和条約締結から8年後の1960年であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/独裁者_(映画)

独裁者-ラストの演説

I'm sorry but I don't want to be an Emperor. That's not my business.
I don't want to rule or conquer anyone.
I should like to help everyone if possible, Jew, gentile, black man, white.

申し訳ない 私は皇帝になりたくない
支配はしたくない
できれば援助したい ユダヤ人も黒人も白人も

We all want to help one another, human beings are like that.
We all want to live by each other's happiness, not by each other's misery. We don't want to hate and despise one another.
In this world there is room for everyone and the earth is rich and can provide for everyone.

人類はお互いに助け合うべきである
他人の幸福を念願として お互いに憎しみあったりしてはならない
世界には全人類を養う富がある

The way of life can be free and beautiful. But we have lost the way.
Greed has poisoned men's souls has barricaded the world with hate, has goose-stepped us into misery and bloodshed.

人生は自由で楽しいはずであるのに
貧欲が人類を毒し 憎悪をもたらし 悲劇と流血を招いた

We have developed speed but we have shut ourselves in, machinery that gives abundance has left us in want.
Our knowledge has made us cynical, our cleverness hard and unkind.

スピードも意思を通じさせず 機械は貧富の差を作り
知識をえて人類は懐疑的になった

We think too much and feel too little,
more than machinery we need humanity,
more than cleverness we need kindness and gentleness,
without these qualities, life will be violent and all will be lost.

思想だけがあって感情がなく
人間性が失われた
知識より思いやりが必要である
思いやりがないと暴力だけが残る

The aeroplane and the radio have brought us closer together.
The very nature of these inventions cries out for the goodness in men, cries out for universal brotherhood for the unity of us all.
Even now my voice is reaching millions throughout the world, millions of despairing men, women and little children,
victims of a system that makes men torture and imprison innocent people.
To those who can hear me, I say "Do not despair".

航空機とラジオは我々を接近させ
人類の良心に呼びかけて 世界をひとつにする力がある
私の声は全世界に伝わり 失意の人々にも届いている
これらの人々は罪なくして苦しんでいる
人々よ 失望してはならない

The misery that is now upon us is but the passing of greed,
the bitterness of men who fear the way of human progress,
the hate of men will pass and dictators die,
and the power they took from the people will return to the people,
and so long as men die, liberty will never perish.

貧欲はやがて姿を消し
恐怖もやがて消え去り
独裁者は死に絶える
大衆は再び権力を取り戻し
自由は決して失われぬ!

Soldiers, Don't give yourselves to brutes,
men who despise you and enslave you - who regiment your lives,
tell you what to do, what to think and what to feel,
who drill you, diet you, treat you as cattle, as cannon fodder.

兵士諸君 犠牲になるな
独裁者の奴隷になるな!
彼等は諸君を欺き
犠牲を強いて家畜の様に追い回している!

Don't give yourselves to these unnatural men, machine men, with machine minds and machine hearts.
You are not machines. You are not cattle.
You are men.
You have the love of humanity in your hearts.
You don't hate, only the unloved hate. Only the unloved and the unnatural.
Soldiers! Don't fight for slavery, fight for liberty.

彼等は人間ではない! 心も頭も機械に等しい!
諸君は機械ではない!
人間だ!
心に愛を抱いてる
愛を知らぬ者だけが憎み合うのだ!
独裁を排し 自由の為に戦え!

In the seventeenth chapter of Saint Luke it is written "the kingdom of God is within man" -
not one man, nor a group of men - but in all men - in you, the people.

"神の王国は人間の中にある"
すべての人間の中に! 諸君の中に!

You the people have the power, the power to create machines, the power to create happiness.
You the people have the power to make life free and beautiful, to make this life a wonderful adventure.

諸君は幸福を生み出す力を持っている
人生は美しく 自由であり すばらしいものだ!

Then in the name of democracy let's use that power - let us all unite.
Let us fight for a new world,
a decent world that will give men a chance to work, that will give you the future and old age and security.

諸君の力を民主主義の為に集結しよう!
よき世界の為に戦おう!
青年に希望を与え 老人に保障を与えよう

By the promise of these things, brutes have risen to power, but they lie.
They do not fulfil their promise, they never will.
Dictators free themselves but they enslave the people.

独裁者も同じ約束をした
だが彼らは約束を守らない!
彼らの野心を満し 大衆を奴隷にした!

Now let us fight to fulfil that promise.
Let us fight to free the world, to do away with national barriers, do away with greed, with hate and intolerance.
Let us fight for a world of reason, a world where science and progress will lead to all men's happiness.
Soldiers! In the name of democracy, let us all unite!

戦おう 約束を果す為に!
世界に自由をもたらし 国境を取除き 貧欲と憎悪を追放しよう!
良心の為に戦おう 文化の進歩が全人類を幸福に導くように
兵士諸君 民主主義の為に団結しよう!

Hannah, can you hear me?
Wherever you are, look up Hannah.

ハンナ 聞こえるかい
元気をお出し

The clouds are lifting, the sun is breaking through.
We are coming out of the darkness into the light.
We are coming into a new world.
A kind new world where men will rise above their hate, their greed and their brutality.

ご覧 暗い雲が消え去った 太陽が輝いてる
明るい光がさし始めた
新しい世界が開けてきた
人類は貧欲と憎悪と暴力を克服したのだ

Look up Hannah.
The soul of man has been given wings - and at last he is beginning to fly.
He is flying into the rainbow - into the light of hope, into the future,
the glorious future that belongs to you, to me, and to all of us.
Look up hunna. Look up.

人間の魂は翼を与えられていた やっと飛び始めた
虹の中に飛び始めた 希望に輝く未来に向かって
輝かしい未来が君にも私にもやって来る 我々すべてに!
ハンナ 元気をお出し!

http://www.geocities.jp/ryunk/contents/chaplin/last_speech.html
youtube:http://www.youtube.com/watch?v=xl2e69fEFf4

他には-----------------------------------------------------------------------

たすけあいの日(全国社会福祉協議会1965)、新聞週間(日本新聞協会,~21)、
お菓子の日(毎月)

▲中臣鎌足に大織冠と大臣の位を授け、藤原の姓を与える(669)
▲佐藤義家、出家して西行法師となる(1140)
▲教皇領、スペイン、ポルトガルでそれまでのユリウス暦に代わってグレゴリオ暦施行。西暦年数が4の倍数である年をうるう年とすることなどが決定(1582)
▲岡倉天心ら、日本美術院を創立(1898)
▲浅草公園に初の常設水族館開業(1899)
▲ボストンのシンフォニーホールが竣工(1900)
▲大杉栄・荒畑寒村らが平民社を結成、平民新聞創刊(1903)
▲ニューヨーク・ヘラルド紙でウィンザー・マッケイの漫画『リトル・ニモ』の連載開始。(1905)
▲第一次世界大戦: オランダ人ダンサーのマタ・ハリがドイツのスパイ容疑でフランス当局により銃殺。(1917)
▲ドイツ人ゾルゲ尾崎秀実らによるスパイ事件が発覚、尾崎が逮捕(1941)
パンツァーファウスト作戦。ハンガリーでナチス・ドイツと矢十字党によるクーデターが起こる。(1944)
▲日本で治安維持法廃止。(1945)
スマラン事件。ジャワ島スマランで日本軍とインドネシア独立派が武器の引き渡しをめぐり衝突。(1945)
在日本朝鮮人連盟結成。(1945)
▲日本の警察予備隊保安隊に改編される。(1952)
▲英首相チャーチルにノーベル文学賞(1953)
▲アメリカがキューバを海上封鎖し、核ミサイル配備のためのソ連船の入港を阻止。キューバ危機の始まり。(1962)
▲王貞治、史上初の2年連続三冠王(1974)
長崎バスジャック事件が発生。(1977)
▲山口百恵、芸能界引退(1980)
▲メディアワークス(現:アスキー・メディアワークス)設立。(1992)
▲長野県知事選挙で、新人の田中康夫が前副知事・池田典隆を大差で破り初当選。(2000)
▲北朝鮮による日本人拉致問題: 北朝鮮に拉致された日本人5人が帰国。(2002)

誕生:ニーチェ(哲学者1844) 山本権兵衛(1852) 
   オスカー・ワイルド(作家1865) ライシャワー(元駐日大使1910)
   アイアコッカ(1924) 蜷川幸雄(演出家1935) 江波杏子(女優1942)
   リチャード・カーペンター(歌手1946) 清水国明(タレント1950) 
   山川豊(歌手1958)

誕生花:めぼうき (Sweet Basil)     花言葉:よい望み

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10月14日日本父母と先生全国協議会(現在の日本PTA全国協議会)が結成大会(1952)

2012-10-14 | 今日は何の日

第二次世界大戦後、アメリカの占領下で、アメリカの第一次教育使節団の報告書による勧告を元に日本独自の検討を加えて誕生した、PTA活動の全国連絡協議会で、現在公益社団法人移行申請中の社団法人という位置づけになっている。所轄官庁は文部科学省。
日本PTA全国協議会からすれば、完全な小中学校での週五日間授業の実現と、健全な校外生活、少年非行の防止、家庭教育、児童虐待やいじめなどの防止と予防のためとされる活動を行っているがその科学的効果測定はされていない。青少年に好ましくない雑誌・テレビ報道、テレビの俗悪番組と主張する意見表明などである。しかし親世代が「見せた方が良い」と思われるものについても、日Pによる「見せたくない」ランキングに入ることがあり、その点から政治的な圧力の存在や完全には意見を統一できない事実の存在も示唆されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本PTA全国協議会

他には----------------------------------------------------------

鉄道記念日(日本国有鉄道(現・JR)1922)、PTA結成の日、全国育樹祭り

▲水戸藩主光圀(黄門さま)、政界から引退(1690)
▲日英和親条約が締結される。(1854)
▲徳川慶喜、大政奉還を上奏(1867)
▲新橋・横浜間、鉄道開通(1872)
▲祝祭日を定め、休日とすることが決定(1873)
▲フロイトの『夢判断』が出版される。(1900)
▲登山家・小島烏水らが日本初の山岳会を結成。現在の日本山岳会。(1905)
▲第一次世界大戦: 日本海軍がドイツ領南洋諸島の占領を完了。(1914)
▲鉄道開業50年を記念して東京駅北口に鉄道博物館が開館。(1921)
▲監獄を「刑務所」に改称。(1922)
▲A・A・ミルン作の童話『クマのプーさん』が発売。(1926)
▲ドイツがジュネーブ軍縮会議から脱退し、国際連盟からの脱退を表明。(1933)
▲近衛文麿内閣が国際連盟との協力関係終了を閣議決定。(1938)
▲日本占領下のフィリピン(英語版)で第二共和国が成立。(1943)
▲ナチス・ドイツのソビボル強制収容所で大脱走事件発生。(1945)
▲平壌でソ連解放軍歓迎平壌市民大会が開かれ、金日成が初の公開演説。(1945)
▲チャック・イェーガーが操縦するX-1が水平飛行で音速を突破。人類史上初の有人超音速飛行。(1947)
▲ルース台風上陸、本州各地に被害(1951)
▲日本共産党書記長・徳田球一が北京で客死。2年後に公表。(1953)
▲ アリエル・シャロン率いるイスラエル国防軍がヨルダン川西岸のキビヤ村を襲撃。アラブ系住民67名が犠牲。(1953)
▲東京タワーが竣工。(1958)
▲キング牧師、ノーベル平和賞(1964)
▲メキシコオリンピックの陸上男子100m決勝でジム・ハインズが9.9秒を記録。人類で初めて10秒の壁を破る。(1968)
▲長嶋茂雄「巨人軍は永久に不滅です」の名ゼリフを残し引退(1974)
▲大阪にコンサート専用のザ・シンフォニーホールが開館。(1982)
▲日本初の試験管ベビー東北大で誕生(1983)
▲橋本龍太郎蔵相が証券・金融不祥事と富士銀行不正融資事件への元秘書の関与等で辞任。(1991)
▲金丸信衆議院議員が東京佐川急便からの5億円違法献金疑惑で議員を辞職、政界を引退。(1992)
▲札幌市営地下鉄東豊線豊水すすきの駅~福住駅間が開業し全通。(1994)
▲「祝日法」改正法案(ハッピーマンデー法案)が参議院で可決・成立。成人の日・体育の日が1月・10月の第2月曜日に移動。(1998)

誕生:アイゼンハワー(米第34代大統領1890) トニー谷(タレント1917)
   ロジャー・ムーア(1927) クリフ・リチャード(1940)
   白石冬美(タレント1941) 佐藤陽子(バイオリニスト1949)
   渡辺香津美(1953) 旭道山和泰(力士1964) 永作博美(女優1970)
   岩沢厚冶[ゆず](歌手1976)

誕生花:菊(白)     花言葉:真実

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