<湯梨浜・倭文神社 しとりじんじゃ>
出雲神話を考察している最中、常に頭にあったのは、
「自分だったらどう編集するか」という編纂者の目線でした。
そして、「読み手の方向性や注目する部分の違い」により、
いかようにも物語が変わってくるということを実感したのです。
聞いたところによりますと、記紀(特に『古事記』)という史書は、
編纂時までに起こった日本の歴史をすべて俯瞰した上で、
同じ因果を持つ話をひとつの話としてまとめあげるという、
「時空を超越した預言書」の側面を持つのだとか。
つまり、ひとつの物語がひとつの出来事を表すのではなく、
ひとつの物語の中にいくつもの過去の出来事が、
比喩的な表現で語られているというわけですね。
今回、私が考察の際の時代背景として設定したのは、
天孫族が降臨する以前の「イズモ」が躍動した時代ですが、
恐らくこの時期には、すでに日本古来の神々は、
初期の渡来系の神々と融合し始めていたため、
純粋な意味での「国津神」は存在しなかったのでしょう。
出雲神話の解釈が難しいとされるのも、
「国津神」「天津神」と明確に分けられないことが、
理由のひとつとしてあげられるのかもしれません。
次回からは、それらの疑問を解くカギとなる
渡来系の人々の軌跡などを追いつつ、
「他の国々」にも足を伸ばしてみようと思います。