たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

出雲神話のカギ

2018-09-30 09:18:08 |  出雲の神話

<松江市美保関町>

 

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出雲の美保の岬で、大国主神が海を眺めていると、
ガガイモの船に乗り、蛾の皮の服を来た神が、
遥か彼方から波頭を伝いやってきました。
周囲の神々に尋ねてみても、
誰もその神のことを知らなかったため、
ヒキガエルの助言を受け、クエビコの神に聞いてみたところ、
「これはカミムスビの御子の少彦名神」だと判明します。

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葦原中つ国(地上世界)を統治し、

大きな国の主となった大国主神は、

自らの国をさらに豊かにするために、

早速大事業に取り掛かりました。

そこで現われるのが、

のちの「国譲り」の舞台のひとつ、

島根半島の東の突端・美保の岬と、

海の彼方からやってきた

少彦名神(スクナヒコナ)です。

 

少彦名神、そしてのちに登場する

大国主神の長男・事代主神(コトシロヌシ)

という「美保」に縁する二柱の神は、

多くの神々が活躍する出雲神話の中でも、

とりわけ謎めいた存在かもしれません。

そして、これらの謎の神と関わる

「美保」という土地にも、

出雲神話のカギが秘められているようです。


近隣の姫たち

2018-09-29 09:16:01 |  出雲の神話

<那売佐神社 なめさじんじゃ>

 

・稲羽のヤカミヒメ

・根の堅州国のスセリビメ

・高志のヌナカワヒメ

・胸像のタキリビメ

・三嶋のセヤダタラヒメ……。

 

八十神を撃退した大国主神は、

周辺の女神たちと次々に婚姻関係を結び、

地上界での勢力範囲を広げて行きました。

古代、女性首長はシャーマンでもあり、

一国の王が近隣の国の姫神を娶るということは、

その土地の神を支配下に置くことと同意義です。

 

恐らく、策略的な縁組も多かったはずですが、

外来の部族や外来の神から国を守るためには、

より強力な近隣国に帰属する必要もあったのでしょう。

最終的に出雲という国は、宇佐氏とも縁ある北九州から、

気多の岬を要する北陸地方、そして関東圏に至るまで、

広大な範囲を勢力下においたものと思われます。


スサノオの分霊

2018-09-28 09:13:11 |  出雲の神話

<飯南町・琴引山>

 

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根の国での数々の試練を、自らの知恵と
周囲の協力により乗り切った大国主神は、
スサノオが寝ている隙を狙い、
生太刀、生弓矢、天の沼琴を奪って、
スセリビメとともに地上界へと逃げ出します。

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古代より「琴」という楽器は、

神を降ろす際に使われた祭礼具であり、

一説には「人間の生死を左右する」

とも称される一種の呪術アイテムです。

 

この場面では、大国主神が誤って

天の沼琴を鳴らしてしまったため、

スサノオが目覚めてしまいますが、

黄泉平坂で大国主神に追いついたスサノオは、

大国主神が地上界の主となることを認め、

それらの神宝を大国主神に譲り渡しました。

 

これは恐らく、冥界の主であるスサノオが

地上に姿を現す際には、「大国主神」と名乗り、

国土を治めるということを意味しているのでしょう。

そして、自らの分霊を宿す人間を

イズモと呼ばれる土地の首長に据え、

それぞれの国を統治させたのかもしれません。


数々の試練

2018-09-27 09:09:26 |  出雲の神話

<揖夜神社 いやじんじゃ>

 

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木の国のオオヤビコの言葉に従い、
根の堅州国のスサノオのもとに向かった大国主神は、
スサノオの娘であるスセリビメと心を通わせます。
しかし、スサノオは娘との結婚を簡単には許可せず、
大国主神を試すかのように数々の試練を与えたのです。

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ここからは、舞台を根の国に移して繰り広げられる

大国主神の奮闘ぶりが描かれています。

ヘビ、ムカデ、ハチなどを脇役に添えながら、

いかにして大国主神が「根の国の試練」を乗り越え、

スセリビメと結ばれたかという過程を

ドラマティックに表現しています。

 

ちなみに、大国主神がスサノオの放った

火に取り囲まれて万事休すとなったとき、

救世主として現れたのが「ネズミ」でした。

ネズミは「根の国に住む住民」であると同時に、

国難を察知して素早く移動する

国津神の使いでもあります。

 

「天上界」「地上界」「黄泉の国」という、

三つの世界が絶え間なく入れ替わるのは、

出雲神話の大きな特徴のひとつです。

恐らくこの時代、スサノオの影響により、

神と人、そして黄泉の国の住人たちが、

一緒くたになって生きていたのでしょう。

 

スサノオが天上界から追放された部分は、

天津神と国津神との抗争を描いた物語。

地上界で起こった大国主神の災難の部分は、

国津神と渡来系部族との軋轢を描いた物語。

そして、根の国でのスサノオと大国主神とのやり取りは、

国津神同士のイザコザを示した物語とも言えそうです。


生きた教科書

2018-09-26 09:07:22 |  出雲の神話

<出雲市玉湯町>

 

ここまで書いてきた出雲神話に関する記事は、

あくまでも「古代部族が争っていた時代」に注目し、

出雲と周辺国との関係を軸に話を進めております。

ただしこれ以外にも、日本神話という物語には、

時系列を無視した重層的な示唆が含まれるため、

読み取る角度や時期によって何通りもの解釈が可能です。

 

恐らく、古事記に書かれている出来事の多くが、

時空をまたいで何度もリピートされてきた事件であり、

何度も繰り返されてきたからこそ、

後世への戒めとして書き残された面もあるのでしょう。

 

古事記に代表される日本神話というのは、

古代の日本の歴史を通して、現代を生きる私たちに、

「覚えておくべきこと」「学ぶべきこと」

「先祖のこと」「神様のこと」……を教えてくれる

「生きた教科書」なのかもしれません。


地底の国へ

2018-09-25 09:05:09 |  出雲の神話

<東出雲町・黄泉比良坂>

 

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木の国へと逃げ延びた大国主神ですが、
それでも八十神の追跡の手が
緩むことはありませんでした。
オオヤビコは大国主神に向かって
「スサノオ様のいる根の堅州国に行きなさい」
と言い、大国主神を地底の国へと逃します。

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この部分からは、出雲と同様に紀国も

「黄泉へとつながる国」として、

人々に認識されていたということがわかります。

ともに、国土の「最果て」にある両地域は、

まつろわぬ神や土着の日本人が集まる

「隔てられた場所」だったのでしょう。

 

時系列を無視して現われる神話の神々の中でも、

とりわけ時間と空間を飛び越えて活躍するのが、

出雲の主祭神・スサノオという神です。

このあと舞台は、根の堅州国つまり黄泉の国へと移り、

数世代前の先祖であるスサノオが再登場しますが、

言うなれば、大国主神もイソタケルもオオヤビコも、

スサノオの分霊のような存在なのかもしれません。


紀国との縁

2018-09-24 09:03:05 |  出雲の神話

<伊太祁曽神社 いたきそじんじゃ>

 

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カミムスビの計らいにより蘇生した大国主神でしたが、
再び八十神の策略にはまり、大木の割れ目に挟まれて、
またもや命を落としてしまいます。
しかし、ここでも母神のおかげで大国主神は復活し、
「このままでは危ない」という助言に従い、
木の国のオオヤビコのもとへと旅立ちました。

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スサノオの子どもでもあるイソタケルは、

紀国の守護神であり大国主神の祖先に当たる存在ですが、

オオヤビコとイソタケルが同一視されていることを考えると、

出雲と紀伊との間には縁戚関係があった可能性があります。

 

同じ「熊野」を冠する古社や、

「スサノオ」に縁するたくさんの土地など、

出雲と紀伊の間には多くの接点が見られることから、

日本海側のイズモで何らかの紛争が起きたときには、

太平洋側のイズモに協力を仰いだのかもしれません。


敵と味方

2018-09-23 09:00:48 |  出雲の神話

<赤猪岩神社 あかいいわじんじゃ>

 

出雲神話の一場面において八十神が、

大国主神に「退治しろ」と命じた

「赤い猪」という言葉を目にしたとき、

「猪」に関するある逸話が浮かびました。

それは、かの「道鏡ご神託事件」で知られる和気清麻呂が、

イノシシに警護されて宇佐神宮に戻ったという一件です。

 

前回の「因幡の白兎」と同様に、

ここでも宇佐神宮が関わってくるのが意味深ですが、

もしかするとこのとき、出雲の大国主神と

和気の清麻呂につながる「猪の一族」との間で、

何らかのイザコザがあったのでしょうか……。

 

仮に、この大国主神と「赤い猪」との一件を、

氏族間同士の争いに重ね合わせるとすれば、

恐らく、そのきっかけを作ったのは、

八十神つまり大国主神の身内や

取り巻きたちだったのかもしれません。

 

また、瀕死の大国主神を助けた

キサガイヒメとウムガイヒメは、

高度な医療知識を持つ渡来系の集団、

もしくは海人族の人々が、

大国主神の側についていたことを、

それとなく暗示しているのだと思います。


赤いイノシシ

2018-09-22 09:58:06 |  出雲の神話

<赤猪岩神社 あかいいわじんじゃ>

 

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ヤカミヒメは八十神の求婚を断り、
大国主神のもとに嫁ぐことを決めました。
憤慨した八十神は大国主神を殺そうと考え、
伯耆国の手前の山のふもとまで来たとき、
大国主神に「赤い猪がこの山にいる。
おれたちが皆で山の上から追いやるから、
お前は下で待っていて捕まえろ」と命令します。

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因幡の白兎を助け、晴れてヤカミヒメと

結婚することになった大国主神ですが、

ここからは数々の試練に襲われることになります。

まず、最初の舞台は、伯耆国の山のふもと。

 

八十神からの「赤い猪を退治しろ」

との命令に従った大国主神は、

山の上から転がり落ちる、真っ赤に焼けた

大岩に押しつぶされて死んでしまいました。

 

しかしその後、大国主神の母神が

天上のカミムスビに助けを求め、

キサガイヒメとウムガイヒメが、

治療のために派遣されたことで、

大国主神は何とか生き返ることができたのです。


ワニとサメ

2018-09-21 09:17:54 |  出雲の神話

<三次市廻神町>

 

山陰地方ではサメのことをワニと呼び、

ワニ料理と言う名のサメを使った料理を、

日常的に食していると聞きます。

島根県との境に接する広島県三次市の近辺は、

ワニ料理を名物に掲げる土地で、

街中ではワニを扱うお店をよく見かけました。

 

実は、ワニにまつわる伝承は、

奥出雲のあたりにも伝えられており、

この一帯が「ワニ」とのつながりが

深い土地であるのは確かなようです。

もしかすると、ワニを食する習慣は、

ワニに襲われたウサギを助けた大国主神が、

和邇氏を討伐したことと関連があるのでしょうか……。

 

ちなみに、ウサギが示唆する宇佐氏というのは、

渡来系の秦氏とのつながりが指摘される一族です。

仮に、古い海人族の一派である和邇氏が、

後発の渡来部族である秦氏と争ったと考えると、

ワニを料理して食べるという食習慣の中に、

古代の複雑な部族間の関係を垣間見る思いがします。


気多の岬

2018-09-20 09:15:15 |  出雲の神話

<御井神社 みいじんじゃ>

 

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八十神が「気多の岬」に着いたとき、
皮を剥がれた赤裸のウサギが臥せっていました。
八十神は苦しんでいるウサギをからかい、
間違った治療法を教えてさらにひどい目に遭わせましたが、
後から来た大国主神は、自らの医療知識を惜しみなく授け、
ウサギの傷をきれいに治してあげました。

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「因幡の白兎」の舞台となった場所については、

いくつかの説があり、古事記原文に記載された

「稲羽」が因幡(現在の鳥取県東部)であるとは、

明確には示されていないとも聞きます。

個人的には、物語の中に登場する

「気多の岬」という文字を目にしたとき、

能登の一の宮・気多大社が思い浮かびました。

 

実は、気多大社には因幡の白兎ならぬ、

「能登の白兎」の伝説が伝っており、

その内容は因幡の白兎とほぼ同じです。

また、気多大社の気多(ケタ)という言葉は、

古代語で「鰐=サメ」を意味するという説もあるそうで、

近くにはヤカミヒメに関する神社も存在するのだとか。

 

残念ながら今回は、能登はもちろん、

因幡国にも足を伸ばせなかったのですが、

機会があればぜひともこれらの痕跡を巡り、

謎多き日本海の「兎伝説」と菟狭族、

そして彼らが祀っていた月神についても、

じっくりと考察してみるつもりです。


ワニとウサギの争い

2018-09-19 09:12:35 |  出雲の神話

<御井神社 みいじんじゃ>

 

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ワニの一族は、ウサギの策略だとも知らずに、
海原に橋をかけるようにびっしりと並びました。
ウサギはワニの背中の上を歩きながら海を渡り、
いよいよあと一歩で上陸できるとなったとき、
うれしさで気が緩んだのか「君たちは騙されたんだ」と、
ワニに隠していた本音を暴露してしまいます。

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一見、素朴な民話調の雰囲気を漂わせる

「因幡の白兎」の話ですが、 実はその裏に

「氏族同士の利権争い」 が絡んでいたと想像すると、

物語は一気にきな臭くなってまいります。

恐らく、日本海とその沿岸国を舞台にして、

様々な氏族同士が争った古代の歴史が、

この物語には秘められているのでしょう。

 

もしかすると、出雲神話で取り上げたのは、

出雲国やその近隣で起こった出来事

だけではなかったのかもしれません。

大国主神が支配していた日本海沿岸の国々、

さらには九州から東日本の一部に至るまでの

広大なエリア内で発生した歴史的な事件を

「出雲の物語」と総称したのだと思います。


因幡の白兎

2018-09-18 09:07:01 |  出雲の神話

<出雲大社 いずもたいしゃ>

 

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皮膚の痛みに苦しむウサギは、大国主神に対し、
「隠岐の島から因幡の国へに行きたかったので、
海に住むワニたちを騙して海を渡ろうとしたら、
嘘がバレて皮を剥がされてしまいました。
海水を浴びて風に当たれば治ると八十神に言われ、
その通りにしていたのですが、
余計痛みがひどくなったのです」
とこれまでの経緯を語りました。

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出雲神話を代表する物語のひとつ

「因幡の白兎」の中で気になるのは、

ワニとウサギの一件が起こった背景です。

一説には、因幡国を治めていた「菟狭族」が、

航海を生業とする「和邇族」と争い、

負傷したところを大国主神に助けられた、

という解釈も可能だと聞きます。

また、ヤカミヒメとのつながりは、

出雲の勢力が因幡へと及んだことを

暗示しているという説もありました。

 

ちなみに、菟狭族はのちに宇佐氏と名乗り、

宇佐神宮の創建にも関わるようになりますが、

九州に入る前は山陰地方に居を構えており、

同じくこの地を拠点としていた海人族の和邇氏と、

交易の権利や土地の領有権を争っていたのだとか……。

何でも、白ウサギがワニザメに皮を剥がされ、

赤裸になったという伝説は、菟狹族が経済上の取引きに失敗し、

和邇族から資産を没収されたことを示しているのだそうです。


大国主神の登場

2018-09-17 09:02:09 |  出雲の神話

<出雲大社 いずもたいしゃ>

 

スサノオに続き、出雲神話の主役として登場するのは、

出雲系を象徴する神・大国主神(オオクニヌシ)です。

古事記の中では、スサノオの六世の孫に位置づけられると同時に、

オオアナムヂ、アシハラノシコオ、ヤチホコ、ウツシクニタマ……など、

様々な異名を持ち、一説によればその名前の多さから、

「小国家を支配していた首長の総称」という話もあるほど。

そんな大国主神が初めて登場するのが、

かの有名な「因幡の白兎」という物語です。

 

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大国主神の兄弟神でもある八十神たちは、
稲羽(因幡)のヤカミヒメに
求婚をするために出かけました。
大国主神は彼らのお供として、
大きな荷物を背負って歩いていたところ、
気多の岬でワニに皮を剥がされて、
赤裸になったウサギに出会います。

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この逸話では、ワニに皮を剥かれたウサギを、

大国主神が医療の知識を授けて助けたことをきっかけに、

因幡の国のヤカミヒメと結ばれる経緯が描かれています。

大国主神はこの後、ヤカミヒメ以外にも、

正妻となるスセリビメや越の国のヌナカワヒメ

などとも婚姻関係を結んだことから、

出雲大社は「縁結びの神」として知られるようになりました。


国津神の謎

2018-09-16 09:42:20 |  出雲の神話

<須佐神社 すさじんじゃ>

 

昨日、「スサノオが国津神の役目に変わるまでの物語」が

出雲神話なのではないか、といった内容の記事を書きましたが、

さらに出雲神話の中には、大陸から日本に上陸した渡来人が、

「国津神として土着化するまでの経緯」を、

表している部分もあるのではないかと思われます。

 

例えば、大国主神を主役に据えたこの後の場面で登場する

「少彦名神」「事代主神」「建御名方神(タケミナカタ)」などは、

多分に渡来の空気を身に纏った存在でありつつも、

物語におけるポジションは完全なる国津神です。

 

恐らく、ひと口に渡来系部族と言いましても、

その中には、スサノオと同じ神気を持つ、

ヤハウェを信奉した古代イスラエル族のように、

当初から日本に土着化することを目的として、

大陸からやってきた人々も数多く存在したのでしょう。

 

スサノオが「天津神」「渡来族」「国津神」と、

その役割を目まぐるしく変えて行ったのも、

もともと天津神と呼ばれていた人々が、

日本にたどり着き「渡来系の神」となり、

最終的に上陸した神武一行と対比する形で、

「国津神」と呼ばれるようになった経緯を、

それとなく暗示しているのかもしれません。