みちのくの山野草

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「なめとこ山の熊」(賢治童話の最高傑作)

2017-02-27 09:00:00 | 賢治作品について
《なめとこ山の頂上》(平成27年5月20日撮影)
 ところで、賢治の童話の中には、例えば先の「グスコーブドリの伝記」では、
「それはできるだろう。けれども、その仕事に行つたもののうち、最後の一人はどうしても遁げられないのでね。」
「先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの出るやうお詞を下さい。」
              <『宮沢賢治全集8』(ちくま文庫)269p>
とか、「銀河鉄道の夜」では、
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」
「うん。僕だってさうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙なみだがうかんでゐました。
             <『宮沢賢治全集7』(ちくま文庫)292p>
というようにしばしば「死ぬこと」を、それも捨身ともいえるような死に方を取り上げていることも少なくなく、暫く前からそのような死に対する記述や認識に私はどうも違和感を感ずるようになってしまっていた。
 もっと精確にいうと、かつては賢治童話におけるこのような行為や姿勢に私はいたく感動や感銘を受けていたのだが、その理由の過半は賢治もそのようなストイックな人生を実際に送っていたと思い込んでいたからであった。ところが私が「羅須地人協会時代」を中心としてここまで10年間ほどかけて検証作業を続けてきた結果はそうではなくて、実際の賢治はそのほぼ逆とも言える不羈奔放な高等遊民だったということを知ってしまってからは、そのような感動も感銘も失い、関心も薄れてしまった。言い換えれば、私にとって「グスコーブドリの伝記」も「銀河鉄道の夜」も賢治の生き方と切り離しては評価できない作品であるが故に、昔のような評価はできなくなってしまった。

 ところが、この「なめとこ山の熊」はこれらの二つの童話等とは違っていて、私からすれば、賢治自身の生き方とは基本的には無縁の作品であることに気付いた。言い方が正しいかどうか自信はないが、いわば「宮沢賢治の彼方」にある作品だと知った。
 小十郎も熊も共に不条理を止揚したが故に、小十郎は
 その広い赤黒いせなかが木の枝の間から落ちた日光にちらっと光ったとき小十郎は、う、うとせつなさうにうなって谷をわたって帰りはじめた。
のであり、熊たちは、
 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環になって集って各々黒い影を置き回々フイフイ教徒の祈るときのやうにじっと雪にひれふしたまゝいつまでもいつまでも動かなかった。
のだという解釈ができるのだということを田下氏のお蔭で知ったからだ。そして、私にとっては、「なめとこ山の熊」はあまりにも切なくて悲しいが、とても美しい物語であり、賢治童話の珠玉の一篇となりつつある。

 同氏が指摘するように、「小十郎と熊はその宿命を受け容れ命を全うした」のであって、小十郎そして熊の命に対する認識と、ジョバンニ・カンパネルラ・ブドリのそれとは違うと私は認識している。ストイックとも言える後者三人には死ぬことがまず先にありきであり、あるいは捨身だからである。そこにはまずは宿命を受け止めようという姿勢は見えない。不条理をまずは素直に受け容れ、さらに止揚しようという苦悩もその過程も窺えない。ところが同氏が解説しているように、小十郎と熊は「命への執着をとくことによって、精神的に結ばれ」て「不条理を止揚できた」のだということを私なりには理解できた。
 だから私の場合には、前掲の二つの童話「グスコーブドリの伝記」「銀河鉄道の夜」における「死」に対する位置づけと「なめとこ山の熊」におけるそれはかなり異なっているということになる。もちろん、ザネリを助けようとして代わり死んだとも言えるカンパネルラも、その必然性が乏しいとは雖も農民を救うために捨身したというブドリも、あるいは星になろうとして一生懸命頑張って遂に星になったというあの「よだか」も皆ストイックで素晴らしい。しかし、これらのいずれの場合にも初めから「死ありき」という嫌いがある。
 しかしそうでない場合でも、ストイックとはとても言えず毎日毎日を精一杯生きている「生きとし生けるもの」の場合でも、宿業を受け容れて命を全うすれば、ストイックなカンパネルラやブドリそして「よだか」のようになれるということをこの童話「なめとこ山の熊」は教えてくれているとは言えないだろうか。つまり、小十郎でも熊でもそして私のような一庶民であっても、ストイックという訳でもなく取り立てて取り柄が何一つある訳でなくとも、宿業を受け容れて命を全うすれば救われ得るのだということをこの「なめとこ山の熊」は教えているのではなかろうか。それも宗教性を抜きにして魂を昇華でき得るのだと。しかも、これと似たような賢治作品を私は他に知らない。だから辿り着いた私の結論はこうだ。
    「なめとこ山の熊」は私にとって賢治童話の最高傑作であり、あまりにも切なくて悲しく、そして美しい童話だ。

 一方で、賢治自身は賢治は昭和5年3月10日付伊藤忠一宛書簡(258)で、
根子ではいろいろとお世話になりました。
たびたび失礼なことも言ひましたが、殆んどあすこでははじめからおしまひまで病気(こころもからだも)みたいなもので何とも済みませんでした。
               <『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)より>
と己の「羅須地人協会時代」を厳しく自己総括している訳だが、賢治のこの心情の吐露を軽んじてはいけない、素直に受け止めるべきだと私は考えている。
 実際、昭和2年の11月頃から三か月間に亘ってのチェロの猛勉強のための滞京は、結果的には、「殆んどあすこでははじめからおしまひまで病気(こころもからだも)みたいなもの」と言わざるを得なかったその典型であろう。はたまた、同時代の賢治は客観的には、
    ヒデリノトキハナミダヲナガシ
というようなことはしなかったし、
    サムサノナツハオロオロアルキ
しようにもそのようなことはできなかったのだったことも先に述べたように私は明らかにしたからだ。
 したがって「羅須地人協会時代」は賢治の言っていた通り、確かに「殆んどあすこでははじめからおしまひまで病気(こころもからだも)みたいなもの」だったとほぼ言えそうだ。もちろんそんな訳だから、賢治ファンの方々に対して私はとても申し訳ない結論を導いてしまったとこれまで悔やんでいた。ところが、『宮沢賢治必携』(佐藤泰正・編、學燈社)によれば、この童話「なめとこ山の熊」は「羅須地人協会時代」に完成したと思われる唯一の童話であるというではないか。そこで私はこれで少しは言い訳ができることになったと幾ばくか安堵した。そんなことはないよ、少なくとも
 「羅須地人協会時代」の賢治は賢治童話の最高傑作「なめとこ山の熊」を書いていた。
ではないか、と言えるようになったからだ。

 そして私個人としても大いに安堵した。それは次のような理由からだ。
 かつての私は、「銀河鉄道の夜」と「星の王子さま」はよく似ているなと思っていた。それはあまりにも直感的な理由だが、いずれも「透明な世界」の物語だなと感じていたからだった。ところが、巷間出回っている「銀河鉄道の夜」は賢治が完成させたものではなく、もともとは未完だったものを賢治歿後に誰かがまとめたものだということを知り、私にとってはそのようなものであればそれは正真正銘の賢治作品としては受け容れがたくなってしまった。それゆえ、それまでは「銀河鉄道の夜」は「星の王子さま」に勝るとも劣らない童話だと私は思っていたのだが、それ以降「銀河鉄道の夜」への関心は薄れてしまっていた。
 ところがこの度、少なくとも私にとってはかつての「銀河鉄道の夜」に取って代わる賢治童話が見つかった。そしてそれはもちろん「なめとこ山の熊」である。つまり私の場合には、かつての「銀河鉄道の夜」が「なめとこ山の熊」に取って代わって、
 「なめとこ山の熊」は「星の王子さま」に勝るとも劣らない作品だ。
ということになったことが嬉しい。しかも後者がそうであるように、前者も大人向けの童話であり、「なめとこ山の熊」は賢治童話の最高傑作だということを私はますます確信できるようになった。

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豊沢の事 (佐々木伸行)
2017-02-27 13:58:14
この物語(創作)の舞台になぜ多くの実名(アレンジも)が出てくるのだろう、勝手ながら私は、登場する人々及び、動物(熊)の存在を浮き出させるのに、そのまま使える舞台だと賢治は感じた、と思っています。久しぶりに「湖底をしのぶ、豊沢平和卿、移転30周年誌」を取り出して見ました。松橋勝治さんのご子息、勝美さんの文もあり、当時の猟や山の生活などの記事があります。
 (この資料は花巻市立図書館にも所蔵されています)
 https://hana-isan.com/Search/single_page/18/2037
 「花巻物語辞典、地域郷土史文献 上記」また、他に「豊沢ダム40周年記念誌、豊潤」も所蔵のはずです、こちらには鳥瞰図が付けて有り、昔の家の配置が記載されています。松橋家の有った位置もわかります。
 賢治がこの物語を着想したころの豊沢を偲ぶ一助に成ればと思います。
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ご助言ありがとうございます (佐々木様へ(鈴木))
2017-02-27 14:36:55
佐々木 伸行 様
 今日は。いつもお世話になっております。
 そしてこの度もまたご助言ありがとうございます。
 近々、花巻市立図書館へ出掛けて行って、ご紹介いただいた周年誌等を見せて貰おうと思っております。
 今回のシリーズは次回で終わるつもりですが、出だしの「なめとこ山の熊のことならおもしろい」の「おもしろい」が今一つしっくりきておりませんので、特に「当時の猟や山の生活などの記事」を見てみたいと思っております。
 取り急ぎ、まずは御礼まで。

                                                            鈴木 守

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