何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

うそのように

2012年10月30日 09時38分07秒 | Weblog
10月30日

昨日まで、いや昨夜まで続いた胃の痛みが、朝起きたら嘘だったかのようにまったく消え去っていた。
でも又あの痛みが襲って来るんじゃないかと不安で、今日は朝から気温が10度と寒かったので炬燵に入りながら、フレンチトーストを作り、豆乳を飲んで恐る恐る朝食を食べたが、その後も胃の具合は異常なし、疲れがたまっていたのと酒のせいだったんだろうが、悪い事ばかり考えて精神的にも落ち込んでいた数日だった。まだ安心は出来ないが、起きて3時間半たつので、もう大丈夫だろう。
60歳なんだよね。今までの無茶苦茶な生き方が心にも身体にも負担を掛け続けてきた、その蓄積が痛みになって身体のあちこちに出てきて休め休めと訴えているんだろうな。
でも休めない、どん底の状態で休んでいたら、そのまま深い眠りに落ちて二度と起き上がれなくなるかも知れないから。
今日は街にでて、いろいろやる事がある、帰って来てもやらなきゃいけない事が沢山ある、頑張るぞ―。

神楽祭りの後片付け

2012年10月29日 14時13分26秒 | Weblog
10月29日

祭りの後片付けは午前8時集合。夜中は動ける状態ではなかったが、そんな状態でも何度か眠れたので少しは楽になった。

手伝い出来ないことを伝えに行かなきゃと、車で小学校に上がった。すでにみなさんはやって来て片付けを始めていた。
がそれは準備だった。
後片付けも祭りの一巻なので、みんなで写真の樹齢四百年近い銀杏の木の下にある資料館に集まって、女集の入れてくれたお茶を飲み、祭典長の挨拶で始まる。祭りは男主体なので女集は出る幕は無いのだが、後片付けの時だけ、台所仕事に参加する。お昼ご飯の準備や片付け終わった後の打ち上げの準備や接待など。でも、片付け仕事はすべて男集の役割で女集は資料館から出て来ない。
住む人は10数人、そのすべての人がお年寄りになってしまった集落だが、市の無形文化財として四百年続く勝坂神楽はその伝統を今も守り続けている。

その場に来ると胃が痛くてもやっぱり手伝えないとは言えなくて、話す気力も無かったが、その場にとどまって出来る限り頑張る事にした。
勝坂集落に張り巡らされた提灯を撤去する作業から始まった。途中で手伝え無くなる事はわかっていたので一番に動き始め橋の向こうにある提灯を外した。すべての提灯は一時間ほどで外し終えた。
昨日の雨、そして夜の露で濡れた旗や上下の神社に敷かれた御座などは、ある程度乾いた昼からという事になったので、僕はそこで体調の悪い事を伝えて家に戻り、布団に潜りこんだ。
目覚めたら午後1時だった。あれだけ痛んでいた胃は多少の不快感は残っているもののかなり楽になっていた。
ニートRVの時も飲んだ翌日胃の痛みに悩まされたが、どうやら酒は身体が拒否しているようだ。僕自身飲みたいと思わないのだから、場がしらけても、これからはきっぱりと断わる事に決めた。

神楽のお祭りそのものには参加できなかったが、3日間不充分ではあったが勝坂の人達と付き合わせてもらって幸せだった。

大池から雨の勝坂へ

2012年10月29日 10時06分13秒 | Weblog
10月28日

朝7時半に勝坂を出て磐田市の大池に向かった。昨夜は大量ではなかったが、進められるまま酒を飲んだので夜中に胃が痛くなって起きてしまった。30分ほど必死でストレッチをして何とか胃の痛みがおさまったので寝ようとしたが山は寒い。寝袋を出せばいいのだが面倒だったので炬燵に入ったまま眠ってしまった。身体に良くないよなー。

大池には10時に到着、雨天中止だったので心配していたが、今にも降りだしそうな空模様だったが「大池で遊ぼう」は開催されて、近所の人も沢山参加して賑わっていた。
いつ降りだすかわからない空模様にステージパホーマンスは30分繰り上げられ、雨は僕のステージが終わってすぐに降りだした。残念だが雨を心配したお客さんはほとんど帰ってしまっていた。

降りだした雨に濡れないように車に戻って勝坂を目指した。神楽の祭りは12時から2時まで、雨に濡れて大変だったろう事を想像しながら、途中用事をすませて6時過ぎに勝坂にもどり小学校に上がった。

祭りの打ち上げに集まった人の数も激減していて10人にも満たない、平均年齢も70歳ぐらいか?。

昨日飲んでから胃が痛み続けているので飲まないでおこうと決めたのだが、少人数の席で酒を断わるのは場をしらけさせてしまうと、今夜も進められるままに飲んでしまった。最後までいようとしたが、胃の痛みがひどくなって来たので失礼して家に戻ったが胃の痛みは激しく、車から降りる事が出来ず。家の目の前にいるのに胃の中のものは全部吐いて、痛みにもだえながら車で一晩すごしてしまった。

勝坂神楽前夜祭

2012年10月27日 23時10分29秒 | Weblog
10月27日

車上生活で疲れきった身体を癒すために、昨日からごろごろしている。東京に住む場所を失った時に運び込んだ荷物が山積みになって足の踏み場も無い状態の家の中で。

気持ちだけで、気力だけで生きている。どんな暮らしぶりであっても、人の評価じゃなく自分の思う素晴らしい音楽を目指し続けるという、その気持ちだけで。
でもやっぱり、まともな食事もとれず、車の中で起きている時は一日中同じ姿勢で座り続けて、寝る時も寝返り出来ない同じ姿勢のまま。
もし僕に音楽というものとの出会いと、向上心が無かったら、もう死んでいるかも知れない…なんて、たまに思う事がある。
そんな状況を作っているのは僕自身なんだから、しょうがない事ですね。

勝坂では朝早くから花火の音がしていた。明日が神楽の祭りだからだ。
いつもは明日の祭りの為の準備に参加するのだが、疲れ過ぎている。結局夕方まで家で横になって身体を休め続けた。
明日は磐田の大池のイベントに呼ばれているので祭りにも参加できない。夜には明日の為に全国から勝坂にいた人達が戻ってきて慰労の為の前夜祭がある。
来年6月にはここを出ていかなければならない僕にとって勝坂とかかわりを持つ人達と最後の顔合わせが出来るチャンスなので学校に向かった。

11年前ここにやって来た頃に比べ、集う人の数も少なくなり、みんな歳をとった。来年は僕もここには居ないんだと思うとちょっとさみしい気持ちになってしまった。

警察官が3人で

2012年10月27日 18時15分37秒 | Weblog
10月25~26日

正確には26日の早朝、午前3時に車の窓を叩く音が聞こえた。
防弾チョッキを着た警察官だった。
もう慣れっこだが、車では朝早くに起きてしまうので、ちょうど熟睡している時に起こさないで欲しい。
この日は静岡では珍しく車の中を隅々までしらべられた。いつもは二人なのに、3人もいたのはその為だったようだ。2人が車の中を調べ、残った1人がその間、僕と何気無い世間話をして調べが済むまで時間をつないでいた。本当にご苦労な事だ。
僕が警察の取り調べの合理化が出来るなら。同じ人間を何度も取り調べなくて済むように、過去の取り調べデーターを、すぐに見られるようにして、不審車と思われる車を見つけたら、まずそのデーターを確認するようにしたら、無駄に同じ車を何度も取り調べる事なく、より多くの不審車を取り調べる事が出来ると思うのだが、そうすると何か困る事があるのかな?。

起こされるのは嫌なので、翌日、久しぶりに山(音楽の森)に戻った。

富士山

2012年10月24日 08時25分26秒 | Weblog
10月24日

昨夜はあれから少し移動して、富士市の道の駅で眠りました。
朝目覚めて、トイレに行った帰り、目の前にくっきりと富士山が見えていました。

頂上から裾野まで姿を見せてくれる事は滅多に無いので嬉しくて携帯で写真をとりました。
実際には写真より大きく立派に見えてます。

みなさんにもいい事がありますように。

この後、ちんたらと浜松を目指します。

隣に駐車した尼さんがCDを…

2012年10月23日 22時52分10秒 | Weblog
10月21~22日

千葉での2日間のライヴを終えて石川パーキングに戻って眠り、起きて浜松に向けてちんたらと走り出した。2日間のライヴが満足いくものだったからか、体調はいい。

昨夜は御殿場の道の駅で過ごした。起きている間は、より良き音を求めて、ミックスダウンを続けている。まだまだ分からない事だらけだが、分かっていたつもりが分かっていなかった事に気がつく事も多く、奥が深い。

御殿場を出て、富士市に差し掛かった所で、大型スーパーで買い物をして、又ミックスダウンをやり始めたら、隣に駐車した年輩の女性が僕の車に何かをぶつけた。
以前にも、相手のドアをぶつけられ僕の車のドアを傷付けられた事もあるが、身体を傷付けられた訳じゃなく、いいですよと言って何も請求しなかった。
こんな事だからいつまで経っても金に困ったままなんですよね。

今日も、コツンと音がしただけだったので、その瞬間女性の方を見たが、ミックスダウンに集中した。
しばらくして、その女性が車に戻って来て、車の窓から僕の事を見続けているので、窓をあけた。
「さっきは叱られると思ってドキドキしていたら、一瞬私を見ただけで音楽を聞いていたのでホッとしました。」と話出し、何をしているのかと聞かれたので、音楽を作っている事を伝え、ついでに買ってくれませんかと言うと、今、お金を持ってないからスーパーのATMでお金をおろして来るから待っていてと言われた。
まさか買ってくれると思っていなかったのでこっちのほうが慌てた。
「ちょっと待って下さい、気に入らないかも知れないものを買ってもらいたくないので、少し聞いて下さい。」と言って、年輩の女性だったので「証明…あかし」を取り出して一曲目の「トンネルを抜けて」をカーステレオで聞いてもらいケースを渡した。
手に取った彼女は、
「しょうみょう…、私は尼なのでそう読んでしまいます。」と言って笑った。
「あかしって読むんです、生きているあかしって意味でつけたタイトルなんです。」と説明したが、彼女にとってどうでもいい事だったようで、それには答えず「出だしの音がきれいですね、おいくらですか。」と。
「2000円です。」

そして彼女はお金をおろしてスーパーから戻ってきた。
その後2時間に渡って彼女の身の上話を聞くことになってしまった。
人に騙され裏切られ周りから村八分になり誰も信用出来なくなり、僕とこんなふうに話すのは20年ぶりの事だと言っていた。
20年沈黙して来た人が、その20年の沈黙を破って最初に話す相手として僕を選んでくれたのは光栄の至りだ。
彼女の勘違いだと思うが、僕の事が悪い人には見えなかったそうだ。
20年間誰も信じられずに生きてきた人が言うのだから、ひょっとしたら僕はいい人だとは思えないが悪い人ではないのかも知れない。
彼女の話はとどまる事を知らない、僕は延々とうなずきながら話をただ聞き続けた。言葉をはさみたくなる事は何度かあったが、ひたすら聞き続けた。20年間沈黙を守り続けた彼女に代わり、2時間僕は沈黙し続けた。
まだまだ話足りないようだったが、長い時間付き合って頂いてありがとうございますと言って清々しい顔になって去っていった。
最後の最後に彼女の話との類似点のある詩をミックスダウンの勉強の合間に作っていたので、朗読して聞いてもらった。

もうすでに曲のイメージは頭の中で出来ている。
ひょっとしたら、この詩が彼女を引き寄せたのかもしれない。
ではみなさんにも見てもらいます。これは、これからのライヴに欠かせない曲になりそうな予感がします。

ガキンチョキング

今まで生きて来た事すべて
満足出来ない事ばかり
思い悩み迷い苦しみ
唄い続けて来たけれど
いまだ答も見つからねー
何時まで経っても見つからねー
60過ぎてもガキンチョで
何をやってもドジばかり

俺等死ぬまでガキンチョで
死んでもきっとガキンチョさ
産まれて来てもガキンチョで
未来永劫ガキンチョさ

ガキンガキン ガキンガキン
ガキンガキン ガキガキンチョキング


うまい汁など何処にも無い
飲みたきゃ自分で作ればいい
楽して飲んだその付けは
そのあと 一生ついてくる
近道抜け道するんじゃねー
うまい話にのるんじゃねー
めんどくせーが真っ正直に
泥水のんでも生きてやる

俺等死ぬまでガキンチョで
死んでもきっとガキンチョさ
産まれて来てもガキンチョで
未来永劫ガキンチョさ

ガキンガキン ガキンガキン
ガキンガキン ガキガキンチョキング

バッカスライヴ

2012年10月23日 13時09分38秒 | Weblog
10月21日

昨夜はニートRVのキャンピングカーに泊まった。夜は急激に冷え込んで、身体が冷えきって何度も起きてしまった。そのせいか、浜田さんの夢工房に着くと胃が強烈に痛みはじめ、予定していた事が何も出来ないまま、バッカスに向かった。
夢工房で横になっていた時、同行してくれたひとみさんに胃のうらあたりをマッサージしてもらったおかげで、バッカスに着く頃には胃の痛みは消えていた。

今夜のバッカスライヴでも30年前に「東京」を買ったと言う人が、共演した、ハート島田さんに声を掛けられて来てくれていた。そして、千日ライヴから良く来てくれている彼も今夜来てくれた。それだけでなく、前回来てくれて11月、島村楽器でのイベントのゲストとして呼んでくれる、イベント担当の彼も来てくれた、30年前に仙八先生で僕を見たことがあった事を思い出して、ライヴはもちろんだが「東京」のCDを買いたくてやって来てくれたそうだ。

僕の原点は「東京」だ、そして30年前、当時レコードだったこのアルバムを買いたくてもお金がなかった少年達が今、40を過ぎた大人になってもまだ覚えてくれている人が沢山いてくれるようだ。
原点に戻った事は大正解だったようだ。

ライヴの内容はもちろん「東京」から8曲も唄ってしまった。喉がぶちぎれそうだったが大丈夫、最高の夜だった。60過ぎても、まだまだ高橋忠史は進化を続けます。