みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

おわりに(テキスト形式)

2024-03-20 16:00:00 | 賢治渉猟
おわりに 最後に述べたいことが二つある。  今から一年前の平成27年3月、ある大学の卒業式で学部長の石井洋二郎氏は次のようなことを式辞の中で述べ、  あやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。 と危惧し、それを防ぐために、  あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認し . . . 本文を読む
コメント

第三章 伊藤ちゑと高瀬露(テキスト形式)

2024-03-20 14:00:00 | 賢治渉猟
第三章 伊藤ちゑと高瀬露    まずは、『宮沢記念館通信第112号』に載せてもらった拙論「伊藤ちゑからみた賢治」を以下に転載する。  「伊藤ちゑから見た賢治」  意外なことに、『宮澤賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房)の中には次のようなことが述べられている。  それは、伊藤ちゑと宮澤賢治とを結びつけようとする記事を書こうとする著者森荘已池に対してちゑは、  今後一切書かぬと指切りし . . . 本文を読む
コメント

裏山(3/16、雪割草)

2024-03-20 12:00:00 | 花巻周辺
《1 》(2024年3月16日撮影) 《2 》(2024年3月16日撮影) 《3 》(2024年3月16日撮影) 《4 》(2024年3月16日撮影) 《5 》(2024年3月16日撮影) 《6 》(2024年3月16日撮影) 《7 》(2024年3月16日撮影)  続きへ。 前へ 。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。  ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私 . . . 本文を読む
コメント

第二章 「羅須地人協会時代」終焉の真相(テキスト形式)後編

2024-03-20 10:00:00 | 賢治渉猟
 書き残していなかったという事実  さて、前頁で〝⑥〟であるはずだと述べたが、このことをここでは検証してみよう。  まず、賢治関連の著者の中でこの時の療養中の賢治のことを一番よく知っている人物はもちろん、実質的に賢治の主治医だったとも云われている佐藤隆房であり、彼には先に引用した(78p~79p参照)ような証言がある。そして、その頃の佐藤隆房は医者の立場から豊沢町の賢治の実家にしばしば立ち寄ってい . . . 本文を読む
コメント

第二章 「羅須地人協会時代」終焉の真相(テキスト形式)前編

2024-03-20 08:00:00 | 賢治渉猟
第二章 「羅須地人協会時代」終焉の真相  ずっと以前から疑問に思ってきたことがある、あの「演習」とは一体何のことだったのだろうかと。  「演習」とは何か  それは、宮澤賢治が愛弟子の一人澤里武治に宛てた昭和3年9月23日付書簡(243)、 お手紙ありがたく拝見しました。八月十日から丁度四 . . . 本文を読む
コメント