明日につなぎたい

老いのときめき

立ち食いは好かん

2015-12-18 11:47:17 | 日記

 「百姓の多くは 酒をやめしといふ もっと困らば 何をやめらむ」。石川啄木が貧しい農民の生活に思いを馳せて詠んだ句である。『歌集・悲しき玩具』(明治43年)に収められている。それから百数十年も経っているが、誰もがこの歌から今を思うだろう。TPPの「大筋合意」とかで、コメ、畜産物、乳製品などの輸入がどんどん増え、検疫も手抜きされるという。日本の酪農経営は外国との競争に勝てない悲哀を味わう。酒を飲んでも酔えないだろう。消費者は外国物ばかり食わされるのか。

 「誰が見ても とりどころなき男来て 威張りて帰りぬ かなしくもあるか」。啄木のこの歌が今の公明党にかぶさる。消費税増税10%を丸のみしておきながら、軽減税率を設けたと手柄顔。選挙目当てだろう。何が軽くなり減ったというのか。自民党とつるんで、外食を除く食品の税を8%に据え置きにしたというだけではないか。軽減はウソである。しかも店内で食えば10%、持ち帰り・外での立ち食いなら8%とかの、ややこしい線引きだ。店員の頭の中、ぐちゃぐちゃになる。公明党よ威張るな!そういう前に哀れを催す。

 「邦人(くにびと)の顔 たへがたく卑しげに 目にうつる日なり 家にこもらむ」(歌集・一握の砂)。この歌の背景は何だったか。明治政府の国策が引き起こした足尾鉱山鉱毒問題に対する田中正三の闘い、無残に処刑された幸徳秋水らの”大逆事件”、日露戦争後の韓国併合。啄木は、これら内外の重大事件にショックを受け、そして、この歌を詠んだとの説に出会う。当時、これらの真相、真実に迫った報道は皆無に近い。騙された「邦人(くにびと)」の顔が卑しく見えたのかもしれない。

 「明治43年の秋 わが心 ことに 真面目になりて悲しも」「時代閉塞の現状を奈何(いか)にせむ 秋に入りて ことに斯く思ふかな」。先駆者・啄木の心か響く。いま生きているものに呼びかけているようだ。SAELDsの諸君も共感してくれるだろう。消費税10%が実施されるという時期には、私は90歳になっている。店の前で立ち食いなどする気はない。安倍政権・与党の”とりどころなき男”(女もいるが)が、国民から卑しめられ、悶絶するところを見たい。こんな記事に啄木を連れ出した非礼を詫びる。  


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