明日につなぎたい

老いのときめき

91歳の誕生日だが・・・

2017-10-12 15:09:55 | 日記

 今日、10月12日は誕生日。91歳になった。フェイスブックを開いたら、去年同様、多くの仲間から祝福のメッセ―ジが寄せられている。「有難うございます」と返信を済まし、一息入れてから、誕生日って何やろう、考えるというよりは、ぼんやりした想念に浸っていた。88歳の米寿とかのときは、旧友たちや、家族らが祝いの場を設けてくれた。それを思うと、誕生日というのは、ある意味を持つ人生の節目なのだろう。大袈裟のようだが、そう思わざるを得ない。私は、どんな時代・社会に誕生したのだろうか。そして生きてきたのか。

 

 今年の正月、娘(長男の妻)が『お誕生日新聞』(東京日日ー毎日新聞)という資料集を持ってきてくれた。中々のユニ―クなプレゼントだった。私の生まれた1926年(大正15年)から2016年までの90年間、10年毎に10月12日日号(朝刊)の1,2面を集めたものである。大正15年「江木法相が2名の国家主義者から糞便入りの缶を投げつけられた」。昭和11年、日中戦争真っ最中のときだが、何故か、一面は「吉川英治、菊池寛の著書の紹介」になっている。この間、盛んな戦争報道があったはずだが、10年刻みだとこうなるのか。怪訝に思えた。

 

 私は、戦後の混乱、殺伐なな焼け跡、闇市の光景を目の当たりにしてきた者だが、この「新聞特集」の1,2面には、それが見られない。10年毎だとこうなるのだろうか。貧しかった庶民の呼吸が伝わらない。昭和21年「吉田首相らが労組のストライキをを敵視」。31年「鳩山首相らがモスクワ訪問」。41年「閣僚の不祥事で佐藤体制に痛撃」。51年「ロッキ―ド事件で総選挙色」。1986年(昭和61年)から西暦が先行、元号が後回しになる。「米ソ首脳会談、核実験で応酬」と報じられている。それから1996年、2006年、2016年と続く。最近なので紹介を省く。

 

 私は、遠くなったと言われる激動の昭和を丸ごと生きた。20世紀を越えて21世紀に生きている。これからの10年、日本と世界はどう変わっていくだろうか。91歳の「昭和男」は、それを見たい、味わいたいのだが・・・。

 


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