彦四郎の中国生活

中国滞在記

寧夏回族自治区「銀川」へ行く⓫―「太原Taiyuan」を経由して「福州Fuzhou」に戻る

2017-06-25 20:22:05 | 滞在記

◆寧夏回族自治区の首府「銀川」の日本人

 「銀川」には現在、6〜7人の日本人が暮らしているようだ。日本企業が2つあり、それぞれの会社に2人の日本人駐在員がいる。彼ら駐在員は3〜5年を経て、交代のため日本に帰国する。あと、北方民族大学には目黒さんの他にもう一人の日本人教員がいる。彼は、日本に留学中の中国人女性と結婚し、奥さん(※現在、寧夏大学の教員)とともに中国の銀川に来て数年後の昨年より、教員としての生活をしているという。あともう一人の日本人も、中国人女性と結婚してこの地に住んでいるらしい。

 6月20日(火)、午後12時25分発の飛行機で福州に帰るため、「銀川河東国際空港」にタクシーで向かう。柳の並木やポプラ並木が延々と続く。黄河に架かる橋から黄河が見える。広々とした平原を走る。40分ほどで空港に到着した。イスラム系の衣装を着ているカウンター職員。

 航空チケットの発券カウンターに並ぶ。列の前の若い男性が、携帯電話での「映像電話での会話」をしている。彼の彼女のようで、映像が丸見えになる。彼女は今 起きたようで ベットの上で 彼からの電話に応じている。彼と彼女は、携帯の画面を通じて、親愛のキスをし始めた。まあ、いろいろと便利な世の中になったものだな。私は全然ついていけない。

 新疆ウイグル自治区や甘粛省、そして寧夏回族自治区の名産品の一つである「棗(ナツメ)」。この地方の棗は果実が大きい。これを乾燥させた「干棗」は、「クコ」とともに中国人は好んで食べる。空港内に「雪山と沙漠と駱駝」のジオラマが置かれていた。蘭の生け花があった。赤ちゃんを抱えたおかあさん。空港の「小さな小さな本店」には、ここにも東野圭吾の本が平積みされていた。

 出発予定時刻の12時25分になっても、まだ搭乗予定の飛行機が空港に着いていない。これはかなり遅れるぞと覚悟した。いつもの中国のあきれる航空事情である。赤ちゃんを抱きかかえる若いお母さん。中国の飛行機には、赤ちゃんを同乗させているお客さんがけっこう多い。2時間ほど遅れて、ようやく搭乗手続きが始まった。飛行機が離陸した。窓から黄土高原が見える。飛行機内の現在位置を示す表示。経由地の太原に近づいてきた。

 太原に近づくほど、窓から見える風景に緑が多くなってくる。太原周辺のの街が見えてきた。

 太原空港で、一度飛行機から荷物を全部持って出る。空港のどの搭乗口に行けばいいのだろうか。とても迷う。たまたま見えにくいところの入り口から次の搭乗口に行くことが分かり安堵する。「SC8440 福州」の電光掲示版があった。

 午後7時に2時間遅れの午後7時、福州に到着した。6時間30分を要したフライトだった。少々疲れた。アパートには午後9時すぎに到着。銀川への小旅行がようやく終わった。福州空港に到着した瞬間から、ものすごい湿気をともなった蒸し暑さを感じた。銀川が湿気が少なく、からっと爽やかな高原気候だっただけに、この福州の気候には かなりまいる。

◆以上で、寧夏回族自治区「銀川」へ行くシリーズ❶〜⓫を終ります。かなり長くなってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 


寧夏回族自治区「銀川」へ行く❿―楼蘭王国・敦煌王国を占領し、蒙古に滅ぼされた西夏王国

2017-06-25 14:40:01 | 滞在記

 銀川市街の東西北の3つの方向は、沙漠や沙地に囲まれている。その中を黄河が流れる。

 古来より、今の内蒙古自治区や北京などの方面と西域を結ぶシルクロードの入り口として銀川は栄えた街だ。

 銀川はオアシスの街ではない。オアシスの街とは近くにある山脈から地下にのびる地下水が湧き出るところにできた街なのだが、ここ銀川は黄河が氾濫を繰り返し、黄河周辺にたくさんの湖水や池や湿地帯ができ、この水を生活に利用できたことにより都市ができたと思われる。そして、街の歴史が作られ、「砂礫の中に消えた西夏王国の面影」のある街となった。

 今回の旅では、時間がなくて行かなかったが、銀川市街地から西の方(25km)の賀欄山脈の麓に「西夏王陵」というものがある。西夏王国(1038年~1227年)の王墓群。平原から突き出ている盛り土のようなものが、独特の形をしている。50平方kmのエリアに、9つの皇帝陵と250余りの陪供墓が残っているようだ。もともとは八角形をしたレンガに囲まれた陵だったが、この王国を亡ぼした ヂンギス・ハーンの蒙古(タタール)によってレンガが破壊され、その後何百年もの間の風化によって現在の形となったようだ。墓の棺は地下におかれている。東洋のピラミッドとも呼ばれるようだ。

 井上靖が『敦煌』(とんこう)や『楼蘭』(ろうらん)という歴史小説を書いている。また、『西域をゆく』という井上靖と司馬遼太郎の対談書もある。かって、シルクロード交易のルートの中に、「敦煌王国」や「楼蘭王国」というオアシス小国家があったが、「西夏王国」に侵略されて亡ぼされた。このような時代のシルクロードを描いた井上靖の歴史小説は、佐藤浩一や西田敏行などの主演により映画化もされた。

 私のアパートには、一首の書を架けている。福州市内の露店骨董市で買ったものだ。私の好きな古詩だ。

 「青海長雲暗雪山孤城遥望  玉門関黄沙百戦穿金甲不破  楼蘭終不還」古詩一首  という28文字の漢詩書

 だれが作った漢詩なのかはわからない。最後に楼蘭はついに還らずと書かれている。

 ここ寧夏回族自治区には「西夏ビール」というものがある。ここの気候に合った、美味しくて爽やかなビールだ。

◆次回(寧夏シリーズ最終号)に続く

   

 

 

 


寧夏回族自治区「銀川」へ行く❾―早朝の散歩「中山公園」を歩く/ホテルを後に空港へ

2017-06-25 12:43:09 | 滞在記

 6月20日(火)、福州に戻る日の早朝6時半、ホテル近くにある「中山公園」に散歩にでかけた。公園に着いたら朝日が昇ってきた。日本の盆花が咲いている。柳やポプラの木が多い。ポールモリアの曲をかけながらジョキングして走り去る女性。

 中国風の楼があった。太極拳をする老人。中国風の橋が美しい。「バシッバシッ」という音がする方に行くと、独楽(こま)をしていた。ムチのようなものを鉄の独楽に叩いて回していた。

 大声を発声しながら自転車を走らせるおじいさん。これも健康法の一つらしい。鳥を持つ女性の像がきれいだ。朝日が射してきて睡蓮の花が開いてきていた。

 蓮の花も開花していた。公園の中に兄と妹の像がある。健康のために たくさんの人が公園内を歩いていた。

 公園を出ると、健康器具がたくさんある場所に、その器具を使っている人が大勢いた。毎朝、こうやって来ているのだろう。頭の上に50cmほどの棒を乗せながら、棒が落ちないように上手にバランスをとって自転車でおじいさんが走り去っていった。これも健康法の一つなのだろうか。「恒大足蹴」と書かれた看板があった。この店は、広東省にある「恒大」という中国で一番強いサッカーチームの下部組織に子供を勧誘する事務所だった。

 ホテルの隣にある「寧夏回族自治区政府」の建物の道路向かいには、「寧夏回族自治区」の「軍務所」の建物があった。ホテルに戻り朝食をとる。品数も多いバイキングの朝食。タバコの灰皿も各テーブルの上に置かれているのが嬉しい。部屋に戻り、荷物の準備を始めた。ここのホテルには2泊したが、落ち着きのある、まあまあいい中級ホテルだった。一泊350元(約5600円)、朝食付き。

 寧夏の銀川で買ったお土産を並べる。6点で全部で170元(約2700円)ほど。午前9時半ごろ、ホテル前でタクシーを拾い空港に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 


寧夏回族自治区「銀川」へ行く❽―北方民族大学―日本語学科の学生たち

2017-06-25 11:04:58 | 滞在記

 ポプラの並木がある。近くの森に青林檎(リンゴ)の木が何本も植わっていた。実をつけているので、食べてみた。少しすっぱくてとても美味しい。私はこの青林檎が大好きだ。モンゴル・ゴビ沙漠での恐竜発掘調査団の一員として、何度かモンゴルに行った折り、この青林檎をよく食べたものだ。北方の地によく育つ。この大学の学生たちも林檎を食べに来た。地質学者の像が建っていた。

 音楽舞踏学院(学部)と書かれた建物。強い日差しの中を学生たちがあるいている。北方民族大学には2万人あまりの学生がいるようだが、大学構内が広いので、学生を見かけることはまばらだ。「徳言楼」という名前の外国語学部の建物に入る。教室もきれいなものだ。

 2万人の学生の内、ここ寧夏回族自治区出身の学生の割合は10%ぐらいだという。全国各地から学生が集まっているらしい。ラベンダーの紫の花畑があった。

 目黒さんが住んでいる教員用宿舎に行った。ここは外国人教員だけでなく、中国人の教員もたくさん住んでいるという。一人で生活する部屋と家族と生活する部屋があるようだ。目黒さんは単身赴任なので、居間と寝室(1室)と台所とバストイレという いたってシンプルな部屋だった。構内は木々に覆われて美しい。「卯の花」のような白い花が咲いていた。

 夕方6時半ころに、目黒さんが担当している学生二人と大学正門で待ち合わせ。現在3回生を終わろうとしている学生たちだ。イスラム系(ムスリム)のレストランで一緒に食事をとることとなっていた。途中、「寧夏大学」の本部建物があったのでタクシーの中から写真をとる。この大学は寧夏回族自治区の大学では最もレベルが高いようだ。次いで、北方民族大学となる。寧夏大学は、地図を見ると、北方民族大学の3倍以上の広さがある、とてつもなく大きな大学のようだ。レストランに到着する。ライラックの木がたくさん植わっていた。花の季節は終わっていた。ムスリムの帽子や髪を覆うものをレストランの従業員は着用していた。

 ここ銀川の6月は、7時になってもまだ明るい。夕方の8時半ころに陽が落ちる。今日初めて会った学生といろいろと話をする。目黒さんの隣に座っている学生は徐嘉娜さん。福建省の南にある樟州市の出身。4回生となるこの9月から日本の栃木県日光市の近くにある鬼怒川温泉のホテルで数カ月間の実習をする予定だという。女優の内藤洋子さんの娘である北島舞さんによく似た娘さんだ。

 もう一人の学生は張文樺さん。雲南省の出身。彼女の話では、「私は中国の統一入試(高考)を受けて、成績結果を見たら、かなりいい点数でした。当然 家族は 私が雲南省のレベルの高い師範大学を第一希望として出願してくれるものだと思っていました。でも私は、ここの北方民族大学を第一希望として出願したのです。ここの大学に合格が決まったので、そのことを父に話しました。父は烈火のごとく怒りました。なぜ、雲南省の大学を第一希望としなかったのかと責められました。私が、遠い雲南省からここに初めて旅立つとき、父は見送りにも来ませんでした。1年後に父と母が、この銀川に初めて来ました。街の周りの山々には木や森がなく、砂漠ばかりだったので、何でこんなところに オマエは来たのかとまた怒っていました。大学はきれいだとほめてくれました」とのことだった。

 その張さんも、今年の9月からは4回生となる。大学院入学を目指す学生は「実習」は免除となるので、大学院入学試験に向けた勉強生活を送るようだ。志望する大学は西安にある「西安交通大学」。超名門校の一つだ。西安ならば、少し雲南省に近くなる。私のホテルを予約してくれたのは、この張さんだった。

 8時半ころ、レストランを後にして みんなに別れを告げて宿泊先のホテルに向かって帰った。

◆次号に続く

 

 

 

 

 


寧夏回族自治区「銀川」へ行く❼―北方民族大学―美しい大学だ !

2017-06-25 09:20:49 | 滞在記

  6月19日(月)の午後4時すぎに、ホテルより北方民族大学に向かう。途中の新市街の道路には、シルクロード地帯の特有のポプラのような樹木の並木がずっと続いている。大学の正門に4時半ころに到着した。この大学の教員の目黒さんが待っていてくれた。なかなか立派でシンプルな美しい建物が見える。この大学の中心的な建物なのだろう。

 日本の北海道大学によく似ているところもある大学だと感じた。陽射しは強いが、湿気が少なく爽やかな空気なので、木陰に入れば 気持ちがいい。アカシアや柳、ポプラの木々が大学内にたくさんある。中国風の朱塗りの建物が見えた。百合の花が咲いている。広々とした美しい大学だ。

 少し紫色をした、藤(ふじ)のような花が咲いていた。ガクアジサイの種類かと思う「紫陽花」。別の中国風の建物の前には、ニッコウキスゲによく似た黄色い花。ああ、綺麗な大学だ。

 石に絵や文字が彫られた石板が、大学構内にはたくさんあった。中国の53あまりの民族が紹介されている。図書館を見る。ロダンの「考える人」の像が置かれている。美しい柳の並木。イスラム系(回族)の学生たちが利用する「ムスリムの学生食堂」があった。イスラム系の学生は、他の食堂では絶対食べないようだ。

 運動場に行く。大学のシンボル的な建物が遠望できる。観客席の椅子がとてもカラフルである。大きな池が見えてきた。「あれは最近できた学生寮ですよ」と目黒さんが言う。高い寮の建物があった。池に架かる「八つ橋」を渡る。

 中国風の橋から、黒い白鳥(ブラック・スワン)が見えた。

◆次号に続く