みちのくの山野草

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1946 宮澤賢治の下根子桜時代(転居直前)

2011-01-14 08:00:00 | 賢治関連
 この度、宮澤賢治と約半年間下根子桜で一緒に寝食を共にしていたという千葉恭のことを少し調べてみて思ったことは、宮澤賢治が下根子桜で生活していた期間の「事実」が案外検証されていないということである。

 千葉恭関連だけでも、例えば
・一体千葉恭はいつからいつまで一緒に生活していたのか。また、それ以外の期間でも恭はしばしば下根子桜を訪れているというがそれはいつ頃からいつ頃までだったのか。
・恭は賢治に頼まれて蓄音機を売りに行ったと言っているが、それは十字屋岩田屋の2回だったのかどうなのか、また値段がそれぞれ250円650円だったのかどうなのか。
・恭が下根子桜へ寄寓したのは賢治が誘ったのか、それとも恭が転がり込んだのか。
などは私の知る限り明らかになっていないと思う。
 そして、冷静になってこの時代を振り返ってみれば、肝心のことで検証されていないことが千葉恭関連以外にも少なからずあるようだ。

 一方では、下根子桜に住んで居た頃の賢治の行った羅須地人協会の活動・稲作指導・肥料相談などに関しては賛嘆する人もあれば、それほどのものでもなかったという人もあってその評価は分かれているようだ。

 そこで私は疑問に思うのである。例えば千葉恭のこと一つとってみても、これらのことが明らかになっていなくてそれらの評価を正当に下せたのだろうかと。
 いや、もっと正確に言うとどうして宮澤賢治研究家はこれらのことを明らかにしてこなかったのだろうかと疑問に思うのである。このことが明らかになればその評価の仕方が変わることだってあり得ると思わなかったのだろうかと、疑問に思うのである。そして悔しいのは、もうこの時代になってしまうとこれらの検証はほぼ不可能になってしまったということである。

 また、どうして千葉恭のことは宮澤賢治研究家の間では重要視されていないのだろうかと不思議に思うのである。例えば、千葉恭の出身地でさえも正しくは明らかにされていなかった。あるタウン誌に著名な宮澤賢治研究家S氏が書いていた記事からやっと恭は大船渡の盛町だということを知って喜んだのだがそれは糠喜びだった。実はそれはS氏の何かの間違いであったからだ。まして、『宮沢賢治語彙辞典』(原子朗著)には千葉恭の項目はない。
 千葉恭以外に、賢治と半年間も寝起きを共にして直接指導を受けた人物はいないはずであり、”素”の賢治を悉に目の当たりにしている唯一の人物が千葉恭であると言っても良かろう。実際、恭はある講演の際の質疑応答において『賢治のボロや逸話的な、他人からは面白いと思われるようなことを少なから知っているのだが、そのような話をすることは勘弁してほしい』というような意味の発言をしている。そのような重要人物の千葉恭がどうして軽視されているのだろうか…。

 と、嘆いてばかりいても得ることは何もないから、これからは暫く宮澤賢治の下根子桜時代関連の「事実」を確認してみることにしたい。

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 今回は、賢治が下根子桜の生活に移る直前の関連する「事実」を時系列でリストアップしてみたい。
 なお、それらの拠り所は
 「校本宮澤賢治全集14巻」(筑摩書房)、「宮澤賢治」(佐藤隆房著)、「私の賢治散歩」(菊地忠二著)など
である。
 
<1926年(大正15年)>
1月15日 国民高等学校開校式が行われる(賢治嘱託兼務、「農民芸術」受け持つ)
1月中旬 下根子桜の別宅の改造を始めた(伊藤忠一の日記より)
1月30日 岩手国民高等学校で農民芸術論を講義
     (1/30~3/23まで11回講義(伊藤清一の講義ノートによる))
2月 9日 国民高等学校第二回講義
2月18日 国民高等学校第三回講義
2月19日 国民高等学校第四回講義
2月24日 国民高等学校第五回講義
2月27日 国民高等学校第六回講義
3月 1日 国民高等学校第七回講義
3月 5日 国民高等学校第八回講義 
3月20日 国民高等学校第九回講義
3月22日 国民高等学校第十回講義
3月23日 国民高等学校第十一回講義
3月24日 ベートーベン百年祭(夜6時半~)
3月27日 国民高等学校終了式
3月31日 花巻農学校を依願退職

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