彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国在留資格の延長申請に行く―帰路、「鎮海楼」から「閩江」に架かる「解放大橋」へ❷

2017-06-04 07:04:34 | 滞在記

 鎮海楼から福州市内を360度眺める。梅雨時期のため雲が低く垂れこめて、遠方は霧でかすんでしまっている。

 城楼を下りて下山に向かう。蔦のはった石垣、日本のものと同じ種類の「梔子(くちなし)」の花。屏山付近のバス停から、アパート方面に向かう。

40分ほどで「台江地区」に到着したので下車。ここからアパートまでは、歩いて30分間くらいかな。閩江に架かる「解放大橋」を渡る。橋から川岸の方を見ると「漢服」を着た若い女性たちが記念写真を撮っていた。どこかの学生たちだろうか。

 橋の上で釣りをしている人がいる。8本の釣竿を垂らしていた。もう一人の人は、とても短い50cmくらいの釣竿を使っていた。

 この「解放大橋」付近は、昔は福州の港があったところだった。1842年~43年のアヘン戦争でイギリスに敗れた中国は、広州(広東省)や香港や福州(福建省)など、いくつかの港を列強諸国(イギリス・ドイツ・フランス・アメリカ・ロシア・ベルギーなど)に開放した。

 この橋の両岸は、各国の領事館が造設された。当時のこのあたりの大きな写真が道路に展示されていた。写真を見ると、領事館の建物が丘の上に立ち並んでいるのがよくわかる。古地図の写真も道路に展示されていた。ここに日本領事館もあったが、その建物は「海軍学校」構内にあるので立ち入ることはできない。アメリカ・ドイツ・フランス・イギリスなどの領事館の建物は今でも残っていて、民間の集合アパートとして使われている。

※上記一番左の上空写真は、このあたり一帯を撮影している。現在の私のアパートは写真の右下に近い所にある。

 

 

 

 

 

 

 


中国在留資格の延長申請に行く―帰路、「鎮海楼」から「閩江」に架かる「解放大橋」へ❶

2017-06-04 04:42:16 | 滞在記

 5月25日(木)午前中、閩江大学に9月からも引き続き勤務することの決定にともなう「中国在留資格の延長申請」に行った。今現在の在留資格は2017年6月29日までとなっているので、さらに1年間ほどの延長申請を行うためである。

 8時半前にアパートを出て、バスに乗り向かう。バスに2台設置されている小型テレビを見ていると、若いおばさんがテレビの前に座り込んでテレビ画面が見えなくなってしまった。そこは座る席でもなんでもない場所なんだが、人の迷惑になるなんて考えない人もけっこう多い中国人。バスを降りて陸橋を歩く。初めて見る黄色っぽい花を咲かせている樹木。小さな住宅団地を通り抜ける。けっこう品のある住宅団地だ。おじいさんとおばあさんが、孫を慈しむ(いくつしむ)ように世話をしていた。中国人にとって孫の養育・世話は人生の大きな生きがいとなっている。

 福建中医薬大学の屏山キャンパスに到着。門の隣には、中国漢方薬の老舗のような店がある。ここからさらに歩いて10分で、在留許可を申請する「福州市公安局出入境管理所」に到着した。ちょうど10時30分ごろになっていた。すでに、閩江大学の外事所の人が待っていた。この「申請手続き」は、ここの職員とのやり取りが難しいので外事所の人がきていた。20分間ほどで申請が終わった。

 在留延長が認められてパスポートが戻されるまでに2週間がかかると思っていたが、「パスポート返却日、6月16日」と書かれていた。「ええっ!!2週間ではなくて3週間もかかるんですか!!何とかなりませんか!!」と言ってみたが、ダメだった。日本では、1週間ほどかかるものが、なぜ中国では3週間もかかるのか、ちょっとなぞだ。6月16日までパスポートが手元にないので、新幹線にも飛行機にも乗れないこととなった。(中国では、住民[国民]証明カードがないと、ホテル宿泊や新幹線や飛行機に乗車できない。外国人の場合は、パスポートが必要)

 実は、パスポートは2週間後の6月8日(木)に戻ってくるはずだ(昨年までは2週間だった)からと思い、6月10日〜16日の期間に、寧夏回族自治区の自治区都「銀川」と河南省の「洛陽」に行く予定をしていたのだ。銀川はシルクロードの入り口でイスラム教徒(回族)が多い街だ。(井上靖の小説『敦煌』にこの街の様子が描写されている。)ここの「寧夏民族大学」に勤めている友人から「ぜひ来てみて」と誘いが何度もあったのでこの時期を考えていた。また、この7月より日本に留学する学生(日本語学科ではない。現在4回生。)が、河南省洛陽にいる。日本留学にあたって、一人娘を送り出す両親の不安を思い、挨拶をしたいと思っていたので行こうと考えていた。(銀川と洛陽は中国全土的には比較的近い)  しかし、パスポートが戻らないので、「行けなくなりました」と2人に連絡をし、事情を話した。

 11時ころに出入境管理所にて外事所の人とも別れ、近くにある「屏山公園」に登ってみた。ここは、福州城(榕城)の本丸ともいえる「鎮海楼」という城郭建物が小高い山頂にある。朝顔が咲いていた。亜熱帯の植物が木に巻き付いている。ようやく「鎮海楼」の城郭が見えてきた。

 この鎮海楼という城郭建築は、明時代の1371年に造営された。文化大革命期の1970年に取り壊されたが、2006年に再建されたものだ。

 楼の2階に登る。広間には、清時代の福州(榕城)の様子が描かれた絵画が置かれていた。この絵画を見ると、当時の様子がわかってくる。(今は、当時あった福州の街を取り囲んでいた城壁や大門などはない)