硝子戸の外へ。

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不適切にもほどがある!

2024-03-15 21:13:42 | 日記
毎週楽しみにしているテレビドラマの一つに「不適切にもほどがある!」がある。

宮藤官九郎さんの作品は、いつもどこかのポイントで「天才じゃないか」とつぶやいてしまう事が多い。そして、やはりいうべきか、「不適切にもほどがある!」もやはり「天才!」とつぶやいてしまった。

主人公が昭和という時代と令和という時代の間を「タイムマシン」で往来し、双方の時代に生きる人達に問題を投げかけるのであるが、昭和の価値観を令和に持ち込むと大きな齟齬が生じてしまう。
両方の時代を体験している僕はいつも笑わせてもらっているが、平成10年以降に生まれた人たちにとっては何が何だか分からないであろうし、時代遅れと思われているかもしれない。
それは仕方のない事であるけれども、だからあえてテレビドラマを通して、世代差の相互理解を深めるというアプローチを試みているようにも見える。

物語をシリアスに展開してしまうと、大きな隔たりが出来てしまうテーマでもあるから、深刻にならないように「ミュージカル調の演出」を用いて、問題提起を柔らかくして落とし込んでいる。

そこを読み取っていくと、昭和と令和の相互理解も深まるのではと思うのであるが、それは難しいのかもしれないし、クドカンさんもそれを承知でストーリーを紡いでいるのだと思う。

主人公の小川一郎さんが教師として生きている1986年という年代は、まだ、どこかに戦後が残っていた。
その年の総理大臣、中曽根康弘さんは戦中、海軍主計士官だった人であるし、国務大臣の金丸信さんは関東軍に所属し、兵役免除後は大政翼賛壮団の世話役人をしていた人である。
経済界も然りで、その時代は戦中派の世代が日本をけん引していたのである。
もちろん、戦中に学校で軍事教育を色濃く受けた人たちが労働者の主力だったこともあり、倫理観はまだ軍国主義から抜け切れてない時代であった。

戦争は終わりました。今日から民主主義です。男女平等です。戦争をした日本が悪いのです。と、突然言われても、スイッチを切り替えるように考え方を変えられるほど人間の頭は良くないのである。

そこで長い時間をかけて教育現場から、新しい倫理観や秩序という思想を啓蒙し、軍国主義に陥らないように国民の思想を洗脳していったのであるが、令和という時代では「昭和の価値観」は理解しがたい価値観になってしまった。
ある意味それは誰かのシナリオ通りなのであるが、戦中に軍国主義に反対する思想があったように、現在でもその反動としてナショナリズムが台頭してきたように思う。

それが、正しいか正しくないかは分からないが、僕が思うに「軍国主義的な全体主義思想を押し付けられる生きづらさはなくなったけれども、個人主義が立ちすぎてしまい、威圧的に支配しようとする個人や小さなコミニュテイが誕生してしまったがために、生きづらくなってしまった」ように思う。

難しい事は分からないけれど、とにかく「不適切にもほどがある!」は間違いなく秀逸なドラマである事は間違いないのである。
そして、このドラマの面白さがよく分からないという20代の人々も後30年したらこのドラマの面白さが分かるのだと思う。

きっとそこも狙って物語を書いていると思うから、宮藤官九郎さんは「天才!」なのである。

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