<津山市・吉井川>
和気氏が備前・美作一帯の「鉄」を掌握し、
朝廷に強い影響を及ぼす有力豪族となったのも、
吉井川という存在があってこその成果だったと聞きます。
津山市内を流れる吉井川周辺では、
古代「タタラ製鉄」が盛んに行われており、
またその支流にあたる鵜ノ羽川(うのはがわ)でも、
鉄滓など鉄穴流の跡が見つかっているのだとか……。
恐らくこの近辺で、砂鉄を巡る「鉄の民」同士の争いが発生し、
中山神社の遍歴に影響を与えたことは間違いないのでしょう。
ここで、中山神社のご祭神の流れを整理しますと、
1. もともと磐座祭祀の聖地だった吉備の中山に、
「人間の贄を要求する猿神」が入り込む
2. 当時の国の首長であった「オオナムチ
(および古参の渡来系部族・物部氏)」が猿神を打ち取る
3. 新参の渡来系部族である
「鹿の贄を要求する金山彦神」との争いに負け、
オオナムチが土地を手放す
4. 後年にやってきた「鏡作神」たちが、
金山彦神を追い出しこの地を支配する
……といったイメージになります。
「猿神」が何を意味するかによって、
多少順序は入れ替わるかもしれませんが、
恐らく猿神の伝説というのは、
「生け贄」を要求する部族と、
古来からの祭祀を守ろうとする部族との争いを
総括した話なのかもしれません。
ときに「播磨の犬」たちの力を借りながら、
ときに「鏡作部」たちの支援を得ながら、
時代を跨ぎつつ同じような闘争が
リピートされてきたのでしょう。