たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

縄文式の神事

2019-04-04 09:17:39 | 出雲の神社

<布須神社 ふすじんじゃ>

 

縄文時代の遺跡の中からは、

時折ぶどうの種子が発見されるそうです。

また、縄文式土器の独特な形状が、

「酒器に適した形でもある」という

一部の専門家の説などを踏まえると、

「八塩折の酒=果実酒」との推測は、

あながち荒唐無稽なものではないのかもしれません。

 

ちなみに、日本に「稲作」が伝来して以降、

それまで見られていた果実酒醸造の形跡が、

ほぼ見られなくなったと聞きます。

恐らく、出雲の「国譲り」をきっかけに、

神事に用いられるお神酒に関しても、

国津神のシンボルだった「果実」から、

天津神のシンボルである「米」へと

順次入れ替わったのでしょう。

だとすれば、スサノオが行った「八塩折」とは、

「縄文式の神事」だった可能性もありますね。

 

オロチという難敵を目の前にして、

スサノオが指示したのは、多くの兵士を集めたり、

多くの兵器を製造したりといった具合に、

武力を強化することではありませんでした。

土地の人々の手で「酒」という

最強の武器を造らせることで、

ある意味スサノオは、日本の先住民族にしかできない、

本当の「ヤシオリ作戦」を実行したのです。


供物と祈り

2019-04-03 09:15:24 | 出雲の神社

<雲南市・釜石>

 

これまでの記事では主に、「越からきた異国人」

という想定でオロチ伝説を考察しましたが、

先日ご紹介したシン・ゴジラの例えのように、

オロチを「荒ぶる自然」と捉えることも可能です。

仮に災害鎮めの側面から、オロチ退治を考えるなら、

「八塩折の酒」とは、天災つまり

「国津神の怒り」を鎮めるために、

必要不可欠な神事だったのでしょう。

 

恐らく、スサノオがアシナヅチ・テナヅチに、

自らの手で酒を造るよう命じたのも、

その土地で採れた供物と、その土地の人々の祈りが、

国津神(土地の神)の祭祀には必須であり、

「それらを怠れば災厄が起きる」

という戒めが含まれていたのだと思われます。

さらに言うなら、各地のイズモ族の協力と、

各地のイズモ族の神事なくして、

「天孫族が日本を治めることは難しい」

という比喩でもあったのかもしれません。 


ぶどうの霊力

2019-04-02 09:10:36 | 出雲の神社

<雲南市・釜石周辺>

 

一説に、ヤマタノオロチの物語とは、

異国人の襲来を示すだけでなく、

鉱山の鉱毒、噴火に伴う火砕流、水害による土石流など、

様々な「災害」を表しているとも言われております。

オロチ伝承にたびたび登場する「八」重垣が、

災害を防ぐための「碑」であったように、

「八」塩折の酒と呼ばれる醸造物も、

災害を防ぐための「武器」だったのでしょうか……。

 

ちなみに、八塩折の酒の「塩折」とは、

「日本酒を使って日本酒を仕込む」という、

非常に手の込んだ酒造りの製法を指しますが、

実は、八塩折の酒に用いられたとされる材料は、

「衆菓(もろもろのこのみ)」という果物で、

「米」ではなかったという話があります。

考えてみますと、神事に日本酒を使用するという慣習は、

「天照太御神」の世になってからのことだと思われますし、

それ以前は、他の植物を原材料とする「醸造酒」が

用いられていた可能性もあるのでしょう。

 

それらの根拠を示すかのように、

八塩折の酒を醸造したとされる釜石の付近には、

古くから「山葡萄」などの果樹が野生しているそうです。

オロチとの戦いを前に、御室山に籠ったスサノオは、

かつてイザナギが、黄泉の国から追ってきた鬼に、

エビカズラ(ぶどうの一種)を投げつけたように、

このあたり一帯に植生していた「ぶどうの木」に、

何らかの霊力を見出したのかもしれません。


八塩折の酒

2019-04-01 09:06:28 | 出雲の神社

<雲南市・釜石>

 

一説に、オロチの尾から出てきた

アメノハバキリ(草薙の剣)は、

「アラハバキ」を指すとも言われています。

仮に、アシナヅチ・テナヅチを

アラハバキと同一視するなら、

スサノオは「アシナヅチ・テナヅチの剣」

を奪った、「何か(誰か)」を打ち取った、

という風にも解釈できるのかもしれません。

つまり、オロチの尾から取り出した神剣は、

もともと先住民が所有していた剣であり、

「出雲の砂鉄」とも置き換えられるのでしょう。

 

スサノオがなぜ「自ら」酒を造らずに、

アシナヅチ・テナヅチにという先住民に

八塩折の酒を用意させたのかというと、

オロチを倒すためには「イズモの神」の

全面的な力添えが必要だったからなのだと……。

出雲の先住民が自らの手で行う「神事」こそが、

最も重要な「作戦」だったのだと思われます。

恐らく、八塩折の酒と言うのは、

アラハバキにしか造ることができない、

「特別な酒」だったのかもしれません。


釜石

2019-03-31 09:02:25 | 出雲の神社

<雲南市・釜石>

 

スサノオが自らの御魂を安置した布須神社(室山)の麓に、

「釜石」といわれるオロチゆかりの神石がありました。

何でもこの石には、スサノオがオロチを退治するために、

クシナダヒメの両親であるアシナヅチ・テナヅチに命じて、

「八塩折の酒(やしおりのさけ)」

を造らせたという言い伝えがあるのだとか。

 

八塩折の酒と言えば思い浮かぶのが、

数年前に大ヒットした映画「シン・ゴジラ」の中で、

ゴジラを倒すために主人公の「矢口」が提案した、

「ヤシオリ(八塩折)作戦」というプランですね。

越の「八口」を暗示させる「矢口」という苗字しかり、

ゴジラに凝固剤を注入するタンクローリー車の

アメノハバキリ(草薙の剣の別称)という名称しかり、

制作者がオロチ伝説に関わるモチーフを、

随所に取り入れたことは明らかです。

 

「シン・ゴジラ」のネタに関しては、

ネット上にも多くの指摘がありますので、

詳しい説明は省きますが、オロチ(およびゴジラ)を

「荒ぶる自然」と置き換えるなら、

自然の猛威を鎮められるのは、

「ヤシオリ」しかないということなのかもしれません。

だとすれば、スサノオがアシナヅチ・テナヅチに造らせた

ヤシオリという名の「酒」とは、

いったいどのような代物だったのでしょうか……。


原初の形

2019-03-30 09:00:31 | 出雲の神社

<布須神社 ふすじんじゃ>

 

出雲の神社というのは、様々な由緒が重なるあまり、

本来の姿が見えにくくなっているケースが間々あります。

ゆえに、布須神社のように、「原初」に近い場所を訪れると、

人々が素直に神に感謝を捧げていた時代を思い出し、

心の重荷がふいにほどけて行くような気がするのです。

 

恐らく、「鉱物」を巡る争いが起きるまでこの場所は、

土地の人が山の神を拝むだけの聖地だったのでしょう。

布須神社の一帯には、熊野の無社殿神社で感じたような、

古代の息吹を含んだ清廉な空気が漂っていました。

 

その当時、人々が御室山に眠る尊い宝(鉱物)を

どう扱っていたのかはわかりませんが、

少なくとも「人を殺すための武器」として、

利用しようとは考えていなかったはずです。

 

もしかすると、『出雲国風土記』が描こうとしたのは、

大切な故郷が「鉄の匂い」で染まる前の出雲の姿であり、

山の神であるスサノオを日々拝み、

土地の恵みに感謝しながら暮らしていた、

「超太古の出雲」の日常だったのかもしれません。


布須神社

2019-03-29 09:58:39 | 出雲の神社

<布須神社 ふすじんじゃ>

 

今回の出雲ツアーで、特に印象深かった神社のひとつが、

スサノオの御在所である木次町の布須神社でした。

何といってもこちらの神社は、

出雲神話ゆかりの伝承地の中では珍しく、

集落から離れたひと気のない山中に鎮座しており、

ちょっとした秘境感を味わえる場所なのです。

 

佐世神社からはおよそ車で20分程度。

民家が途切れたあたりで舗装道路が終わり、

そこから車を降りて徒歩で神社に向かいました。

鳥のさえずりだけが聞こえる静寂な森の中へ、

一歩ずつ足を踏み入れて行くごとに、

「神様に近づく」という感覚が強まります。

 

ほどなくして木立の間から見えてきた社殿の正面には、

100段以上はあろうかと思われる長い石段が、

山に向かって龍のウロコのように伸びていました。

登り切った先にあるのは、簡素な鳥居と狛犬?と、

山肌にへばりつくように建てられた拝殿のみです。

布須神社という場所は、今回訪れた出雲の神社の

どこよりも、強烈に「山」を感じさせる聖域でした。


鉄を巡る争い

2019-03-28 09:50:09 | 出雲の神社

<雲南市・御室山>

 

オロチ退治の言い伝えが残る場所を

ピックアップした際に気づいたのは、

オロチの伝承地が、主に斐伊川の右岸

(東エリア)に偏っているということでした。

 

仮にこれらの理由が、同じく斐伊川の東側に固まる

「モリブデン」という鉱物の埋蔵地と関係するなら、

オロチとモリブデンとのつながりが、

より具体性を伴って迫ってきますね。

(ちなみに、斐伊川の西エリアにも

モリブデン鉱山は存在し、近隣には「龍頭が滝」

というオロチゆかりの伝承地があります)

 

一説に、「『出雲国風土記』の中で描かれるスサノオこそが、

本来のスサノオの姿である」などと言われていますが、

『出雲国風土記』の中に登場する数少ないスサノオ伝説は、

ほぼ「鉱物」絡みの話です。これらの事実は、

奥出雲の地が鉄を巡る争いの激戦地であり、

「鉄」と「スサノオ」との結びつきが、

想像以上に強いことを示す証となるのでしょう。


御室山

2019-03-27 09:47:57 | 出雲の神社

<雲南市・御室山周辺>

 

『出雲国風土記』の中に、スサノオの名が

登場するのはわずか数回ではありますが、

それらの伝承地を結びつけると浮かび上がるのが、

先日からたびたびご紹介してるスサノオ・ラインです。

 

その伝承に関わる場所を列挙しますと、

1.スサノオの終焉の地・須佐神社のある佐田町

(ここには朝日タタラという史跡があります)

2.スサノオが佐世の木を髪に挿して踊った佐世神社

(付近には一つ目鬼の伝承が残ります)

3.スサノオが「ここに来て心安らかになった」

と言ったため、その名がついたとされる安来町

(一説に、神在り月に出雲にやってきた神々は、

この安来に集まり、鉄の商談を始めるとも聞きます)

4.佐世神社の南方にある御室山

(スサノオの御座所があったと言われています)

 

恐らく、スサノオがヤマタノオロチを退治する際、

その「本陣」としたのは、雲南市の木次町にある

御室山(現在の室山)の付近だったのでしょう。

もしかすると、この一帯に眠るモリブデンが、

「オロチ」の狙いでもあったのかもしれません。


モリブデン

2019-03-26 09:43:38 | 出雲の神社

<布須神社 ふすじんじゃ>

 

出雲地方で採れる鉱物について調べている最中、

スサノオ・ラインと呼ばれる「鉄の道」の上に、

「モリブデン」という鉱物の埋蔵地が、

連なっていることに気づきました。

鉱物に関しての見識が乏しいゆえ、

不正確な内容だったら申し訳ないのですが、

一般的にこのモリブデンは、

特殊な鋼(刀)を作るために、

鉄に混ぜて使われるそうで、

一説には第一次世界大戦の頃、

ドイツ人が日本刀の成分を密かに分析し、

大砲などの武器に応用したという話があります。

 

奥出雲の良質な砂鉄に加え、

豊富なモリブデンを有する出雲は、

権力者たちとって魅力的な場所だったのでしょう。

オロチの天叢雲剣がスサノオの十拳剣を折るくらいに

堅牢だったのも、実は「モリブデンが含まれていたから」

という噂もあるほど、日本刀(および鉄)とは

切っても切れない鉱物だったようです。

大東町の南側にある「室山」には、

大正時代を中心に採掘作業が進められた

大規模なモリブデン鉱山の跡が存在し、

山腹には「スサノオ」を祀る神社が鎮座していました。


砂鉄を守る砦

2019-03-25 09:41:50 | 出雲の神社

<佐世神社 させじんじゃ>

 

出雲をはじめとする山陰一帯で採れる砂鉄は、

真砂(まさ)砂鉄と呼ばれる不純物の少ないもので、

近隣の山陽地方などで採取される赤目(あこめ)砂鉄

などと比べると、鋼にするまでの行程が複雑なため、

扱い方が非常に難しいと聞きます。

 

恐らく、奥出雲の付近は良質の砂鉄が採れただけでなく、

高度な製鉄の技を持つ人々も数多く住んでいたのでしょう。

出雲に進出してきた異国人(越の八口)たちは、

砂鉄のみならず、優れた知識を有する技術者も含めて、

自らの所有物にしたかったのかもしれません。

 

アシナヅチ・テナヅチをはじめとする先住タタラ民たちは、

越の八口と呼ばれる異国人が侵略してきたことにより、

奴隷のような立場に置かれていたと思われます。

そして、土地の神に仕えていたクシナダヒメも、

異国人たちが信奉する製鉄の神への

人柱として要求されたのでしょうか……。

 

もしかすると、スサノオ・ラインと呼ばれる鉄の道は、

砂鉄を知り尽くした出雲のタタラ民と、

出雲のタタラ神に仕える巫女が集まる

「タタラの拠点」であったと同時に、

奥出雲の砂鉄を守るための「砦」を

築いた道だったのかもしれません。


スサノオ・ライン

2019-03-24 09:38:50 | 出雲の神社

 

<佐世神社 させじんじゃ>

 

「スサノオ・ライン」と呼ばれるその道筋は、

朝日たたらで有名な佐田町、

一つ目神の伝承が残る大東町、

そして鋼の町・安来市安来町付近を

一直線に貫く「メタルロード」でもあります。

そして、興味深いことにそれらのどの土地にも、

スサノオに縁する神社や言い伝えが存在するなど、

スサノオ信仰との強い結びつきが伺えるのですね。

 

先日、金屋子神に関する記事の中で、

「スサノオが本当に守りたかったのは、

無計画なタタラ操業によって切り倒された山々だろう」

といった内容の文章を書きましたが、

それを前提に考えるなら、このライン上の山々では、

砂鉄の利権だけでなく、森林資源を巡る攻防が

繰り広げられていたとも想像できます。

 

恐らく、最初に「タタラ」という

最新の製鉄技術を持ち込んだのは、

スサノオ信仰とともに来日した渡来人たちであり、

その多くは奥出雲の先住民に技術を伝授しながら、

採取した砂鉄を「平和利用」していたはずです。

その後、奥出雲の資源を荒らし始めた

「越の八口」の一団と、スサノオ信仰を持つ

人々との争いがスサノオ・ライン上で勃発し、

幾多の「ヤマタノオロチ」の話を

生み出した可能性もありそうですね。


佐世の木

2019-03-23 09:36:56 | 出雲の神社

<佐世神社 させじんじゃ>

 

雲南市加茂町の八口神社から車で約15分、

同じく雲南市の大東町佐世という地区には、

「ヤマタノオロチを倒したスサノオが、

頭に佐世の木の青い葉を挿して、

クシナダヒメとともに踊った」

という古老の話が言い伝えられています。

 

物語の舞台となったのは、

白神山(通称:佐世の森)

と呼ばれる小高い丘で、

一帯には神代(かみよ)という

字名が付けられていました。

これらの名称から察するに、

佐世の地は古くから「神の土地」

として認識されていたのでしょう。

 

ちなみに、佐世地区の山向こうには、

以前ご紹介した「一つ目鬼」

の伝承を伝える阿用地区があり、

近隣にはタタラ場の跡も残ります。

そして、この佐世地区を中心に、

朝日タタラで知られる佐田町、

鋼の町である安来町を結ぶと、

一直線のラインでつながるという

なんとも興味深い話を聞きました。


オロチの剣

2019-03-22 09:14:44 | 出雲の神社

<御代神社 みしろじんじゃ>

 

スサノオがオロチに矢を放ったとされる

雲南市加茂町の八口神社の近隣には、

オロチの尾を開いて天叢雲剣を取り出した、

「御立藪(おたてやぶ)」という伝承地が存在します。

その昔、御立藪には尾留大明神という神が鎮座し、

近隣の人たちの崇敬を集めていたそうですが、

川の氾濫などにより何度かの移転を経て、

現在の場所に社(御代神社)が建てられたのだとか。

 

仮に、『出雲国風土記』の中で、

大国主神が平らげたとされる越の八口を、

「古志の近くの八口」と置き換えれば、

「出雲のスサノオ」とも呼べる大国主神は、

八口神社や御代神社のあたりで、

「出雲のオロチ」と対峙したのかもしれません。

草枕の方角から斐伊川を遡りやってきた彼らは、

大国主神の矢に射止められ、武器を取り上げられ、

八本杉の下に埋められたのでしょうか……。


草枕

2019-03-21 09:12:31 | 出雲の神社

<加茂・八口神社 やぐちじんじゃ>

 

先日ご紹介した、雲南市木次町の山中に鎮座する

八口神社(通称:印瀬の壺神)の他にも、

「八口」と名の付く神社が雲南市加茂町にありました。

木次町の八口神社と同様に、

こちらもヤマタノオロチ伝説を残す場所でして、

神社には「強い酒に酔って苦しんで寝ていたオロチに、

スサノオが矢を放った」という話が伝えられています。

古くは、「矢口社」と記していたとも聞きますから、

かなり昔から「矢」の言い伝えは存在していたのでしょう。

 

ちなみに、オロチが酔って寝ていた「草枕」と呼ばれる山は、

八口神社の境内からほぼ西の方角にあったと聞きますが、

治水工事などにより、山の形は変わってしまったのだとか。

そんな、今はなき「草枕」の方向を眺めていて気付いたのは、

山の向こうに「出雲の古志」があるということでした。

越のオロチが酔って寝ていたとされる草枕の方角に、

「古志」と名の付く場所があるということは、

「出雲の国で起こったオロチ退治」が、ただの昔話では

なかったことを伝える重要な痕跡となるのかもしれません。