明日につなぎたい

老いのときめき

『武蔵野夫人』を読む

2017-01-11 19:02:35 | 日記

 少し体調を崩して(今は回復)、布団の上にごろ寝。テレビを見る気もしない。文庫本を並べた本棚の前に立つ。『武蔵野夫人』(大岡昇平・新潮文庫)が目に入った。同氏の”野火”、”レイテ戦記”、”俘虜記”などの戦争文学は一通り読んでいるが、これは何年も前に買ったのに見落としていた小説だ。私も僅かな期間だが武蔵野のあるところに住んでいたことがある。戦争直後の心象風景も思い出さされる。懐かしい気持ちに駆られて直ぐ読むことにした。

 

 恋愛小説なのだが、物語は先ず武蔵野の自然描写から進んでいく。「富士は見晴らす多摩の流域と相模野の向かうに、岬のように突き出した丹沢山塊の上に小さく載っていた。その四季と天候による変貌は、彼のいつも見飽きぬ眺めであった・・・」。彼とは主人公の女性の恋人・大学生のことである。「学徒召集で南方の戦線に駆り出され、人間に絶望する反面に言わばその補色ともいうべき自然への愛を、ほとんど唯一のみやげとして帰還してきた青年」である(解説)。

 

 彼は戦争の暗さを背負っている。彼女はその男の匂いを嗅いでいる。彼は人間に絶望していたが自然は愛していた。戦後、もてはやされた実存主義を「戦場の醜悪に飽きた彼にはそれを誇る気にはなれない」。共産主義も「戦場の混乱を知っている彼には、革命がこう整然と進行したとは思われない」。要するに戦後に高揚した思想や社会運動にはネガティブなのである。ただ「恋は思想によって殺し尽くせるものではない」と考えるニヒルな人間のように描かれている。

 

 彼の恋人となる夫人は、貞淑で優しい女性である。若くして死んだ長兄、次兄に憧れることはあったが、恋というものを知らなかった。18歳でフランス語教師と結婚する。夫は兵役を免れ、はげしい戦争下だったが、平穏な家庭生活を送る。戦後、この男も別の女性と関係する。戦争中、辛くも二人を繋いでいた心の絆が切れていく。そして、幼馴染の彼と恋に落ちる。戦後とはいえ”姦通”がまだ罪とされた頃、武蔵野夫人の”道ならぬ恋”が始まる。その結末は?戦後民主主義も未分化の時代の物語である。 


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