みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「グスコーブドリの伝記」(「雨ニモマケズ」)

2017-02-16 10:00:00 | 賢治作品について
 そして、「グスコーブドリの伝記」になって削除されてしまったのとしてとても残念だったと私からは思えるもののもう一つが次の部分だ。
 ブドリはすぐに仕度をとゝのえはじめました。ある日玄関が大へんさわがしいので出て見ますとそれはいつかのブドリを胴上げにした連中でした。ブドリが出て行くとみんな泪を流して云ひました。
「先生私たちはじぶんらのしくじったことを知らないで先生をひどい眼にあはせました。どうかこんどの海の爆発へおつれ下さい。おねがひいたします。」
 ブドリは考があったので承知しました。
 それから十日の后一隻の船はカルボナード島へ行きました。そこへいつものやぐらが建ち電線は連結されました。ブドリはみんなを船で返してしまってじぶんが一人島に残りました。
………☆
 これはもちろん前の章〝八、〟に書かれている次の、
 ところがある日ブドリがタチナといふ火山へ行った帰り沼ばたけの間を通りますと一人の百姓がいきなりブドリの行手に立ちふさがりました。
「おいお前今年の夏電気で肥料降らせたブドリだな。」
「さうだ。」ブドリはお礼を云はれると思って笑って答へました。するとその男は向ふを向いて高く叫びました。
「火山局のやつ来たぞ。みんな集れ。」
 すると七八人の百姓たちがみんな血相を変へてかけつけて来ました。
「この野郎きさまの電気のお蔭でおいらのオリザみんな倒れてしまったぞ。何してあんなまねしやがったのだ。」
 ブドリは身構へして云ひました。
「倒れた? そんなに沢山こやしを降らせたのでない。おまへたちが沢山やったのだらう。」「何、この野郎」それからみんなは寄ってたかって、ブドリを胴上げにしました。ブドリは草の中へ落されてたうたう気絶してしまひました。
            <共に『宮沢賢治全集8』(ちくま文庫)>
を受けてのものであり、「予定調和」過ぎる構成になるのかもしれないが、私は「グスコンブドリの伝記」において〝☆〟はとてもほっとした部分だった。それは以前にトラブルのあった「百姓」たちとの和解がそこに描かれてあったからだ。

 しかも、ちょうどこの童話を書いていた頃といえば賢治が〔雨ニモマケズ〕を手帳に書いていた頃でもある。そして賢治がそれは何故書いたのかというと、近くに住んでいた小作人であろうと思われる農民のことを、かつての賢治は当たり前の如くに「えい木偶のぼう」と詰り、「黒股引の泥人形め」と蔑んだことがあったが、実は自分こそその「木偶のぼう(デクノボ-)」そのものであったということに気付いて慚愧に堪えなかったから、爾後は「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」と常に心懸けることによって、今まで何度もそうなっていた「慢」に陥らぬようにと戒めたのではなかろうかと私は解釈していた。
 そしてそのような賢治の想いが、先駆稿の「グスコンブドリの伝記」において上掲部分に諸に反映されていると思っていたので、私はこれらの二つは整合性がとれているとな思って納得していたのだった。ところが、この部分が最終稿の「グスコーブドリの伝記」では削除されてしまったので、とても悔しいし、残念でならない。逆に言えば、当時の賢治の農民たちに対する理解と認識はまだ道半ばだったということになるのだろうか。

 また一方で、「先生私たちはじぶんらのしくじったことを知らないで先生をひどい眼にあはせました」という記述内容は実は賢治の本音だったのかもしれないということにも気付く。下根子桜で賢治がやったことが正当に評価してもらえなかったという無念さが下根子桜撤退後も心の底にはまだ澱んでいたのかもしれない。しかしもしそうであったとしたならば、それは賢治が〔雨ニモマケズ〕を手帳に書いて己を戒めたようとしたこととそれは矛盾することだ。そこで賢治は、自分のことをまた高みに置いてしまって自己弁護している自分がそこにいることとなるこの個所を書き換えねばならぬと思ったのだが、如何せん原稿枚数は減らさねばならないし締め切りは迫っているということで、やむを得ず削除してしまったということもあり得るのかもしれない。

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