たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

火への対策

2019-12-31 09:35:11 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.4 *****

専門家がしきりに注意を促しておりますように、

関東大震災レベルの地震が発生した場合、

地震の被害以上に懸念されるのが

住宅密集地を襲う「火災」です。

特に木密地域と呼ばれる、古い木造住宅が

ひしめくように立ち並ぶ地域では、

ひとたび火災が発生すれば瞬く間に炎が広がり、

逃げる時間さえ与えられないような

事態になると言われています。

 

さらに、火の災害の中でも

ひときわ危険かつ予測が難しいのが、

高温の炎や煙が竜巻のように渦を巻く

「火災旋風」でして、関東大震災では

この火災旋風により多くの住民が

命を落としたのだとか……。

つまり、ビルや住宅が密集するエリアで、

四方を火に囲まれた場合、身を守る手段は

非常に限られているというわけですね。

 

そこで(あくまでも個人的に)検証してみたいのが、

大国主神の逸話に登場する「中はほらほら、

外はすぶすぶ」というネズミの呪文です。

「入り口が狭く、中が広い場所」

とはいったい何を意味しているのか……、

年をまたいで検証してみたいと思います。

 

◆◆◆◆◆

今年も一年ご愛読ありがとうございました。

良いお年をお迎えください。


様々な警告

2019-12-30 09:21:58 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.3 *****

『古事記』や『日本書紀』などの日本神話が、

「予言書」の側面を持つことは、

以前の記事内でも触れましたが、

特に「神代」の物語には、

現代にも通じる様々な戒めが含まれていると

個人的には感じております。

 

昨日話題に出した、「中はほらほら、

外はすぶすぶ」というネズミの言葉も、

恐らくは後世の人々に向けて発した

警告でもあるのでしょう。

 

ちなみに、「鳴鏑の矢」の課題を与えられる前、

大国主神はスサノオから「蛇」や「ハチ」

「ムカデ」との闘いを命じられておりました。

 

仮にこれらのキーワードを

「自然災害」に当てはめると、

「蛇(例えば山崩れ)」「ハチ(例えば水害)」

「ムカデ(例えば地震)」など、

天変地異を予知する生き物たちが

現れたとも解釈できますね。

 

だとすれば、「ネズミ」が警告する災害とは、

どのようなものだったのでしょうか……。

もしかすると、大国主神を炎から救ったという

「ネズミ」は、大火災から身を守る法を

教えてくれているのかもしれません。


奇妙な呪文

2019-12-29 09:18:47 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.2 *****

==========================

周りを炎に囲まれ身動きが

取れなくなった大国主に向かい、

ネズミは「中はほらほら、外はすぶすぶ」と告げ、

地面の下に空洞があることを知らせてくれました。

大国主神が足元の土を強く踏んでみると、

なんと地面に穴が開いたではありませんか……。

ネズミの導きにより穴の中に潜り込んだ大国主は、

無事に炎をやり過ごすことができたのでした。

==========================

 

ネズミが発した「中はほらほら、

外はすぶすぶ」という言葉は、

「穴の内側はうつろで広い、

穴の入り口はすぼまってて狭い」

という意味だそうです。つまり、

「入り口は狭くて見えにくいかもしれないが、

その奥には想像以上に広い空間が広がっている」

ということで、解釈の仕方により

幾通りにも読み取れる文言なのでしょう。

ちなみに、このフレーズを聞いたとき

真っ先に思い浮んだのは、先日も話題に出した

「首都直下地震」に関するあれこれでした。


ネズミの暗示

2019-12-28 09:04:00 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.1 *****

今年も残すところあと4日となりましたね。

さて、来年の干支と言えば「子(ねずみ)」ですが、

新たな年をつらつらと想像する中で、

思い浮かんだのが日本神話に登場する

「大国主神とネズミ」のやり取りでした。

まずはその概要をご紹介しましょう。

 

==========================

スセリビメとの結婚の許しを得るため、

厳しい試練を乗り越えた大国主神に対し、

次にスサノオが命じたのは、

「広い野原に向かって射た

鳴鏑(なりかぶら)の矢を拾う」

という課題でした。しかしながら、

大国主神が野に入って矢を探し始めた頃、

スサノオの放った火により

一帯が火の海と化してしまいます。

たちまち四方八方を炎に取り囲まれ、

「万事休す」となった大国主神でしたが、

突如として現れた一匹のネズミのおかげで、

危機を脱することができたのです。

==========================

 

根の国へと向かった大国主神が、

スサノオから与えられた試練に立ち向かう中で、

命を助けてくれたのがまさしく「ネズミ」でした。

この逸話の中には「令和2年」の暗示が、

あちこちに散りばめられている

(ような気がする)のですが、

果たしてそれらの内容とは……。


縄文海進との関係

2019-12-27 09:11:16 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.11 *****

「縄文海進」と呼ばれる現象がピークを迎えた、

5,000年~6,000年前の縄文時代、

関東平野を始めとする海沿いの

平野のかなりの部分は海の中でした。

一説によりますと、沿岸部にある

神社の多くが高台に鎮座するのは、

「縄文海進」が終了したのちに海水面が下がり、

海辺だった一帯が陸地化した結果、

岬の先端などにあった祭祀場が

「丘」になったからだそうです。

 

それが事実だとすれば、

津波被害を免れた来歴不詳の「古い神社」は、

もともとは「縄文時代の祭祀場」であり、

縄文海進の時代の海岸線に沿って

設けられていたとも考えられますね。

貝塚などの「縄文遺跡」が海から

離れた場所に点在するのも、

同じく縄文海進後の海岸線の

後退が原因だと言われていますから、

現在の海辺よりも幾分内陸に入ったあたりに、

当時の「聖地」が眠っている可能性もあるのでしょう。

 

もしかすると、縄文時代の海岸線のラインと、

東日本大震災における津波の到達ラインとの間にも、

何か深い関連があるのかもしれません。


特別な立地

2019-12-26 09:07:18 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.10 *****

神社を巡っておりますと、少なくない数の神社が

「高い場所に鎮座している」ということに気づきます。

神社が高台にある理由に関しては、

様々な理由が取り沙汰されてはおりますが、

実は山頂に置かれているような特殊なケースを除き、

神社の標高は「さほど高くはない」ことも多く、

場合によっては神社の上方に

民家が立ち並んでいる場合も間々あるのです。

 

つまり、人々が神社を築く際

「一番高い場所」を最優先したわけではなく、

別の理由でその場所を選んだとも考えられるわけですね。

 

ちなみに、東北沿岸のある地区では

助かった神社の標高がほぼ10m、

別の地区では助かった神社の標高がほぼ5mなど、

地域ごとに明確な規則性が見られるのだとか……。

これらの現象から想像できるのは、

自然災害を繰り返し経験する中で、

人々は「特別な立地」を知っていた

ということかもしれません。


人間の思惑

2019-12-25 09:03:42 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.9 *****

もし仮に、「新しい神社のほうが津波被害を受けやすい」

という調査結果が事実であるとすれば、

その理由のひとつとしてあげられるのが

「人間側の都合が優先されたから」かもしれません。

恐らく、比較的創建の新しい神社

(詳細な由緒が残る神社)というのは、

「天災」を意識して建てられたものではなく、

「土地開発の際に邪魔になったから」

「山麓だと遠いので沿岸に引っ越したから」……など、

あくまでも住民側の都合により

別の地に移されたケースも多いのでしょう。

 

そのため、本来は「津波の来ない場所」

に建てられていた神社も、必然的に危険な

浸水域へと移転せざるを得なくなり、

結果的に被害に遭う確率が高まって

しまったのだと思われます。

数百年、あるいは数千年というスパンで発生する

「巨大地震」の記憶が住民の頭の中から薄れるに従い、

貴重な「災害モニュメント」でもあった神社までが、

その機能を失ってしまったわけですね。

 

神社があるから神が宿るのか、

それとも神が居るから神社が生まれたのか……、

もう一度神社の在り方を見直すべき時期なのかもしれません。


来歴不詳の神社

2019-12-24 09:59:31 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.8 *****

東日本大震災の津波被災地において、

大きな損傷を免れた神社の多くは、

「来歴不詳」とされる古い神社だったそうです。

いわゆる「村社」に分類されるような小さな氏神、

その中でも元地から「移転」せず、長きに渡り

その場に鎮座していたと思われる「社」が、

「生き残った神社」の大多数を占めていたのだとか……。

 

何でも、諸々の理由で別の土地に移った神社や、

近年に創建された来歴の浅い神社には、

「全壊・半壊」などの被害が目立つ一方で、

古くから同じ場所に置かれていた

「来歴不詳の神社」に関しては、

被災率が低い傾向が見られたと聞きます。

 

まあ、これらの調査結果については、

少々複合的な見方が必要なのですが、

ひとつの可能性として古くから同じ場所にある神社は、

他の神社と比べて「自然災害の被害を受けにくい」

とも推測できるのでしょう。逆に言えば、

「自然災害の被害を受けなかったからこそ」、

現在まで継続できた面もあるのかもしれません。


神社からの警告

2019-12-23 09:52:11 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.7 *****

数年前のTVの報道特集で、

「神社が伝える津波のメッセージ」と

題する内容の番組が放送されていました。

リアルタイムで視聴したわけではないのですが、

「神社と災害」の関係について調べているうちに、

「津波の浸水域に沿うかのように神社が建てられている」

という、東日本大震災の被災地の情報に行き当たり、

興味を持って掘り下げて行ったところ、

前述の特集番組を含むにわかには信じられないような

(ただし、神社の成り立ちを考えればあり得る)

現象に行き当たったのです。

 

それらの話を総合しますと、

津波による甚大な被害を受けたエリアには、

なぜか「被災を逃れた神社」が多数存在し、

そこに逃れた人々が命を救われたとのこと。

そして助かった神社の多くが、

浸水域の「縁」に立ち並んでおり、

「何らかの意図の元に神社が建てられたのではないか」

という可能性が浮かび上ってくるのだとか……。

果たして、「神社」と「災害」は

見えない糸で深く結びついているのか、

特番の取材記録をまとめた本などを引用しながら、

個人的な見解をつらつらと綴ってみたいと思います。

 

【参考書籍】

神社は警告する ~古代から伝わる津波のメッセージ
高世仁 吉田和史 熊谷航 --講談社--


冬至のお祭り

2019-12-22 09:30:15 | 大嘗祭

 

***** 大嘗祭 No.5 *****

近年の大嘗祭は、新たな天皇が即位をしたのち、

新暦の「11月の第二卯(もしくは第三卯)の日」に行われる

大嘗の儀を中心に、諸々の行事が催行されておりますが、

もともとは旧暦の大みそかである「冬至の日」に

執り行われていたという話を聞きます。

 

大嘗祭の原型とされ、全国各地の神社で

11月23日に行われる「新嘗祭」という行事も、

古代より宮中では毎年「旧暦11月」の

冬至近辺に実施される「冬至のお祭り」でして、

冬至の日に新穀を神と共食して、

生命の蘇りを願う意図があったのだとか……。

 

そして、「卯の日」と「冬至」とが一致する

特別な日に大嘗祭を執り行ったのが、

天武天皇とともに大嘗祭の基礎を作った

とされる持統天皇なのですね。

恐らく持統天皇という人物は、

「冬至」の太陽の力を最大限に

引き出す方法を知っていたのでしょう。

 

天武天皇の崩御後、3年以上の期間をかけて

自らの「即位」⇒「大嘗祭」という流れを経たのも、

もしかするとこの「稀有なタイミング」を

狙ってのことだったのかもしれません。


3つの構成

2019-12-21 09:24:59 | 大嘗祭

 

***** 大嘗祭 No.4 *****

今回行われた天皇陛下の即位儀礼は、

大きく分けて3つの構成となっています。

 

① 践祚(せんそ)

新天皇が三種の神器などの宝器を受け継ぐ

② 即位

新天皇の即位を国内外に宣明する

③ 大嘗祭

新天皇が神饌を神に供え自らもそれを食す

 

これらの儀式を「令和」での

流れに照らし合わせますと、

「践祚」というのは5月1日に行われた

「剣璽等承継の儀」などを指し、

10月22日(火)に行われた

「即位礼正殿の儀」が「即位」に相当します。

 

ただし、二つの儀式は「未分化」と

されていた時代も長く、また「天神寿詞」

と呼ばれる中臣氏の天神寿詞(よごと)の奏上、

および「鏡釼奉献」と呼ばれる忌部氏の

鏡剣の奉献などの重要な儀式に関しても、

内容が変更されたり、忌部氏の鏡剣奉献のみが

行われなくなったり……といった具合に、

複雑な遍歴をたどってきたようです。

 

ちなみに、現在は「践祚」「即位」が

国事行為とされ、「大嘗祭」に関しては

宮中祭祀(私的行為)と定められております。


大嘗祭の整備

2019-12-20 09:21:37 | 大嘗祭

 

***** 大嘗祭 No.3 *****

==========================

日本最古の歴史書「古事記」と「日本書紀」には、

皇祖神の天照大御神や古代の天皇が

「新嘗の祭」を行ったとする記述がある。

宮内庁は大嘗祭を「新嘗の祭」に由来すると説明。

これらの歴史書が編纂された奈良時代より前から

伝承されてきた「収穫儀礼」に根ざした儀式としている。

7世紀半ばまで、毎年行われる新嘗祭と大嘗祭との

区別はなかったが、7世紀後半の第40代天武天皇、

41代持統天皇のときに区別されるようになったという。

以後、大嘗祭は重要な即位儀礼として歴代天皇に継承されてきた。

出典:産経新聞ニュース

==========================

 

「大嘗祭」が新嘗祭から独立し、

現在の形として整備されたのは、

天武天皇から持統天皇にかけての

時代だと言われています。

この時代は「伊勢神宮」の創建時期や、

『古事記』『日本書紀』などの歴史書の

編纂時期などとも合致することから、

天武天皇や持統天皇が「何らかの理由」で、

大嘗祭の元となるような儀式を、

天皇を中心とした中央集権国家づくり、

および天皇の神格化を推し進めるために、

「採用した(利用した)」とも

言い換えられるのでしょう。


令和の大嘗祭

2019-12-19 09:17:18 | 大嘗祭

 

***** 大嘗祭 No.2 *****

先月、11月14日の夕方~15日明け方にかけ、

皇居内に設えられた大嘗宮において、

皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式

「大嘗祭(だいじょうさい)」が執り行われました。

「大嘗祭」とは、即位後に初めて催行される

「新嘗祭(にいなめさい)」のことで、

7世紀後半の天武天皇の時代から受け継がれる

皇室の伝統です(原型はそれ以前からあり)。

 

「大嘗祭」に関する一連の儀式は、

天皇陛下が「即位の礼」と

「大嘗祭の中心的な儀式の期日」を、

皇室の祖先や神々に伝えられた

5月8日のお祭りから始まり、

続けて5月13日には、大嘗祭で使う

米を収穫する2つの地方を決める、

「斎田点定(さいでんてんてい)の儀」が

宮中三殿の国内の神々を祀る神殿で行われました。

 

儀式の中では、亀の甲羅を火であぶり

ヒビの入り具合で物事を定める、

「亀卜(きぼく)」と呼ばれる占いが行われますが、

その結果「大嘗祭」で使う米を収穫する

東の「悠紀(ゆき)」地方に栃木県が、

西の「主基(すき)」地方に京都府が選ばれました。

出典:NHK NEWS WEB(加筆修正あり)


大嘗祭

2019-12-18 09:10:21 | 大嘗祭

 

***** 大嘗祭 No.1 *****

「神社と災害」をテーマにした記事が始まって、

まだ数日しか経っておりませんが、

本来アップするはずだった「大嘗祭」関連の記事を、

「神社と災害」の記事と並行する形で

綴って行きたいと考えております

(読みにくかったら申し訳ありません……)。

 

先日執り行われた「大嘗祭」というお祭りは、

日本や日本人の命運を握ると言っても

過言ではない重要なお祭りでして、

実は地震や津波などの「自然災害」とも

深く関わっていることをご存知でしょうか……。

 

ただ、大嘗祭には「秘儀」「由緒不明」の部分が多く、

また長い皇室の歴史の中で変化している

内容も多々あること思われます。

ゆえに、私自身が見聞きした情報を総合し、

「こんな感じではなかろうか……」という妄想記事が、

相変わらず大部分を占めると思われますが、

そのあたりはなにとぞご了承いただければ幸いです。

 

ちなみに、大嘗祭関連の記事は、

当ブログの「皇室・海人族・ユダヤ」

および「阿波・忌部氏1」のカテゴリー内

でもお読みになれますので、よろしければ

そちらのほうも合わせてご覧になってください。


特殊な立地条件

2019-12-17 09:46:46 | 神社と災害

 

  ***** 神社と災害 No.6 *****

すでにご存じかもしれませんが、

古社と呼ばれるような神社の多くは、

地震や津波などの「天変地異」を

避けるかのような立地条件の元に

建てられているケースが間々あります。

 

例えば、伊勢湾にほど近い伊勢神宮の外宮などは、

ハザードマップ上では浸水被害エリアに

位置しているにも関わらず、

ご正殿のある一帯のみは危険エリア外であり、

また山側に位置する内宮に関しても、

神域全体が土砂災害の危険区域の外にあるのです。

 

これらを実証する事例として、

東日本大震災の発生時に、

「高台にある神社に避難した大勢の人が助かった」

という東北沿岸部のケースがあげられるでしょう。

 

数年前、三陸の被災地にある神社を訪れた際には、

「鳥居の前まで水が来た」「本殿だけは大丈夫だった」

「階段の下にいた人は流された」

などの状況をよく耳にしましたし、

各地のハザードマップを確認しても、

神社マークのある周辺だけは不自然に

「色抜け(標高が高い……等々)」しているもの。

 

逆に言えば、「神社」を意識することで、

災害から免れることもあながち

不可能ではないと思われるのですね。