何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

606日目 ハンブルグ

2005年11月22日 01時19分01秒 | Weblog
11月21日

 12時までぐ~っすり眠っていた。夜中におしっこがしたくて起きたとき、一瞬にして体が冷え切ってしまうほど寒く、布団に戻ったときにはぶるぶると震えが泊まらないほどだった。ついこの間までの九州の暖かさが嘘のようだ。いったい秋は在ったのだろうか、僕にとって秋はほんの一瞬に通り過ぎ、一気に冬に突入したような気分だ。

 12時に起きても、寒いのには変わりなかった。ストーブを焚きたい気分だが、まだ手が凍えるほどでもないのでコタツで我慢我慢。貧乏歌手に贅沢は禁物だ。
 身体の調子はよくなっていたが、ハードな移動と大阪での親孝行もどきなどで、日記をかけないままもう10日になっている。体調が悪い時点で止まったま一向に進まない日記を心配して、電話やメールが何度か届いている。その人達には、元気になった事を伝えたが、毎日のように見に来てくれている人達には心配をかけっぱなしになってしまってすいませんでした。

 と言う事で、コタツに入って日記を書き続ける一日でした。おかげで、何とか今日までつなげる事が出来ました。そして、暗くなった頃、浜松の街中ににあるハンブルグにライブの為に出掛けた。

 8時半過ぎにハンブルグに到着。ボーナス前、月曜日と言う事もあってか、肴町の通りを歩く人はほとんど居なかった。マスターが、2階の店から降りてきて待っていてくれた。今日は一人もお客さんが来ていないといいながら、僕のギターケースを持って2階の店まで運んでくれた。

 二人っきりのライブでもいいじゃないですかと僕は言ったのだが、そのとおりになってしまった。でも、、そのおかげで、いつもお客様の事を気にしながらしか聞けなかったマスターに、しっかりと僕の歌を聞いてもらえることが出来たのだから、今夜はいい日だったのだ。ライブを終えて、マスターが5000円のおひねりを出したので、とんでもないと断って、1000円だけ頂く事にした。今夜店の収益が1円も無いのに、5000円は申し訳ないと思った。でも、その心遣いはとっても嬉しく頂く事にした。そして、10日分のブログの日記を更新する為に、早々と店を出て(といっても11時)勝坂砦には12時過ぎにたどり着いた。

 春野町の犬居の辺りの道路に気温が表示されている。天竜の町辺りで3度だったが、此処は1度、勝坂は氷点下なのだろう。こうして日記を書いていても、耳が冷たくて痛くなってきている。今夜はしっかり暖かくして寝ないと、風邪をひきそうだ。

605日目 春野町産業祭り

2005年11月22日 01時16分22秒 | Weblog
11月20日

 11時に布団から抜け出した。勝坂は寒い。すぐにコタツの電源を入れてもぐりこむ。しばらくボーっとして、出発。意外な事に、旅の疲れは無かった。

 春野町産業祭りの会場の元役場に12時過ぎに到着した。駐車場係が、元役場玄関と言う駐車券を車のフロントのところに置いてあるのに、違う場所に移動して欲しいと言う。仕方が無いので、まずはギターを置いてからと、ステージ近くまで車を移動させていたら、ヱスビーエスプロモーションの祢宜田さんがやってきて係員に一言。それで、役場前の駐車がOKになった。なんだそれという感じだ。

 ライブは1時から。12時半に一曲だけリハーサル。「勝坂賛歌」を歌ったら、ステージ前の椅子に座っていた人達から拍手が起こった。いい感じだ。

 本番が始まった。僕を知って来てくれている人達の顔が見えた。春野町の仲間たちや、稲鶴さんとムーさんもやってきてくれていた。秋晴れの中、そびえる山並みを見ながらのライブは気持ちよかった。50分のステージが終わる頃、人がどんどん増えていた。嬉しいなと一瞬思ったが、よく考えてみたら、この後、アンパンマンショーが始まるのだ。僕の歌を聞きに集まったのではなく、アンパンマンショーの為に子供たちをつれた家族がどんどん集まっていただけだった。それでも、人が増えるのは楽しい。気分よく、久しぶりの春野町での演奏を楽しんだ。

 演奏後、稲鶴さんとムーさんがやって来てくれた。競輪選手の稲鶴さんが日曜日に来てくれたということは、いよいよ引退したのかなと思って聞いてみたら。練習のやりすぎで膝を痛めて休んでいると言う。来年の春にかけてリハビリをして、まだまだ走るのだと言う。凄いですねと言ったら、稲鶴さんは、高橋さんが歌い続けているのにやめるわけにはいきませんよと嬉しいエールを送ってくれた。此処のところ、気が下降していたが、稲鶴さんに負けないように僕も頑張らなきゃと元気をもらった。

 そのあと、会場を回って、いろんな人と話し、最後は、坂下さんとてっちゃんと話して、てっちゃんを店まで送って勝坂砦に戻った。

604日目 小津神社

2005年11月22日 01時13分26秒 | Weblog
11月19日

 10時に起こしてといっていたのだが、10時半に妹の声がして起きだした。ずいぶん元気になったおふくろが、美味しいものを食べに行きたいと言っていたので、出かける事にしていたのだ。
 食事に出掛ける前に、近くにあるがずいぶんとご無沙汰している水間寺に紅葉を見に出かける事にしていた。軽く朝ごはんを食べて、しばらくして11時半ごろ3人で出掛けた。

 水間寺は、小学校の頃写生会に出掛けて以来ではないかと思うぐらい久しぶりだ。子供の頃には無かった立派な公園の駐車場に車を止めて、足の悪いおふくろのペースに合わせてゆっくりと公園を散歩。コスモス畑が在ったらしいが、花は咲き終えてその残骸だけが残っていた。
 そんな中を歩いていて、出てくるおふくろの話はほとんどが親父との思い出話ばかりだ、親不孝ものの僕が、新しい思い出を作ってあげるほど家に帰っていないからだと思うと申し訳ないような気がする。
 紅葉も色づきがあまり良くは無かったが、妹とおふくろと3人で歩けば、そこが何処でもどんなに景色が良くても悪くても、幸せな気分だ。

 水間寺の本堂のある境内に二人を残して、僕は車を公園の駐車場から境内の駐車場へと移動させた。寺の高台にある駐車場まで息を切らせながら上った。子供の頃は、このぐらいの坂道、なんとも無かったのにと重いながら。そして車を回して、駐車場に入れて、陶器市をやっている水間寺の境内に入った。本堂も三重塔も、もっと大きく思っていたが、それは僕が子供だったからだろうな。意外と狭い境内に焼き物屋さんが店を並べていた。お父ちゃんが居たら、ぜったい値切ってなにか買うてたやろな、とここでも親父の事が話題になった。高橋家の中でやはりおやじの存在は偉大なのだ。

 寺を出て、近くにあったコジャレタ、ケーキ屋さんでケーキを買って、さて何処に食べに行こうかという話になった。だれも、行き先を考えていなかった。おやじが死んだ後、登記のことで相談に行った事務所の前にあった、小さなフランス料理店のことが僕は気になっていた。そんな話をしたら、そこに行こうということになった。
 車を市役所の駐車場に置いて、小さな小さなフランス料理店に入った。テーブルが4っつ、8人しか座れないほんとに小さなお店だった。小さな店内は、飾り気は無いが暖かい感じがして、その雰囲気に満足。メニューはランチが3種類だけ。一番安いAランチを頼んで待った。お急ぎですかと聞かれ急いでいませんと答えた。その心遣いが嬉しかった。
 最初に、かぼちゃの温スープ。一口、口に含んだだけで甘さと香ばしさが口の中一杯に広がって、心まであったかにしてくれそうな味だった。妹もおふくろも、自然と微笑んでいた。このスープだけでもう満足。

 壁に飾ってあるシェフの写真は2枚、フランスの三ツ星レストランで修行していたものだ。この店を開業して20年らしい。この味ならもっと大きな店を出しても充分やっていけると思うのだが、そこはシェフのこだわりなのだろう。小さな店で、こんなに美味しいものを出してもらえたら、リピート客だけで充分やっていけるからなのだろう。まだ、スープしか飲んでないのに、もう高橋家族は次に来たらと言う話をしていたのだから。
 昼のランチだから、すぐにメインディッシュ。小ぶりなステーキを小さく切って口に含んだ瞬間、又僕は笑ってしまった。なんでこんなに美味しいの、表面はカリカリ言うぐらいしっかり焼きあがっているのに中はレア。カリカリ感とやわらかさを歯で感じたその跡に、ジューシーな肉汁が程よい塩加減の味付けと共に口の中に広がっていった。ん~ん絶品。
 食に、まったくといって欲の無い僕が(だからといっていつも安いものばかり食べているわけではない)ここまで書くのだから、それはそれは美味しいのだ。
 デザートのケーキと紅茶。ここでも又、大感動。ケーキの上品な甘さに喜んでいて、紅茶を口に含んだとたん、なんともいえない絶妙なバランスで紅茶の渋みとケーキの甘みが一体になって、又なんともいえないとろけるような味が口の中に広がった。こんな美味しい紅茶を僕は初めて飲んだ。妹も感動しっぱなし。

 何気なく気になっていた小さな小さなフランス料理店。実家に帰る楽しみが増えた。

 大満足で店を出て、最近出来たと言う大型スーパーマーケットに出掛けて買い物を済ませ、取引先の病院に荷物を運んで、家に戻った。久しぶりの、実家での親孝行。いい一日だった。

 これで今日が終わったわけではない。4時過ぎに、実家を出て滋賀県に向かった。今夜のライブは滋賀県守山市の小津神社。藤木君が設定してくれている。8時からだと言うので7時着を目指して走った。7時ちょっと過ぎに小津神社に到着。真っ暗な境内に藤木君の車だけが止まっていた。僕がやってきた気配を感じて藤木君が出て来てくれた。今日は、元青年団の結婚式があってみんな来られないという。それでも、何人かには声をかけてあるからと言う事だった。神社のホールにはストーブがたかれてあった。今夜も寒い、そんな中、機材を車から降ろし、セッティング。準備が整って、ギターを弾いていると、お客さん達が集まってきた。玉津小学校の校長や、守山市の教育長などが顔を見せてくれた。そこにもう一人驚く人が居た。以前、大学の授業の中で僕のライブを行ってくれた、鹿児島大学教授の平ちゃんの顔が。10人そこそこの人数だったが、温められた部屋のように僕の心もあったかく、素敵なライブを1時間半。校長や教育長がCDを買ってくれた。平ちゃんも構成が良かったと言って、特に「ほたる」を絶賛してくれていた。

 これで今日が終わりではまだ無い。機材を片付けたらすぐに、春野町に向かって出発だ。明日の1時には春野町でのライブが始まるのだ。10時過ぎに小津神社を出発。高速に乗り込んで、極寒の勝坂に着いたのは1時半だった。ものすごーい長い一日を終えて、寝酒を飲んで、冷え切った布団に身体をくるんだ。

603日目 福岡宅ホームコンサート

2005年11月22日 01時10分21秒 | Weblog
11月18日

 目が覚めたのは9時前。朝ごはんを食べる気力も無かった。太田垣君が昼飯を労音事務所で一緒にといってくれていたので、飯抜きでしばらく凝り固まった身体をほぐしてから出発。岡山から姫路は近い。だが、最終的に今日は大阪の実家まで走る事になるから、ちと辛い。

 とりあえず、11時半ごろ姫路労音の事務所に到着。太田垣君が昼食の準備をしていた。野菜一杯の料理が出てきて、事務局の人やはなこまの仲間達と一緒に食事、大勢で食べると何でも上手い。それだけでなく、太田垣君の料理のうではプロ級なのだ。

 昼食を終えて、太田垣君の車で福岡さんのお宅へ。今日のライブは、ホームコンサート。福岡さんの家はお母さんと障害を持っいるけんちゃん(といっても僕より二歳上)の二人暮し。お母さんが歳をとって、最近コンサートにも出掛けられなくなったからと、太田垣君が設定してくれた。お客さんには姫路で何回も僕を取り組んでくれている藤井さんもやって来てくれた。ご近所の人も一人やってきてくれて太田垣君も含めて5人のお客さんで2時からライブを始めた。少人数の中でも1時間半目一杯歌ったことを、太田垣君は評価してくれたけど、僕はいつもどんなときでも目一杯なのだ。

 ライブを終えて、太田垣君の車で労音事務所に戻ると築谷さんが居た。しばらく3人で話をし、来年は姫路を中心とした播州地域の労音の人達にも協力してもらって、少し長期にライブを作ってもらう約束をして大阪に向かった。

 いつも空いている湾岸高速が時間帯のせいかかなり車の量が増えて居た。それでも、大阪湾のきれいな夜景を見ながらすいすい走り、7時には実家に着いた。
 うつで塞ぎこんでいたおふくろだったが、心臓の手術をして、最近になってすこぶる元気になってきたと妹から聞いた。そういえば食事のときも、何時になくよく喋るおふくろだった。

 長距離運転で疲れていたが、体調のほうは嘘のように元気だ。あの九州での10日以上続いた37度の熱はいったいなんだったんだろう。

602日目 マリンハウス日付変更線ライブ

2005年11月22日 01時07分40秒 | Weblog
11月17日

 12時が過ぎ、ほかで店をやっている青年ともう一人の青年もやってきてくれて太郎君とママと4人が聞いてくれる日付変更線ライブ。かなり酔っていたのでハードな歌は控え、ブルージーな曲を集めて1時ごろまで唄ったかな、その後、語り続け、ママは先に部屋に戻って、それでも僕は喋り続けていた。体調が良くなったばかりだから、自重しなければいけないのだが、ついつい調子に乗ってしまった。

 3時過ぎに、ママの部屋に太郎君と寝に上がった。

 12時前に目が覚めた。太郎君は当然のように居なかった。店に下りると、朝食の用意をしてママが待っていてくれた。ちょっと二日酔い気味のぼやけた頭で、朝食を頂き、又来年春にやってくることを約束して熊本県三角町を出発した。

 今日はいける所まで走り続けるだけ、明日の12時までに姫路に着く為に。

 今回の九州は収入がかなり少なかったので、高速道路はもったいない、ひたすら国道を走り続けた。結局北九州市まで国道で行き、そこから九州自動車道に乗り込んだ、そしてすぐに中国道に入り、広島から山陽道に乗り継いで、岡山のサービスエリヤに着いたのは夜中の1時過ぎだった。車の中で寝酒を一杯。そして、久しぶりにシートを倒して眠った。
 めちゃめちゃ寒い。途中で寒さで目が覚め、改めて、寝袋を用意して又眠った。

601日目 マリンハウス

2005年11月22日 01時01分56秒 | Weblog
11月16日

 今日も、目覚めは悪くない。身体の気だるさはほとんど感じなくなっている。やっと、本来の身体に戻ったようだ。熱を測ってみた、36度3部。完璧だー。
 10時にホテルをチェックアウトして鹿児島を出発。高速道路はもったいないので、国道3号線をひた走って、熊本県三角町のマリンハウスに向かった。今日も空気は冷たい。海岸線の道路は空気も澄んでいて、海と青空のコントラストが美しかった。

 マリンハウスに行くときには、必ず寄る道の駅不知火で温泉に入って、5時に到着。来れてよかった。癌と闘いながら店を営業しているママは、幾分かやせたように思えたが元気一杯で迎えてくれた。店には飲み客が二人いた。そんな中でリアはーサルがてらにビートルズを唄った。郵便局の人二人だったが、ものすごく気に入ったらしく話が弾み、来年みかんの花咲く丘でライブをやろうという話が決まってしまった。8時からのライブには、そのうちの一人の人が残ってくれて一曲だけ聴いて帰るといっていたのに最後まで居てしまった。青年団を終えた太郎君もやって来てくれた。彼は、今夜の日付変更線ライブにも参加してもらうことになっている。そして、お客さんたちは10人弱。新曲をたっぷり聴いてもらった。

 初めてこの店に来てから、もう20年になる。長い付き合いのお店だ。この店の中でも、殺されそうになったようなドラマがあった。ママには、生きてもらいたい。永く永く生きてもらいたい。

 ライブ終了後は、飲んで飲んで飲みまくる。飲むほどに饒舌になる高橋。気分は最高。

600日目 青年会館艸舎

2005年11月22日 00時59分03秒 | Weblog
11月15日

 隼人町のホテルを10時チェックアウト。昨日から、身体が少し楽になり始めていたのだが、今日の目覚めはなかなかいい。完璧ではないが、やっと元気になり始めたらしい。

 夜に、実紀ちゃんが頑張ってくれて、ユカちゃんがライブを作ってくれる事になっている。鹿児島市のホテルに予約して、そこ此処で時間をつぶし3時にホテルにチェックイン。ホテルの契約駐車場は、車を出すとその度に料金を取られるということなので、隼人町からやってきてくれる実紀ちゃんの車に便乗させてもらう事になった。7時前、実紀ちゃんからの電話で、ホテルの駐車場へ、そこから今年最後の鹿児島のライブ会場、青年会館艸舎に向かった。今回の鹿児島は実紀ちゃんの大活躍で何とか乗り越える事が出来た。ありがたい。

 艸舎に着くと、ユカちゃんが迎えてくれた。そのうち、鹿屋の大ちゃんもやって来てくれた。男性客はかれ一人だけ。ユカちゃんは仲間たちに声がけしてくれたようだが、みんななかなか来てくれなかったようだ。お客さんは少なかったが、なごやな雰囲気で、艸舎ロビーコンサートは1時間半歌って終わった。その後、ユカちゃんとその友達そして大ちゃんの4人で食事に出掛けた。ユカちゃんは初心者マーク、はらはらドキドキしながら、ホテルまで送ってもらった。鹿児島最後の夜は、一人さみしくホテルの部屋で酒を飲んで終わった。

599日目 隼人創造舞台

2005年11月22日 00時55分50秒 | Weblog
11月14日

 鎌田さんのお宅で10時過ぎに目覚めた。ご主人と奥さんそして娘さんの彼氏が語っていた。その中で食事を頂き、失礼しようと思っていたのだが、鎌田さんが鹿児島を案内したいと言い出した。鹿児島市内のめぼしいところは大体知っていた僕だが、それならと、丘の上にある美術館へと誘われ、一緒に車で出かける事にした。鹿児島市が一望できるところにある美術館で絵の良くわからない僕には理解できないような、それでも、ピカソなどの有名な絵が展示されてあった。何かを感じることは出来なかったが、滅多に見られない絵を見たことで満足。その後、喫茶室でお茶をご馳走になって、鎌田さんたちと別れた。

 今夜は隼人創造舞台の人達の会合の席の中で唄うという設定を実紀ちゃんが作ってくれた。鹿児島市内にホテルを取って今日明日連泊するつもりだったが、体調もよくないし移動が大変だから、隼人町のホテルを取った。
 会場は、隼人町教育委員会のの2階。会議の後だから30分の短いライブだ。でも充実した30分を演出できたようなきがする。僕はホテルに車を置いて、実紀ちゃんに便乗させてもらって。竹下君の誘いで、鹿児島神宮のそばにある居酒屋に。調子が今一なので、あまり飲まないでと思っていたのだが、地蔵原さんやみきちゃんや創造舞台のメンバーと飲んでいるとつい調子に乗って、日本酒の2号瓶二本を開けてしまった。今夜もいい気持ちでホテルへ。
 こんな事だから、体調がよくならないのだろう。でも、頑張るぞー。

598日目 鎌田宅ホームコンサート

2005年11月22日 00時52分23秒 | Weblog
11月13日

 志布志のホテルを出て、鹿児島市内を目指す。昼のコンサートなので急がねばならない。37度、相変わらずだるい身体をもてあましながら、それでも頑張って走り続けた。

 昼の1時ごろに鹿児島市内の鎌田さんのお宅に到着する事が出来た。音響機材を運び込んで、会場作り。それが終わった頃には、お客さん達がやって来てくれた。奥さんの仕事仲間の人達が多かったようだ。新しい曲が沢山増えているので、前と同じ曲ばかり唄っていないかというような心配もなく、楽しくライブを続けた。1時間半以上になってしまったライブを終え、皆さんでお茶を飲みながらの交流会は、前回と同じ。そろそろお客さん達が帰り始めた頃から、鎌田さん家族と飲み始めた。前回の、ライブを録画してくれていたものをテレビで流してくれていた。恥ずかしいほどよく喋っていた。話は長いとは自分でも思っているのだが、改めてビデをで見せられるとその話の長さに僕自身でさえいやになってしまうほどだ。ん~ん、反省反省大反省。

 この日の(だけでなく、11日~20日まで)日記を書いているのは、11月21日、春野町勝坂で。この日の記憶はかなり薄れてしまっていて、申し訳ないが、この辺で終わる。

597日目 志布志町文化会館

2005年11月22日 00時48分35秒 | Weblog
11月12日

 掃除はいらないと、ホテルで夜まで過ごした。何もする気が起きない。困ったものだ。

 夕方になって、文化会館に出掛けた。ロビーに機材をセットしてお客さんを待つ。急な話し出し、どれだけお客さんが集まってくれるか心配だったが、20人近くやって来てくれた。黒木君やノリちゃんにも電話していたのでやってきてくれていた。

 僕の事を知ってくれている人達が沢山集まってくれて、楽な気分で演奏する事が出来た。皆さん新しい歌に関心を持ってくれて、その歌の入ったCDは無いかと聞かれ続けた。早く新曲のCDを作らなきゃと思うのだが、時間をどう作っていいのやら。

 ライブ終了後、有志で飲みに出掛けた。その席で、来年はもう少し早めに僕のほうから連絡して、沢山のライブを作ってもらえるようにしたいとお願いした。今年の志布志最後の夜も、楽しくふけていった。酒匂さんの車でホテルまで送ってもらって、みなさんお休みなさい。