<『校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)』(筑摩書房)より>
大切なことはそこへ「行ッテ」実践したのかということさてこうなると、この「ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ二行」を含む次の〝連〟
東ニ病氣ノ子供アレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
<『校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)』(筑摩書房)より>行ッテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
も同じ属性を持つ可能性が頗る大である。つまり、「東ニ病気ノコドモアレバ/……/ツマラナイカラヤメロトイヒ」ということを当時の賢治がはたして実践していたのかというとその保証はあまりなさそうだ。
まして、仮に賢治がそのようなことを実践していたとしても、特別賢治だけがそのことをもってしてことさら評価されるべきことでもないなとある時以降の私は思うようになってしまった。それは次のようなことをしばしば目の当たりにして以降である。
先の「東日本大震災」のボランティアに何度か出掛けて行った際にしばしば見知ったことである。それは、沢山の若者たちが地元からのみならず遠くからやって来ていたが、彼らの多くは夜行バスでやって来て、泥にまみれ汗にまみれ、しかもそれらを拭う時間も惜しみながら活動し、そしてまた夜行バスで戻ってそのまま職場に出るというのだ。しかも次のようなこともあった。
ボランティアに来たのであろう人達の自家用車がかなり駐車していた。その中には〝山口〟ナンバーの車があった。つい嬉しくなって私はその持ち主に声を掛けた。『遠くから大変ありがとうございます』と。するとその車の持ち主、歳の頃25、6歳の若い青年は、何の衒いも見せずに
『いやあ、困っているときはお互い様ですから』
と爽やかに応えてくれた。
このような沢山のボランティアの若者たちを目の当たりにして私が彼らから教わったことは、いわば「東ニ病気ノコドモアレバ/……/ツマラナイカラヤメロトイヒ」をさりげなくそして熱心に活動している若者たちが沢山いるということだった。『いやあ、困っているときはお互い様ですから』
と爽やかに応えてくれた。
言い換えれば、賢治が〔雨ニモマケズ〕の中に前掲のようなことを書いていてあったからといって、そのことだけで賢治だけが取り立てて褒められるべきことでもなく、そんなことよりも実際に罹災地に行って現にボランティア活動に汗しているこれらの若者たちをまず褒めねばならないということである。まして、現地に行くこともせずに遠くの地で「東ニ病気ノコドモアレバ/……/ツマラナイカラヤメロトイヒ」と唱うことに私はそれ程の意味も価値も見出せなくなってしまった。だからそうではなくて、
大切なことは実際そこへ行って実践したということであり、そうしてこそ初めて意味と価値を持つ。
ということを肌で感じたのだった。 続きへ。
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守 電話 0198-24-9813☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』 ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著) ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)
なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』 ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』 ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』
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