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語り継ぐ「ひめゆり」の記憶=元学徒ら高齢化、講話終了―沖縄戦から70年節目に

2015-03-22 | 資料

沖縄県糸満市のひめゆり平和祈念資料館で、1989年の開館当初から行われてきた元ひめゆり学徒による講話が22日、最終日を迎えた。高齢化により続けていくことが困難と判断、沖縄戦から70年の節目に引退を決めた。この日、最後の講話を終えた島袋淑子館長(87)は「戦争を知らない人たちにどう話したら分かってくれるかと、焦ったり悩んだりしている。どれだけ伝わったか心配だが、一つのけじめをつけたい」と話した。4月以降は、戦争体験のない若い世代が学徒らの記憶を伝える役割を引き継ぐ。
 「包帯を外すとうじがポロポロ、うみもいっぱい。あまりの悪臭に失神しそうになりました」。今年2月、学徒隊で最高学年だった大見祥子さん(89)が壕(ごう)での看護体験を語ると、修学旅行生ら約200人が入ったホールはしんと静まり返った。
 沖縄本島南部の地図を使い、爆音や兵士のうめき声を再現しながら語る声が静かに響く。撤退命令が出された朝、大見さんは重傷を負った友人を残し、壕を出た。「『誰か助けてちょうだい』と小さな声が聞こえて…」と声を詰まらせた。「戦争って本当に大変なんです」。絞り出すように、何度も繰り返した。
 動員された学徒隊240人のうち、生存者は104人。開館当初27人いた証言員も、今は9人となった。講話は多いときで年間1000回以上に上ったが、2013年度は350回にまで減った。
 後継者育成のため、08年には講話を引き継ぐ説明員らと戦跡を巡った。説明員の1人で同館学芸課の尾鍋拓美さん(33)は「体験者に代われるか不安はあるが、伝えたいという気持ちは同じ。学徒たちの生きざまも伝えていきたい」と話す。島袋館長は「世の中がどんなに変わっても、毅然(きぜん)として平和の尊さを伝えてほしい」と力を込めた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150322-00000041-jij-soci 

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松下幸之助は「教育」をどのように考えていたのか

2012-08-23 | 資料


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120820-00010001-php_s-bus_all&p=2

おとなの責任を果たそう
     
 (前略)
 いつの時代でも、その時々の社会を支え、子供の躾、教育にあたるのはおとなたちである。青少年は、その時々のおとなによって教え、躾けられて成長し、次の時代を担っていく。だから、子供に対するおとなの責任というものは、いつの時代においてもきわめて重い。

 もしおとなに“いまは時代がちがうから、どのように子供を育てていいかわからない”とか、“あまりきびしく言わなくても、大きくなればひとりでに事の道理はわかるだろう”といった、あいまいで、あやふやな態度があるならば、それはおとなとしての責任を放棄した姿ともいえよう。

 そうしたことからも、いま私たちは、改めて子供たちに人間としての規範を教え、躾けることの意義を見直し、その内容を、人間としてのあるべき姿、理想像にもとづいて明確なものにしていかなければならないと思うのである。

 今日のわが国において、規範教育、躾が十分でないことの要因としては、教え躾けるべき内容があいまいになっていることとあわせて、社会全体に、いわゆる甘えの傾向が強くなっていることもあげられよう。

 私たちの社会は、昔とくらべると物もずいぶん豊かになり、生活もそれなりに安定してきている。そうなれば、当然のこととして生きるうえでのきびしさ、苦しさを味わうことも少なくなるから、どうしても考え方が甘くなるという一面が生じてくる。そうした傾向がこの二十年ほどの間に、日本全体としてかなり強まっているように思われる。

 しかもそうした傾向に加え、わが国には、戦後に入ってきた民主主義が一部誤って解釈された結果、自己中心の勝手主義ともいうべきものが広まっている。つまり、民主主義のもとでは、各人の自由、自主性を尊重することが大事だ、ということが言われるあまり、誰が何をしようと勝手だ、他人からとやかく言われることはない、といった自分勝手な姿が少なからず見られるようになっている。

 そのようなことから、子供の教育や躾についても、甘くなってしまって、たとえば、子供が勝手放題をして他人に迷惑をかけても、それをピシッと指摘してたしなめ、正しいあり方を指導していくということが適切になされない。そんな姿が家庭でも学校でも多く見られるのではないだろうか。

 そうした態度についても、私はきびしく反省する必要があると思う。さもないと、甘えの風潮はますます社会全体につのって、日本が国としてたちゆかなくなる危険性も大きいような気がする。
 (中略) 
 今日のように豊かな暮らしの中で、ムリして働かなくても何とか食べていける、欲しいものはだいたいが手に入るという生活を続けていると、ともすれば心身がなまってきて、ちょっとしたきびしさにも耐えられない、ひ弱な体質になってしまいがちである。それは子供にかぎらずおとなでもそうだと思う。

 それだけにお互いの生活が豊かになればなるほど、まずおとな自身がみずからの甘さを反省し、子供に対する躾、教育を意識してきびしくしていく必要があろう。そうでないと、子供の自主独立の精神も育たず、ひ弱な人間が増えることになって、社会全体としての発展も期し得ないことになってしまう。

 残念ながらそうした兆候が、今日のわが国にはかなり見られるのではなかろうか。

 ただ、そうはいっても、きびしく躾けようとするあまり、何のために躾けるのかという肝心の目的が忘れられてしまっては、いわゆる“角を矯めて牛を殺す”ようなことになってしまう。

 躾の目的は、何も人間を窮屈にするためではなく、あくまでもその人を幸せにするところにある。だから、きびしく躾けて、その人をゼンマイ仕掛けの人形のように、一つの型にはめこんでしまうというのではなく、その人間性が生き生きと発揮され、その天分や個性が存分に伸ばされるような躾でなければならない。そこが大切なところで、そこにこそ人間的な躾・規範教育のほんとうの意義があるように思う。

 そうした意味でも、子供の躾、教育にあたっては、おとな自身が、人間として大切な基本は何かということを、しっかりつかんでいなければならないと思うのである。

 それは結局のところ、子供の躾のためには、まずおとな自身の躾が先決ということであろう。昔からよく“子を見れば親がわかる”というが、子供に適切な躾ができていないということは、とりもなおさずその親自身に躾が身についていない、ということである場合が多いように思われる。だから、今日の私たちには、子供に対する躾だけではなく、自分自身や、おとな同士の躾をあらためて見直すことが、求められているといえよう。

 私たちが一人の人間として、あるいは一社会人としての適正な躾を身につけていくとき、これを基盤として人間としての美しく正しい行動が生まれ、自分も他の人も満足できるような好ましい生活態度があらわれてくる。また社会全体としても、そういう人びとの態度が広く養われることによって、自由にして秩序ある姿が生まれ、それが社会の生成発展をもたらして、より程度の高い文化生活を営むことができるようになるのだと思う。 
 (中略)
 今日のように青少年の間にいろいろと問題が生じているということは、その責任の大半が、青少年ではなくおとな自身にある、ということであろう。そのことを私たちは、明確に自覚、反省し、事態の改善に早急に取り組まなければならないと思うのである。

『学校教育活性化のための七つの提言』(PHP研究所)より

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ウラン・再処理

2012-04-22 | 資料

http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65801464.html より引用
2012年4月19日(木)、小出裕章氏が毎日放送「たね蒔きジャーナル」に出演。原子力安全委員会の使用済燃料の再処理コスト計算に関して、分かりやすく説明しています。

小出「はい。ええ…天然に存在している核分裂する物質というものは、ウランしかない、のです。え…ただ、ウランの中でも、核分裂するウランと核分裂しないウランというものがありまして。」

千葉「はい」

小出「核分裂するウラン、235番という番号が付いてるのですが。それはウラン全体の0.7パーセントしかない、のです。」

千葉「ええ」

小出「で…米国は、その核分裂するウランを、なんとか原爆にしようとして、え…ウラン全体の中から、235番というウランだけを、必死で集めるという作業をしました。」

千葉「はい」

小出「それを濃縮と私たちは呼んでいる、のですが。」

千葉「ええ」

小出「その作業を成し遂げて、広島原爆を作りました」

千葉「はい」

小出「しかし、え…ほとんどのウランは、は核分裂しないウランなのであって」

千葉「ええ」

小出「それをなんとか出来ないかということでまた物理学者が別のことを教えたの、です。で…要するに役に立たないウラン…核分裂しないウラン238番という番号が付いているのですが。それに中性子をぶつけることが出来れば、プルトニウムという物質が自然にできる」

千葉「はあ」

小出「で…それもまた実は核分裂するんだと。それで原爆を作った方が手っ取り早いぞということを教えまして。米国は、そちらの方向の原爆開発に力をいれるようになりました。え…そして長崎原爆を作り上げるということをやった、のです。で…では原子力というものをエネルギー源にしようとするとどうなるかということですが。核分裂するウラン、235番のウランは、まあなんといっても0.7%しかない、し、それをいくら使ったところで、原子力はエネルギー資源にならない、ということが初めからわかっていた、のです」

千葉「はい」

小出「ですから、現在、日本もやっている、普通の原子力なんていうものは、エネルギー源にもともとならないもん、だということが、まあ私たちのような専門家の間ではもう、とうの昔からわかっていたことなの、です。」

千葉「すぐに燃料がなくなってしまうということですか」

小出「そうです(苦笑)。はい。もうウランの235なんてのはすぐにもう無くなってしまって。エネルギー源にならないと。いうのはわかっていた、のです。え…そこで、長崎原爆を作ったと同じように、ウラン全体の99.3%を占めている238番のウランの方を、プルトニウムに何とか変えてやることができれば、少しはエネルギー資源になると、考えた、のです」

千葉「はあ」

小出「それで…そのために必要な作業が、高速増殖炉という、特殊な原子炉、をまず作らなければいけませんし。その原子炉の中で、プルトニウムをどんどん効率的に生みだして、それを再処理という工程で、とり出す、プルトニウムを。え…それをまた、次に、高速増殖炉で燃やしながらどんどんどんどん増殖していこうというそういう考え方だった、のです。え…しかし一向に再処理もできませんし、高速増殖炉も、できない、ということで。もう世界中がその路線から撤退してしまっている、のです。ですから日本も早く夢から覚めるべき、なのですけれども。あいかわらず日本というこの国は、再処理だ、高速増殖炉だ、というようなことを言い続けてきてしまったのです。」

千葉「そうですよね。あの、再処理ってのは今、日本では行なわれていないんですよねえ」

小出「はい。もともとですから、原爆を作りたい、ということでプルトニウムをとり出すというのが、その再処理という技術、なのです。え…ですから、極めて高度な軍事技術なのであって。え…外国はけして教えてくれないのですね、そのことを。技術の内容を」

千葉「はい」

小出「それで日本は、さきの戦争に負けましたので。え…いわゆる核技術、原子力技術という点では、もう圧倒的な後進国になってしまいまして。再処理ということも全くできなかった、のです。え…そのためこれまでは、イギリスとフランスに、日本の原子力発電所の使用済燃料を送って、イギリス・フランスに再処理してもらってきた、のです。」

千葉「はあー」

小出「それでもなんとか自分でも再処理をしたいということで。1977年に、え…茨城県の東海村に小さな再処理工場を、フランスにつくってもらって、動かし始め、ました。で…その技術をなんとか日本が、学んで、六ヶ所村に大きな再処理工場を作りたいと、計画していたのですが。とうとう日本ではやっぱり作れないと、いうことで六ヶ所村にも、フランスにつくってもらってきているのですけれども。その再処理工場すらが、一部日本の技術でやろうとしたところで失敗しまして。未だに動かないと、いう状態になってしまっています」

原発のウソ (扶桑社新書)
クリエーター情報なし
扶桑社
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アマワリ

2012-02-14 | 資料

ひさしぶりに読んだ新聞に「琉神マブヤー」の事が書かれていて読んで行くうちに
アマワリの事にも触れていたので、紹介します。

(これが阿麻和利と同一人物かは、不明ですが...)

http://mainichi.jp/select/opinion/ka-ron/

また、こんな昔話が分厚い1975年刊「沖縄県史」の民俗編に紹介されていた。

 後に傑物になるアマワリという子供。農家だが、彼は足が立たず、庭に干した大豆の番をさせられる。ついばむニワトリを追い払おうとするが、ニワトリはしつこい。しかし雨粒が落ち始めると、ニワトリは軒下へ逃げる。家の者らも飛んで帰ってきて、豆をしまう。庭に残したアマワリのことなどニワトリも人間も眼中にないのだ。

 「私より大豆の方が大事か。私はもう誰の力も借りない」。アマワリはすっくと立ちあがって歩み始めた。

 この寓意(ぐうい)をどう読むか。アマワリの深い失意と不信は、一連の沖縄問題をめぐる本土政府の「気のなさ」(としか思えない)に向けられているものに共通していないか。

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対馬丸記念館 寄付減り修繕ままならず

2011-09-18 | 資料

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-09-18_23601/

 子供ら1476人が犠牲になった学童疎開船「対馬丸」の悲劇を後世に伝えようと2004年に開館した対馬丸記念館(那覇市)の運営に黄信号がともっている。事業活動費(運営費)の大半を占める寄付金収入が景気低迷の影響を受けピーク時の3分の1に落ち込み、映像機器や施設のメンテナンスにも影響が出ている。同館は「戦争に巻き込まれた子供たちのためつくられた日本で唯一の平和記念館の灯を消すことはできない」(高良政勝館長)と県に支援を求めている。(知念清張)

 常設展示や光熱費などに充てる事業活動費の大半を占める寄付金はピーク時の08年度1566万円から09年度1060万円、10年度551万円と激減。遺族らでつくる対馬丸記念会会員の会費111万円や入館料収入443万円などを合わせた昨年度の事業活動収入は1154万円で25万円の赤字に転落した。

 語り部の証言映像など、悲惨な体験を分かりやすく伝える3台の映像機器のうち1台は故障。「イヤホンも頻繁に壊れ、映像機器の修理に10万円近くかかる」ため修理のめどがたっていない。また、台風で強い風雨に見舞われると事務所の壁などから水が染み出す。

 「プロジェクターの電照やエレベーター管理費など今後施設維持にかかる費用は増える一方」だという。

 開館当時101枚だった学童の遺影も274枚に増えた。遺族から寄せられる小さく傷みの激しい写真を修復し、パネル展示するためには1枚7千円から1万円ほどかかる。「収集写真が増えるほど運営が厳しさを増す」皮肉な状況だ。戦時中の状況を説明できる学芸員も、配置できない。

 国は企画展などに年間1100万円を補助している。だが、国からの補助金は使途が限定され、運営費には使えない。那覇市も固定資産税など約130万円を免除するなどしているが、県からの支援はない。

 高良館長は県と県議会に陳情書を提出。「不安定な寄付に頼るのは今後の運営を考えた場合極めて厳しい」として、「未来を担う子供たちに平和の種をまき、育むための施設。戦時下で県は学童疎開を強力に推進した。原点に返り、県も戦後処理の一つとして、協力してほしい」と県に運営費の補助を訴えている。

[ことば]

 対馬丸記念館 那覇から九州へ向かった学童疎開船「対馬丸」が1944年8月22日、米潜水艦に鹿児島県悪石島沖で撃沈された悲劇を後世に伝えるため2004年に国が建設費約2億4千万円、展示経費6000万円を支出して開館。年間入場者は1万3594人(2010年度)で増加傾向にある。県は国による慰謝事業として実施されていることや県議会の同意がない限り、財政支援は厳しいとの姿勢を示している。

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沈んだ船の引揚げを要求した家族の願いが報われず、その代償として建てられた記念館だという。米軍からの攻撃が予想されたにもかかわらず強行され、多くの子ども達が今も船と共に南洋に沈んでいる。本土から沖縄への修学旅行のコースにぜひ入らないだろうか。
子ども達のまきこまれた戦争。子ども達の心に深く刻まれると思うのだが

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1982年に作られたドキュメンタリーアニメ youtubeで発見しました

http://www.youtube.com/watch?v=VNmaV7tiDvM&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=HCdfwZC-5Nw

 

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<就学支援金>被災小中高生向け、底突く…文科省積み増しへ

2011-08-18 | 資料

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110818-00000040-mai-pol

毎日新聞 8月18日(木)15時0分配信
 東日本大震災をきっかけに経済的な理由で就学が難しくなった小中高校生向けの就学援助費や奨学金などとして、政府は今年度1次補正予算に113億1300万円を計上したが、既に約98%に当たる111億2300万円分の申請があり、ほぼ底を突いていることが分かった。今年度分の利用見込み6万8140人に対し、7万2980人が申請。子供を持つ被災地の家庭が苦しい生活を強いられている実態が浮かんだ。

 ◇申請すでに111億円

 この制度は震災対応として、生活保護世帯などを対象にした通常の就学援助とは別に創設された。支援は転出先でも受けられる。予算の残額は1億9000万円しかなく、年度途中で今後の申請に対応するのが困難になった。文部科学省は、原発事故が収束していない福島県を中心にさらに申請が増えるのは必至とみて、3次補正予算で積み増しを図る。

 これまでに申請があったのは、高校生向け奨学金1万5532人(40億2700万円)▽小中学生向け就学援助4万3876人(40億600万円)▽私立専修学校・各種学校の生徒向け授業料減免2939人(17億5600万円)▽私立学校の小中高生ら向けの授業料減免6166人(8億9300万円)--などとなっている。

 このうち小中学生向けの就学援助は、学用品費や通学費、給食費などを対象に、学年に応じ年間約11万2000~約22万7000円を目安に支給。小学生2万8901人、中学生1万4975人から申請があった。

 県別では宮城県の2万2071人が最多で、昨年度に通常の制度で就学援助を受給していた1万9991人を上回った。福島県は9209人、岩手県は5093人が申請している。

 文科省によると、原発事故の影響が続く福島県では、転校による児童生徒の分散などによって対象者を把握しきれていないとみられ、申請者が大幅に増える可能性がある。新学期開始に合わせて改めて状況を調査し、3次補正予算案に反映させる。【木村健二】

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中国人が韓国人に対して言いたいこと

2011-08-18 | 資料

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0302&f=column_0302_007.shtml

 イエス・キリストは韓国人だった、サッカーは韓国で生まれた、寿司は韓国人が作り出したなど、韓国人による他国文化の「乗っ取り」は後を絶たない。これは中国文化に対しても同様であり、孔子は韓国人であったなどの主張すも存在する。このブログは反韓感情を持つ中国人ブロガーが韓国人に対しての意見を綴ったものである。以下はその話題のブログより。
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  2008年5月12日、四川大地震が発生した。震源地に暮らしていた中国人が苦難に満ちた生活を強いられる中、世界中の人々は被災者に援助の手を差し伸べた。被災者に寄せられる援助を見て、私は世界中の人々の暖かさを感じていた。

  サムスン(韓国企業)の中国総公司も四川大地震のニュースを知り、資金援助を行おうとしたところ、韓国本部からストップがかかったという。しかもその理由は「13億の人口を抱える中国でわずか1万人が死んだところで資金援助の必要はない」だそうである。日本ですら資金の寄付をしてくれたというのに、韓国人には人間の心が無いのだろうか?

  韓国の小学校で使用されている歴史の教科書には、中国の多くの地方は韓国のものと明記されている。韓国人の話に基づけば、中国の東北部の3つの省は韓国領で、さらに私も韓国人であり、明王朝の創始者である朱元璋や、孔子も韓国人なのだそうだ。ネット上には「台湾を叩く人には10元を、日本を叩く人には100元を、韓国を叩く人には命を捧げる」との書き込みがあったが、これは多くの中国人の気持ちを代弁したものであろう。

  韓国はなぜ中国を恨むのだろうか?中国は韓国人の嫌いな国ランキングで日本に次ぐ第二位にランクされている。中国人と韓国人が互いに反目しあってからわずかに数年しか経っていないにもかかわらずである。韓国による度重なる中国文化の強奪は中国人を憤怒させ、その怒りは韓国人の心を冷やすのであった。

  中国はこれまで韓国の悪口を言った事がなかったばかりか、韓国文化の偉大さを賞賛してきたが、韓国人は好き勝手に我々中国人の悪口を語ってきた。我々はその悪口を気にとめたりはしないが、一言だけ言っておきたいことがある。それは韓国人が何をしても何を言っても、韓国人の所有でないものはいつになっても韓国人のものにはならないということである。
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(出典:ゞ落〓丶勁〓?BLOG意訳編集担当:畠山栄)

※ 中国人の間では「文化を横取りする」などとして韓国に対する反発が高まっている。2005年に韓国の「江陵端午祭」がユネスコの無形文化遺産に登録されたことなどが発端とみられるが、その後は、韓国人が「漢字は韓国人が作った主張」、「孔子は韓国人だったと主張」などと、根拠があいまいなままの報道や、電子掲示板への書き込みが相次いだことも、韓国人への反発をあおった。韓国のテレビ局が8月の北京五輪大会のリハーサルを無断で放送したことでも、中国では韓国を非難する声が相次いだ。

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森村誠一「夕映えの殺意」より

2011-08-14 | 資料

旧満州国が崩壊した後の、日本人の悲惨な運命です。

大日本帝国は満州(中国東北部)の農民から、土地を安い金額で半強制的に同意させ買収しました。このため敗戦後現地の中国人から、残忍な仕返しを受けます。

日本の入植者の中には、半強制的に安い値段で取り上げた土地だという事を知らない人もいました。

また自力で荒地を開拓して入植した方々もおられた事を、日本人の名誉のために付け加えておきます。

しかし満州国崩壊後は、荒地を開拓した日本の入植者たちも、中国人たちに殺されています。


この辺の事情は旧日本軍の731部隊の告発で名高い、左翼の作家・森村誠一さんの「夕映えの殺意」に描写されています。


「(だまして)武装解除させた裸の開拓民に(中国人の)暴徒は襲いかかった。石を投げ、木槍で渡り合う抵抗も束の間、押し寄せる暴徒の前にもみ潰(つぶ)された。

暴徒は無抵抗の女子供の区別なく、まるでニワトリでも絞めるように殺していった。

鎌が草でも刈るように子供の首を切り落とす。鉈(なた)が女の頭に振り下ろされる。あまりに突きまくったために先端が丸くなった木槍を、今度は棍棒(こんぼう)にして振り回している暴徒。

いずれも返り血に染まって、まさに悪鬼のようであった。虐殺の後には根こそぎの掠奪(りゃくだつ)が始まった。

(逃げ出した日本人たちは、中国人暴徒の執拗な追撃に)とても逃げ切れられないから、ここでみんな自決しようということに決まった。

せめて死体を辱(はずかし)められないように、女たちは川の中で死ぬことにした。家族に死ぬための時間を稼いでやるために、男たちは最後の力を振り絞って、暴徒に抵抗した。

その間、幼な児たちは母親によって首を絞められて川に投げ込まれた。子供たちも、泳げないように後ろ手に縛って次々に川へ放り込んだ。

子供の始末をつけた女や老人たちが、子供の後を追って川へ飛び込んだ。その女を追って、暴徒が川の中まで入り込み、陵辱(りょうじょく)するために岸に引きずり上げようとする。

彼らの流す血の色によって川水は赤く染まった。この世の眺めではなかった」

森村誠一著「夕映えの殺意」より抜粋

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