中国政府は、人口の多い沿海部(東シナ海)での土葬を土地不足のため制限(禁止)し、火葬を奨励している。現在、都市部ではほとんどが火葬されているようだが、沿海部の農漁村地区では 今も土葬をしているころがけっこうあるように思われるので、おそらく大目にみられているのだろう。
土の上に作るお墓の値段はとてつもなく高い。小さな引き出し式(ボックス)の墓(火葬した後の骨や灰を入れる)も最近では利用する場合も多いという。(これの使用期間は3年間) 都市部の人気のある墓地にある墓は、日本の墓とよく似ている。中国全土の土地は公有地(国有)なので、人気のある墓地の墓として一定期間 国からの借地として使うわけだが、その土地の個々の使用期限は10年間。物凄く高額なお金を使って墓を作るわけだが、10年間で手放すのはもったいない気もする。やはり人口が多いのだ。ちなみに、上海では、お金があれば、最も人気がある墓地は、上海からけっこう離れた蘇州や杭州の景勝地「西湖」の近くにある墓地だという。
中国では儒教の影響もあり、血族を重んじるという伝統が強い。一族の死者の葬儀を盛大に行うことが、残された遺族や子孫、一族の繁栄や幸せにつながると信じられていることがうかがえる。このため、生きている人と同じくらい、死者を重要視する祭祀が綿々と続いてきた中国。日本よりも、物質的なものを重視する中国の葬儀や供養は、全体に現世の様式に則ったお供えものが多く、葬儀用のお金なども用いられる。中国の寺院(仏教や道教など)に行くと、必ず紙を燃やす場所がある。あの世の死者にお金を供える場所だ。ここで、あの世で使える「黄色い色」をした紙幣を燃やす。中国の人々にとってあの世は、死んだ後も現世のように暮らす場所のようだ。亡くなった人が、あの世で良い暮らしができるように、残った人々は葬儀に心を尽くすという。
盛大に悲しまれるほど良いので「泣き女」を雇ったり、たくさんの葬儀参加者がいるほどよいので、娯楽的なダンサーや劇団、漫才師や楽団などを雇って人を集めたりもする。農村部では特にその傾向が顕著で、儀式としては道教の様式の影響が強いようだ。賑やかに派手に見送るというのが、中国での葬儀の一般的なイメージだ。死んだ人の面目も立ち、よい供養になると考えられている。
西安に有名な秦の始皇帝の墓がある。(まだ未発掘で、地下宮殿がある。) その墓を守るように等身大の兵馬が取り囲む。発掘された兵馬俑である。どうやら古来より、中国人の中では、人は死後もそのままの姿で生活しているようなイメージを日本人以上に持っている国民なのかもしれない。一方で、中国には「葉落帰根、入土為安」という言葉もある。(葉が落ちて、そのまま根に帰るように、人もそのまま土に帰ることこそ安らぎ)
2年ほど前の2015年4月23日、中国文化部が「今後は葬儀の場で"社会道徳を乱す儀式"を許可しない」という声明を出した。ここでいう"社会道徳を乱す儀式"とは、中国語で「脱衣舞」、つまりストリップのこと。中国ではここ最近、地方の農村を中心に「葬式ストリップ」が大流行したようだ。声明のきっかけとなったのは、声明発表の2カ月前に河北省と江蘇省で盛大に行われ評判にのぼった「葬式ストリップ」だったようだ。
河北省で葬式ストリップを行ったのは「赤い薔薇(バラ)歌劇団」と称する一座。6人の演者が音楽や漫才、ダンスなどを披露した後、若い女性のセクシーダンスが始まった。ダンサーが一枚ずつ服を脱ぎ、やがて全裸になると盛り上がりは最高潮に。子どもたちを含む大勢の"参列者"からは、死者を送る葬儀の場とは思えない口笛や拍手が起こり、喝采のなか、2時間半に及ぶ公演は幕を閉じたという葬儀の様子が、評判を呼んだという葬儀だった。
◆「古来、中国の葬式は一種の祭のようなものでした。できる限り派手にするのが死者への供養であり、そのように死者をあの世に送ることで、子孫まで豊かになれるという"信仰"は今でも根強い。」『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)樋泉克夫 著 「葬式ストリップ」のルーツは清朝末期の「敬死」にあるとされる。当時、大金持ちの役人や商人が葬式に芝居の一座を招いて演じさせ、どんちゃん騒ぎをすることを「敬死」と呼んでいた。近年の経済発展により、金持ちが増えたことで、この「敬死」が復活し、中国の葬式が「先祖返り」をしてきた傾向があるようだ。このような風潮に対して、中国政府が「社会道徳を乱す儀式を許可しない」という声明に至ったというわけだ。1949年の中華人民共和国の成立以降、このような「敬死」や「派手な葬儀」は批判されなくなっていたが、1980年代から徐々に「派手な葬儀」が復活し現在に至っている歴史がある。
◆次号に続く