マルガリータのつぶやき

フォトジェニックな「趣味の記録」:マルガリータの庭、国内海外の旅、グルメ、美術・音楽・映画、自分勝手流読書、etc

オリーブの自家製塩漬けに挑戦

2011-10-30 19:54:40 | マルガリータの庭10月
珍しく、というか初めてのお料理ブログ です。

 猛暑を超えて一回り大きく、すずなりのオリーブの実。


 このくらい黒くなったら収穫です。

 これで1㎏ 全部で5㎏くらい。
 

cookpadレシピから   (こういうことがお好きな方は誰でしょうか?)



秋の夕暮れ 昭和の森

2011-10-28 18:57:54 | 花便り、植物園
ホキ美術館 に隣接する昭和の森
美術鑑賞のあとの心地よい興奮を鎮めに、夕暮れ間近の広大な森を展望台まで往復しました。
迎えのタクシーの時間を計りながら、小走りに30分、小山を登ったり下ったり、
ソフトジーンズをはいてきて正解でした。 体力がついてきたものです。

   

写実風景画の数々から感銘を受けて、写真のアングルもより意識的に、

















写実絵画のホキ美術館

2011-10-27 18:41:25 | 絵画、展覧会、記念館
昨日は秋晴れにさそわれて出かけた途中駅で、ハタと東か西かと迷いだし、
…ヘアサロンに、 
美容師のF氏、「ホキ美術館に行かれたら。 僕も行きたいのだけど火曜日休館で、車も電車も行きにくいところなので」

そのうち、ブローをM嬢に交代させて掲載雑誌を持ち出し、傍らでアイパッドを見せながら、
「写実だからわかりやすいし疲れない。」とか迷言も出て。

   F氏とは10年来、(萬田久子似の奥様、息子さんと我が家に遊びに来てくれました。)
   本と映画、グルメから芸能界裏話、世界旅行、世界情勢となぜかなんでも深く知っていて、その都度驚かされています。
   その彼のいうことだからよっぽどなのだと、東京駅から外房線特急で大網まで行ってしまいました。
   大網駅からタクシーで15分、近隣のチバ(千葉)リーヒルズ、ゴルフ場つき季美の森などの高級エリア案内つきでした。
     
            ・チバリーヒルズ~ ビヴァリーヒルズのもじり、バブル時に分譲200坪以上、樋口久子とか有名人
                      今は、主だった人は転居、ゲートも無人で往還自由とか
            ・季美の森~    チバリー~にかわって現在の高級地とか、先日も巨泉の奥さんを見たと運転手さん

                             
  



     ホキ美術館公式サイト

美術館では “一品を盗むとしたらどれにするか”と考えながら見ると、思わず良い鑑賞ができるらしい。
そんなことを考えながら、初めての写実絵画専門美術館、160点の一点ずつをじっくりと鑑賞しました。
ピクチャーレールのない展示室、LED 照明、疲れない床材等、最新鋭設備で鑑賞できる「癒しの美術館」でした。




私のそんな一品は、実は森本草介でも野田浩志でもなく、原雅幸の風景画の「光る海」、
画家自身が「私の代表作」のテーマでの依頼に応えた大作です。

1976年ころの生まれ故郷である大阪南部の田園風景で、
「この風景は、私の原風景になりました。風景画にとって一番大事なもの、それは思い出だったのです。」


写実絵画、リアリズム絵画のイメージですが、
大評判ドラマ「JIN-仁ー」中、咲きが南方仁とミキのツーショット写真を、「よくできた絵」と感心する、
まさに「写真のようによくできた絵」という感じですか。

      この《リアリズム絵画入門》野田浩志 も

第1章「絵画は写真とどう違うか」から始まり、
第5章「空間を描くフェルメールの「牛乳を注ぐ女」」では、「牛乳を注ぐ女」を“空間の密度を描き切った”最高傑作とし、
「『真珠の耳飾りの少女』の完成度は疑問」でフェルメールの初心はやや息切れしてしまったようと。

      

 この章の締めくくりを引用すると;
   フェルメールはそのことをよく知っていたはずなのになぜやらなかったのか。
 「牛乳を注ぐ女」は
  流麗な筆致であるとか、目を喜ばせる技巧とかということをまったく受け付けようとはしていません。
  だからこそ、真実に満たされた空間が現れてくるわけです。
  現実とはそのようなものであり、その現実を画面のうえに再創造しようとするのがリアリズム絵画の本筋であるはずです。
  

《追~》  静物画よりバラを抜き出すと
      


今日のバラ ブラック・ティー

2011-10-26 18:16:31 | 今日のバラ
ブラックティーやっと咲いてくれました。
本来はハイブリッド・ティー、1.5mの木立ち性、
つる扱いで園芸センターが見本展示していたのを、展示入れ替え時に譲り受けたものです。
ですから最初から2m以上あり即地植えにしたのですが、いま一つ花付きが悪い。環境がかわったせい?

青みがかった深いオレンジ色と厚い花びら、秋の一押しバラ。 


 
 ブラック・ティー Black Tea  1973年 日本 茶バラの元祖 中香 厚い花びら
 
 ネーミングがまたシックで素晴らしい。
 春の咲き出しの頃ほど青みが強い。複雑な色ゆえに合わせる花を選ばず似あう。
 枝のトゲはするどく多い。
 華やかさがないので一般受けはしないかもしれませんが、 花が好きな人にとってはとても魅力的な色の人気バラです。

今日のバラ エバーゴールド

2011-10-25 18:39:22 | 今日のバラ
朝晩の冷え込みも心地よいくらいで、バラにも最適な気候になりました。
帰宅時の午後3時ころの日差しを受けて、見上げる高さで咲いていて、

返り咲きの一花、一輪でもこのインパクト、 ☆優しさと軽快さと☆
 

  
 エバーゴールド 微香 1966年 R.Kordes ドイツ 返り咲き 八重平咲き つる3m以上

「もっとも信頼のおける黄色いつるバラ」 伸びすぎず、とげも少ない 強健 
 もうわが庭の古株といった風情。

 野いばらと合わせると際立って美しいらしいので、来年は試してみましょう。


「神々と男たち」

2011-10-24 23:08:34 | 映画note 庭園、山岳、ミステリー
3月にシネスィッチ銀座で公開されていたのを見逃して、ビデオでみました。
アルジェリア修道院で修行と医療奉仕につく修道士たちが、イスラムのテロリストに襲われた事件をなぞっています。
  
  フランス植民地政策で出口のみえない貧困イスラム社会、
  過激派テロリストの日常化した横暴にも、なすすべなくあきらめの住民、
  軍対テロリストの暴力破壊の毎日  イスラムの現状を変えるのは不可能、意味がない修行と苦しみながら
  この泥沼から脱出するかどうか 修道士たちの迷う姿、
  結局、理不尽にも、テロリストに交渉の人質にされる修道士たち、
 
修道士の目を通して、イスラム社会のどうしようもない負の連鎖を見事に映像化した作品、カンヌ受賞も当然と思いました。

 1996年アルジェリア、フランス人修道士7名の誘拐殺人事件をモチーフにした。
                              内戦下の異国に留まった修道士たちの、信念の強さと人間の尊厳を描く。
                            ランベール・ウィルソン マイケル・ロンズデール カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。

  イスラム市民たち

 
テロリストに焼打ちにあった車、              修道院内病院入口(テロリストも受け入れている。)

    

  解説あらすじ       
もっと深く知るための6項目

この映画を見ながら、自然にだぶって思い出していた以前の体験、

パキスタン北東部の旅行中に、断崖絶壁のカラコルムハイウェイをテロリストに寸断され、帰国が10日遅れました。
滞在していたフンザ村も車が焼打ちにあい、アメリカ人女性はレイプされ、
救援ヘリコプターに乗る順番も、軍(その上のムバラク大統領)と近い関係から。

この時見聞して感じた、イスラム社会の貧困、絶望、慣れっこになっているテロへの対応、警察の無力、軍の権勢等が、
映像に描かれ出した修道士の感じた思いとあまりにそっくりで、こういう映画表現を秀作、芸術と言うのでしょう。

  「芸術」についての追記 
   “映画表現の芸術”とは? 
   うまく説明できずに逃げ切りにしてしまいましたが、
   今、読んでいた本の引用文に、「芸術とは詩であって詩を超えているものを含んでいるもの。
                      音楽であって音楽を超えているものを含んでいるもの。
                      絵画であって絵画をこえているものを含んでいるもの。」 (音楽評論家・吉田秀和氏)
   
   とすれば同様に、「映画であって映画を超えているものを含んでいるもの。」という言い方もできるとして、
   本作にそんな賛辞をささげたい。  (10月27日)   

今日のバラ ルージュ・ロワイヤル

2011-10-23 13:04:07 | 今日のバラ
≪ルージュ・ロワイヤル≫
3年前の深大寺バラ園、秋シーズン最終日に売れ残った新苗バラがオール500円で、売店にたくさんありました。
それでも客はさすが最終、全然いないのです。
たまたま居合わせた私は、売店主任のおばさん相手に、どのバラがお買い得かなどと話し込んでいるうちに、

「香りのバラを集めている。」というとズラーッと500円鉢をあちこちから店先に並べ始めたではないですか!
その上、新苗(4月が売り時)の夏を越したのは、変な大苗よりよほど丈夫に育つのだとか講義も始まりました。
本当に何から何までよく知っているおばさんで、へたなバラ講習より有意義でした。

10鉢買っても5000円、そんなには持ち切れず、それでも7鉢は買ったか、そのうちの一鉢でした。
鉢で2年、ほったらかしで(安く買うとこんな感じ)、この夏前、スペースたっぷりの新庭のようやく地植えです。
丈夫で香りよく、このバラが咲くと庭が華やぎます。そうそうたる受賞歴もうなずけます。

 
 ハイブリッド・ティー・ローズ 四季咲き大輪 2005年 仏メイアン クリムゾンレッド 強香 クォーターロゼット咲き

    

 京成バラ園カタログより

  




青森県立美術館「印象派展」覚え

2011-10-22 16:17:29 | 絵画、展覧会、記念館
先々週の土曜日、8日の青森空港到着時にこの「光を描く 印象派展」のチラシが目に入り、
〝青森県立美術館 開館5周年記念”とありましたが、どうも首をひねるばかりで…

素晴らしい内容なのに、東京からの巡回展ではなさそうで、(東京開催の覚えがないのです。)
寄らずにいられない気持ちになり、 青森のみ、会期あと二日の本展に滑り込みました。 

   

 
                                P.O.ルノワール セーヌ川の風景、リュエル

 
クロード・モネ エトルタ海岸の漁船

 
 
 
クロード・モネ 睡蓮


☆印象派人気を二分する《南仏のルノワールとジヴェルニーのモネ》、5月に南仏をまわって、このままでは片手落ちと機会をうかがっていましたが、
11月17日~23日、ロワール、イルフランス、ノルマンディに行けそうです。
 




『夜と霧』 新訳と旧訳

2011-10-21 12:35:42 | 本 MEMO
       

        

いかに新訳でも、この『夜と霧』は再読できないだろうと…
アウシュビッツの現場の重く、息苦しい体験と、むしろ後からじわじわとくるおぞましさの記憶からです。

 7,8年前の厳冬1月、ポーランドツァーでクラクフからオシフィエンチム(ドイツ名アウシュビッツ)に。
 「ARBEIT MACHT FREI」門から収容棟を廻り、最後にガス室。 気分が悪くなりうずくまる女性もいました。
  写真で見ていた通りでしたが、必死な形相の解説員の説明、監視塔にあがり上から見る荒涼とした全体像。
 
 なぜ、こんな恐ろしい場所に立たなければならないのか、ひとりの生存者のことばに、
 「アウシュビッツより恐ろしいものは一つだけ、 人類がそのような場所が存在したことを忘れてしまうことだ。」


それが二日で読み通してしまったのは、新訳者の池田香代子さんの人柄に好感をもっていたから。
 
2001年、『世界がもし100人の村だったら』の出版記念会、池袋ジュンク堂で親しくお話し、ソフトムードながら芯のある方だなと。
 先日もCS「パックインジャーナル」で、コメンテイターとして相変わらずのムードで原発反対論を繰り広げていました。
 以前の同番組でやはり紅一点、落合恵子さんの反対論とは一線を画す説得力でした。

同じことは、霜山徳爾が、旧版訳者のことばとして「新訳者の…優しい心 育ちのよい文字」という表現をしています。

これに続く、訳者あとがきで、1947 年刊の旧版と1977年刊の新刊の異同の指摘は、興味深かったです☆

・旧版に多出した「モラル」ということばが新版で二か所のみ
    ここで扱われるべきは精神医学であり、さらにはより根源的な人間性なのだ と考えたのでは?
   冷静な科学者の立場からかいたつもりが、… やや主情的な方向に筆がすべった と見たのでは?

・旧版には「ユダヤ」という言葉が一度も使われていない
    なにより普遍性をもたせたかったから、 一民族の悲劇ではなく人類そのものの悲劇として、体験提示したかったのでは、
   収容所には、ジプシー、同性愛者、社会主義者等がいたことを踏まえていた?

新版で新たに付け加えられたエピソードに一つに「ユダヤ人」が二度出てくる
    「ユダヤ人被収容者たち」と名指ししたのは、改訂版が出た1977年のイスラエル事情(ユダヤ人移住のさらなる奨励)では?
   対アラブ政策、中東戦争、度を越して攻撃的になるという受難の民、にたいして、この「夜と霧」の作者は
   「立場を異にする他者同志が許しあい、尊厳を認め合うことの重要性を訴えるために、この逸話を新たに挿入し、
     憎悪や復讐に走らず、他者を公正にもてなした「ユダヤ人被収容者」を登場させたかったのでだ、と私は見る。」


収容所解放直後に書かれた旧版と、4度の中東戦争の同時代史を経て書かれた新版。
日本版訳者も、太平洋戦争戦場体験を持つ旧訳者に、平和な時代に生きてきた新訳者、
できれば、両版ともに、読み継がれていってほしいです。
ご紹介がなければ、新版の存在も知らずに封印していたにちがいない『夜と霧』、R氏に感謝します。


≪追≫
辛いアウシュビッツ見学ののち、ワルシャワ、新世界通り南端のシェラトンにはいり、
フロントで当日のテアトル・ヴィエルキ、オペラ「ハルカ」最上席(3千円弱)がとれました。
このツァーは少人数で旅慣れた人が多く、時間があると単独行動即決、もう一組はバレー、私とジャスミン様はオペラに的を絞って。

「ハルカ」は、モニュシコ(ポーランド国民歌劇の父、ポーランドではショパンの次に偉大)作、ポーランド歌劇中最大傑作といわれ、
       地主vs農民の分かり易い内容、ヴィエルキ劇場の世界最大規模の劇場空間、
       音楽学生集団(東欧独特のあだっぽい美人ぞろい)の熱心な鑑賞姿が印象に残りました。

       モニュシコは世界に向けてでなく、ポーランド人のために作曲し、困難な時代に生きる人々のこころを支えた。
       その精神は弟子たちにも受け継がれ続けている。 (読んで旅する世界の歴史と文化 中欧 より)            

今日のバラ トットちゃん

2011-10-18 20:23:17 | 今日のバラ
昨日は29度まで上がり暑かったですが、今日は少しひんやりとバラには最高な日和でした。

ジャスミン様のバラトットちゃん、ひょろっと背が伸びて小さいつぼみが10個くらい。
初めての秋に、こんなにつぼみをつけて四季咲き性が強い感じです。
暴れていて全体が収まらないので、切り花にしてあき様からいただいた唐津焼のコーヒーカップに。
柔らかいピンク色と唐津焼の深みがよく合って、秋らしく落ち着いた写真が撮れました。



   シュラブ 2009年   ピンク色 大輪 強香 四季咲き 木立~半つる 1.2m~1.8m  樹勢;普通
銘花ソニアリキエルをコンパクトに、日本向けにした感じ。
『窓ぎわのトットちゃん』で知られる黒柳徹子さんに捧げられたバラ。

      

       
      あき様からはいつも上等なお品物ありがとうございます☆

浅草寺町のこと

2011-10-16 21:29:37 | イベント・記念日・ユニーク交遊録
私が青森から帰るのを待っていたかのように、10日の深夜、正確には11日の午前2時42分に、母が逝きました。
危篤と言われてから1か月、2年の病院生活でした。
看護婦長に、“がんばりが普通でない、何か思い残すことがあって目が閉じられないのでは”と言わせる精神力でした。
翌12日は、お寺、葬儀社との打ち合わせ、親戚への通知、預貯金の把握に、14日通夜、15日告別式、今日やっと落ち着いたところです。

昨日の告別式前後の天気のめまぐるしさは、信仰心ない私でも母の霊がたけり狂ってるのではと思ったほどで…
朝は曇天、小雨、寺へ急ぐ9時から11時のあのすさまじい風雨。12時出棺時は雨がおさまり、焼き場では陽射しがまぶしい好天に。

焼き場でお骨を待つ小一時間、ご住職との会話時、川本三郎の書いていたことが思い出されました。
      『雑踏の社会学』<東京ひとり歩き>の中で、
 
 ・東京人かどうかは本当はどこに住んでいるかよりも家の墓がどこにあるかでわかる。
   小平霊園や多磨霊園に家の墓がある人は比較的新しい東京人である。
   それに対し浅草に墓があるというのは古くからの東京人、いや江戸人である。
   江戸時代の主な墓地は浅草の寺町などに多い。
  
  明治維新後、薩長土肥をはじめとする地方出身者が大挙やってきて~
  明治政府が新たに作った(明治5年)墓地が谷中墓地、青山墓地、雑司ケ谷墓地、染井墓地である。
  明治の元勲や明治の文士たちの墓はたいていこの4か所にある。
  その後東京にさらに人口が集中し、新たに二つの墓地が出来た。多磨霊園(大正13年)と小平霊園(昭和23年)である。

実家の寺は、浅草田原町の寺町、
第二十代になる住職によると元禄年間に日本橋にあり、その後、幕府の命で浅草に集められた寺は一千、現在は三百、
区画整理、道路拡張で移転した寺が多いとか、それであのあたりの道路の下は遺骨が多いと。

 
                                中央左方の赤印が鳥越の実家、右方赤印が宗園寺         
                  

檀家の一番古いM家は元禄からで今は鎌倉と、あちこち散らばり、台東区の檀家は今、実家を入れて5軒だけと。
そんな話をしているうちに、ご住職は私と妹の中学の後輩だということがわかり、高校は?といよいよ話は佳境に。
私の15歳下の住職です。私達姉妹には先代の印象が強いのですが、こんな打ち解け話などしたことはなかったです。

   

祖父の次郎さんは鳥越神社そばの本宅で簪(かんざし)の問屋、浅草橋に何軒も家作(貸し長屋)、絶頂時にこの墓地を得たとか。その跡取りの父と、上州足利の機屋(はたや;織り元)の長女の母は、見合いのつり合いもよかったのでは。

問題はこれからの墓守で、妹がこのままだと、どんなに長くても30年で途絶えることに。
そのことを住職に、結局問えなかったのはいつもの私の悪い癖、などひとりごちてます。

下北旅情② 下風呂温泉

2011-10-13 22:42:00 | 仙台 松島 青森 福島 山形   
10月8,9,10の三連休で、思い立ったときには有名旅館はどこも満室でした。
昨日も、本来なら八甲田ホテルとか蔦(つた)温泉がお気に入りなのですが、奥入瀬渓流ホテルに。 まあまあでしたが。
そして今日の宿が…、浅虫も、薬研まできてもだめで、ついに本州最北端温泉、下風呂(しもふろ)温泉です。

                 
  

この温泉名は私とて知らず~  そのはずで“集落の実体はイカ漁専業の漁村で、温泉はその付録のようなありようだけれど”
“そうしたところに普通の温泉と異なる下風呂の味わいがある。” 上掲;「名湯・秘湯めぐり」 より
   
 この本のまえがきには民俗学好きの心をくすぐられました~
 《旅の楽しさというものは、ただ飲んで唄って騒ぐだけの単純なものは例外として、その土地に漂うローカル色を求め、
  更に心のよりどころを得ようとすることにあり、それが人の心にひそむ、未知への郷愁となり、夢にもつながるわけである。≫

実際、名湯案内本などには下風呂温泉は見当たらず、引っ張り出したこの本が現在もそのまま通用するあたり、ローカルですね~
うれしいローカル色、具体的にいきますと、

【鉄道遺構】戦時中、山裾に鉄道を敷設しようとして中止になり、その遺構が点々と見え隠れしている。

     道一本で手前は海
   
        
                       
【共同浴場】旅館は以前は町なかの共同浴場を使っていたが…今はもっぱら村人の専用に。
      硫黄泉、60~70度、リュウマチ、神経痛、婦人、皮膚、 よく温まり、私の症状にもぴったりで楽になりました☆

     古来からの元湯  新湯、多少泉質が違う


【古式ゆかしい祭り】ちょうど宿泊日が宵祭り、村人総出で準備、イカ船も今日明日ばかりは陸にあげて漁火は見られず。

  
  元湯に大漁船に山の上の守り神、これこそ海辺の村の原風景。 

 

  

【宿の食事】
   

  烏賊キモ鉄板焼き  生うに
 鮑(アワビ)の踊り  ☆以上3点だけで宿代ペイです(追加特別料理ではない)☆

【浜風景】
   

高い防波堤、津波時は守り神の山上の神社へ、一番人気の食堂メニューもぜいたくというか。

【おかみの話;湯治】 朝、出発時に「とても良いお湯でした」と挨拶したところ、「昔は津軽からも農閑期に湯治に来てくれた。」
 源泉直近の高温白濁硫黄泉、湯治は3日一めぐりだが疲れが出る時で、最低一週間ほしい、と。
   
 素朴で飾らないが、精一杯のもてなしを受けました。(一番の部屋で、宿泊料は前夜の半分!)
 「ひまができたら、ゆっくり来てください。」とうれしいお見送りの言葉でした。
 




下北旅情① 恐山、奥薬研温泉

2011-10-12 13:06:10 | 仙台 松島 青森 福島 山形   
10月9日、朝一の奥入瀬から猿倉温泉まで戻り、最高の紅葉を楽しんだ後は、
今夜の宿、本州最北端の温泉下風呂温泉まで、途中恐山によって、5時間はかかったでしょうか。
下北半島の首の西方、野辺地からむつ市までのはまなすラインは海のそばのはずが海が見えなくて… 遠い。

 今回全行程530㌔

 本州最北端 北海道は目前

恐山を参拝、


  
  
  
                                                 イタコの口寄せを待つ列
   水子霊のための風車、風が強くくるくると、~
   だれでも入れる温泉、タオルがなく断念。

どこかどうしてもと、奥薬研温泉で一風呂、
   
夫婦かっぱの湯、無料の共同風呂、男女時間制
ここは前から来たかった秘湯の湯、町が取り壊す予定を知って全国から存続希望が来て、それで、新しくして再オープン、
温泉マニアが集まり、居合わせた女性からも正確な情報収集。
  断念した恐山の温泉は高濃度で、もったいないことをしたらしい、
  今夜は下風呂、というと「温泉は高温、食事は量が多い」と。 まさにその通りだったのです!

「奇跡のりんご」人気出過ぎで…

2011-10-11 22:57:11 | 仙台 松島 青森 福島 山形   
8,9,10日の3連休、収穫期をむかえた弘前の木村秋則さんの自然栽培農園を覗けたら、と思いついたまではよかったのです…
詳しい場所は、レストラン山崎でランチついでに聞けばいい、とのんきに構えて。

結果… あちらの理由にこちらの都合で、完敗、行けませんでした。 

☆あちらの理由;「奇跡のりんご」は、想像を超えた大ブームになっているのです!
        木村さんの著書は新刊が続々で、5冊以上はあるのでは。
        タイアップしたレストラン山崎のスイーツ、フーズはあっという間に多品種にわたり、
        りんごは、品薄で買うことができず。商売に走ってしまってる?

          
        
        レストラン山崎のフレンチランチも、団体ツァー客の延着とかで、1時半までおあずけでした。
        2年前までの山崎では、団体客など見たこともありませんでした。
        趣ある飾り家具を撤去しテーブル席を増やして、店内が白っぽくだだっ広いばかりで。
        
  
 
    基本は低価格ですが、追加&追加&~でいい値段になります。その追加の一番人気“りんごの冷製スープ”      
        
        待つ間に岩木町の木村農園を訪ねようと、問い合わせると、「うちも知らない」の一点張り。
        それからあわててネットで調べたのですが、見事にどこにも住所が見当たらないのには驚きました。
        問い合わせが殺到しているのか、それにしても異常な感じすら覚えるガードです。
        
☆こちらの都合;そうはいっても、岩木町に入り、地元警察に聞くという究極の手がありましたが、
        ランチが終わったら3時、お腹も重いし、山の入日は早いし、今宵の宿の奥入瀬までの山越えは控えているし、
        岩木町は西へ反対方向、 で今日はついに断念、バックしました。気力の問題ですか。


102号線、黒石温泉郷の手前あたりで、農薬でマ白いながらたわわに実ったリンゴに遭遇したのは、今日最大の皮肉かも

  

 何か話しかけづらい雰囲気。