たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

鎮魂の祭り

2017-01-31 10:10:09 | 熊野の神社

<飛瀧神社 ひろうじんじゃ>

 

「水の聖地」である熊野の神社では、

不思議と「火祭り」が盛んに行われており、

新宮の神倉神社では御燈祭(おとうまつり)が、

そして那智の飛瀧神社では那智の火祭りが催され、

毎年多くの観光客を集めています。

また、熊野地域だけでなく、京都鞍馬の火祭、

富士吉田の火祭など、火祭りが行われるのは、

なぜか豊富な水源を持つ地域がほとんどです。

 

「火」をモチーフにした熊野の二つのお祭りが、

いつ頃この地に定着したのかはわかりませんが、

神道のみならず仏教や修験道、

ユダヤ教やゾロアスター教など、

様々な宗教的エッセンスを取り入れながら、

今の形に定着したのでしょう。

 

ちなみに、「火と水」は「かみ」でもあり、

火水が出会うことで、

「生命力の蘇り」 を促すといわれています。

もしかすると火祭りという儀式は、

水を司る神スサノオが、

火の神カグツチを産み亡くなった

母イザナミを弔うための

鎮魂と再生のセレモニーだったのかも知れません。


日本の命運

2017-01-30 10:41:31 | 熊野の神社

<飛瀧神社 ひろうじんじゃ>

 

数年前、「那智の滝をロッククライミングするために、

数名の男性が滝に無許可で立ち入った」というニュースが、

インターネットを中心に大きな話題となりました。

最初にこの一報を耳にしたとき、

不敬を犯した人に憐みの情を抱いてしまったほど、

現代人の無知さや軽率さに驚いた事件だったのですが、

実際にこの那智の滝という聖域は、

「日本の命運」をも左右する場所だと言われています。

 

那智の滝が象っているのは「女陰」であり、

岩壁を流れ落ちる大量の水は、

あふれる母性の象徴です。

熊野全体を覆っている「陰」の力は、

この滝に集約され母なる海へと注ぎ込み、

万物を生み出す源となります。

女性的なエネルギーが強い熊野の地でも、

特に「陰」の力が極まった

那智の滝という聖域を犯すような行為は、

日本全体の「産む力」を削いでしまうのでしょう。


菌の森

2017-01-29 10:39:14 | 熊野の神社

<飛瀧神社 ひろうじんじゃ>

 

古代の人々は「聖地」のありかを見分ける際に、

「菌の匂いをかぎ分けていたのではないか」と、

ときどき思うことがあります。

那智の滝の周りに広がる那智原始林は、

「熊」の文字を名前に冠する天才であり、

古今東西のあらゆる知識に通じた学者、

南方熊楠(みなかたくまぐす)が、

粘菌採取に明け暮れた場所でもありました。

 

那智の滝という著名な観光スポットが、

長い間聖地としての機能を保っているのも、

周囲を取り巻く広大な菌の森が、

「命の元」を保持し続けているからなのでしょう。

もともと人間という生き物は、

「菌から生まれた」という説もあるように、

巨大な女陰を模した那智の滝は、

膨大な「菌」を放出する

優れたお産場だったのかもしれません。


那智原始林

2017-01-28 10:34:25 | 熊野の神社

<飛瀧神社 ひろうじんじゃ>

 

もともと、熊野三山のルーツは異なると言われており、

熊野川への信仰が元になって発展した本宮大社、

神倉山の「ゴトビキ岩」を依り代とした速玉大社、

那智の滝をご神体とした那智大社といった具合に、

それぞれが独立した自然信仰の場だったそうです。

豊かな自然に恵まれた熊野一帯の中でも、

特に古代の様相が残る那智の滝周辺には、

「人の形跡」や「人の匂い」があまり感じられません。

 

「人の気配の薄さ」を感じさせる一番の理由は、

やはり那智の滝を懐に抱く原生林の存在でしょう。

那智山には「那智原始林」と呼ばれる広大な森が広がり、

かつて南方熊楠がこの地で粘菌の採取を行ったほど、

たくさんの貴重な「菌」が生息していました。

今も滝周辺への立ち入りは厳しく管理され、

原生林の中には、古代より脈々と息づく稀有な「菌」が、

数多く生息し続けていると聞きます。


那智の滝

2017-01-27 10:31:38 | 熊野の神社

<飛瀧神社 ひろうじんじゃ>

 

「熊野地方の無社殿神社」という言葉を聞いたとき、

まず頭の中にイメージしたのは那智の滝でした。

「熊野といえば那智の滝」といっても過言ではないほど、

その名を全国に響かせる一大観光スポットですが、

同時に「自然崇拝」というキーワードが、

これほどしっくりとする場所もありません。

いついかなるときも、人間の思惑など

「どこ吹く風」といった佇まいで、

訪れる観光客を迎えてくれます。

 

那智の滝をご神体とする熊野那智大社の末社

「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」には、

本殿や拝殿といった建物は存在せず、

鳥居の向こうに見える那智の滝本体を、

直接拝むような形式を取っています。

この場所が「仏教の霊場」「修験の聖地」

として開かれるごく近年までは、

那智の滝を神としてお祀りした、

典型的な自然信仰の場だったのでしょう。


無の境地

2017-01-26 10:04:07 | 無社殿神社1

<高田・高倉神社 たかたたかくらじんじゃ>

 

高田・高倉神社前の車道に車を寄せ、

神社の鳥居に向って歩きはじめると、

風に煽られて際限なく舞い落ちる

落ち葉を掃除していた男性が目に留まりました。

その方は「ここを管理する氏子だ」と告げ、

もうすぐ年に一度のお祭りがあること、

そのお祭りのときにはお餅をまくこと、

昔はもっとお祭りが賑わっていたことなどを、

見ず知らずの私に矢継ぎ早に話してくれます。

 

男性は私が神社を参拝している間も、

脇目も振らずに竹ぼうきを動かし続け、

私が車に戻る段になってもまだ、

掃除を止める気配はありません。

その姿を眺めていて思ったのは、

「これこそ神人合一」ということで、

自然と一体となって「無心で」働く様子に、

どんなに高名な宗教家にも負けない、

人間としての高い境地を感じたのです。


屋敷神

2017-01-25 10:03:23 | 無社殿神社1

<高田・高倉神社 たかたたかくらじんじゃ>

 

あちこちの神社を歩いておりますと、

その地域の有力者などの家に祀られていた

「屋敷神」をご祭神にした神社を見かけます。

屋敷神というのは、個人の住居や土地を

守っている「私的な神様」のことで、

今でも庭の一角に、お稲荷さんの祠を

お祀りしている旧家が少なくありません。

 

高田・高倉神社に残る伝承によれば、

こちらの神社のご祭神も、もともとは

個人宅の「屋敷神」だったのだそうです。

ただし、のちの神社合祀政策により、

高田・高倉神社に合祀された

近辺三か所の「高倉明神」に関しては、

やはり「無社殿」だった聞きます。

 

神社の裏手に回り込みますと、

自然信仰の場にふさわしい、

清らかな川が見えてきました。

長い歴史の中で、人々の祈りの対象が、

「自然」から「人を象った神」へと

移ろった場所は多々ありますが、

もしかするとこの神社は、

「人を象った神」から「自然」へと

祈りの対象を変えた、稀な場所なのも知れません。


異なる経緯

2017-01-24 10:00:38 | 無社殿神社1

<高田・高倉神社 たかたたかくらじんじゃ>

 

新宮市高田にある高田・高倉神社は、

熊野川の支流・高田川沿いに

鎮座しているこの地域の産土神です。

高倉神社が集中する赤木川の川筋から、

それほど離れていないため、

赤木川流域のそれと同じような経緯を

たどったお社かと思っていたのですが、

調べてみますと異なる事実がわかりました。

 

もともとこの神社がある里高田の一帯は、

深い森に包まれた峡谷だったようです。

そんな人里離れた場所に、中世の時代、

那智山詣をしていた栗須孫総という人物が

伊勢の尼出身の妻とともに住み着き、

自分の家の「屋敷神」として、

神様を勧請したのが起源なのだとか。

つまり、同じ「高倉神社」でもこの場所は、

最初から「神様」を祀っていたわけですね。


ご神体の在処

2017-01-23 10:55:40 | 無社殿神社1

<小口・高倉神社 こぐちたかくらじんじゃ>

 

周囲を川に囲まれた小口・高倉神社は、

きちんとしたお社を持つ「有社殿神社」です。

しかし、本来は建物のない「無社殿神社」で、

この地に鎮座する前は、近くの川べりにある、

通称「岩の鼻」という場所にあったと聞きます。

 

本殿と二つの摂末社への参拝を済ませ、

神社の裏手のほうへぐるっと回りこむと、

木々の向こうに川の流れが見えてきました。

社殿に隠れるようにして流れるその姿は、

この神社の「ご神体の在処」を示しています。

 

ちなみに、旧社殿地に鎮座していた頃は、

「御火の神事」というお祭りがあったのだとか。

明治時代に廃れてしまったそうですが、

熊野の伝統でもある「火」と「水」の儀式が、

このような小さな氏神でも行われていました。


上流の神々

2017-01-22 10:10:12 | 無社殿神社1

<小口・高倉神社 こぐちたかくらじんじゃ>

 

熊野川町の小口にある小口・高倉神社は、

「小口自然の家」のすぐ隣に位置する

白い木の鳥居が印象的なこの地区の氏神です。

到着したときは、ちょうどお昼時だったため、

車の中で簡単に腹ごしらえをしてから参拝しました。

 

神社の境内は想像以上に広々としており、

神域との境を示す石垣などもありません。

後ろを振り返ると、広場でゲートボールを楽しむ

近所のお年寄りたちの姿が目に入り、

そののんびりした雰囲気に心がホッと和みます。

 

赤木川やそこから分かれる川筋の上流には、

高倉と名のつく神社がいくつか存在します。

残念ながら今回は行けなかったのですが、

それらの神社の神々も神社合祀により、

この小口・高倉神社に遷されたそうです。


神社の磁力

2017-01-21 10:10:47 | 無社殿神社1

<赤木・高倉神社 あかぎたかくらじんじゃ>

 

もともと山の中腹に祀られていた、

熊野川町の赤木・高倉神社が、

現在の場所に遷されてから、

それほど時間が経っていないようです。

ゆえに、近隣の高倉神社と比べると、

境内の木の数もそれほど多くはなく、

またその姿も若々しく感じられます。

 

ちなみに、この赤木地区へと向かう道中、

しっかりと下調べをしたにも関わらず、

一度この場所を通り過ぎてしまいました。

しばらくしてから間違いに気づき、

慌てて引き返してきたものの、

やはり神社を見つけることができません。

 

何度か道路を行きつ戻りつしながら、

ようやくこの場所を発見したとき、

「ここは新しい神域なのではないか…」

という思いが頭をよぎりました。

古い神域には独特の「磁力」があることを、

これまでの旅の中で体感していたからです。


反骨精神

2017-01-20 10:41:33 | 無社殿神社1

<赤木・高倉神社 あかぎたかくらじんじゃ>

 

神社合祀令および神仏分離令など、

明治時代に吹き荒れた「不穏な風」により、

各地の氏神が次々と淘汰されて行きました。

特に、和歌山県や三重県など、

「古代の信仰」が残る場所ほど、

その傾向は謙虚だったようです。

 

そんな風潮の中、合祀や廃社の流れに対して、

反骨精神で向き合った神社もあったと聞きます。

熊野川町赤木の氏神、赤木・高倉神社は、

近隣にある他の高倉神社とは異なり、

別の場所に合祀されることを拒み、

最後までこの地に残ったそうです。

 

赤木・高倉神社の境内に入りますと、

高倉下をお祀りしたご本殿と、

若宮神・山の神をお祀りしたご社殿が、

並び立つように鎮座していました。

日足の高倉神社にも引けを取らない、

小さくもしっかりとした造りの建物は、

この地区の住民たちの「心意気」を

伝えているのかもしれません。


唸る石

2017-01-19 10:39:23 | 無社殿神社1

<椋井・高倉神社 むくのいたかくらじんじゃ>

 

赤木川沿いにある椋井・高倉神社も、

明治時代の神社合祀令の影響を受けた場所です。

相須のお宮などと同様に、

表向きは日足・高倉神社に合祀されているようですが、

諸々の経緯がありご神体が戻ってきたと聞きます。

 

何でもこの地区の言い伝えによりますと、

新たな鎮座地へご神体の丸石を運ぶ際、

突然石が唸りだしたため、 「これはまずい」ということで、

そのまま石を持ち帰ったのだとか。

 

椋井・高倉神社には、小さな社殿が建てられており、

社殿の中には、今でもその丸石があるそうです。

「ご神体が唸った」「神様が泣いた」などの伝承は、

大切な地元の氏神を、半ば強引に移動させようとした、

神社合祀政策への憤りでもあったのでしょう。


緑色の神域

2017-01-18 10:36:13 | 無社殿神社1

<椋井・高倉神社 むくのいたかくらじんじゃ>

 

相須のお宮から国道44号を遡り、

右手にある山の斜面に目をやると、

イチイガシの巨木が見えてまいります。

周囲を住宅と木立に囲まれた椋井・高倉神社は、

のどかな山村の風景に溶け込むようにして建つ、

楚々とした佇まいの場所でした。

 

ただし、そんな慎ましい雰囲気とは裏腹に、

神社へと続く石段は、傾斜が急な上に

石組みの具合もかなり粗雑で、

しかも所々分厚い苔に覆われています。

一度は引き返そうかと迷ったものの、

意を決して境内へと這い上がっていくと、

そこには苔の絨毯に覆われた

緑色の神域が広がっていました。


川の神様

2017-01-17 10:01:59 | 無社殿神社1

 

<相須・高倉神社跡 あいすたかくらじんじゃあと>

 

相須のお宮はとても気持ちのよい場所でした。

「川」をご神体としている神社は数あれど、

これほど直接的な形で、

「川(淵)」と向き合っている場所は、

珍しいのではないかと思います。

 

ちなみにここは昔、水運の要所だったそうで、

かつては上流から流れてきた木材を貯めておく

網場(あば)があったのだとか。

川の神様への信仰は、

木の神様を敬う行為でもあったのですね。

 

大きな岩の上から静かな川の流れを眺め、

温かい太陽の日差しに包まれていますと、

相須のお宮の神様が、

「この地に戻りたい」と言った気持ちが、

わかるような気がしました。