何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

614日目 高坂宅立ち寄りライブ

2005年11月29日 15時19分01秒 | Weblog
11月29日

 今日のスケジュールはまだ決まっていない。東京の自宅を11時過ぎに出発。悩みながら運転していた。春野町に戻ってからやるか、それとも途中で。

 相模原方面に車を走らせたとき、決めた。高坂君に電話した。家に居た。これから立ち寄るから歌を聞いて欲しいとお願いした。笑いながらOKの返事。これで今日のライブは成立。

 12時半過ぎに高坂宅に到着。いつも困ったときに助けてもらえる高坂君。何度も何度もライブをお願いしているのだが、今日は、一対一でのライブ、そういう意味では、初めてのライブ体験だ。

 話し好きの高坂君と、2時間ほど喋った。その間に3曲。トータル時間は長かったが3曲だからワンコインでと言うと、ライブはライブだからと1000円頂いてしまった。いやいや、無理やり押しかけて1000円、まるで押し売りライブだ。そんな高坂君に、13日にもライブをお願いして、勝坂に出発。

 此処のところ、稼ぎが無いので、厚木インターから高速に乗ったが、裾野インターで降りて、1号線に出て一般道を勝坂へ。
 おお~、知らない間に、有料だった( )と掛川バイパスが無料になっていた。1000日ライブを始めるまでは金欠だったので、東京往復は、深夜に走ったものだ、深夜は無料になったからだ、久しぶりに金欠状態になってきたので走ったバイパス、庶民の味方の道路になっていた。

613日目 我が家ライブ

2005年11月29日 00時51分19秒 | Weblog
11月28日

とりあえずライブを東京の我が家で、写真の苦手な家族を代表して猫のセイに登場してもらいました。

 一日のんびりと過ごした。たかの台自治会の班長の役が家に回ってきている。典子さんに自治会費を集めてきて欲しいと頼まれていたのだが、昼間は留守が多い。

 典子さんの帰ってきた後、7時半頃から自転車に乗って、集金に各家を回った。昨年の全国ニュースを見たという人も何人か居た。とりあえず、この地域の人達に、僕の正体がわかってもらえているということが嬉しかった。

612日目 のみ亭

2005年11月28日 01時31分36秒 | Weblog
11月27日

 朝に勝坂を出て、4時に東京の自宅へ。今日は典子さんが休みだったので家で迎えてくれた。軽く夕食を食べて、西荻窪駅近くの「のみ亭」へ。八十川雅枝さんが企画してくれたので、どんな飲み屋かなと出掛けたのだが、昔からある小さなライブハウスだった。南正人さんなんかがよく唄いに来ているようだ。

 以前にライブを企画してくれた南信濃村の市川さんに紹介してもらった小林さんがメールで友人を連れてきてくれると、元北海道の高橋君も来てくれるということだった。

 小さな店に、お客さんは一杯になった。15人ほども居ただろうか。みんな歌好きの人達ばかりだ。僕の前に、岡君という青年とサバイバル伊藤さんがトータル1時間ほど唄ったので、僕の出番は1時間。25年続けているという店。昔々のライブハウスの雰囲気がプンプンして、気持ちよく唄えた。
 お客さんの雰囲気も最高で、こんな時間を作ってくれた雅枝さんに感謝だ。

 ライブ終了後お客さんたちと飲み続け、西武線の最終電車で帰宅。

611日目 得さん宅もらい風呂

2005年11月26日 22時04分55秒 | Weblog
11月25日

 昨夜眠る前に、30分間ストレッチ。

 血のめぐりが良くなったのか、8時前に目が覚めた。さわやかな目覚めだ。寒い勝坂、ジャケットを羽織ってコタツに潜り込む。

 夕方まで、久しぶりにLC通信を出す為の作業を続けた。

 総ては無理な作業だったが、半数ぐらいの人にLC通信を送る事が出来た。

 6時過ぎ、得さんの家にもらい風呂ライブのために出掛けた、

 2ヶ月ぶりのもらい風呂。風呂に入れてもらって酒を頂いて、得さんと「勝坂参加」を唄う。勝坂の夜は、文句なしの至極の快楽だ。

610日目輩日付変更線ライブ

2005年11月26日 22時01分55秒 | Weblog
11月25日

 12時を過ぎて、再びのライブ、日付変更線を超えた。

 残ったのは、お茶農家の清栄たちと坂下さん、そしててっちゃん。12時5分から始めたライブは1時前にてっちゃんの「勝坂賛歌」で終了。

 べろんべろんに酔っ払って星降る勝坂砦に到着。

 ぐっすり眠って目覚めると、歯の痛みは消えていた。今日は休息の日。だらだらと一日を過ごした。

609日目 輩

2005年11月25日 02時21分27秒 | Weblog
11月24日

 目覚めたのは午後1時半、今日もたっぷり眠った。だが、少し和らいできたが歯が痛んでいる。
 ここまで歯痛で悩んできた僕だから、ただ放っておいている訳ではない。素人ながらそれなりの治療をしているのだ。虫歯の部分の食べかすをしっかり掃除して、爪楊枝を使って綿を詰める、詰める綿には、うがい薬のイソジンを湿す。イソジンは強力な殺菌作用があるので口内にある雑菌を殺してくれるのだ。

 起き出してすぐ、昨夜に詰めた綿を取り出し、イソジンを含ませた綿を又詰める。その作業の途中、歯の痛みは脳天を突き抜けるような痛さが襲うのだが、処理を終えると、痛みが薄れる。その作業を何度か繰り返しているうちに日が落ちた。昨日も今日もこれだけ眠っているのに睡魔が襲ってきた。夕寝をした。7時に目が覚めた。歯の痛みが、ずいぶんと楽になっていた。

 9時に、勝坂砦を出て、気田の「輩」に向かう。日付変更線を含めた2日分のライブをやるためだ。「輩」に出掛けるときは、いつも坂下さんの駐車場に車を泊めさせて貰う。坂下さんが居た。今夜のライブはお茶農家の仲間達が来てくれる事になっているから、10時ごろから始める事にしていた。だが、「輩」の歌を聞きたいと言う人が「輩」で待っていると言う。あわててギターを取り出して「輩」に向かった。知らない人が居るのかと思ったら、天野さん達、常連さん達3人だった。リハーサル代わりにポツリポツリと唄った。てっちゃんも唄った。唄っている間に坂下さんもやってきた。そして10時になって、お茶農家若手4天皇のうちの3人がやって来てくれた。栗崎君、藤江君、井口君。なんとなくだらだらと語ったり唄ったりしているうちに、天野さんを残して常連客たちは帰って、聞き入ってくれるライブになった。

 「輩」のライブは、全国で一番息を抜いたライブだ。気楽に気を使わずへろへろと。喋ってんだか唄ってんだかわからないうちに、いつの間にかライブは終了して語り続けていた。

608日目 浜北体育館会議室

2005年11月24日 00時21分03秒 | Weblog
11月23日

 久しぶりに、ビデオなどを見て夜を過ごしたので眠るのは遅くなってしまった。歯の痛みは相変わらずだ。痛みをこらえながら眠った。目覚めたのは午後2時半。10時間は眠っただろうか。これだけ眠れば、歯の痛みも少しは和らぐはずなのだが、痛みの変わりは無い。
 昨日、歯が痛みはじめてから何も食べていない。腹は減っている感じはあるのだが、痛みで食欲はまるで無い。豆乳や野菜ジュースを飲んでごまかしている。

 何も食さないまま、今日のライブ会場の浜北体育館会議室に向かった。主催者は渡邊さん、一週間ほど前に埋まっていないスケジュールを心配してくれてメールを頂いた。即OKの返事を出して今日を迎えた。唄う事だけに徹す事が出来たらどんなに楽だろうか、今日はそんな日だ。でも、あいにく歯が痛んで食事を取っていない。ペコペコになったお腹から、果たしてどれだけの声が出るだろう。
 途中でコンビニに寄って、何か口に入れようかとも思ったのだが、歯の痛みがそれを拒む。結局、そのまま会場へ。

 ライブは6時半から。会場に着くと、渡邊さんの後輩が前回と同じように車で待っていた。此処の会場は広いのだが、めちゃくちゃ響きがいい。生で演奏しても音響装置を使ったよりいい音を出してくれる。6時半、お客さんは3人だった。前回最後の局だけ聞いてくれた女性が、今回は7時にやってきた。今日のライブ時間は1時間だったので、彼女には30分聞いてもらえることになった。音の響きがいいので唄っていてものすごく気持ちがいい。あっという間の1時間。最後に来てくれた彼女は、春野町産業祭にも来てくれていて僕の歌を聞いてくれたそうだ、その時の写真を3枚とおひねりの入った化粧袋を頂いた。大げさでなく質素な手作りの贈り物は、その人のぬくもりを感じてとっても嬉しい。

 会場のそばにあったスーパーマーケットで食料を買い込み、一気に勝坂に戻った。歯はまだ痛いが、買ってきた「バッテラ」と、生野菜を、ゆっくり時間をかけて食べた。固形物を口にしたのは、27時間ぶりだ。うまい。だが、歯が痛い。

607日目 なんでモール

2005年11月23日 16時13分33秒 | Weblog
11月22日

 昨夜は、2時半までかかって、ブログとホームページの日記を更新。元気になったらなったで、残していた作業をこなすのに精一杯だ。金にもならない事を、なんで此処まで頑張ってしているのか、意地としか言いようが無いかもしれない。今回の春野町滞在で何とか新しいCDをともくろんでいたのだが、???。

 10時に起きて、しばらくして、近くの銀行へ。近くといっても、春野町内の犬居地域にある信用金庫まで約20km。娘が歯医者に行かなくてはならなくなったと言う事で送金する為に出掛けた。こういう時には、山奥に暮らしているのは辛い。12時過ぎに戻ってきたのだが、寝不足で身体がだるくなってきた。寝不足もあるのだろうが、熊本からたった3日で帰ってきた長距離運転の疲れも出始めたのだろう。

 今夜の「なんでモール」ライブでは、此処数回、新曲を披露していたので。新曲を作ろうとしたが、寝不足で頭が回らない、頑張ったが出来ないものはいくら頑張っても出来ない。あきらめて昼寝をする事にした。

 4時過ぎに起きだしたら、此処のところ治まっていた歯が痛み出した。自分で抜いた歯以外にも、虫歯がある。今まで痛んでいなかった歯が痛み出した。1000日連続ライブは歯痛との闘いでもある。憂鬱だ。

 葉の痛みをこらえながらなんでモールへ。7時半頃到着。駐車場にやまちゃんが居た。これで今日はお客さんが確実に居る事になったので安心だ。芝さんと神谷さんもやって来てくれた。久しぶりに石野夫婦も来てくれた。今日は5人と少ないお客さんだったが、昨日に比べたら5倍の客入り、ものは考えようでいくらでもハッピーになれるのだ。ホームグラウンドになった「なんでモール」、いつものようにリラックスした1時間半のライブはあっという間に終わった。歯の痛みも、唄っているときには忘れてしまえるのだ。

 疲れもあったので、今夜も早めに勝坂に戻った。

606日目 ハンブルグ

2005年11月22日 01時19分01秒 | Weblog
11月21日

 12時までぐ~っすり眠っていた。夜中におしっこがしたくて起きたとき、一瞬にして体が冷え切ってしまうほど寒く、布団に戻ったときにはぶるぶると震えが泊まらないほどだった。ついこの間までの九州の暖かさが嘘のようだ。いったい秋は在ったのだろうか、僕にとって秋はほんの一瞬に通り過ぎ、一気に冬に突入したような気分だ。

 12時に起きても、寒いのには変わりなかった。ストーブを焚きたい気分だが、まだ手が凍えるほどでもないのでコタツで我慢我慢。貧乏歌手に贅沢は禁物だ。
 身体の調子はよくなっていたが、ハードな移動と大阪での親孝行もどきなどで、日記をかけないままもう10日になっている。体調が悪い時点で止まったま一向に進まない日記を心配して、電話やメールが何度か届いている。その人達には、元気になった事を伝えたが、毎日のように見に来てくれている人達には心配をかけっぱなしになってしまってすいませんでした。

 と言う事で、コタツに入って日記を書き続ける一日でした。おかげで、何とか今日までつなげる事が出来ました。そして、暗くなった頃、浜松の街中ににあるハンブルグにライブの為に出掛けた。

 8時半過ぎにハンブルグに到着。ボーナス前、月曜日と言う事もあってか、肴町の通りを歩く人はほとんど居なかった。マスターが、2階の店から降りてきて待っていてくれた。今日は一人もお客さんが来ていないといいながら、僕のギターケースを持って2階の店まで運んでくれた。

 二人っきりのライブでもいいじゃないですかと僕は言ったのだが、そのとおりになってしまった。でも、、そのおかげで、いつもお客様の事を気にしながらしか聞けなかったマスターに、しっかりと僕の歌を聞いてもらえることが出来たのだから、今夜はいい日だったのだ。ライブを終えて、マスターが5000円のおひねりを出したので、とんでもないと断って、1000円だけ頂く事にした。今夜店の収益が1円も無いのに、5000円は申し訳ないと思った。でも、その心遣いはとっても嬉しく頂く事にした。そして、10日分のブログの日記を更新する為に、早々と店を出て(といっても11時)勝坂砦には12時過ぎにたどり着いた。

 春野町の犬居の辺りの道路に気温が表示されている。天竜の町辺りで3度だったが、此処は1度、勝坂は氷点下なのだろう。こうして日記を書いていても、耳が冷たくて痛くなってきている。今夜はしっかり暖かくして寝ないと、風邪をひきそうだ。

605日目 春野町産業祭り

2005年11月22日 01時16分22秒 | Weblog
11月20日

 11時に布団から抜け出した。勝坂は寒い。すぐにコタツの電源を入れてもぐりこむ。しばらくボーっとして、出発。意外な事に、旅の疲れは無かった。

 春野町産業祭りの会場の元役場に12時過ぎに到着した。駐車場係が、元役場玄関と言う駐車券を車のフロントのところに置いてあるのに、違う場所に移動して欲しいと言う。仕方が無いので、まずはギターを置いてからと、ステージ近くまで車を移動させていたら、ヱスビーエスプロモーションの祢宜田さんがやってきて係員に一言。それで、役場前の駐車がOKになった。なんだそれという感じだ。

 ライブは1時から。12時半に一曲だけリハーサル。「勝坂賛歌」を歌ったら、ステージ前の椅子に座っていた人達から拍手が起こった。いい感じだ。

 本番が始まった。僕を知って来てくれている人達の顔が見えた。春野町の仲間たちや、稲鶴さんとムーさんもやってきてくれていた。秋晴れの中、そびえる山並みを見ながらのライブは気持ちよかった。50分のステージが終わる頃、人がどんどん増えていた。嬉しいなと一瞬思ったが、よく考えてみたら、この後、アンパンマンショーが始まるのだ。僕の歌を聞きに集まったのではなく、アンパンマンショーの為に子供たちをつれた家族がどんどん集まっていただけだった。それでも、人が増えるのは楽しい。気分よく、久しぶりの春野町での演奏を楽しんだ。

 演奏後、稲鶴さんとムーさんがやって来てくれた。競輪選手の稲鶴さんが日曜日に来てくれたということは、いよいよ引退したのかなと思って聞いてみたら。練習のやりすぎで膝を痛めて休んでいると言う。来年の春にかけてリハビリをして、まだまだ走るのだと言う。凄いですねと言ったら、稲鶴さんは、高橋さんが歌い続けているのにやめるわけにはいきませんよと嬉しいエールを送ってくれた。此処のところ、気が下降していたが、稲鶴さんに負けないように僕も頑張らなきゃと元気をもらった。

 そのあと、会場を回って、いろんな人と話し、最後は、坂下さんとてっちゃんと話して、てっちゃんを店まで送って勝坂砦に戻った。