彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国の葬式❷―日本人と少し違う中国人の死生観―亡くなった人のあの世での良い暮らしを祈る

2017-06-10 20:05:31 | 滞在記

 中国政府は、人口の多い沿海部(東シナ海)での土葬を土地不足のため制限(禁止)し、火葬を奨励している。現在、都市部ではほとんどが火葬されているようだが、沿海部の農漁村地区では 今も土葬をしているころがけっこうあるように思われるので、おそらく大目にみられているのだろう。

 土の上に作るお墓の値段はとてつもなく高い。小さな引き出し式(ボックス)の墓(火葬した後の骨や灰を入れる)も最近では利用する場合も多いという。(これの使用期間は3年間)    都市部の人気のある墓地にある墓は、日本の墓とよく似ている。中国全土の土地は公有地(国有)なので、人気のある墓地の墓として一定期間 国からの借地として使うわけだが、その土地の個々の使用期限は10年間。物凄く高額なお金を使って墓を作るわけだが、10年間で手放すのはもったいない気もする。やはり人口が多いのだ。ちなみに、上海では、お金があれば、最も人気がある墓地は、上海からけっこう離れた蘇州や杭州の景勝地「西湖」の近くにある墓地だという。

 中国では儒教の影響もあり、血族を重んじるという伝統が強い。一族の死者の葬儀を盛大に行うことが、残された遺族や子孫、一族の繁栄や幸せにつながると信じられていることがうかがえる。このため、生きている人と同じくらい、死者を重要視する祭祀が綿々と続いてきた中国。日本よりも、物質的なものを重視する中国の葬儀や供養は、全体に現世の様式に則ったお供えものが多く、葬儀用のお金なども用いられる。中国の寺院(仏教や道教など)に行くと、必ず紙を燃やす場所がある。あの世の死者にお金を供える場所だ。ここで、あの世で使える「黄色い色」をした紙幣を燃やす。中国の人々にとってあの世は、死んだ後も現世のように暮らす場所のようだ。亡くなった人が、あの世で良い暮らしができるように、残った人々は葬儀に心を尽くすという。

 盛大に悲しまれるほど良いので「泣き女」を雇ったり、たくさんの葬儀参加者がいるほどよいので、娯楽的なダンサーや劇団、漫才師や楽団などを雇って人を集めたりもする。農村部では特にその傾向が顕著で、儀式としては道教の様式の影響が強いようだ。賑やかに派手に見送るというのが、中国での葬儀の一般的なイメージだ。死んだ人の面目も立ち、よい供養になると考えられている。

 西安に有名な秦の始皇帝の墓がある。(まだ未発掘で、地下宮殿がある。) その墓を守るように等身大の兵馬が取り囲む。発掘された兵馬俑である。どうやら古来より、中国人の中では、人は死後もそのままの姿で生活しているようなイメージを日本人以上に持っている国民なのかもしれない。一方で、中国には「葉落帰根、入土為安」という言葉もある。(葉が落ちて、そのまま根に帰るように、人もそのまま土に帰ることこそ安らぎ) 

 2年ほど前の2015年4月23日、中国文化部が「今後は葬儀の場で"社会道徳を乱す儀式"を許可しない」という声明を出した。ここでいう"社会道徳を乱す儀式"とは、中国語で「脱衣舞」、つまりストリップのこと。中国ではここ最近、地方の農村を中心に「葬式ストリップ」が大流行したようだ。声明のきっかけとなったのは、声明発表の2カ月前に河北省と江蘇省で盛大に行われ評判にのぼった「葬式ストリップ」だったようだ。

 河北省で葬式ストリップを行ったのは「赤い薔薇(バラ)歌劇団」と称する一座。6人の演者が音楽や漫才、ダンスなどを披露した後、若い女性のセクシーダンスが始まった。ダンサーが一枚ずつ服を脱ぎ、やがて全裸になると盛り上がりは最高潮に。子どもたちを含む大勢の"参列者"からは、死者を送る葬儀の場とは思えない口笛や拍手が起こり、喝采のなか、2時間半に及ぶ公演は幕を閉じたという葬儀の様子が、評判を呼んだという葬儀だった。

 ◆「古来、中国の葬式は一種の祭のようなものでした。できる限り派手にするのが死者への供養であり、そのように死者をあの世に送ることで、子孫まで豊かになれるという"信仰"は今でも根強い。」『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)樋泉克夫 著  「葬式ストリップ」のルーツは清朝末期の「敬死」にあるとされる。当時、大金持ちの役人や商人が葬式に芝居の一座を招いて演じさせ、どんちゃん騒ぎをすることを「敬死」と呼んでいた。近年の経済発展により、金持ちが増えたことで、この「敬死」が復活し、中国の葬式が「先祖返り」をしてきた傾向があるようだ。このような風潮に対して、中国政府が「社会道徳を乱す儀式を許可しない」という声明に至ったというわけだ。1949年の中華人民共和国の成立以降、このような「敬死」や「派手な葬儀」は批判されなくなっていたが、1980年代から徐々に「派手な葬儀」が復活し現在に至っている歴史がある。

◆次号に続く

 

 

 


中国の葬式❶―日本人と少し違う中国人の死生観―

2017-06-10 07:31:52 | 滞在記

 5月下旬の早朝、窓の外から見える向かいの棟にピンク衣服の人影が見える。葬儀の花輪も置かれている。突然、爆竹が破裂した音。煙が立ち上る。しばらくして、その場に行ってみた。1930年生まれの88才の陳府琳という名前のおじいさんの葬儀のようだ。「訃告」と記し、その人の簡単な略歴が記されている。そして葬儀を主催する主な遺族の名前。「拝」「泣」などの文字。日中戦争、中国内戦、文化大革命、そして現代の中国の88年間の歴史を生きた人だ。「回龍大吉」の看板。「龍に帰る、大吉の日」というような意味だろうか。葬儀に「大吉」という文字があるのはなぜだろう。葬儀参列者が、白い装束を着ながら、近くの食堂で朝食を食べていた。

 長くて大きな大蛇のような爆竹が置かれていた。アパートに戻ってしばらくしたら、この爆竹が炸裂し始めた。立ち上る煙と音。激しい銃撃戦のようだ。中国の葬儀に爆竹はつきもののようだ。

 冠婚葬祭の時に雇われる「楽隊(7〜10人ほど)」が中国全土にはたくさんある。婚儀や宴会や祝い事、葬儀などの場で演奏したりする。葬儀の場合、多くは「軍服に似た」服装が多いが、今日の楽隊の服装の色はピンク紫系統だった。故人が好んだ色なのかもしれない。この日の楽器は、「二胡・笛・銅鑼」で、よく見るトランペットはなかった。午前8時半頃、薔薇柄の赤い毛布に包まれた棺が運び出されてきた。厳粛な中にも、にぎやかな中国の葬儀。日本の葬儀とは、少し違う。中国葬儀の近親者の服装の色は「白」でもある。

 5月は、私のアパートの建物周辺の団地は、「葬儀」が多かった。3つの葬儀を見た。花輪を飾るのは日本と同じだが、線香による焼香はないが、菊などの献花があるようだ。。葬儀と宗教の関連性もほとんどないようで、お坊さんが来て「念仏」を唱え読経することもない。ある日の葬儀の列は、「近い親族は白い装束に大きな三角の白い帽子」のような衣装。遺体を燃やす葬儀場に向かうバスに乗り込む人たちの姿。

 中国では1年間に1000万人〜1200万人以上の人が死亡するらしい。日本は、1年間に平均約120万人とされているから、人口比率から考えると日本の方が少し高い。これは、日本が超高齢化社会のためで、人口比に占める高齢者の死亡者が多いということのようだ。

 中国社会は 特に農村・漁村地域では 永らく土葬をして死者を弔う習慣がある。都市部の周辺にも沖縄の「亀のような」墓が多くみられる。この福州市周辺でも多い。村の中でも割と景色のいい山の中腹などがその墓地が集まる。一つの墓に「夫と妻」の2人が入る。大学の私の研究室がある向かいの山にも30ほどの墓が窓から見える。1カ月に一度ほど、新しい花輪を見ることができる。今でも地方・地域によっては土葬が多く行われているようだ。(※中国政府は沿海地方での土葬禁止を通達しているが、中国全土では 現在も土葬の比率がかなり高く、一説では5割以上とも言われている。)

 中国人にとって生まれ育った場所の近くに死後も暮らすという理想観には根強いものがあるようだ。

◆次号に続く