そして、「グスコーブドリの伝記」になって削除されてしまったのとしてとても残念だったと私からは思えるもののもう一つが次の部分だ。
を受けてのものであり、「予定調和」過ぎる構成になるのかもしれないが、私は「グスコンブドリの伝記」において〝☆〟はとてもほっとした部分だった。それは以前にトラブルのあった「百姓」たちとの和解がそこに描かれてあったからだ。
しかも、ちょうどこの童話を書いていた頃といえば賢治が〔雨ニモマケズ〕を手帳に書いていた頃でもある。そして賢治がそれは何故書いたのかというと、近くに住んでいた小作人であろうと思われる農民のことを、かつての賢治は当たり前の如くに「えい木偶のぼう」と詰り、「黒股引の泥人形め」と蔑んだことがあったが、実は自分こそその「木偶のぼう(デクノボ-)」そのものであったということに気付いて慚愧に堪えなかったから、爾後は「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」と常に心懸けることによって、今まで何度もそうなっていた「慢」に陥らぬようにと戒めたのではなかろうかと私は解釈していた。
そしてそのような賢治の想いが、先駆稿の「グスコンブドリの伝記」において上掲部分に諸に反映されていると思っていたので、私はこれらの二つは整合性がとれているとな思って納得していたのだった。ところが、この部分が最終稿の「グスコーブドリの伝記」では削除されてしまったので、とても悔しいし、残念でならない。逆に言えば、当時の賢治の農民たちに対する理解と認識はまだ道半ばだったということになるのだろうか。
また一方で、「先生私たちはじぶんらのしくじったことを知らないで先生をひどい眼にあはせました」という記述内容は実は賢治の本音だったのかもしれないということにも気付く。下根子桜で賢治がやったことが正当に評価してもらえなかったという無念さが下根子桜撤退後も心の底にはまだ澱んでいたのかもしれない。しかしもしそうであったとしたならば、それは賢治が〔雨ニモマケズ〕を手帳に書いて己を戒めたようとしたこととそれは矛盾することだ。そこで賢治は、自分のことをまた高みに置いてしまって自己弁護している自分がそこにいることとなるこの個所を書き換えねばならぬと思ったのだが、如何せん原稿枚数は減らさねばならないし締め切りは迫っているということで、やむを得ず削除してしまったということもあり得るのかもしれない。
続きへ。
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《鈴木 守著作新刊案内》
この度、お知らせしておりました『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』が出来いたしました。
◇『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』(定価 500円、税込み)
本書の購入をご希望なさる方がおられましたならば、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければまず本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円(送料込)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守
電話 0198-24-9813
なお、本書は拙ブログ『宮澤賢治の里より』あるいは『みちのくの山野草』に所収の、
『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
のダイジェスト版です。さらに詳しく知りたい方は拙ブログにてご覧下さい。
また、『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』はブログ上の出版ゆえ、紙媒体のものはございません。
《鈴木 守著作既刊案内》
◇『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)
ご注文の仕方は上と同様です。
なお、こちらは『宮沢賢治イーハトーブ館』においても販売しております。
☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』 ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著) ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)
『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』のご注文につきましても上と同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。また、こちらも『宮沢賢治イーハトーブ館』において販売しております。
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』 ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』 ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』
ただし、『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』は在庫がございません。
ブドリはすぐに仕度をとゝのえはじめました。ある日玄関が大へんさわがしいので出て見ますとそれはいつかのブドリを胴上げにした連中でした。ブドリが出て行くとみんな泪を流して云ひました。
「先生私たちはじぶんらのしくじったことを知らないで先生をひどい眼にあはせました。どうかこんどの海の爆発へおつれ下さい。おねがひいたします。」
ブドリは考があったので承知しました。
それから十日の后一隻の船はカルボナード島へ行きました。そこへいつものやぐらが建ち電線は連結されました。ブドリはみんなを船で返してしまってじぶんが一人島に残りました。………☆
これはもちろん前の章〝八、〟に書かれている次の、「先生私たちはじぶんらのしくじったことを知らないで先生をひどい眼にあはせました。どうかこんどの海の爆発へおつれ下さい。おねがひいたします。」
ブドリは考があったので承知しました。
それから十日の后一隻の船はカルボナード島へ行きました。そこへいつものやぐらが建ち電線は連結されました。ブドリはみんなを船で返してしまってじぶんが一人島に残りました。………☆
ところがある日ブドリがタチナといふ火山へ行った帰り沼ばたけの間を通りますと一人の百姓がいきなりブドリの行手に立ちふさがりました。
「おいお前今年の夏電気で肥料降らせたブドリだな。」
「さうだ。」ブドリはお礼を云はれると思って笑って答へました。するとその男は向ふを向いて高く叫びました。
「火山局のやつ来たぞ。みんな集れ。」
すると七八人の百姓たちがみんな血相を変へてかけつけて来ました。
「この野郎きさまの電気のお蔭でおいらのオリザみんな倒れてしまったぞ。何してあんなまねしやがったのだ。」
ブドリは身構へして云ひました。
「倒れた? そんなに沢山こやしを降らせたのでない。おまへたちが沢山やったのだらう。」「何、この野郎」それからみんなは寄ってたかって、ブドリを胴上げにしました。ブドリは草の中へ落されてたうたう気絶してしまひました。
<共に『宮沢賢治全集8』(ちくま文庫)>「おいお前今年の夏電気で肥料降らせたブドリだな。」
「さうだ。」ブドリはお礼を云はれると思って笑って答へました。するとその男は向ふを向いて高く叫びました。
「火山局のやつ来たぞ。みんな集れ。」
すると七八人の百姓たちがみんな血相を変へてかけつけて来ました。
「この野郎きさまの電気のお蔭でおいらのオリザみんな倒れてしまったぞ。何してあんなまねしやがったのだ。」
ブドリは身構へして云ひました。
「倒れた? そんなに沢山こやしを降らせたのでない。おまへたちが沢山やったのだらう。」「何、この野郎」それからみんなは寄ってたかって、ブドリを胴上げにしました。ブドリは草の中へ落されてたうたう気絶してしまひました。
を受けてのものであり、「予定調和」過ぎる構成になるのかもしれないが、私は「グスコンブドリの伝記」において〝☆〟はとてもほっとした部分だった。それは以前にトラブルのあった「百姓」たちとの和解がそこに描かれてあったからだ。
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また一方で、「先生私たちはじぶんらのしくじったことを知らないで先生をひどい眼にあはせました」という記述内容は実は賢治の本音だったのかもしれないということにも気付く。下根子桜で賢治がやったことが正当に評価してもらえなかったという無念さが下根子桜撤退後も心の底にはまだ澱んでいたのかもしれない。しかしもしそうであったとしたならば、それは賢治が〔雨ニモマケズ〕を手帳に書いて己を戒めたようとしたこととそれは矛盾することだ。そこで賢治は、自分のことをまた高みに置いてしまって自己弁護している自分がそこにいることとなるこの個所を書き換えねばならぬと思ったのだが、如何せん原稿枚数は減らさねばならないし締め切りは迫っているということで、やむを得ず削除してしまったということもあり得るのかもしれない。
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☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』 ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著) ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)
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