奈良駅前の秘密保護法ロックでのライヴは岡村猛さんの紹介で出来た。昨年の磐田市から奈良市東大寺までの最後のライヴも無理を言って岡村さんにお願いしてやってもらった。いつもお世話になってばかりだ。朝のライブは寒い雨の中、午後からのライブは晴れだった。雨のち晴れ、これからの人生もそうあってくれたらなんてね、そうはうまくいくはず無いか。
ETCカードが、支払いが遅れているせいで使えなかったので、行きも帰りも国道を走り続けた。5日に東京を出て6日の早朝に奈良まで走って一時間だけ眠った。午前と午後のライヴの間に2時間眠れた。ライヴ終了後、大好きだったおばちゃんが先日95歳の誕生日の日に亡くなったが通夜にも告別式にもお金が無くて行けなかったので、奈良の王子町の最後に一緒に暮らしていた、いとこのマーちゃんの家に出掛け仏壇の前でお線香はあげず、歌を唄った。生きている時におばちゃんに聞いてもらえばよかったと、後悔後に立たず。マーちゃんとご主人と一緒に有ご飯をいただいて、ついつい話が弾み。夜の9時ごろ王子を出た。
高速道路に乗れていれば。途中で春野町によってウォーキングライヴツアーの為のリュックとギターとギターのソフトケースを取って来る予定だったが、そんな時間が無かったので、帰り道に寄ることにした。車の中ではまだ音作りの為のミックスダウンを続けている。運転中も休憩の時も。そんな事で春野町勝坂に着いたのは朝まだ暗い4時、明るくなるまでミックスダウン、夜が明けたので荷物を取りに家に入った、ウォーキングライヴツアーで使う予定の宮城県大崎市の鬼首で10年以上前、ある事で(事情は書けない)いただいた、タカミネの限定版っぽい値段の高そうなギターが見つからない。あっちこっち部屋の隅の隅まで探していたら、完全に記憶から消えていたアメリカ製のオベイションのアメリカ建国200年モデルのギターが出てきた。あっこれがあったじゃないか、お金が無くてどうしようもなくて誰もが認めた名器のギブソンのダヴを売ってしまった後、まともなギターは持てないとあきらめていたが、目の前のことで精一杯で過去のことをほとんど忘れてしまう僕に、神様の贈り物のように感じた。今使っている。千葉県の浜田さんから好意で貸してもらっているギブソンのハミングバードを、いつになったら返せるだろうと心苦しかったが、これでやっとお返しする事が出来る。
オベイションのギターは、借り物だ。20歳の頃、京都のペップレコード事務所に所属して、河島英吾君、やしきたかじんさん達他多数の人達とワーナーブラザースレコード会社から、それぞれが一曲ずつ録音したLPアルバムを出した。僕のレコードデビューは24歳ということになっているが、実は20歳の時メジャーレコードデビューしたというのが正しい。その多数いた録音メンバーの中に、高いレベルの音楽性をもった「一匹狼」というギターとフルートという他には居ない編成のディュオグループがいた。そのフルートとボーカルを担当していた人がオベイションの持ち主だ。東京に出て、レコードを出すことが出来て全国を活動の場とするようになって旅を続けていた。そんな頃、広島だったか岡山だったかオベイションの持ち主は、ヤマハに勤め。支店長として各地に赴任先を変え移動していた。最後に逢ったのは高知県だったような気がするが、その時に、僕は使わないから高橋君が使ってくれたら嬉しいと貸してもらった。30年以上前の事だ。そんな人なのに、今僕はその人の名前が思い出せない。記憶の悪さは天下一品だ。申し訳ない。
鼠にかじられた後が残るがまだ使えるリュックとタカミネのギター、そしてウォーキングライヴツアーでオベイションかタカミネか決めかねる所だがどちらかのギターを運ぶ為のソフトギターケースを車に積み込んだ。ソフトケースは、昨年の磐田~東大寺のウォーキングライヴツアーの時、やっぱりお金が無くて安物の布製のギターケースを買ってそれで歩こうとブログで写真を載せたら、滋賀県守山市の藤木猛さんが、僕の使ってた奴でよかったらと皮製の頑丈でりっぱなソフトケースを貸してくれていた。去年の旅は車と共に移動したのでソフトケースは使わなかった、そのまま借りっぱなしになっていたが、今度の旅では大活躍してくれそうだ。
今回のウォーキングライヴツアーも、旅に出る前から、こんなに素敵な人達に支えられている。
無理をしても頑張らなくっちゃ。
7日の4時に東京小平市の車の保険屋さんに会う約束をしていた、5日からたった3時間しか眠っていないので寝たかった。でもそんな余裕は無い、荷物を積み込んですぐに勝坂を出た。半端でなく眠い。高速道路なら完璧に眠ってしまうだろう。一般道路しか走れないのが幸いか。
それでも音作りはやめない、休憩するとはまり込んでコンビニで休むたびにあっという間に一時間以上すぎてしまう。今日帰るのは不可能だと保険屋さんに明日の四時に行くことを電話して8日の5時に小平市に着いて、保険の更新手続きをすませ、4日前に入園式を済ませた孫娘のここみ、昨日小学校入学を済ませた孫娘のひな、二人におめでとうを伝えに娘ゆいの住むマンションに立ち寄った。眠気はとっくに通り過ぎていたが頭はもうろうとして、一緒に食事したが何を話したか覚えていない。
北千住に戻ったのは夜の11時だった。5日の夕方にここをでて8日深夜まで、たった3時間しか眠らずに車を運転して帰ってきた。61歳の僕にとってこの4日間は永く充実した奇跡の4日間だった。
よく生きて帰ってこられたもんだ。