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ラベンダーの匂い満開      和泉リサイクル環境公園

2015-06-28 | 街角の話し
匂い満開・・そんな言葉はないかも知れませんが
和泉リサイクル環境公園のシンボルとも言えるラベンダーがその匂いとともに満開です

17時が閉園 なんとか閉園前に飛び込みましたが園内は去り難き人々がたくさん居ました









ラベンダー ラベンダー

ここでは良くラベンダーを見かけますが、いつもと違い本気モードです

思わず、ここは北海道??  帰りは車の中で暫らくラベンダーの匂いがしてました



ヒマワリ が一輪ポッツと咲いていました。思わず写真を撮ってしまいました



バラがまだまだ たくさん元気でした。



ユリとアガパンサス、桔梗 です




エキナセア




エキナセアのアップです。
売店の方に聞くと、丁寧に教えてくれました。



アーティチョーク

多分2メートル近くあります 巨大なアザミ?


これからも楽しませてくれる公園です
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六月花形歌舞伎 「通し狂言 鯉つかみ」  片岡愛之助

2015-06-26 | 映画・観劇・講演会
平成27年6月13日(土)~26日(金)

長男夫婦の母の日、父の日のプレゼントということでチケットが送られて来ました。

人生初経験の「歌舞伎」です。
お昼はどうするの? そんなことから心配です(笑)
義姉の助言通り高島屋でお弁当を買っていくことにしました。当日は残念ながら小雨

開演の少し前でしたが大阪松竹座の前は人が一杯でした。



会場内は開演10分まえですが 結構もう満杯です。
2階席.3階席と見えます


長男夫婦の気配りで、席は前から2列目、どうやら水がかかるらしい。見渡すと5列目位までは
レインポンチョが用意されているようだ。



レインポンチョ



今日観劇するのは、今、大注目の人気花形役者 片岡愛之助が魅せる、通し狂言”鯉つかみ”です。本水を使った激しい立ち廻り、様々な仕掛けや早替り、さらには愛之助が宙乗りまで勤める、このダイナミックな舞台は歌舞伎ファンならずとも必見と言われています



愛之助のインタビュー記事から・・・

5月・6月に東京と大阪で通し狂言『鯉つかみ』に出演する愛之助。「通し上演をと思っていたのですが、それは明治座で先にするので、大阪松竹座では何か趣向を変えてやろうと、12役早替りのスペシャルバージョンにさせていただきます」と、5月の6役早替りから一気に2倍です。

12役で大阪バージョンの『鯉つかみ』を
 12役には、明治座公演でほかの人が勤める大百足(おおむかで)役も入っており、「現代のイリュージョンは使いませんが、吹き替えなど昔からある古典的な早替りの手法で、退治する側とされる側、両方を演じます。登場人物を増やした分もあります」。場を増やしたりはせず、同じ芝居の流れでの12役。「5月の公演をやってみて、もっと変わる可能性もおおいにあります」と。

 「意味のある早替り、『鯉つかみ』のストーリーがわかる中で、12役はマックスではないでしょうか。早替りを見て楽しんでいただくという考え方もありますが、やはりお芝居をお見せしたいですし」と、愛之助はあくまでも演目の面白さを伝える上演にと強調しました。そのため5月と同様、読本や当時の劇評などを手掛かりに新たにつくり上げた、鯉の恨みを受ける端緒、大百足退治のくだりも上演。

ポスターもパンフレットも12役で一杯です



このパンフレットは12役 全部が載っています。これを一人で演るのです

初心者には分かりにくいですが、周りの観客の 「オオー」という絶叫で変わったのが分かります。
慣れてくると、そろそろだな・・そしてすり替わる人も予測できます(笑) 襖の向こうに入り次に出てきたら「愛之助だーーー」


「ツケ」というのがあります

舞台上手(かみて)[客席から向かって右]の隅に置かれた、「ツケ板」とよばれる板に木を打ちつけて出される効果音をさします。俳優の演技に合わせて打たれ、動作や物音を強調する効果があります。
動作を強調する目的で最も多く打たれるのが、俳優の「見得(みえ)」に合わせて「バッタリ」と打たれる「ツケ」です。映像は、「幕切(まくぎれ)」の「見得」に合わせて打たれる例で、このように細かく刻んで打たれる場合を「打上げ(うちあげ)」とよび、「幕切」を盛り上げる効果があります。

物音を強調する例としては、登場人物が、舞台上に物を落としたときの「カタ」という感じの軽い音や、駆け出したときの「バタバタバタ」という小刻みな音が挙げられます。
「ツケ」を打つ担当者は「ツケ打ち」と呼ばれるようです。

席が前なので 音がすごい。

三味線や長唄をする人の顔もはっきり見えます黒子の様子も手に取るように分かる。

役者の方が ミエを切るときの顔の動きも見えます。すごい・・・大感動ですね。




掛け声もいいタイミングで出ます

「マツシマヤ・・・」

後半になるとタイミングも習得、自分でも出来そうに思えてくる・・

帰ってネットで検索すると

この掛け声に参加できるのは「大向こうの会」に入っている方のみなのだそうです。

余分なことをしなくて良かったです(笑)

宙釣りになった鯉の中から、愛之助が現れるシーンも良かった
花道を上手く使い いいシーンが一杯。
用意していたオペラグラスは一度も使いませんでした

歌舞伎とは直接関係ないですが愛之助が
「倍返しだ・・・」と叫んだ時はお客さんが爆笑でした


大阪松竹座六月花形歌舞伎
片岡愛之助 「通し狂言 鯉つかみ」

湧昇水鯉滝(わきのぼるみずにこいたき)

あらすじ

釣家の息女小桜姫がうたた寝から目覚めると、志賀之助(愛之助)が現れる。 かねてから恋慕う人の訪れを喜んだ姫は、志賀之助とともに奥へ入っていく。 同じ頃、館に信田家の使者堅田刑部がやって来て、姫を信田家へ輿入れさせるよう所望する。 しかし家老の篠村次郎はこれを断り、代わりに名刀龍心丸を持参する。 次郎が刀を抜くと、奥座敷の障子に姫と大鯉の影が映る。 やがて奥から現れたふたりに、不審に思った次郎たちが志賀之助の正体を問い詰めると、 志賀之助は琵琶湖に住む年老いた鯉魚の精であると本性を顕す。 釣家の先祖に遺恨がある鯉の精は、釣家を滅亡させようと企んでいたのであった。 そこへ矢が放たれ、鯉の精に命中する。この矢を放った者こそ、釣家の若君で本物の志賀之助。 志賀之助は鯉の精の後を追い、鯉魚と激しい闘いを繰り広げる・・・。

最後の幕間

幕の向こうでは水を張ってる雰囲気がただよい周りもヒンヤリしてきます


そしていよいよクライマックス  愛之助と鯉が暴れまくります

水が飛んできます

私の所へは、結局4~5回 水が飛んできましたが

大事には至りませんでした(笑)
ポンチョは回収に来られたのでお返ししました。持って帰ってもokのようです


序 幕 三上山百足退治の場
    琵琶湖中登竜の場
二幕目 琵琶湖湖水の場
    清水寺花見の場
    真葛ヶ原の場
大 詰 釣家下館の場
    琵琶湖中鯉退治の場

配役

片岡 愛之助

  俵藤太秀郷
  三上山の大百足
  鯉王皇子金鯉
  鮒五郎
  釣為兼奥方漣
  余呉左衛門
  道具屋清兵衛
  関白中納言橘広継
  奴瀬田平
  信田清晴
  滝窓志賀之助実は鯉の精
  滝窓志賀之助

中村 萬太郎
 
  雨宝童子
  釣為彦

尾上 右 近
  釣家息女小桜姫

嵐  橘三郎

  堅田刑部

市川 寿 猿

  鯉王

上村 吉 弥

  篠村妻呉竹

市川 男女蔵

  家老篠村次郎公光

以上
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紫陽花          蜻蛉池公園

2015-06-21 | 街角の話し
あじさい園 入口です

6月14日(日)第9回あじさいフェアが行われたようです
 あじさいは、しばらくは まだまだ元気で綺麗なようです



入口からあじさいが一杯です













周りは、どこを見てもあじさいです











バラは流石に終わりのようです
プリンセス ドゥ モナコが微笑んでくれました



公園の事務所の前には、珍しい 紫色の あじさいがいくつも咲いていました




池の近くには くちなしの花も咲いていました。

私世代はすぐに口ずさみたくなりますね(笑)

いまでは指輪も まわるほど
やせてやつれた おまえのうわさ
くちなしの花の 花のかおりが
旅路のはてまで ついてくる
くちなしの白い花
おまえのような 花だった

渡哲也です



池に映る雲が綺麗でした
悪天候予想だったせいか日曜日にもかかわらず人は少なかった
あじさいを満喫出来ました
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常設展 「浮世絵版画」 - 歌舞伎役者と踊りのすがた 和泉市久保惣記念美術館

2015-06-19 | ア-トな話し
平成27年6月12日(金)~7月26日(日)

浮世絵版画のコレクションである第四次久保惣コレクションと近年に購入した浮世絵版画の中から、歌舞伎役者のすがたと歌舞伎役者が庶民の楽しみにまで広げた踊りのすがたを描く作品約60点を展示。

大ファンである写楽の作品が展示されているということで行ってきました

小生の 写楽のホームページは ここ

東洲斎写楽 とは?


世界三大肖像画家(「三大肖像画家」という言葉は、ドイツの美術研究家ユリウス・クルトの言葉です。
ユリウス・クルトが、その著書「Sharaku(1910年刊行)」のなかで、東洲斎写楽を レンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と評価しました。これがきっかけで、東洲斎写楽の評価が高まり、大正時代以降、日本でも評価されています)、

写楽。彼は江戸時代を生きた。たった10ヵ月だけ。その前も、その後も、彼が何者だったのか、誰も知らない。
歴史すら、覚えていない。残ったのは、謎、謎、謎―。発見された肉筆画。、美術史上最大の「迷宮事件」です。

今回展示されている写楽の作品は4点でした




三世坂東彦三郎の鷺坂左内 さんせいばんどうひこさぶろうのわしざかさない

寛政6年(1794年)5月5月河原崎座で上演された演目「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」の中で三世坂東彦三郎が演じた「鷺坂左内」を描いた作品です。



二代目市川門之助の伊達与作
にだいめいちかわもんのすけのだてよさく


寛政6年5月河原崎座上演の「恋女房染分手綱」に取材した作品。
「恋女房染分手綱」は、由留木家のお家騒動を背景として、伊達の与作と重の井の恋、それにまつわる悲劇を描いたもの。




二世坂東三津五郎の石井源蔵

にせいばんどうみつごろうのいしいげんぞう

、寛政六年五月都座の「花勝負文禄曽我」に登場する親の敵を討つ石井三兄弟の長男で、敵藤川水右衛門のために、返り討ちにあう石井源蔵を描いた作である。この作品は、写楽の半身像中では珍しく上体の部分に動きがある。それには風になびいているような鬢髪のそよぎが効果を与えている。この毛彫りがすばらしい





二世瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木と中村万世の腰元若草

にせいせがわとみさぶろうのおおぎしくらんどのつまやどりぎおおぎしくらんどの
つまやどりぎとなかむらまんよのこしもとわかくさ


寛政6年(1794年)5月都座で上演された演目「花菖蒲文禄曾我(はなあやめぶんろくそが)」の中で二世瀬川富三郎が演じた「大岸蔵人妻やどり木」と中村万世が演じた「腰元若草」を描いた作品。

版元はいずれも 蔦屋重三郎


写楽の正体として、喜多川歌麿(浮世絵師)、葛飾北斎(浮世絵師)、十返舎一九(作家)、斉藤十郎兵衛(能役者、もっとも有力)などの名があがっています。
さらに版元の蔦屋重三郎 説 、外人ではないかという説もあります


花もいろいろ咲いていました



紫陽花
美術館の白い外壁と いい雰囲気です



夏椿 です

妙心寺(京都市)の塔頭の一つである「東林院」で例年「沙羅双樹を愛でる会」が行われる。



2007.7撮影
ホームページは ここ

美術館の夏椿 全体を撮ってみました




美術館の入口の池では白い紫陽花と睡蓮が綺麗でした




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とんぼ

2015-06-14 | 街角の話し
とんぼのめがね という童謡がある 今も覚えています

額賀誠志作詞、平井康三郎作曲。

とんぼの めがねは
水いろ めがね
青いおそらを
とんだから とんだから

とんぼの めがねは
ぴか ぴか めがね
おてんとさまを
みてたから みてたから

とんぼの めがねは
赤いろ めがね
夕焼雲(ゆうやけぐも)を
とんだから とんだから

6/10に我が家の庭で撮ったもの。トンボは時々見かけるが素人でも撮影できるようにゆっくりしてくれるのは珍しい

バックに紫陽花が入るように少し動いて見たが大丈夫だった



2008.6.15 泉南の長慶寺で撮ったもの



2013.7.12 熊取町の長池オアシスで撮影 初めて出会った チョウトンボ(蝶蜻蛉)

トンボ科に属するトンボの一種である。

翅は青紫色でつけ根から先端部にかけて黒く、強い金属光沢を持つ。前翅は細長く、後翅は幅広い。腹部は細くて短い。腹長は20-25mmほど。チョウのようにひらひらと飛ぶのでこの和名がついている。

その後出会ってないのが残念




2013.9.22 天王寺動物園

いずれも偶然撮れただけですが・・・
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長池オアシス  ハスの時期は近い

2015-06-12 | 街角の話し
今年もハスまつりが開催されます
平成27年7月12日 日曜日  午前8時から12時まで  

少し早いが行ってきました

1.長池オアシスは大阪ミュージアム構想みどり・自然部門 ベストセレクションに選ばれています。
*ベストセレクションとは大阪ミュージアム構想の登録物971件 の中から、大阪ミュージアムを代表する「いち押し」の登録物を「ベストセレクション」として61件を選定してます
長池オアシスが選ばれた、みどり・自然部門は15件あり、他に選ばれたのは大阪城公園、大仙公園、浜寺公園、箕面大滝などです。

大阪緑の百選は100箇所すべて行きました ホームページにしてます ここ

大阪ミュージアム構想 ベストセレクションの一覧表は ここ

ベストセレクションは小生のホームページにもあります。 ここ  

2.長池オアシスは農林水産省主催 ため池百選 に選ばれています
農林水産省主催 ため池百選の一覧表は ここ

ため池は全国に約21万個存在し、大阪には1万1千個存在します。全国約21万個のため池から100地区を「ため池百選」として選定したものです。         

大阪府内で百選に選ばれた ため池は、 狭山池、久米田池、長池オアシス の3箇所だけです。

狭山池 の小生のホームページは ここ
久米田池 の小生の ブログは ここ






ハスは少しだけでしたが・・・

睡蓮は綺麗でした

そしてアジサイが一杯でした













ルピナス



ユリズイセン(アルストロメリア)
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森脇聖淳さん作、両界曼荼羅

2015-06-08 | 街角の話し
6/4 母校の大先輩 森脇聖淳さんから久しぶりにメールが来た。
明日6/5の産経新聞の夕刊の美術評論家の布施英利さんのコラム「美の解剖室」に
作品が載るとの連絡 「ご覧いただけたらより嬉しいです」

そりゃ是非見ないと・・・

明日、夕刊買おう・・・・

熊取駅に行けば買えるだろうと軽く考えたが、駅の売店の女性曰く、産経新聞の夕刊は長らく入荷してないとのこと。早速コンビニに行ったけれど・・どこも夕刊はない。
家に帰って、ネットで検索して産経新聞の販売所チエック 
知り合いが出てるので今から買いに行くと電話。
販売所の人は、ご丁寧な応対で50円の代金で4部くれました。産経新聞いいね

新聞記事の内容は、小生には難しすぎたようですが、絵は森脇聖淳さんのホームページにも載っている作品でした 森脇さんのホームページは ここ



産経新聞6/5夕刊




金剛界曼荼羅 森脇聖淳 作



胎蔵界曼荼羅 森脇聖淳 作



日本密教の教えの中心ともなる大日如来を中央に配して、更に数々の「仏」を一定の秩序にしたがって配置したものであり、「胎蔵界曼荼羅」、「金剛界曼荼羅」の2つの曼荼羅を合わせて「両界曼荼羅」と称する。

高野山開創1200年記念 高野山の名宝 展 で大きな曼荼羅と出会いました ブログは ここ

高野山といえば「血の曼荼羅」で有名です
TVで見ました
平清盛は鳥羽院の命にて高野山の大塔の修理を行いました。修理完成時に参詣した清盛は、一人の老僧に出会います。その老僧は大塔の修理のお礼を述べ、荒れている厳島の修理を清盛に依頼しました。奥之院の方へ去る老僧の姿はしばらくすると、ふとかき消えてしまいました。清盛はこの老僧は弘法大師の化身であったと知り、ますます信仰を深め、金堂に曼荼羅を奉納しました。その時奉納した曼荼羅は、胎蔵界大日如来の宝冠に清盛自身の頭の血を混ぜて描いたとあります。
この曼荼羅が「血曼荼羅」として現在まで大切に伝えられています



如意輪観音 森脇聖淳 作

平成6年 (1994年) 和歌山市「ギャラリーけまり」にて森脇さんの個展があり
両親と共に訪れ、両親へのプレゼントとしてこの作品を買いました。
今は我が家にあります
森脇さんもしっかり覚えて下さってくれてる様です。

大先輩のご健康とご活躍を祈ります

*作品の掲載は森脇さんの了解を得てます
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次回 朝ドラ「あさが来た」の原作 「土佐堀川」

2015-06-07 | 読書感想文
アラベスクさんのブログで、この本のことを知り、早速読んでみました アラベスクさんのブログは ここ

・良く見ている「朝ドラ」であること
・長らく勤務していた近くの「土佐堀」であること
・大阪の名門の一つ 「三井家」の話であること



今年9月28日スタートの次の朝の連続テレビ小説が、明治期に事業に奔走し、女子大創設にも尽力した広岡浅子さんをモデルにした「あさが来た」に決まった。
朝ドラ93作目で史上初めて、江戸末期からスタートする。脚本は、05年後期「風のハルカ」以来の大森美香氏で、2回目の朝ドラ担当になる。

制作統括は大河ドラマ「篤姫」を担当した佐野元彦チーフプロデューサー。

古川智映子氏の「小説 土佐堀川」が原作 

 同小説は、幕末の京都に生まれ、女性参政権がなかった明治期に、炭坑事業、銀行や生命保険事業に従事し、日本で初めての女子大設立に尽力した広岡浅子さんの生涯を描いてる。

実在の広岡さんは「かなり大きな方だったらしく、子どものころから相撲好きで、碁も打つような豪快な面もあった方」だったようだ。
 
NHK連続テレビ小説『あさが来た』の主な主演者が、発表された。同作は史上初の「幕末」から始まる物語。女優の波瑠が演じるヒロイン・今井あさの姉・はつ役で宮崎あおいが出演する。
なんと「篤姫」につながった(笑)

江戸時代、大坂屈指の豪商であった加島屋は、明治維新の動乱により家勢が傾きます。その危機を救ったのが、17歳で加島屋・広岡信五郎に嫁いでいた広岡浅子です。
浅子は、七転び八起きを超える「九転十起生」を座右の銘とし、加島銀行の設立や鉱山経営に参画。さらに中川小十郎をはじめとする有能な人材を招聘し、大同生命の創業にも深く関わるなど、その手腕を遺憾なく発揮します。
加島屋を立て直した浅子は、後事を女婿の恵三に託し、女性の地位向上に心血を注ぎます。

大正8年、71歳で没した浅子は「普段から言っていることが遺言」だとして、最後の言葉を残しませんでした。 江戸・明治・大正と全力で駆け抜けた広岡浅子。


1901(明治34)年、日本初の女子大学・日本女子大学校が設立されます。

伊藤 博文
大隈 重信
松方 正義
西園寺 公望
渋澤 栄一

等々 有名人が一杯協力します。ドラマでは誰がどの役をするのかも楽しみですね(笑)

日本女子大学校の設立に尽力し女性運動の有力な支援者となった浅子は、個人としても前途ある若い女性に対する教育を惜しみませんでした。「女性も社会形成の一員であり、その女性に教育をしない手はない」という信念を持ち続けた浅子は、1914(大正3)年から死の前年まで、御殿場・二の岡にあった避暑別荘に20名程度を招き、夏期勉強会を毎年開催します。この勉強会に参加した若き女性たちは、後に政治、教育、文学などあらゆる分野で日本を代表する女性として活躍しました。

参加者の一人に

村岡花子 (1893‐1968)が居ました

矯風会を通じ浅子の知遇を得、山梨英和女学校の教師をしていた1916(大正5)年から夏期勉強会に参加。後に児童文学作家・翻訳者として『赤毛のアン』他多数の作品を世に出す。

NHK連続テレビ小説「花子とアン」の主人公。繋がりましたね。(笑)



広岡浅子が創業した 大同生命(大阪) 土佐堀川から撮ってみました。

中央の背の高いビル 左側が 三井住友銀行(大阪)



土佐堀川の現状の地図です 青い太い線が土佐堀川です



土佐堀川と淀屋橋 


娘の亀子は朝子が好きだった連翹 (れんぎょう)の木を植えた。庭には黄金(きん)波が立ち、加島屋の繁栄を彩るのであった。
「しっかりやってや」亀子には、いつも遺影の笑顔がそう語っているように思えた。

追記 NHK朝ドラ 「あさが来た」のヒロイン  浅子の展覧会

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昔も今も、こんぴらさん。─ 金刀比羅宮のたからもの ─ ハルカス美術館

2015-06-06 | ア-トな話し
あべのハルカス美術館 開館1周年記念特別展覧会

2015年 5月22日(金)~ 7月12日(日)

「讃岐のこんぴらさん」と親しまれ、一生に一度は訪れたいお宮として、多くの参詣者を迎えてきた金刀比羅宮。庶民の素朴な信仰心に支えられ、独自の文化を発信し続けてきた同宮の宝物を一堂に公開します。書院を彩る円山応挙や伊藤若冲の障壁画から、近代洋画の先駆者・高橋由一の作品まで。


こんぴらさんには2006年10月に参拝しました 参拝記は ここ

金比羅船々 こんぴらふねふね

金毘羅船々(こんぴらふねふね)
追風(おいて)に帆かけて
シュラシュシュシュ
まわれば 四国は
讃州(さんしゅう)
那珂の郡(なかのごおり)
象頭山(ぞうずさん)
金毘羅大権現(こんぴら だいごんげん)
一度まわれば


誰もが歌える歌ですね



崇徳天皇御影 菊池 容斎

崇徳天皇は第75代天皇で金比羅宮に祀られている
保元の乱に敗れ讃岐に流された、髪も切らずに生きながら天狗の姿になったと伝わる


小倉百人一首にこんな歌がありました。

瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ(崇徳院)

何となく覚えています。

意:滝の水は岩にぶつかると二つに割れるが、すぐにまた一つになるので、現世では障害があって結ばれなかった恋人たちも、来世では結ばれましょう。



遊虎図(ゆうこず) 円山応挙
これは東面の中央2面
遊虎図だけでも16面 他に16面  円山応挙が一杯です



花丸図 伊藤若冲 襖4面

40図35種類の花 いずれも切花 圧倒的迫力です



ひまわり あじさい
ゆり   きく

若冲は大好きなので、ホームページを作っています ここ 若冲展



讃岐院眷属をして為朝をすくふ図  歌川国芳

この図は文化4年(1807年)から同8年(1811年)にかけて刊行された
曲亭馬琴作・葛飾北斎画の伝奇小説、
『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』の一場面です。

九州に潜居した源為朝(みなもとのためとも)が平家討伐のため京へ向かう際に
暴風雨に遭い、その海を鎮めるため妻白縫姫(しらぬいひめ)は入水する。
しかし船は難破し、為朝はほぼすべての部下を失ってしまう。
もはやこれまでと為朝が自決をはかろうとした時、
為朝が主として仕えた今は亡き崇徳上皇が霊となって
眷属の烏天狗に使わし、
助けられた為朝は琉球へと上陸する。 
為朝の嫡子・舜天丸(すてまる)の船も暴風雨に遭い
忠臣・八町礫紀平治(はっちょうつぶてのきへいじ)が舜天丸を抱え海中を漂う。
そこへ大鰐鮫が現れこの二人を襲うが、
自刃した郎党高間太郎夫婦の二人の魂が鰐鮫にのりうつり
舜天丸と紀平治を背に乗せて琉球へと向かった。

『保元物語』に登場する強弓の武将・源為朝と琉球王朝開闢の秘史を描いた伝記物語。

本図は、この壮大なストーリーに負けない奇抜な構図。
さすがの国芳を代表する作品です。



鯉魚図(りぎょず) 長沢蘆雪

師匠の円山応挙譲りの写実の力量と、豊かな発想力を備え、伊藤若冲らと並んで江戸中期の「奇想の画家」のひとりと評されるのが、長沢蘆雪(ながさわ・ろせつ、1754~99年)である。

水の流れに逆らいながらも、しなやかにたゆたう鯉。水草のゆらぎ、ほのかに描いた後ろの亀の姿は、真鯉の生命力を強調しているかのように見える。

鯉は滝を昇れば龍になるという。静かに画面を見詰めれば、1匹の鯉が存在感を放っている。  




なまり(なまり節) 高橋由一

代表作「鮭」が有名ですね
2012.10に京都に見に行きました ここ 高橋由一展   京都国立近代美術館

 

高橋由一の「鮭」

ニッポンの油絵を描く高橋由一です



ハルカス美術館の前には「こんぴら狗」が居ました
あべのハルカス美術館一覧
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「黄金時代の茶道具-17世紀の唐物」  大阪市立東洋陶磁美術館

2015-06-04 | ア-トな話し
4.4~6.28
日本へ伝来し、古くから珍重されてきた美術品の「唐物」に焦点をあてた特別展が、大阪市立東洋陶磁美術館で開催されています。
茶の湯の黄金時代ともいえる16世紀から17世紀に収集された唐物を中心に、国宝「青磁鳳凰耳花生 銘萬聲(せいじほうおうみみはないけ めいばんせい)」をはじめ、国宝「油滴天目(ゆてきてんもく)」などが展示されます。
室町から江戸時代にかけて台頭した千利休や織田有楽、古田織部、小堀遠州、金森宗和などの茶人たちの創意、工夫により変化していく「唐物」の美意識と概念の変貌をたどります。



白天目(はくてんもく)

【重要文化財 室町時代 16世紀】徳川美術館 所蔵

室町時代の茶人武野紹鴎(たけのじょうおう)所持と伝えられる。膨らみをもった穏やかな形姿に、清楚な白釉(ゆう)、見込(みこみ)に溜まったビードロの黄緑色と、各色が見事に調和のとれた発色をしている。この茶碗と同様な破片が多治見市小名田窯下窯から発見されており、この窯で製作された可能性が高い。

会場でも一段と低く展示されていて、底がきっちり見えるように工夫されています。
感動の色彩です




油滴天目 茶碗(ゆてきてんもく ちゃわん )南宋時代 12~13世紀

国宝

東洋陶磁美術館 蔵 安宅コレクション

天目は黒釉の碗という意味にも使われています。この名称は中国の浙江省北部の天目山に由来しているといわれます。油滴天目は福建省にある建窯で焼かれたもので「建盞(けんさん)」とも呼ばれています。水面に浮かぶ油の滴のようにみえる金・銀・紺に輝く斑点から油滴と呼ばれています。油滴は釉薬に含まれる鉄分が雄の表面で結晶したもので、中国では「滴珠」と呼ばれています。口縁部に施された金覆輪は、口縁部を補強するためのものですが、見た目にもアクセントになっています。本品は鎌倉時代に日本にもたらされ、関白豊臣秀次が所持し、のち西本願寺、京都三井家、若狭酒井家に伝来しました。南宋時代の漆の天目台3点が添えられています。今回これらも展示されてました



大井戸茶碗(おおいどちゃわん) 銘 有楽(めい うらく)
重要美術品 東京国立博物館 蔵
朝鮮時代 16世紀

寂びの茶碗の代表格として有名な大井戸茶碗の内,五指に入ると言う定評が与えられ,かつて織田信長の弟有楽斎が所持していたところから「有楽」の銘を持っている。まことにはんなりとした優美な大井戸で,ゆるりとした曲線美はいかにも女性的であり,赤みを含んだ枇杷色の釉薬もしめやか。高台際の長石釉の縮れ(梅花皮という)も整っておとなしい。





雨漏堅手茶碗(あまもりかたてちゃわん)

重要文化財 根津美術館 蔵

朝鮮時代 16世紀


姫路酒井家に伝わる。ねっとりとした淡黄色の素地で薄く成型され、高台際は力強く削られ、ちぢれが表れている。透明釉がたっぷりと掛かるが、焼けが柔らかいためか気泡からしみが生じて雨漏り状の斑となっている。口縁の薄さとどっしりとした腰の形から、釉調だけでなく姿も美しい茶碗である。



玳玻天目(たいひてんもく) 吉州窯 
宋 12~13世紀
京都国立博物館 蔵

加賀前田家伝来の屈指の名碗である。小さな高台にゆったりと広がる器形をもち、見込みには尾長鳥風な飛鳥文と小花をつけた折枝分とが黒の型抜き文様で表わされている。釉は二重がけで、黒釉の上に剪紙(せんし=切紙)を貼り、灰釉(白萩とかワラ色とも呼ばれる)をかけて黒抜き文様にし、灰釉は微妙にとけて、青、黄、赤味が複雑に交りあっている。外側は大らかな鼈甲風な釉調で、高台は小さく、高台際は鋭く箆削りがなされている。口縁には金の覆輪がつき、ナマコ風な変化をみせる灰釉のなかに、鸞や折枝文が鮮やかに浮き上り、見事な対比をみせている。日本に伝世した中国、江西省、吉州窯の世界的な名碗の1つであろう。




高麗 割高台茶碗 長束割高台 朝鮮・李朝時代
香雪美術館 蔵

古田織部の見立てで武家に好まれた。長束正家が秀吉から拝領したために この銘がつけられたそれ以降、徳川家康などに伝来、いい雰囲気だ


いずれも 素晴らしい茶碗が続く 展示の方法も素晴らしいのだと思う 作品が活きて見える




青磁鳳凰耳花生〈銘万声/〉 せいじほうおうみみはないけ〈めいばんせい〉

 国宝 和泉市久保惣記念美術館 蔵

久保惣美術館には何回も行ってるので、再会です

ブログはここ 和泉市久保惣記念美術館-開館30周年記念特別展 2012.11.25


南宋時代浙江省竜泉窯で焼成され、舶載された作とみられる。
室町時代にはすでに名器として珍重されたことがうかがえ、三代将軍家光の時、東福門院に贈られ、のちに公弁法親王に遺贈された。万声とは後西院が「𢭏月千声又万声」の詩句によって名付けられたもので、近衛家に伝わった鳳凰耳花生を「千声」、これを「万声」としたものとの伝来が添状および『槐記』にある。
鳳凰耳花生のなかでも、とりわけ作調が丁寧で、堂々とした風格を備えた優品である。

重要文化財の青磁鳳凰耳花生 東洋陶磁美術館 蔵 も展示されていた。

その他 素晴らしい花入れも数多く展示されている


平常展へも寄ってきました
もう一つの国宝、飛青磁花生に会いに。ありました 8年ぶりです

ブログはここ 「美の求道者・安宅英一の眼-安宅コレクション」




今まで見た国宝の茶碗と陶磁器一覧はここにあります 日本国宝展



展覧会の図録です
写真も素晴らしい。多分、「フランス装(仮綴じ)」というのだろうか。
見易い

少し周りを散歩しました
中之島公園のバラ園は残念ながら終わってました



大阪市中央公会堂

東洋陶磁美術館の前です。
今まで、その美しさに圧倒されて気づきませんでしたが・・・
屋根の上に何かある・・・
横から撮ってみました。


屋根にローマ神話の像が2体載っている。
右側がミネルヴァという学問や芸術の女神で、左はメルキュールという商業の神です。メルクリウス は英語読みでマーキュリー 。


中之島公園の中でも目立つ像


緑の賛歌
この彫像「緑の賛歌」は兵庫県川西市の浅井鉞次郎氏が緑豊かな文化の香り高い街づくりを進めている大阪市の緑化運動に協力して 寄付されたもの

題字は堀田庄三 氏、彫像制作は本郷 新 氏
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春過ぎて夏来(きた)るらし・・・     桑の実、発見

2015-06-01 | 街角の話し
6/1 部屋のカレンダーを開くと この句が目に付いた
雑誌「サライ」の付録
そうなんだ・・・もう夏が来るんだ・・・

春過ぎて夏来(きた)るらし白妙(しろたへ)の衣乾(ころもほ)したり天(あま)の香具山(かぐやま) 持統天皇 万葉集ですね。

遠い昔、青春時代に覚えたのと 何か少し違うな


はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすちょう あまのかぐやま


そうそう。「ほすちょう」でした

解説には「読み方」と載っていました 

昔のことでも妙に覚えてるものですね
写真は甘樫丘からの展望 天香久山 2007.10.11撮影

ホームページの お出かけ まほろばの飛鳥  明日香村を歩く ここです

先日、愛読しているブログ カイの小耳 さんで
桑の実の話が載ってましたので、我が家の近くの公園に探しに行きました



ありました。これだけ実がなっていれば、鳥に持って行かれそうですね。



アップにしてみました

クワはカイコの餌として古来重要な作物であり、また果樹としても利用される。

赤い実は未成熟な果実(酸っぱくて生食には不向き)
黒紫の実は成熟した果実で、そのままでも甘酸っぱくて美味。果実酒やジャムにも。

写真の上部に黒紫のがあります

全部熟したら ちよっと微妙な雰囲気ですね

神話では、古代バビロニアにおいて、桑の実はもともとは白い実だけとされるが、赤い実と紫の実を付けるのは、ギリシャ神話の『ピュラモスとティスベ』という悲恋によるこの二人の赤い血が、白いその実を染め、ピュラモスの血が直接かかり赤となり、ティスベの血が桑の木が大地から吸い上げて紫になったとされている。

食べてません(笑)
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