たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

開門・閉門

2020-03-31 09:08:51 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.68 *****

一説に、「卯」は開門を「酉」は

閉門を表しているという話があります。

「卯」は東の方角・朝の6時前後、

「酉」は西の方角・夜の6時前後を示す

干支ですから、「卯」と「酉」とはちょうど

「朝」と「夜」の切り替えの時間帯に当たり、

あの世とこの世との境目が

曖昧になるひとときなのでしょう。

 

「卯」は開門「酉」は閉門であるとすれば、

「卯」の時間帯にこの世の門が開かれ、

「酉」の時間帯にはこの世の門が閉まる

という意味でもあり、この二つの干支の

時刻を目安に「神事」を行うのは、

自然の理に叶ったものなのかもしれません。

 

そして、「卯の日」に始まり、

「酉の日」に完了する習わしを持つ酒造りも、

古くは「神事」としての機能を

有していたと想像されるのですね。

 

そこでもう一度、崇神天皇が詠んだ

==========================

味酒(うまざけ) 三輪の殿(との)の
 朝門(あさと)にも 押し開かね
 三輪の殿門(とのど)を

==========================

という歌を解釈してみますと、

ただの「宴の歌会」とは思えない

様相が見えてくるのでした。


三ツ鳥居

2020-03-30 09:03:57 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.67 *****

ご存知のように、大神神社は一般的な

神社とは異なり、ご神体である「三輪山」

を直接拝むような配置になっております。

通常、参拝者が手を合わせているのは、

本殿ではなく拝殿の前でして、

その奥には「三ツ鳥居 (みつとりい)」と

呼ばれる珍しい形の鳥居が控えているのです。

 

何でもこの三ツ鳥居は、

三輪山と拝殿とを区切る場所に立っているそうで、

本殿に代わる建造物として神聖視されてきたとのこと。

もしかすると、先日からご紹介しております

==========================

味酒(うまざけ) 三輪の殿(との)の
 朝門(あさと)にも 押し開かね
 三輪の殿門(とのど)を

==========================

という歌に登場する「門」こそが、

この三ツ鳥居を示しているのかもしれません。

 

創建当時の大神神社には、

現在のような社殿は存在せず、

三輪山の遥拝所のみが設けられていた

はずですから、その目印として三ツ鳥居が

置かれた可能性もあるのでしょう。

つまり、崇神天皇が目撃した厄除けの策とは、

この三ツ鳥居に関することだった

とも考えられるのですね。


三輪の殿門

2020-03-29 09:01:00 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.66 *****

一昨日、崇神天皇が詠んだ

==========================

味酒(うまざけ) 三輪の殿(との)の
 朝門(あさと)にも 押し開かね
 三輪の殿門(とのど)を

==========================

という歌を元に、お酒(アルコール)

の効用について記しましたが、気になるのは

「三輪の殿 朝門 押し開かね三輪の殿門を」の中で、

繰り返し登場する「門(と)」という言葉かもしれません。

 

一般的にこれらの歌は、

「美味い酒のある三輪神社の社殿で夜通し酒を飲み、

朝になったら三輪の社殿の門を押し開いて帰りなさい」

といったニュアンスに訳されます。

ただし、天皇が詠む歌と言いますのは、

ある種の「呪文」でもありますから、

単純にその場の情景を詠んだわけではないのでしょう。

 

恐らく、神官である大田田根子の神事を

目の当たりにした崇神天皇は、

大田田根子の所作から疫病対策の

ヒントを得たのだと思われます。

つまり、「お酒(薬)」と「門(と)」

の組み合わせこそが、

災厄を祓うための重要なヒントとなりそうなのです。


酒造メーカー

2020-03-28 09:57:33 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.65 *****

現在、日本全土を不安の渦に陥れております

「新型コロナウイルス」ですが、

これらの検査に使う試薬を製造しているのが、

タカラバイオという会社だそうです。

 

こちらの会社は、コロナウイルスの検査に必要な

「遺伝子関連試薬」のアジア最大手の製造企業であり、

現在、生産工場がある中国・大連市では、

検査試薬の生産を従来の数十倍に増やし、

フル稼働で生産を続けていると聞きます。

 

ちなみに、こちらのタカラバイオの親会社は

宝ホールディングスでして、

お酒好きの人ならご存知であろう

宝酒造の系列なのだとか……。

つまり、現代の「疫病対策」の

最前線で稼働していたのは、

なんと「酒屋さん」だったわけですね。

 

ここ数年、甘酒がブームになったり、

酒造メーカーの化粧品が

人気を集めたりしておりますが、

「アルコール」と「ウイルス」とが、

密接なつながりを持っていたということを

改めて証明するようなこの事実。

「特効薬」がないとされる

新型コロナウイルスに対する突破口は、

やはり「お酒」なのでしょうか……。


清めの作用

2020-03-27 09:54:49 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.64 *****

酒造りが完成したことを祝う宴で、

崇神天皇が詠んだとされる

==========================

味酒(うまざけ) 三輪の殿(との)の
 朝門(あさと)にも 押し開かね
 三輪の殿門(とのど)を

==========================

という歌が、「疫病対策」を示しているとするならば、

この歌の中に登場する「酒(アルコール)」が、

それらのカギを握る物質となりそうですね。

 

「養老の滝」の話に代表されるように、

全国各地には「霊水(お酒)」を飲んで

寿命が延びたなどの伝承が残っておりますし、

またアルコールの成分は、ウイルスを

包み込む「エンベロープ」という膜を壊し、

不活化させるとも言われております。

 

まあ、「飲酒」に関してはあまり

ウイルスには効果がないとも聞きますが、

「発酵」にこだわった古代人が、

アルコールに「殺菌作用」や「ウイルス破壊作用」を

見出していた可能性は否定できないのでしょう。

 

今も昔も神への供物のとして

「清酒」が欠かせないのも、

観念的な清めの効果だけでなく、

現実的に身を清める作用が

働くからなのかもしれません。


崇神天皇の歌

2020-03-26 09:51:00 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.63 *****

崇神天皇の命により、酒造りを完成させた

高橋活日命は神酒を献上する際、

==========================

此の神酒は わが神酒ならず 大和成す
 大物主の醸(かみ)し神酒 幾久(いくひさ) 幾久


訳:この酒は私の酒ではなく、
倭の国を造った大物主が醸造した神の酒です。
いつまでも、いつまでも栄えますように

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という歌を詠んだそうです。 それに対して崇神天皇は、

==========================

味酒(うまざけ) 三輪の殿(との)の
 朝門(あさと)にも 押し開かね
 三輪の殿門(とのど)を


訳:美味い酒のある三輪神社の社殿で夜通し酒を飲み、
朝になったら三輪の社殿の門を押し開いて帰りなさい

==========================

という歌を返されたとのこと。

 

これだけ見ますと、何とも楽しげな宴会

でのやり取りのようにも感じられますが、

このときの酒宴は「神事」でもあったのでしょう。

「大物主神」を称える内容を高橋活日命が詠み、

「大物主神」の霊威を慰める呪文を

崇神天皇が唱えたのかもしれません。

そして、崇神天皇が最後に詠んだ

「押し開かね三輪の殿門を」という文句こそが、

疫病から身を守るための秘策だったと思われるのです。


「卯」と「酉」

2020-03-25 09:47:52 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.62 *****

古来より、「卯」の字は甘酒、

「酉」の字は酒壺を意味する漢字で、

酒造りは「卯の日」に始まり、

「酉の日」に完了する習わしがあると聞きました。

 

酒の神様として知られる京都の松尾大社では、

稲刈りが終わり新米ができる11月最初の「卯の日」に、

「上卯祭(醸造祈願祭)」と呼ばれる

酒造りの開始を告げるお祭りを、

そして4月の二番目の「酉の日」には、

醸造完了を感謝する「中酉祭(醸造感謝祭)」

を執り行うそうで、調べてみたところ

大神神社で行われる醸造安全祈願祭(酒まつり)も、

11月の「中酉の日」のようです(明記はされておりません)。

 

11月の酉の日と聞きますと、

各地で行われる「酉の市」が思い浮かびますが、

「卯」だけでなく「酉」に関しても、

酒造りを示す干支であるとすれば、

両者とも「疫病」とのつながりが

にわかに気になってまいりますね。

 

以前書いたように、「酉」は

災害を意味する文字でもありますし、

「卯」と「酉」が深く関与する「酒」、

そして「大神神社」には、まだまだ

私たちの知らない「陰の歴史」が

秘められているのかもしれません。


ウイルスの変異

2020-03-24 09:44:02 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.61 *****

というわけで、崇神天皇の時代に

起こった出来事を頭に入れながら、

改めて「新型コロナウイルス」

の今後について考えてみますと、

最も懸念されるのが「ウイルスの変異」

ではないかと考えております。

 

実は、諏訪大社の筒粥神事の様子に接した際、

「人災」「人工的」というイメージと共に

思い浮かんだのが、「変異」という言葉でした。

本来、三分四厘だった「相」を、

のちに三分五厘へと変更したことは、

つまり災厄が「変異する」という暗示なのでしょう。

 

そして、その時期は恐らく

「卯」と関わるタイミングであり、

旧暦の卯月と呼ばれる4月下旬から

6月下旬にかけてではないかと推測されるのですね。

 

ちなみに、大神神社の大祭である「大神祭」は、

古くは「卯の日神事」とも呼ばれ、

4月、12月の上卯日に執行されていたと

聞きます(現在は4月9日に固定)。

「巳(ヘビ)」の印象が強い大神神社

ではありますが、実は参集殿の入り口には、

「なで兎」と呼ばれるうさぎの像も置かれるほど、

「卯」との縁が深い場所だったのです。


疫病に効く薬

2020-03-23 09:41:02 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.60 *****

大神神社は「酒造り発祥地」としても知られており、

毎年11月には酒蔵や酒造メーカーの関係者が集い、

「醸造安全祈願祭(酒まつり)」を行うと聞きます。

何でも、大物主神が「大田田根子」を祭主に指名する際、

「酒を奉納しなさい」と告げたことが発端だそうで、

崇神天皇に命じられた高橋活日命

(たかはしいくひのみこと)という人物が、

一夜で酒造りを完成させ神に献上したのだとか……。

 

そのおかげで「疫病」は治まったと言いますから、

いわばお酒は「疫病に効く薬」だったのでしょう。

言うなれば、今盛んに推奨されている

「ウイルスにはアルコール消毒」という対策法を、

歴史が証明しているというわけですね。

 

ちなみに、大田田根子の子孫である三輪氏は、

須恵器づくりを得意とする氏族でして、

それまでの土師器と比べても

かなり完成度の高い酒器を作ったとのこと。

恐らく三輪氏は、「祭祀」という

目に見えない部分だけでなく、

「薬」という現実的な技術を駆使して、

「疫病」という難敵に立ち向かって

いたのかもしれません。


真の国津神

2020-03-22 09:37:58 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.59 *****

「疫病」というキーワードを軸に、

古代の三輪山の様相をシミュレーション

してみましたが、これらの流れから、

「天照太御神」と「倭大国魂神」が

去った三輪山には「大物主神」だけが残り、

「大田田根子」を祭祀者とする大神神社の

原型が出来上がったことがわかります。

 

恐らく、崇神天皇という人物は、

大国主神の時代から「恫喝」を

始めていた三輪山の神に対し、

「天照太御神」や「倭大国魂神」

への祭祀が疎かになるほど、

過剰な配慮をしていたのかもしれません。

そのような後ろめたさがあったからこそ、

「疫病蔓延」の原因をまずは

祭祀が手薄だった二神の祟りと判断し、

皇居から遠ざけようとしたのでしょう。

 

しかしながら、「伊勢」という遠地に

隔離された「天照太御神」とは異なり、

「倭大国魂神」はごく近隣の地に鎮まった上で、

あたかも「崇神天皇の御陵」と

「三輪山」を監視するかのごとく、

静かににらみを利かせているような

雰囲気が漂ってまいるのです。

 

もしかすると、「倭大国魂神」

こそが真の国津神であり、

三輪山の周囲で起こる出来事や、

崇神天皇の祭祀に対する態度を、

陰から冷静に観察していたのでしょうか……。


大田田根子

2020-03-21 09:55:36 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.58 *****

「大田田根子」を大物主神の祭主として

迎え入れたことで、崇神天皇はようやく

「大物主神の祟り」から解放されました。

現在、大神神社の摂社・大直禰子神社

にお祀りされております

「大田田根子」という人物ですが、

その素性は謎に包まれており、

なぜ大物主神が彼女?を指名したのかなど、

文献等には何も記されてはおりません。

一説には、大物主神の子孫

(または子)とされることから、

やはり「倭大国魂神」と同じように、

「神と同じ系譜の人物」が選ばれた

と考えるのが自然なのでしょう。

 

先日も書きましたように、

大神神社はもともと「疫病鎮め」

のために創建された神社であり、

大物主神の祟りを治めることが

本来の役目だと推測されます。

同じ奈良の春日大社では、

新型ウイルスの流行を抑えるため、

「疫病退散」のご祈祷を開始しておりますし、

もし仮に、大神神社で「疫病鎮め」

の神事が執り行われたなら、

非常に興味深い結果をもたらす

ような気がするのですが、果たして……。


ただならぬ関係

2020-03-20 09:51:51 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.57 *****

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「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事、今更何と磐座や……」

訳:伊勢の神と三輪の神は同神だ。今更あえて言うまでもない

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これは、大神神社ゆかりの能「三輪」の一節で、

三輪明神(大物主神)が最後に語る文言です。

このお能の演目は、「大神祭」でも演じられるそうですし、

「三輪の神」と「伊勢の神」とのただならぬ関係は、

歴史の合間合間に人々の間で

話題に上っていたのかもしれません。

 

ちなみに、この文言を元に、

伊勢で祀られているのは「三輪の神」だ、

という説も取り沙汰されておりますが、

これには「長物」の概念が深く関与しているようで、

三輪山の蛇伝説と内宮の蛇伝説とが、

長い時代の中で混合している部分もあるのでしょう。

 

一概に「蛇神」といっても、縄文時代から

多種多様の蛇信仰が日本に入り込んでいましたし、

この一節だけで「三輪」と「伊勢」を

同神として結びつけるのは、

少々無理があるかなと個人的には感じております。

いずれにせよ、「三輪の神(大物主神)」と

「伊勢の神(天照太御神)」との間に横たわる「因縁」が、

古くから人々の記憶に残されていたことは確かなようです。


疫病鎮めの神社

2020-03-19 09:48:56 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.56 *****

様々な「国難」に際し崇神天皇が取った行動は、

代々宮中でお祀りしてきた「天照太御神」

「倭大国魂神」「大物主神」の祭祀を、

自らの手から離しそれぞれの祭祀者に任せることでした。

これが吉(災厄の収束)と出た部分もあれば、

凶(自らの寿命)と出た部分もあったわけですが、

いずれにせよメインテーマであった「疫病の蔓延」は、

「祭祀の在り方」を見直すことにより、

沈静化した様子が見て取れるのです。

 

ちなみに、これらの出来事の「現場」となったのが、

三輪山をご神体とする大和国一の宮、

大神神社(おおみわじんじゃ)でして、

4月、12月の上卯日に執行される大神祭は、

大物主神から名指しされた「大田田根子」を、

神社の神主としてお迎えした故事が

起源だと言われております。

また、4月18日の「鎮花祭」は

別名「薬まつり」とも呼ばれ、

大物主神の荒魂をお祀りする狭井神社

との二社で行われる「疫病除け」の祭典です。

 

大神神社の摂社には、「三枝祭」という

疫病鎮めのお祭りで有名な

率川神社(いさがわじんじゃ)もありますから、

大神神社がいかに「疫病」を意識して

創建された社であるのかがわかるでしょう。


祭祀者の選別

2020-03-18 09:44:31 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.55 *****

崇神天皇の「疫病対策」を考察する中で

感じたのは、天皇祭祀というものがいかに、

「天津神」と「国津神」だけでなく、

その地ゆかりの神々をも含めた

すべての神のバランスを取ることを、

絶対条件としているかということでした。

 

本来であれば、今も昔も天皇自身が

祭祀を取り仕切るのが筋なのでしょうが、

この崇神天皇の時代に、宮中の神々がバラバラに

離散した(せざるを得なかった)結果、

後の世の「災厄への対策」が

難しくなった側面もあるのだと思います。

 

と同時に、このときに宮中の神々を

「それぞれの祭祀者」へと一任したことで、

天皇祭祀に不具合が生じた場合の

バックアップ体制が整ったとも言えるのでしょう。

 

しかしながら、各地の神社を

巡っていて時折気になるのは、

「国津神」をお祀りする宮司家の多くが、

長い時代の中で「天津神」の系統に

代わっているということですね。

もちろん、神社側に非があるわけではないものの、

「疫病」という災厄を抑えるための秘策が、

「祭祀者の選別」であるならば、

このような傾向は少々気がかりなところかもしれません。


古代のインバウンド

2020-03-17 09:41:32 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.54 *****

「三種の神器」が宮中から

離される原因となった最大の要因は、

「疫病の蔓延」だったと言われております。

ただし、それと並行するかのように

「農民の離反」や「大陸からの渡来者の急増」

など問題も発生していたようで、

崇神天皇の祟り騒ぎがあった当時、

日本の人口比や人種構成の割合が急激に変化し、

国内情勢が不安定になっていた様子が伺えるのです。

 

恐らくは、国民の半数が亡くなったとも

言われるこのときの「流行り病」も、

「大陸人」により持ち込まれた

可能性が高いのでしょう。

インバウンドの増加により

訪日外国人が増えた昨今の日本との状況と、

崇神天皇時代の日本の状況は

どことなく似通っているというわけですね。

 

そこで、崇神天皇が講じたのは、

宮中で祀られていた「天照太御神」を

三輪山から極力離すこと、同じく宮中で

祀られていた「倭大国魂神」の祭祀を

国津神の子孫に任せることでした。

さらに自身は、「大物主神」の祭祀を強化すべく、

神から名指しされた「大田田根子」

という人物に神仕えを命じたのです。