たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

願いは丸ごと

2015-12-31 14:34:30 | 神社について

<外宮 げぐう>

 

2015年も間もなく終わりが近づいておりますね。

この1年も様々な神社を巡ってきましたが、

今年は例年以上に伊勢を訪れる機会を得られ、

本当にありがたいことこの上ない年でした。

特に、3月に風宮の遷宮諸祭を拝見できたことは、

私の神社人生?にとってもたいへん有意義な経験で、

これまでの神様観が大きく変わるような出来事でした。

 

私自身が常々望んでいるのはブログの記事が、

「神社=祈願所」という固定観念を捨てる

きっかけになればよいということ。

神社が神様への感謝の思いでいっぱいになれば、

逆に私たちは願いは丸ごと叶えられます。

そんなわけでして、来年もこれまで通り、

地道に記事を書き連ねてまいりますので、

よろしければぜひおつき合いください。

 

★追記★

このブログ記事の中には、

正式に公開されている神社の由緒とは異なる内容を、

あれこれと書き綴っているものもありますが、

それらの多くは、私自身が様々な話を通じて、

「今の時点で」解釈した神社や神様の姿です。

決してそれが正解というわけではなく、

また必要に応じて記事を修正する場合もあります。


ある歴史の真実

2015-12-30 11:00:13 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

一般的に、磯宮(いそのみや)は、

現在の内宮を指す古称とされていますが、

『倭姫命世紀』の記述によれば、

磯宮(伊蘓宮)は途中の立ち寄り地であり、

神宮の別宮・瀧原宮などを経て到着した

五十鈴宮(いすずのみや)が、

最終目的地になっています。

 

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大神の教のまにまに、

その祠を伊勢国に立てたまふ。

よりて斎宮を五十鈴の川上にたつ。

これを磯宮(いそのみや)と謂ふ。

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『日本書紀』の文章を読むと、

いかにも五十鈴の川上にある祠と斎宮が、

磯宮であるかのような印象を受けます。

ただ実際には、磯宮は別の場所にあり、

その後何らかの理由で、

五十鈴川の川上にお宮を遷したというのが、

秘められた歴史の真実なのかもしれません。


巡幸の目的地

2015-12-29 11:01:37 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

倭姫命の巡幸を記した代表的な文献として、

『日本書紀』『皇太神宮儀式帳』

『倭姫命世紀』があげられます。

 

現在、元伊勢として知られるお宮は、

『皇太神宮儀式帳』や『倭姫命世紀』に

記されている場所が主でして、

日本の国史である『日本書紀』には、

巡幸の経緯が簡潔に書かれているのみ。

そのことから、倭姫命の巡幸とは、

「朝廷の権威付けのための創作ではないか」

という話もあるほどです。

 

ただ、倭姫命のたどった経路を追ってみますと、

単なる作り話だったとは思えない節があり、

とても興味を引かれるもの。

その中でも特に気になったのが、

『日本書紀』において倭姫命が目的地と定めた

「磯(イソ)」と名のつくお宮のことでした。


倭姫命の旅

2015-12-28 11:46:07 | 伊勢神宮

<倭姫宮 やまとひめのみや>

 

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時に天照大神、倭姫命にをしへて曰はく、

「この神風の伊勢国は、

常世の浪のしきなみ帰する国なり。

傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり。

この国に居をらむと欲ふ」とのたまふ。

故、大神の教のまにまに、

その祠を伊勢国に立てたまふ。

よりて斎宮を五十鈴の川上にたつ。

これを磯宮(いそのみや)と謂ふ。

則ち天照大神の始めて天より降ります処なり。

 

『日本書紀』巻第六 垂仁天皇より

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長い長い巡幸の旅の終わりに、

倭姫命が天照太御神の啓示を受け、

神の社を建てるために選んだ場所を、

「磯宮(いそのみや)」と呼んだそうです。

いうなれば磯宮は、神宮の元となったお宮で、

一般的には内宮の古名と認識されていますが、

そこに至るまでの経緯には様々な謎が…。

現在も多くの専門家や一般の研究者が、

磯宮の特定に力を注ぎ、自説を唱えています。


格式あるお宮

2015-12-27 11:55:06 | 伊勢神宮

<瀧原宮 たきはらのみや>

 

内宮のミニチュア版とも称される瀧原宮は、

実は内宮に匹敵するほど、

広大な神域を有する神社です。

渓谷から流れ出る川のせせらぎを聞きながら、

ご正殿へと続く鬱蒼とした森の中へと足を進めると、

原始の伊勢神宮の姿が蘇ってくるもの。

自然と一体化したような瀧原宮の佇まいは、

倭姫命が巡幸前に思い描いていた、

天照太御神の祭祀地そのものだったのかもしれません。

 

その後、宇治の内宮へと神様が遷られてから、

瀧原宮は内宮・外宮に次ぐ格式を与えられます。

伊勢から遠く離れたこの地に立ち寄ることにより、

巡幸の経路が不自然に遠回りとなるにも関わらず、

なぜ倭姫命は瀧原宮を重要視したのでしょうか…。

お社が立ち並ぶ神域の上空だけが、

この場所の存在を天へと知らせるかのように、

木々の間からぽっかりと青い空間を作っています。


水戸神

2015-12-26 11:51:21 | 伊勢神宮

<宮川 みやがわ>

 

その昔、瀧原宮(たきはらのみや)は多気大神宮と呼ばれ、

現在の度会郡ではなく多気郡に属していたそうです。

倭姫命は内宮の地にたどり着く前の数年間、

この瀧原宮で天照太御神をお祀りしていましたが、

後に天照太御神を内宮のある宇治へと遷座したのち、

瀧原宮のあった地域だけが、

当時の宇治地区と同じ度会郡になったのだとか。

 

もともと瀧原宮に祀られていたのは、

「水戸神(みなとがみ)」といわれる水の神様で、

瀧原という名が示す通り、

周辺には多くの瀧(急流)もあります。

また、この地へと向かう旅の途中、

宮川を渡れず困っていた倭姫命の前に現れたのは、

真奈胡神(まなごのかみ)という土地の水神でした。

瀧原宮が天照太御神の遷座地に選ばれた理由は、

深い森が育む豊かな水源があったからなのでしょう。


今という一点

2015-12-25 11:51:00 | 自然災害・参拝マナー

<内宮 ないくう>

 

伊勢神宮などの特別な場所では、

神域に入ったとたん各々の垢が浮き出て、

様々な示唆を与えられるケースがあります。

私自身の体験を踏まえても、

祈願欲にまみれていた頃の神社参拝には、

何かと厄介事がつきものでした。

大勢の人間の「祈願の念」というのは、

想像以上に心身にダメージを受けますし、

ましてや自分自身の心が曇っていれば、

聖地参拝は逆効果になります。

 

あらゆる場所に神様が住む日本では、

常に「神様に見られている」

という意識を持ったほうが賢明です。

願いや悩みごとはひとまず脇に置き、

「今」という一点に焦点を当てながら、

神社を参拝する姿勢が求められます。

これから年越しや初詣などで、

神社仏閣を訪れる機会も増えるかと思いますが、

ぜひとも謙虚な心を維持しながら、

残り少ない2015年を過ごしていただければ幸いです。


太陽のリセット

2015-12-24 11:45:01 | 自然災害・参拝マナー

<五十鈴川 いすずがわ>

 

冬至は「太陽がリセットする日」でして、

生まれ出たばかりの太陽が、

新たな年への胎動を始める重要なタイミングです。

冬至の日を境に心がけたいのは、

「ひとりひとりの心の在り方」。

「邪な心」「不安な心」「他人を陥れる心」を抱いた瞬間、

それが現実の出来事となって自分自身に降りかかります。

 

「自分の心は自分だけのもの」と考え、

自己利益を追求したり、悩みに没頭したり、

相手を攻撃したり…と、自分の心を手荒く扱い続けていると、

次第に生命力が奪われるでしょう。

真に賢い人というのは、

荒ぶる心をコントロールできる人のこと。

美しい五十鈴川の流れのように、

いつも穏やかで清らかな心を保ちたいですね。


ご来光

2015-12-23 21:44:23 | 伊勢神宮

<宇治橋 うじばし>

 

昨日は冬至でした。

冬至という言葉を聞きますと、

内宮・宇治橋にかかる鳥居の真中に、

ご来光が美しく輝く様子が思い浮かびます。

太陽のエネルギーというのは、

実際に自分の心身で受け止めることで、

その神々しさをより強く体感できるもの。

宇治橋の向こうから上る朝日というのは、

太陽の民である日本人のDNAを

刺激する要素を含んでいるのでしょう。

 

島路山の端が徐々に明るくなるにつれ、

周囲の空気の温度が一気に上昇し、

太陽がその全容を見せるころには、

あたり全体が光で満ちあふれます。

誰から強要されたわけでもないのに、

思わず胸の前で手を合わせてしまうような、

神様の大きな温もりに包まれるのですね。


若宮神社

2015-12-22 12:36:42 | 伊勢神宮

若宮神社 わかみやじんじゃ

 

瀧原宮を初めて訪れたとき、

まず気になったのが同じ境内にある

若宮神社(わかみやじんじゃ)と、

長由介神社(ながゆけじんじゃ)です。

 

以前「瀧原宮のご祭神は天照太御神ではない」

という話を聞いたことがあるのですが、

倭姫命がこの地に天照太御神をお連れするまでは、

地主神である若宮神社と長由介神社の神様を、

お祀りしていたの場所なのかもしれません。

 

ちなみに若宮神社には、

倭姫命が使用した御船が納められているとされる、

御船倉(みふなぐら)という建物が併設されております。

神宮内で御船倉のある別宮は瀧原宮のみだそうで、

昨年の遷御の儀に伴い、御船倉も新しく造りかえられました。


瀧原宮

2015-12-21 22:31:33 | 伊勢神宮

<瀧原宮 たきはらのみや>

 

20ヶ所以上もある「元伊勢」の中で、

唯一神宮の別宮扱いになっているのが、

度会郡大紀町にある瀧原宮(たきはらのみや)です。

深い森に抱かれた長い参道を歩き、

五十鈴川を思わせる美しい川で心身を清めていると、

倭姫命がこの地で天照太御神をお祀りしていた頃の

古の神宮をお参りしているような気分になるもの。

 

内宮・外宮・そして伊雑宮などは、

言うなれば「今まさに動いている場所」。

それとは逆にこの瀧原宮は、

まるで時が静止しているかのごとく、

動植物や森の精霊たちも息をひそめています。

以前いっしょに訪れた友人が、

「ここは本当に鎮まっているね」と申していましたが、

倭姫命を内宮に導くという大役を終えて、

今は静かに縁ある人の参拝を待っているのでしょう。


元伊勢

2015-12-20 12:30:00 | 奈良・京都の神社

<檜原神社 ひばらじんじゃ>

 

伊勢神宮を創祀した倭姫命(やまとひめのみこと)、

および、倭姫命に先立ち巡幸の旅を開始した

豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が、

天照太御神の宿る鏡とともに三輪山の麓を出発し、

伊勢の地にたどり着くまでに立ち寄った神社を

「元伊勢(もといせ)」と呼びます。

 

最近、それらの神社を回る「元伊勢巡り」が、

一般の人たちの間でも知られるようになり、

巡幸の出発点でもある奈良の檜原神社や、

外宮のご祭神とも縁深い丹波の籠神社などは、

ここ数年で参拝者が急増しているのだとか。

 

伊勢神宮で出会った人と話をしていると、

「今ちょうど元伊勢巡りをしている」

あるいは「先日丹波まで行ってきた」

などという話題を頻繁に耳にします。

私自身、元伊勢と呼ばれる神社を、

意識的に参拝したことはないのですが、

今回のお伊勢参りでは図らずも、

元伊勢にスポットが当たる旅になりました。


鏡の神域

2015-12-19 11:35:50 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

神社を参拝するということは、

日頃忘れがちな「自然や神様と向き合う姿勢」を思い出し、

自分自身の心のあり方を修正する行為でもあります。

日常生活ではなかなかできないこの業を、

無意識にやってしまえるのが、

伊勢神宮という聖地であり、

伊勢神宮の持つ力なのでしょう。

 

本当に力のある神社は、

ともすれば「神様依存」の参拝者を増やし、

また有名になればなるほど、

神域を清浄に保つことが困難になるもの。

伊勢神宮は常に神域内が鏡のように磨かれ、

参拝者の心根に応じた気づきを

もたらしてくれる稀有な場所です。


見えないゴミ

2015-12-18 11:33:11 | 自然災害・参拝マナー

<外宮 げぐう>

 

初詣やお祭りなど、特別な日や行事があるとき以外は、

夕方以降の神社参拝は控えるべきです。

特に、参拝者が少なかったり、

人気のない場所にある神社は、

たとえ昼間の時間帯でも、

防犯などに注意しながら参拝したほうがよいでしょう。

 

神社という場所は、時間が経てば経つほど、

参拝者の落とした念が蓄積しやすくなります。

掃除をしたばかりの早朝の神社や、

境内の掃除を欠かさない伊勢神宮の空気が、

すがすがしく感じられるのは、

心を込めて掃除をすることで、

目に見えるゴミだけでなく、

目に見えないゴミもきれいにしているからなのですね。


澱みと歪み

2015-12-17 11:30:46 | 神社について

<内宮 ないくう>

 

神様の力が強ければ強いほど、

そして神社に人が集まれば集まるほど、

神域のあちこちに「澱み」や「ゆがみ」が生じます。

人々はそれをパワースポットと呼び、

ねじれた空間に入り込んだときの違和感を、

「神様のエネルギー」などとカン違いしがちです。

 

メディアで取り上げられている有名な神社は、

「澱み」や「ゆがみ」のある場所がほとんど。

宣伝によりたくさんの人が集まることで、

ますます場の違和感が膨らんでいくのですね。

本当によい神社というのは、

日々増幅する澱みやゆがみを、

「関わる人間の心がけ」により取り払い、

参拝客に違和感を与えない神社のことなのでしょう。