たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

祭祀のタブー

2018-05-31 09:41:13 | 阿波・忌部氏2

<物部町・根木屋>

 

数ある忌部氏の職責の中でも、

主に「祈祷」を担った一族が、

木頭に住む忌部氏だったと仮定するならば、

他の氏族との交流が盛んな剣山北麓を避け、

あえてひと目につきにくい

阿波南西部を選んだとも考えられます。

 

木頭村の隣に本拠地を構えた物部の里の人々が、

木頭忌部の一派なのか、他地域からの移住民なのか、

あるいは後発の渡来人なのかはわかりませんが、

いずれにせよ、物の怪の類を利用する呪術師が、

一部に存在していたのは確かでしょう。

 

現在、いざなぎ流の太夫が行う祈祷は、

「個人の願い」に対するものがほとんどです。

ただし、忌部氏の時代に置き換えてみれば、

それらの行為は恐らく「外法」であり、

祭祀氏族としての禁忌を犯していたとも言えます。

 

いざなぎ流の成り立ちを伝える祭文の中で、

秘術を伝授したとされるいざなぎ大神が、

「私は外法を扱う家筋ではない」と憤ったのも、

忌部氏が伝え続けてきた祭祀が、

「正統派」であることを主張すると同時に、

「外法」というタブーを犯すことへの

戒めを強く説きたかったのかもしれません。


呪術師

2018-05-30 09:35:59 | 阿波・忌部氏2

<いざなぎ流資料>

 

本来、忌部氏が担っていた立場というのは、

「天皇のために」祈りを捧げる役目であり、

一般民衆の個人的な願いをかなえる目的で、

自らの技を利用することはなかったはずです。

古代、卑弥呼と呼ばれた女性たちのように、

「国」や「天皇」の安寧を祈ることこそ、

祭祀氏族としての最たる努めだったのでしょう。

 

ただし、「麻」「弓矢」「祭文」などを、

自由自在に操ることができた忌部氏は、

いわゆる「外法のもの」に対する

技術や知識も豊富だったと思われます。

そして、時によっては「外法」を使い分け、

国家の窮地を救っていたのかもしれません。

 

ちなみに、旧物部村に隣接する旧木頭村は、

麻や木綿を栽培する木頭忌部の拠点であり、

その昔、物部村の人たちは木頭村の家と、

姻戚関係を結ぶことも多かったのだとか。

木頭の人々が麻や木綿を育てていたことを考えても、

「祈祷(木頭)」を得意とする集団が、

木頭村に隠れ住んでいた可能性もありそうです。

 

もし仮に、いざなぎ流と忌部氏とが

深く関わっていたとするなら、

当時、物部の里にいたのは、

祈祷に専従する木頭忌部の中でも、

とりわけ「外法」の扱いに長けた、

呪術師たちだったのでしょうか……。


外法のもの

2018-05-29 09:29:40 | 阿波・忌部氏2

<いざなぎ流資料>

 

いざなぎ流を興したとされる天中姫宮は、

天竺に住む「いざなぎ大神」から、

様々な祈祷法を学んだと聞きます。

師匠であるいざなぎ大神は、

天中姫宮の能力を試すために、

難しい試問を繰り返しますが、

天中姫宮は想像を上回る呪術で

それらの難題に応え続けた結果、

いざなぎ大神のお墨付きをもらい、

門外不出の秘儀を伝授されたそうです。

 

何よりも、いざなぎ大神を驚かせたのは、

天中姫宮が「外法のもの」を操ると同時に、

いざなぎ流という祈祷術が、

「外法のものを使った呪詛である」

ということを見破った点でした。

外法のものというのはつまり、

式神や犬神などを飛ばす妖術のことです。

 

恐らく現代では、「外法」の知識はあっても、

それを乱用する太夫はいないと思われますが、

長い歴史において、一部の太夫の間では、

不適切な「外法」も行われていたのでしょう。

もしかすると、いざなぎ流の来歴の中から、

忌部氏という存在が消されてしまったのも、

この「外法」を巡っての摩擦や確執が、

影響を及ぼしているからなのかもしれません。


いざなぎ大神

2018-05-28 09:25:17 | 阿波・忌部氏2

<いざなぎ流資料>

 

「弓矢」という武具は、もともと占いや呪術、

あるいは舞楽など執り行う際の祭礼具として、

忌部氏らが制作し、全国に広めたと聞きます。

弓矢の祈祷法を得意としたいざなぎ流には、

「弓矢」を自在に操る人たちからの

強い干渉があったのかもしれません。

もしかすると、いざなぎ流の開祖となった

天中姫宮(てんちゅうひめみや)という人物は、

忌部氏から手ほどきを受けたのでしょうか……。

 

ちなみに、忌部の実力者である天富命の親は、

物部氏の遠い祖先に当たるという話があります。

また、別の説では、阿波国内にいた邇藝速日命と、

阿波忌部氏との間に生まれたのが物部氏なのだとか。

いずせにれよ、両拠点の位置関係等を見れば、

何らかの縁戚関係があると考えたほうが妥当かもしれません。

 

ただし、ひとつ引っかかるのは、

これほどまでに数々の類似点を共有しながら、

いざなぎ流の呪術や祈祷法というのは、

まるで「忌部」という存在を隠すかのように、

独自の色合いを強めて行くということです。

天中姫宮に技を伝授したいざなぎ大神とは、

いったい誰を指しているのでしょうか……。

そのヒントがいざなぎ流の起源を伝える

「いざなぎ祭文」に残されていました。


密接な結びつき

2018-05-27 09:21:18 | 阿波・忌部氏2

<十二所神社 じゅうにしょじんじゃ>

 

様々な人型の御幣を使って行われる「人形祈祷」とともに、

いざなぎ流を代表する呪法のひとつが「弓祈祷」です。

昨日ご紹介した悪霊の類を 弓弦を鳴らして追い払う、

「蟇目法」と呼ばれる呪法以外にも、

弓を叩きながら神懸りになって託宣を降ろす、

「梓巫女(女性祈祷師)」への信仰など、

いざなぎ流には「弓」を用いた祭儀が頻繁に登場し、

また非常に重要視されていると聞きます。

 

ちなみに、いざなぎ流の蟇目法には、

「太陽に向かって矢を射るしぐさ」

を取り入れることがあるとのこと。

お正月前後に全国各地で行われる「弓神事(オビシャ)」や、

アジア全域に残る「射日神話」 などとの関連も無視できません。

また、正確なところはわからないのですが、

祭儀の際に使用する白蓋(天蓋)の飾りには、

鷲に似た鳥が描かれているものもあるようです。

 

弓神事(弓矢神事)や鷲の絵、

そして古代は麻や楮で制作したと思われる

和紙で作られた人形(御幣)……等々、

忌部氏を彷彿とさせるそれらのキーワードは、

いざなぎ流と忌部氏との密接な

結びつきを物語っているのでしょうか……。


弓矢の呪術

2018-05-26 09:12:51 | 阿波・忌部氏2

<いざなぎ流資料>

 

物部の里に伝わるいざなぎ流には、

弓矢で太陽を射る所作を行う

「蟇目法(ひきめのほう)」

という呪法が存在するのだそうです。

「蟇目」は鏑矢(かぶらや)とも呼び、

弦を弾くと鋭い高音を発することから、

鏑矢の弓弦を鳴らすと邪気が祓われ、

邪鬼妖魔が退散するのだと聞きます。

 

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ますらをの 鞆の音すなり

物部の大臣(おおまえつきみ) 盾立つらしも

 

要約:弓を射る音がする。物部(石上)麻呂が

戦いの準備をしているのだろうか……

* 鞆とは弓を射る時、弓弦の撥ね返りを

防ぐために左腕につける革製の武具

============================

 

万葉集の中にあるこの歌は、

物部氏の軍事的な勢力を表すとともに、

呪術者としての一面を暗示している内容です。

また、蟇目法と同様の祈祷法が、

諏訪大社の神官・守矢家に、

代々口伝で伝えられているという話も耳にしました。

忌部氏、物部氏、守「矢」氏という、

渡来系の匂いを濃厚に漂わせる三つの部族の間には、

「弓矢」という共通の呪具が継承されていたのです。


スソ

2018-05-25 09:06:16 | 阿波・忌部氏2

<山崎神社 やまさきじんじゃ>

 

多種多様な流儀、多種多様な祭祀具、

そして多種多様な祭文を使い分ける、

「いざなぎ流」という民間信仰ですが、

本神楽と呼ばれるメインの神楽の前に、

神楽開始の儀礼として行われるのが、

「すその取り分け」と呼ばれる祭儀です。

「すそ」とは「呪詛」の意味であり、

特に重要なお祭りが開かれるときは、

丸一日ほどの長い時間をかけて、

「すその取り分け」をするのだとか。

 

祭儀が始まると、中央に坐る太夫は、

手に捧げ持った御幣を左右に動かすと同時に、

自らの身体も左右に揺らしながら、

一時間もの間、祭文を唱え続けると聞きます。

これらの動作の正しい意味はわかりませんが、

自らの身体をゆらゆらと揺さぶることで、

「魂を戻す」あるいは「魂を空ける」など、

ある種「魂振り」の効果があるのでしょう。

もしかすると、石上神宮などで行われている、

「鎮魂祭」ともつながる神事なのかもしれません。


いざなぎ祭文

2018-05-24 09:03:14 | 阿波・忌部氏2

<十二所神社 じゅうにしょじんじゃ>

 

いざなぎ流の起源を語る

「いざなぎ祭文」によりますと、

天中姫宮が天竺のいざなぎ様から、

「弓」の祈祷法を習ったことが、

いざなぎ流の発端となったのだそうです。

すでに途絶えてしまったと聞きますが、

古くは、弓を射て悪霊を追い払ったり、

弓を叩きながらご神託を告げたり

といった儀式も、行われていたのだとか。

「弓」という言葉から思い浮かぶのは、

弓矢との関わりが深い忌部氏でしょう。

 

実は、弓という品は、武具としてだけでなく、

神事や舞楽などでも重用された祭礼具でした。

和楽器のひとつである「琴」も、

弓を元にして作られたと言われており、

古来は琴の音を奏でること自体が、

神事であり呪術だったのです。

もともと、弓の弦には「麻」が

使われていたそうですから、

麻栽培を一手に引き受けていた忌部一族が、

弓の制作にも携わっていたことは、

想像に難くない流れかもしれません。


あらゆる信仰

2018-05-23 09:00:37 | 阿波・忌部氏2

<物部川>

 

ひと口に「いざなぎ流」と申しましても、

儀式を取り仕切る太夫により、

その内容は千差万別であり、

とりわけ近年になってからは、

様々な流派が入り混じった結果、

バリエーション豊かな様式が生まれたと聞きます。

 

もともと、神道・仏教・修験道・陰陽道など、

ありとあらゆる信仰がごちゃ混ぜになって

形成されたものが民間信仰ですから、

いざなぎ流に明確なルールがないのも、

当たり前と言えば当たり前でしょう。

ただ、いざなぎ流の祈祷のやり方は、

他の民間信仰とは比較にならないくらい、

「ごった煮状態」であるのも確かです。

 

ちなみに、いざなぎ流の特徴として

「特定の拠点を持たない」 という点があげられます。

祭祀を執り行う主な場所は、

依頼された相手の家などが多く、

お祭りなどの特別な場合を除いて、

神社の社殿内で行うことはあまりないようです。

 

現在の感覚に照らし合わせると、

「建物がなければ祭祀はできない」と思われがちですが、

もともと必要に応じて内容を変え、

場所を選定しながら、柔軟に形を変えて来たのが、

古代の神事や神楽だったのかもしれません。


ものべ

2018-05-22 09:54:19 | 阿波・忌部氏2

<石上神宮 いそのかみじんぐう>

 

まるで世間の目から隠れるかのごとく、

独自の信仰を守ってきたその地の人々は、

「物部(ものべ)」という名で呼ばれていました。

古代日本史を彩る様々な豪族の中でも、

とりわけ多様な側面を持つ物部氏は、

この物部に暮らす人々のルーツにもつながるのでしょう。

 

忌部氏と同様、物部氏という氏族に

課せられた役割は多岐に渡りますが、

最も有名なのが、武具や兵器を

製造管理する軍事的な立場です。

大和朝廷の武器庫とも称された石上神宮は、

物部系の神社としても知られていますね。

 

そして、軍事的な役目とともに、

物部氏が担っていた重要な役職が、

「天皇のための祭祀」かもしれません。

新嘗祭の前日に行われる「鎮魂祭」という儀式は、

石上神宮、彌彦神社、物部神社など、

主に物部系の神社に脈々と伝えられてきた、

天皇の魂を鎮める神事だと言われています。


ある任務

2018-05-21 09:52:38 | 阿波・忌部氏2

<いざなぎ流資料>

 

物部氏と忌部氏という両氏族には、

多くの共通点や類似点が見られますが、

その最も顕著なものが、

「祭祀氏族」という一面でしょう。

阿波と土佐というごく近い場所に、

二つの氏族の拠点があるのも、

決して偶然ではないのかもしれません。

 

ちなみに、ある忌部系の神社で、

両氏族の関係について尋ねてみたところ、

宮司さんは、忌部氏が物部氏以前の

古い一族であることを前提に、

「時代が違うから何とも……」

と首を捻っておられました。

 

確かに、いざなぎ流の祭礼具や

儀式の様子などを確認すると、

阿波の至るところに点在していた、

「石」を依り代とする原始的な信仰形態とは、

かなり趣を異にする部分があります。

 

同時に、それらの表に見える形象を、

ひとつひとつ取り払ってみることで、

中心に埋もれていた「素のいざなぎ流」の姿が

浮かび上がってくるのも事実です。

その姿とは、物部氏にだけ与えられた特権であり、

古代は忌部氏が担っていたはずのある任務でした。


物部と忌部

2018-05-20 09:50:00 | 阿波・忌部氏2

<別府公士方神社 べふくじかたじんじゃ>

 

実は今回、香美市物部町を訪れた主な理由は、

いざなぎ流を調べるためではありませんでした。

もちろん、「いざなぎ流」という祭祀形態は、

一度は取り組んでみたい対象ではあるものの、

ほんの数時間、この村に滞在した程度で、

偉そうに語ることなどできないもの。

すでに何十年も前からこの村を調査し、

日夜研究を重ねられている学者や

郷土史家の方がいらっしゃいますので、

詳しい内容をお知りになりたい方は、

書籍などを手に取っていただければ幸いです。

 

今回、わざわざ物部町まで足を伸ばしたのは、

やはり「忌部氏」との関係が気になったからでした。

一説には、「物部氏と秦氏とが縁戚関係となり、

忌部氏が誕生した」などと言われていますが、

忌部氏のほうがより古い渡来系の部族であることは、

これまでご紹介してきた内容からも明らかです。

阿波という忌部氏族の一大拠点の隣に、

物部と名のつく集落が造られた経緯、

そして、この村だけに残る不思議な宗教形態は、

祭祀系氏族の間に横たわる複雑な歴史を、

私たちに知らせてくれているのかもしれません。


いざなぎ流

2018-05-19 09:44:14 | 阿波・忌部氏2

<いざなぎ流資料>

 

徳島県との境に位置する香美市物部町には、

「いざなぎ流」と呼ばれる民間信仰が伝えられ、

現在も太夫(たゆう)という祈祷師により、

祈りの儀式が継承されています。

かつて、物部村と呼ばれていた場所は、

全国にいくつか存在しておりますが、

「いざなぎ流」の痕跡を残すのは、

こちらの高知県の旧物部村のみです。

 

その特徴的な祭祀様式は、

他の民間信仰ではあまり見られない、

独自性に富んだものであるがゆえに、

一部の興味本位な人たちからは、

「呪われた村」などと揶揄されるほど。

 

不思議な響きを放つ長い祭文や、

100種類以上の型を要する御幣、

様々な表情を浮かべる個性的な仮面……等々、

ネット上で確認しただけではありますが、

儀礼に使用される祭具はどれも、

一度目にしたら忘れられないような、

強烈な躍動感を放っていました。

 

【参考書籍】

呪いと日本人~小松和彦

 

【参考サイト】

森の空想ミュージアム

斎藤英喜の部屋


物部の里

2018-05-18 09:35:26 | 阿波・忌部氏2

<物部町・別府>

 

二つの「国」を結ぶ長いトンネルを越えると、

そこは高知県香美市物部町でした。

周囲を深い山々に囲まれた

その里に足を踏み入れたとたん、

先ほどまで降っていた雨は小降りになり、

山々の稜線の間に立ち上った水蒸気が、

白いもやとなってあたりを包み込みます。

 

ご存知の通りこの里は、「いざなぎ流」という

独特の宗教形態を伝える全国で唯一の場所です。

以前から興味を引かれる場所であったものの、

特異な地形と交通の不便さからなかなか訪問できず、

今回は念願かなっての初探訪となります。

 

ぽつりぽつりと点在する民家を

視界の端に留めながら、

「ここが物部の里か……」と、

静かな感慨に浸っているうちに、

最奥の集落である別府の観光名所、

別府峡が目前にまで迫ってきました。


剣山の息

2018-05-17 09:30:57 | 阿波・忌部氏2

<物部町・別府>

 

木頭忌部の拠点である旧木頭村を過ぎ、

徳島と高知との境に差し掛かったあたりで、

突然ボンネットを叩きつけるかように、

空から大粒の雨が降ってきました。

それまで何とか堪えていた空模様でしたが、

四ツ足峠に近づいたころには、

ワイパーなしでは運転ができないほど

雨脚の勢いが強まって行きます。

永遠に続くかのように思われた快適な道路も、

いつの間にやら曲がりくねった山道へと変貌し、

ここがまだ剣山の山麓であることを

再認識させられるようです。

 

時刻はすでに、日没まで数時間を残すのみ。

恐らく今宵の宿までの距離を考えると、

目的地の滞在時間は限られているでしょう。

咄嗟に頭の中でスケジュールを組み直し、

予定していた村内の探索はあきらめ、

参拝ルートを調整することにしました。

山深い集落の中にあるそれらの神社は、

国道から往復するだけで、

1時間以上かかるケースも珍しくありません。

阿波国の支配域は抜けたものの、

やはりここも「剣山の息」がかかっていたのです。